第10話

 寮に忍び込んだ次の朝、俺と瑞希はいつもの川べりの道を歩きながらいつものコンビニへ、朝ごはんの調達に出ていた。

「今日もあっち〜」

 隣で瑞希が手をうちわ代わりにパタパタと顔を仰いでいる。

「バスケやってスッキリしてきたんだろ?」

 さっき起きてシャワーを浴びたばかりだと言うのにもう汗だくの俺は、Tシャツの袖で汗を拭きながらこれだから夏は、とぼやく。

 ちなみに俺が起きたときにはすでに瑞希は、夏休みの日課としている朝のバスケから戻りシャワーを浴び終わっていた。

 まあ、昨日は俺より早く寝たしな……。

 俺は昨日の夜のことを思い出していた。

 瑞希に、頼むから一緒の部屋で寝てくれと懇願され、俺は心の中で頼むから夜くらい安らかな心持ちで寝かせてくれと思いながらも渋々OKし、原口の精液がついてんじゃないかとあんまり触りたくないベッドの上の段に体を横たえ早く眠りにつこうと頑張った。

 ところが頑張れば頑張るほどなかなか眠りにつくことは出来ず、ていうかこの状況で眠れるか!とベッドの下の段を覗けば、瑞希はもうすっかり寝息をたてていたのだが、その寝姿が……その寝姿が……色っぽすぎる!

 横を向いて寝ているTシャツの首元からは鎖骨がくっきりと浮き出て見え、そのすぐ下にあるほくろがセクシーだし。めくれ上がったハーフパンツの裾からは白い太ももがあらわになっていて……ぐおっ!なんで今日は月がこんなに明るいんだ。そして自分の視力の良さが恨めしい!

 俺は自分の股間がムズムズしてきたのを感じて慌ててベッドの中に戻ると、原口の掛け布団を頭からガバッと被った。そうこうしているうちにいつの間にか眠ってしまっていたのだ。よく考えたら俺も瑞希も前の晩は寝ていない。俺の告白のせいで……。

「冷蔵庫は使えないんだよな。傷みやすいものはまとめ買いしない方がいいか」

 コンビニで店内を物色しながら瑞希が呟いた。俺は「そうだな」となんとなく答えたものの気もそぞろだ。

 結局瑞希は、俺とこんな風に友だちみたいな関係に戻れたらそれで良かったんだろうか。卒業までの数カ月間、ゆるりと過ごせる、まるでメリーゴーランドの上に乗っているような日々を送れたら。

 でも俺はもうメリーゴーランドは降りちゃったんだよ。瑞希と出会ったから。同じところばかりぐるぐる回っていたのに、突然どこへ行ったらいいのかわからなくなってしまったんだ。だからせめてきみの手を取りたかった。ただそれだけなのに……。

「一之瀬!決まった?」

 瑞希に声をかけられて、「お?おう」と我に返り、無意識に手に持っていたペットボトルを見たら、そのラベルには『ルイボスティー』と書いてある。ルイボスティー……どんな味なんだ?


 寮に戻って朝食を食べたあとはひたすら勉強だ。俺も内部推薦とはいえ、一応学科試験はあるので、原口の机で瑞希と背中合わせになって真面目に勉強をする。

「お昼どうする?またコンビニ行く?」

 2時間ほど勉強をしたあと背中から声をかけられて、問題集から顔をあげた俺は、「お好み焼き、食いにいかね?」と振り向いて、前々から考えていたことを瑞希に提案した。

「お好み焼き?」

「うん。学校の向こうに旨いお好み焼き屋があるんだよ」

 以前はよく寮の昼飯をキャンセルして水上とニシダと3人で行っていた、小さくてボロいけど、でも味は確かな隠れ名店だ。瑞希が来てからずっと行ってなくて、1回連れて行ってやりたいと思っていたのだが、そのチャンスが今やってきたのだ。

