第13話

 寮の閉館期間が終わり、帰省を終えた寮生たちが次々と寮に戻り、また慌ただしい日常が始まった。俺とニシダは交代で学校へ行き文化祭の準備、そして瑞希は相変わらず部屋に閉じこもって受験勉強だ。

 ただ夏休み前とは明らかに変わったことがある。それは瑞希と毎日、いちゃラブラインのやり取りができるようになったことだ。とはいえ、あまり頻繁にするのは瑞希の勉強に支障をきたすので、「おはよう」と「おやすみ」、そして俺が寮にいる日には1日1回、「一緒にコンビニ行こう」のデートのお誘いラインをする。そんなふうに夏休みの残りを俺はルンルンと……いや、悶々と過ごした。だってせっかく両想いになったっていうのに、全っ然、瑞希とイチャイチャできる隙がねえ!

 コンビニぐらいなら2人で出掛けても全く不自然じゃないけど、「ちょっと2人でホテルへ」なんてみんなの目がある限り絶対できないし。あーもうなんか俺、告る前よりずっと瑞希不足になってる気がする。

 瑞希はといえば、あれ以来特にチューしたそうな視線を送ってくるわけでもなく、今日も暑いね〜だの、あれっこの川鯉がいるんだだの、俺にとってはどうでもいい、友だち同士ででもできるような話ばかりをしてまったくラブな雰囲気を見せてこない。それどころか、今日が夏休み最終日、という日には、「明日から『おはようライン』は無しにしない?学校始まると朝は慌ただしいし、どうせ学校行くとき会うんだしさ」などと言いながら、ショックを受けている俺のことなんかまったく意に介さず、コンビニで買ったガリガリ君ソーダをいかに棒から落とさず食べるかに夢中になっていた。

 もしかして、俺と瑞希って気持ちにかなりの温度差があるんじゃないだろうか。瑞希が俺に向かって言った「好き」も、ちょっと俺が誘導したっぽかったし。本当は瑞希は俺のことそれほど……いやいやいや、だってセックスだって受け入れてくれたし!……俺、以前は好きな子とじゃなくてもセックスしてたっけ……いやいやいや、好きじゃなきゃ毎日ラインとかしねーし!……ほとんど俺の方からしてるような…………。あれ?

 瑞希の態度は、付き合っているというにはあまりにもあっさりとしすぎていた。1回やったらもう気が済んじゃったのだろうか。まさか、俺やり捨てられた?付き合ってると思ってるの俺だけ?これまで女の子と遊びまくってきた報いがついに巡ってきたのだろうか?うーむ。

 そんなこんなでモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、俺たちが2人で過ごす最初で最後の夏休みは終わりを告げた。


「うわーすごいね!みんな頑張ったね」

 始業式の朝、教室に入るなり俺の隣りにいた瑞希が感声をあげた。

 教室の後ろの方には、俺たちが汗をかきかき働いた夏休みの成果、題して「なんちゃって縁日」で使う手作りの道具が山となって積み上げられている。

 文化祭で俺たちのクラスがやる出し物「なんちゃって縁日」は、教室内にまさに縁日で見かけるような出店をいくつか作ってお客さんに楽しんでもらおうというもので、射的の銃は割り箸で作った輪ゴム鉄砲、的も景品も手作りだし、お面屋さんで売るお面も、縁日で使えるお金も、看板も店飾りも全部夏休み中出られる人が出て頑張って手作りした。

 始めは嫌々やっていたことでもやり出すと楽しくなってくるもので、こんなのどうかな、とか、あれもやってみよう、とか、なんだかんだみんな積極的に意見を出してきて、気づけば内装はどんどん派手になっていき、手作り品もどんどん凝ったものになっていく。というわけで夏休みだけではまだ完成には至らず、校内に貼る宣伝用のポスターや呼び込みのチラシ作り、そして実行委員会としての仕事など、やることはまだまだたくさん残っていた。

「瑞希、俺今日から暫く居残りするから帰り一緒に帰れねえわ」

 俺が唇を尖らせながら瑞希にそう言うと、瑞希はあっさりと「あ、うん。わかった。頑張ってね」と笑顔を見せる。ちょっとくらい寂しそうな顔してくれてもいいのに。

「一之瀬〜っ、あれ、オッケーだから!」

 ニシダが教室の椅子の上に上履きの足を載せてしゃがんだ格好をしながら遠巻きに大声で叫び、よろしくって感じで俺に向かって手刀を切った。まったく、目の前にいるんだから自分で言えばいいのに。ニシダはまだ瑞希に対して警戒心を抱いているのだ。

「瑞希、今日の夜、寮で女装コンテストの衣装合わせしたいんだけどいい?」

「あ〜うん。わかった」

 一瞬にして瑞希の顔が曇った。

「やっぱ、嫌?」 

 俺が訊ねると、「嫌か嫌じゃないかって訊かれたら嫌だけど、でも自分でやるって言ったんだからちゃんとやる」と無表情に答えた。瑞希が無表情になるときは無理をしているときだ、とすでに気づいている俺は少し心配になるけど、確かに自分がやるって言ったわけだし、今更どうしたらいいのかなんてわからない。取り敢えず俺にできるフォローは全部しようと心に決めたところで始業を報せるチャイムが鳴った。


「いかついな」

 ニシダがズバッと一刀両断し、俺と瑞希はウッと言葉に詰まる。

 寮の俺の部屋で水上には外に出ててもらい、ニシダが身長170cmある女子の友だちから、今は使ってないからと借りてきた冬用の高校の制服を瑞希に着せたところだったが、細身の瑞希にはサイズはピッタリでも、上に紺色のカーディガンを羽織っていてさえ、やっぱり男特有の肩の張りは丸わかりだし、チェックのミニスカートから飛び出した脚は筋肉がついて筋張っている。やっぱりいくら顔が女の子でも体はちゃんと男の子だ。

