第14話
「昨日の帰り、浜ちゃんに捕まって洗顔フォームとか化粧水とか色々渡されたよ。コンテストまで毎日、朝と風呂上りに使えって」
朝、寮から学校まで向かう僅かな道すがら、瑞希が俺にため息まじりにそう言った。思えば瑞希の愚痴っぽいものを聞いたのはこれが初めてかも知れない。
「悪いな。なんか変なスイッチ入れちゃったみたいで」
俺が申し訳なさそうに答えると、「いや、有司のせいじゃないよ」と暗にニシダを責めるようなことを言って瑞希は眉をひそめた。
恨まれてるぞ、ニシダ。と内心ほくそ笑みながらも、一応ここはニシダのフォローに入っておく。
「浜ちゃんがやたら張り切ってるだけだからさ。別にそこまでする必要ないよ」
「でも肌の調子を整えておかないと化粧のノリが悪くなるんだってさ。だから、一応やるけど」
てっきり、そうだな、って同意してくれるものだと思っていたら、案外真面目に取り組もうとしている瑞希に、改めて頑張り屋さんだなあと感心してしまう。
無理すんなよって抱きしめたくなったときには、もう制服指導の先生たちが睨みを効かせている学校の門に着いてしまった。
教室に着けば席は別々。今までは隣同士だったから、席についてからもダラダラお喋りできたけど、2学期に入り席替えをしてからはそれもできなくなってしまった。休み時間も瑞希は速読英単語にかじりついたりしているので話しかけづらい。帰りは俺が文化祭の準備で居残るし、寮に帰るのも遅くなって食堂に行くのも風呂に入るのもギリだから、実質朝のこの数分が、俺と瑞希が一緒にいられる唯一の時間だった。
それでも文化祭が近づくにつれ、寂しいと思うことも忘れるくらいに文化祭の準備が忙しく、俺は積極的に残ってくれるみんなと、あーでもない、こーでもないと意見を交わしながら、ときにふざけ合いながら次々に教室を手作りの道具でいっぱいにしていった。
そんなある日、案内の看板をもっと祭りっぽくしようと縁を絵の具で紅白に塗っているとき、ふと教室の扉の方に目をやると、瑞希が1人、じっと扉の小さな窓から教室の中を覗いていることに気がついた。心なしかその顔は少し寂しげに見える。最初の約束通り、瑞希は1度も展示の方の準備には参加していない。同じクラスなのに1人だけこの輪からあぶれてしまっているのだ。
ふっと瑞希が扉の窓から姿を消したとき、俺は反射的に側にいたニシダに、「悪ぃ、俺ちょっと用事あるから抜けるわ」と言って持っていた白のアクリル絵の具がついた筆を渡すと、「えっ?ちょっ……一之瀬!」と戸惑うニシダの声を背に、自分の学生鞄を掴んで教室を飛び出した。
どうして気づかなかったんだろう。いくら瑞希が自分で決めたこととはいえ、受験を優先することが瑞希にとって楽しいことだというわけではないんだ。本当は瑞希だって、俺たちと一緒に居残りしてみんなでわちゃわちゃして、馬鹿みたいに笑って、高校最後の文化祭を楽しんだりしたかったのかも知れないのに。
「瑞希!」
廊下を必死で走って瑞希の背中に追いついた俺は、息を切らしながら瑞希の隣に並んだ。
「有司?文化祭の準備は?」
瑞希が驚いたように目を丸くして俺の顔を見る。
「いや、俺働きすぎだからさ。たまには休みもらわないと」
俺が冗談めかしてそう言って、瑞希に「一緒に帰ろうぜ」と笑ってみせると、瑞希は一瞬呆れたような顔をしたけど、瑞希を1人にしたくないという俺の真意が伝わったのか、そしてその気持ちを受け止めてくれたのか、嬉しそうに「うん」と頷いた。
外では夕方になると少し爽やかな風が吹くようになっていた。今年は残暑もそんなに厳しくはなく、9月も下旬に差し掛かると僅かだが秋の気配を感じることができた。蝉はもうほとんどがそのなりをひそめ、たまに出遅れたやつが遠慮がちにジジッと鳴いているくらいで、日が沈むと今度は鈴虫の鳴き声が幅をきかせるようになっている。そんな夏が秋に入れ替わる瞬間の中を、俺と瑞希は2人で、てくてくと寮に向かって歩いた。
人肌恋しい季節ってこういうときだよな、と俺は密かに思う。
瑞希と抱き合ったあの夜は、エアコンをつけていても少し汗ばむくらいにまだ夏の盛りで、気持ち悪いわけじゃないけどお互いの肌が触れたところが全部吸い付くみたいに湿ってベタベタとしていた。