「行く。行きたい!」

 思った以上に瑞希が瞳を輝かせたので、俺もヨッシャと浮足立った気持ちになって、「じゃあ11時半出発な」と言って頷いた。


 お好み焼き屋に着くと店内は有り難いくらいにエアコンがガンガンに効いていて、暑い中歩いてきた俺と瑞希は空いた席に座りながら、はあ〜とひとまず息をつく。

「あれっ、寮生さん。今休みじゃないの?」

 頭にタオルを巻いた馴染みの店員さんが、水の入ったコップをテーブルに置きながら言うので、しまった、と思わず顔を背けるがもう誤魔化しようがない。俺は曖昧に笑って頭を下げると、「ミックスが旨いんだよ」と瑞希にお勧めを紹介した。

「じゃあ、それ」

「オッケー。すいませーん、ミックス2つで」

 俺が声をかけると、厨房の中から「はいよ〜ミックス2丁」という小気味の良い声が返ってくる。俺はその声を確認したあと、テーブルの横にあるつまみを回して鉄板に火を入れた。

「自分で焼くの?」

「頼めば焼いてくれるけど、俺は自分で焼く。鉄板熱くなるから気をつけろよ」

 テーブルの真ん中に埋め込まれてある鉄板に瑞希の腕が当たりそうになってるのを見て、俺が注意をすると、瑞希は慌てて腕をテーブルの下に下ろした。

 俺がテーブルの脇に置いてある油引きを取って鉄板に塗りたくっていると、「お待ち!ミックス2つ」とすぐにお好み焼き種と肉、卵、イカの細切りなどの具材が載ったお皿がテーブルに届いた。

「瑞希、自分で焼く?」

「焼く、焼く。どうすればいい?」

「具材ごとに別々に焼いてもいいけど、俺はいつも全部ぐちゃぐちゃに混ぜて焼く」

「おけ」

 俺は油引きの隣にたてかけてあったヘラを2本、瑞希の前に置き、自分の前にも置くと、お皿に載った卵を割り入れた種に具材を全部ぶっ込み一気に鉄板の上にぶちまけた。そしてヘラを両手で持ち、鉄板の上で種と具材が均等に混ざるように動かしながら形を丸く整えていく。本当は混ぜてから鉄板の上に載せるのが正解なのだろうが、もう何度もこれを食している身としてはそのひと手間が面倒くさいし時間が惜しい。瑞希も俺の手つきを何度も見ながら同じように鉄板の上で、自分のまだ未完成のお好み焼きを楽しそうにぐるぐるとかきまぜた。


 お好み焼きが焼き上がり、テーブルに備え付けられた箸を取って、「いただきます」と2人で手を合わせた。

「あっち!でも、うまっ!」

「だろ?」

 ヘラで9分割したお好み焼きの一片を小皿に載せて、箸でつまんでハフハフと食べている瑞希に向かって、俺はドヤァと胸をはる。

「うん、サイコー。やっぱこっちに残って良かったわ」

 そんな何気ない言葉もいちいち胸に引っ掛かる。やっぱり俺の告白なかったことにしようとしてる?いやいや、考え過ぎ。俺は気をとりなすように、「瑞希は向こうの学校で友だちと飯食いにいったりとかしてたん?」と無理やり笑顔を作った。

「部活が忙しかったからあんま行ってないけど、たまに部活休みのときにマック寄ったりとかぐらい。だからこういう知る人ぞ知る的な店憧れだったよ」

 瑞希がハフハフしながら屈託なく笑うので、俺も思わず「良かった」と笑った。うん、良かったんだよ。これで。

 自分のお好み焼きに箸を刺しながら何気に瑞希の方を見たら、本当にたまたまなんだけど、瑞希の唇が目に飛び込んできて思わず釘付けになってしまった。お好み焼きの油とソースでてらてらと光るその唇は、もぐもぐと動くたびになやましく俺の視覚を刺激していつにもましてセクシーだ。キ……キスしたい。

 その時、俺の視線に気づいた瑞希の目と目が合い俺は慌てて自分のお好み焼きに目を移す。そして箸でほぐしたお好み焼きの欠片を口に入れて、思った。

 駄目だ。少し、距離を置こう。


 その日は、まだ明るいうちに瑞希にはシャワーを浴びてもらい、夜は昨日と同じようにリスニングの練習を2人でして、俺は「シャワー浴びて俺今日は自分の部屋で寝るからね」と言いおいて部屋を出ようとした。