「あれ買おうぜ、ルーズソックス。あれで脚はなんとか隠せるだろ」

 ニシダが、いいこと思いついた、といったふうに人差し指を立てる。

「あとは、ロングヘアーのカツラで肩とか隠しゃなんとかなるだろ。次の休みにドンキに買いに行こうぜ」

 ニシダに言われて俺は、行くなら瑞希と行きたいな〜と思いながらも、いや、瑞希の勉強の邪魔しちゃ駄目だと渋々「うん、そうだな」と答えた。

「ねえ、もうこれ脱いでいい?暑いしなんか落ち着かないんだけど」

 俺たちの会話を遮って、瑞希が言った。見ると瑞希は、心許なさそうにスカートの前と後ろを両手で押さえながらモジモジとしている。

「あ、ちょっと待って!化粧どうする?したほうがいいよな?」

 ニシダがちょっと身を引きながら、まるでモデルを見定めるプロデューサーのように腕を組んで、う〜ん、と眉間にシワを寄せ、瑞希を上から下まで舐め回すように見た。おまえは今こそ瑞希に殴られろ。

「化粧ってどうすんだよ?俺、やり方知らねえぞ」

 このダルいやり取りにウンザリしてきた俺が、ベッドにドサッと腰掛けながらそう言うと、「動画で見てみよう」とニシダがスマホをポケットから取り出し、「化粧 やり方」で検索するので、俺とニシダ、瑞希の3人でベッドに並んで腰掛けて、顔を寄せ合い暫く無言で動画を視聴した。

「なんか、化粧って結構色んなことやってんだね。下地だとか陰影つけたりだとか」

 最初に瑞希が口を開き、俺とニシダも「だな」と頷いた。

「1回しか使わないのにこんなに色々買えねえって。他のクラスどうしてんだ?」

 さっさと見切りをつけて動画から目を離した俺がそう言うと、ニシダは膝の上にスマホを置いて再び腕を組み、う〜ん、と唸ると、まるで禁断の扉を開くかのようにボソッと、「浜ちゃんに頼むか」と呟いた。

「え、それルール違反じゃね?」

「そこを頼み込む」

「やってくれるかな〜?」

「一応言うだけ言ってみようぜ」

 ニシダが覚悟を決めたように1人頷いた。

 ちなみに浜ちゃんというのはうちの高校の養護教諭で、年齢不詳、登校してくるときはいつも赤いアウディを校内に乗り付け、ハイブランドのスーツにサングラス、長い髪をかきあげながら細いヒールをカツカツと鳴らし歩く意識高い系の女の人だ。


「あたしがアンタたちの味方しちゃったら他のクラスの子たちと不公平になっちゃうじゃないの」

 白衣でお高いスーツを隠し、サングラスは外して髪を後ろでひとつに束ねた浜ちゃんが、保健室のデスクの前の椅子をくるんと回転させ、薄いストッキングの脚を組みながら、頭を下げている俺とニシダに向かって言った。椅子から俺たちを見上げているというのに、まるで上から見下ろされているかのような口調だ。

「そこをなんとか!お願いします」

 ニシダが更に頭を深く下げて食い下がるので、俺も一応「お願いします」と一緒に頭を下げる。

 浜ちゃんは困ったように、大きなため息をついたあと、ふと何かに気づいたような顔をして、「ねえ、アンタたちって何組だっけ?」と俺たちに訊ねた。

「3年6組です」

「じゃあもしかしてコンテストに出る子ってあの転入してきたっていう可愛い……」

「はい!あの可愛い子です!」

 良い流れがこっちに向いてきたことを察知したニシダが淀みなく答える。

 浜ちゃんは、う〜ん、と少し考えたあと、「わかった、協力する。でも他のクラスの子たちには絶対バレないようにすること。それが条件」と言って長いまつ毛をぐっと見開くと俺たちの顔を交互に見た。アンタたち裏切ったらわかってんでしょうね?と言わんばかりに。

「はい!ありがとうございます!」

 ニシダが大声で叫ぶともう一度頭を下げる。俺も一緒に、「……っす」と頭を下げる。


「戸村の顔面力はさすがだな。あの浜ちゃんをその気にさせるとは」

 ひたひたと硬い廊下を歩いて保健室から教室に帰る途中、ニシダが機嫌良さそうに俺に話しかけてくるけど、俺はまったく上の空で、窓の外の景色を眺めている。

「おい、一之瀬。おまえまだ気乗りしないわけ?戸村の女装、あの美意識高い系の浜ちゃんがやってくれんだぞ?みたくないわけ?」

「んー」

 突然目の前の教室からなにやら大声でわめきながら飛び出してくる生徒がいて、俺たちは思わずそっちに目を奪われた。その後、ギャハハと笑いながら追いかけてきたやつと廊下でじゃれ合って、また2人して教室の中に戻っていく。

 今学校は昼休みで、全体がガチャガチャと揺れているみたいにうるさくて、寮だって賑やかだとは思うけどやっぱりここに比べたらあそこは静かだ。だからこそ、俺はいつも瑞希の気配を探してしまう。

 瑞希の女装、見たいか見たくないかでいったらそりゃ見たい。ていうか昨日衣装合わせをしたときから正直俺のチンコはヤバかった。ニシダがいなかったら確実に押し倒してキスしまくってスカートの中に手を入れていた。でも、触れられないんだ。

 近くにいるのに……俺が触れないのに、瑞希は文化祭で、綺麗になって、全校生徒の目に晒される。

 寂しいな……。



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