今ならきっとすべすべして温かくて、あの時よりもっと気持ちいい。そしたらもっとくっついて、もっと奥まで入っていけるのに。
……駄目だ。こんなこと考えてるとすぐにやりたくなってしまう。俺はエロい気持ちを振払いながらも、せめてもう少し瑞希と一緒にいたくて、瑞希をコンビニに誘おうと、「なあ、瑞希」と隣を振り返った。
瑞希と、真っ直ぐ目が合った。瑞希は、俺が振り返る前から俺の方を見ていた。そして俺と目が合った途端、顔を赤らめて慌てたように目を逸らす。
俺はそのとき、はっきりと確信した。なんでそう思ったかなんて、特に理由はない。でも瑞希は今、俺と同じように、この秋の気配にあてられて、確かに俺と同じことを考えていた。俺と共に抱き合った、あの夜のことを。
「瑞希」
俺は、後先も考えず瑞希の腕を引いて自分の腕の中に包み込んだ。
「ちょっと!有司、人が来たら……」
瑞希は周りを気にして必死に逃れようとするけど、周りには誰もいないし俺は腕に力を込めて逃さない。
「今、何考えていたか教えてくれないと放さない」
「ええっ?」
子どもみたいに駄々をこねる俺に困ったような声を出しながらも、瑞希は一瞬抵抗する力を緩めると、少し躊躇いがちに、「……俺たち、体を繋げたんだよなあって考えてた」と言うと体を熱くした。
そして、「おい!!」いきなり瑞希にチューした俺を、瑞希が思い切り腹を殴って引きはがす。
「痛いよ、瑞希」
「あたりまえだろ!何考えてんだよ、こんなところで!」
殴られた腹は痛むけど、今はそんなことどうだって構わない。俺は顔を赤くして動揺している瑞希に再び近づくと、右手で瑞希の左手を取った。瑞希の体が小さくビクッと揺れる。
そして俺は、今までずっと頭の片隅にありながらも、言うべきではないと抑えていた考えを、そのとき初めて瑞希の前で口にした。
「夜中に、抜け出して、ホテルに行かないか?」
見つかったら一発退寮の重罪だ。俺はまだかろうじて実家から通えるからいいけど、唯一身を寄せることのできる叔父さんの家でさえ遠い瑞希は学校へ通う手段を失ってしまう。それでも俺は、今、瑞希が欲しい。
瑞希は口を半開きにしたまま固まってしまった。完全に俺の自分勝手なわがままだ。瑞希の都合をまったく考えていない。でも、瑞希だって今、俺のことを求めているんじゃないのか?
俺たちは暫く黙って、じっと見つめ合っていた。その時間は、何分にも何時間にも感じられ、繋いだ手はまるで心臓になったみたいに、2人の鼓動のリズムをトクントクンと伝え合う。
やがて瑞希は、固まったままだった表情をふわっと緩め、少し俯きかげんになると、本当に小さな声で「うん」と頷いた。
その日の夜、俺は自分のベッドの中で頭から布団を被って、着信音をオフにしたスマホを握りしめながら瑞希からの連絡をまだかまだかと待っていた。
原口が寝たら俺のスマホにラインをしてくることになっていた。いつも寝るのが早い水上はもうとっくにベッドの上段でスースーと寝息をたてている。まだ起きてんのかよ、原口のやつ。瑞希がいつまでも勉強してると嫌がるくせに。
早く出ないと終電を逃してしまう。そうなったら今夜の計画はパーだ。ホテルは1番近いところでも駅3つ向こうなので、徒歩で行くのは無理。遅くとも終電には乗ってホテルに行き、明日の始発でみんなが起きる前に寮に戻る、というのが俺のたてた計画だ。かなりせわしない感じにはなるけど仕方がない。
そのとき、スマホの画面がパッと明るくなって、瑞希の彩雲が輝くアイコンで「出られるよ〜」のメッセージが届いた。
ヨッシャ、と俺はそおっと音をたてずに室内履きを履かない靴下の足でベッドから床に降りるとそろりそろりと扉に向かう。服は事前に布団の中で、Tシャツはそのまま下だけハーパンからジーンズにこっそり着替えておいた。財布もばっちりポケットに入れてある。
俺が静かに扉を開けて廊下に出ると、同じタイミングで瑞希も廊下に出てくるところだった。思わず嬉しくなって駆け寄りたくなるのをぐっと堪えて、俺たちは目だけで合図を交わすと、忍び足で玄関へ向かった。
「ぷはぁ〜緊張した〜」