「ええっ?!なんでだよ!」

 瑞希が座っていた椅子から飛び上がるように声をあげる。

「瑞希さ、卒業したら実家で独り暮らしするんだろ?だったら1人で寝られるように練習しなきゃだめ」

 俺は振り向いて、まるで小さな子どもに言い聞かせるみたいに腰に手を当てて瑞希に言った。

「え〜」

 瑞希は本当に小さな子どものように抗議の声をあげ、頬を膨らませながら俺を見たけど、俺は構わず部屋を出ようとドアノブに手をかけた。もう本当に、これ以上セクシー瑞希を見せつけられたら俺は、つい間違いを起こしてしまいそうで怖いんだよ。取り敢えずシャワー浴びて1回抜かないと……。

「一之瀬」

「ん?」

 ふっと目の前が暗くなって、むにゅ、という感触がした。

 ん?あれ?今、何が起こった?

 いつの間にそばまで来ていたのか、気づいたら俺のすぐ目の前に瑞希の顔があって、俺は瑞希にキスされたのだわかった。

 瑞希は恥ずかしそうにサッと俺から顔を背けると、「おやすみ」と言って素早く自分のベッドに潜り込む。そしてそこには呆然と佇む俺が残される。

 え?なんで、俺、キスされたの?瑞希の方を向いても、ベッドの中で向こうを向いて寝ている姿からは表情はまったく見えない。え?瑞希は俺と向き合うって言ってたけど……そういうことでいいの?俺の期待は間違ってなかったってこと?瑞希も俺と同じ気持ちなの?てことはさ……。

 その時、抑えに抑えていた俺の理性がまるで炭酸の泡のようにジュワッと弾け飛んだ。

「瑞希……」

「えっ?」

 俺と瑞希の2人を載っけたベッドがギシッと軋んだ。俺は四つん這いになって瑞希の上にまたがり驚いて俺を見ている瑞希の顔を見下ろしている。

「瑞希……瑞希……」

「えっ?!ちょっ……一之瀬!!」

 身をよじって俺を押しのけようとする瑞希を、俺は体全体で押えつけ、細い瑞希の首すじに唇を這わせる。抵抗されようが1度切れた防波堤は簡単には戻らない。俺は、俺と瑞希を隔てる薄い掛け布団を引き抜くと、瑞希のTシャツの裾から手を突っ込んでその汗の滲む素肌に触れた。

「いいかげんに……しろって!!」

 瑞希が叫ぶのと同時にお腹に鈍い痛みが走り、俺はそのままベッドの上の段の底に頭を打ちつけ瑞希の足元に座り込んだ。

「痛て……」

 肩で息をつきながら頭を押さえた俺はそのまま動きを止める。

 瑞希は俺の下からするりと抜け出すと、座った体制でベッドの端まで後ずさりして俺と同じように肩で息をついていた。

 思い切り腹を蹴られた。本気の抵抗だった。なんでだよ。なんでだよ。なんで……。

「なんでだよっ!!」

 気づくと声に出して叫んでいた。瑞希がビクッと肩を震わせたのがわかる。

「なんなんだよ、おまえは!行けば拒否るし、逃げれば追いかけてくる。なにがしたいんだよ。俺の気持ち知ってるくせに、そうやって弄んで楽しみたいなら他のやつでやれよ!!」

「ちが……」

 瑞希がなにか言いかけたけど、俺は無視してそのままベッドから降りると部屋から飛び出した。裸足のままだったけど気にせずに、自分の部屋まで走るとベッドの中に飛び込み頭から布団を被った。もう駄目だ、完全にぶっ壊れた。怒り、悲しみ、そして瑞希への愛しさで頭がぐじゃぐじゃになっていた。そんな混沌とした頭の中で、俺の中のどこか冷静な部分に、「瑞希は今夜、怖がらずにちゃんと1人で寝られるだろうか」と考えている自分がいた。






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