閉まった寮の門も無事に乗り越え外に出たところで、ようやく息ができたとばかりに瑞希が声を出した。
「瑞希、終電の時間がヤバい。走るぞ!」
俺は瑞希に声をかけ、駅に向かって走る。川沿いの遊歩道を走りバスケの公園を越え、橋を渡って対岸に着くと地下鉄の入り口が夜の闇の中で、ぼわっと明るく浮かび上がっている。
バタバタと階段を駆け下り電子マネーのカードを持っていない瑞希のために切符を買って改札を潜り、かろうじて0時ちょうど発の終電に滑り込むことができた。
電車に乗ってからホテルまではあっという間だった。ラブホ初体験の瑞希は入り口で少し戸惑っていたけど、ちょっとの時間も惜しい俺はさっさと部屋を選んで瑞希の手を引きエレベーターに乗った。手慣れている感じをあんまり出したくなかったけど、そんなことよりもなによりも、早く2人きりになりたかった。
エレベーターが到着し、通路に出て、チカチカと部屋番号が書かれたライトが光る部屋に入ると、ドアが閉まった途端俺は瑞希を抱きしめてキスをした。
「ん……」
瑞希は特に抵抗することもなく、俺にすべてを委ねるように、するりと俺の首に腕を巻きつけた。舌を入れると自然に吸い付いてくる。俺たちは体全部の距離をもっと縮めるように、舌を絡ませながら少しずつ互いの腕に力を込めた。ハァハァと瑞希の息が上がっていく。いや、俺の息だろうか。もうどっちがどっちだかわからなくなったところで、俺たちはやっと靴をぬいでもつれ合うように部屋の中に入ると、部屋の真ん中に鎮座する大きなベッドに身を沈めた。
まだ挿れられるのは1回が限界という瑞希の体を気遣って、俺たちは始発が出るまでの残りの時間を、ベッドの中で互いの肌を擦り合わせることに費やした。時折思い出したようにキスを交わし、手のひらや脚の内側で相手の輪郭をなぞり、またムズムズしてきたら抜き合って、済んだらキスをして笑い合う。すごく満たされた時間だった。幸せ……という感情を、言葉で意識したのは、このときが初めてかも知れない。
「俺、瑞希はもうこういうこと興味ないのかと思ってたよ」
瑞希の髪に顔を埋めながら、俺はずっと気になっていたことをやっと瑞希に伝えることができた。
すると瑞希は意外そうに「えっ」と驚いて、「そんなことはないけど……でもあんまり考えないようにはしてたかも。俺は勉強があるし有司は文化祭の準備で忙しそうだったし、そもそも寮では無理だと思ってたし」と言って少し照れたように肩をすくめた。
「じゃあ、たまには思い出したりした?」
「え?あ、うん、まあ」
「思い出してオナニーした?」
「……うん」
「どんなふうに?」
俺はするりと布団の下で瑞希の股間に手を滑らせる。
「ん……どんなって……普通に……」
「ちゃんと教えて?こんな感じ?」
握った手をすりすりと上下に動かすと、瑞希の股間がムクムクと大きく硬くなっていく。
「ねえ……それ嫌だ」
「嫌って、触るのが?言葉攻め?」
「言葉……あっ」
嫌といいながらもあっという間に果ててしまった瑞希はハァハァと息を切らし、それが落ち着く頃には「眠い」と言い出した。
確かに俺も眠い。枕元に備え付けられたデジタル時計はもうすぐ朝の4時になろうとしている。若さと性欲に満ち満ちた高校生の俺たちでも、さすがにオールでエロいことをするのは少々無理がある。まだ始発までは1時間以上あるけど、絶対にここで寝落ちするわけにはいかない俺たちは、思いきってベッドから起き上がりシャワーで体を洗うとホテルの外に出ることにした。
外はまだ暗く、隠れるように少し奥まったところにあるホテルの出入り口を抜けると、俺たちは駅に続く通りに出た。時間的に当然だろうが通りにはまったく
空には丸い月が浮かんでいた。
「月が綺麗だな」
思わずこぼしたひと言に、瑞希が「えっ?夏目漱石?」と返すので、訳が分からず「なんで夏目漱石が出てくるんだよ」と文句をたれたら、瑞希は意味深な目を俺に向けたあと、ふふっと笑って、「なんでもない」と言ったあと、「うん。そうだね。また一緒に見よう、同じ月を2人で」と繋いだ手をギュッと強く握った。
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