第7話
「あのさ、ホントにいいの?」
「何が?」
瑞希にあっさりと交わされ一瞬怯んだ俺だったが、構わず続ける。
「女装コンテストだよ」
委員会がない今日、俺はいつものように授業が終わると瑞希と一緒に寮への帰路についた。そこで俺は改めて先程大島と話していた内容について瑞希に確認を入れる。
「いいってわけじゃないけどさ、夏休み出なくていいっていうのは有り難いね」
そう答える瑞希の顔は無表情で、表情がないことから本心を隠そうとしている意図が見え隠れしている。
「嫌なら無理しなくても……」
「俺さ、夏休み終わったら結構すぐなんだ入試」
「え?」
「落としたくないんだよね。だから夏休み中は勉強に専念したい。だから、出るよ」
「瑞希……」
瑞希の横顔からは何か信念のようなものが感じられた。そして俺には何故か、それがとても寂しい。
俺は一度、瑞希に何故薬学部を目指すのかと訊いたことがある。その時の瑞希の答えがこうだ。
「手に職つけたいんだよ。資格があればどこででも働けるだろ?」
俺はその時、瑞希がこの先ずっと1人で生きていくつもりなんじゃないかと少し心配になった。たった1人で俺たちの寮に乗り込んできたようにこれからもずっと。これからの将来のことなんか俺だってまだわかんないんだけど、でも瑞希の強さは、どこか「孤独」を感じさせるのだ。そして俺はその「孤独」に、つい手を差し伸べたくなってしまう。
「わかった。じゃあ準備は俺に任せて。衣装とかも絶対、瑞希にめっちゃ似合うやつ探してくるから」
「え〜怖いなあ〜」
ようやく笑顔を見せた瑞希に、俺はグッと拳を握って親指を突き出した。すると瑞希はいつものニヤッとした顔ではなく、ふわっとした優しい笑顔になると「ありがとね、一之瀬」と俺の顔を見上げた。
「いや、これでも実行委員なんで、それくらい」
「じゃなくて」
「ん?」
「俺の気持ちを尊重してくれてありがとう。俺、これまでもスカート履いて欲しいとか何回も言われてきてその度嫌な思いしてたからさ。あんなふうに庇ってもらえて嬉しかったんだ」
「あ……あ〜まあ、うん」
さっきのはただの独占欲で、実は俺も瑞希のスカート姿を見てみたいんだなんてことはもちろん言えるはずもなく、俺は曖昧に返事をすると、あれ、雨降りそうだな〜などと話をそらして誤魔化した。
「ところで夏休みって、寮の人はどうすんの?みんな実家に帰るの?」
学校を出てから5分後、寮の扉を潜りながら瑞希がふと思い出したように俺に訊ねた。扉を潜った途端に寮に漂う、まさに「寮の匂い」としか例えようのない独特な香りが俺たちを包み、それがそのまま「おかえり」の合図となって俺たちを出迎える。
「帰ったり帰らなかったりだね。多分もうすぐ帰省予定とか書かされるよ。寮にいる内は飯が出るから。ただ学校閉庁日の間は寮も閉館しちゃうから全員強制退去だけど」
「えっ?!」
思わず靴を脱ぐ動作を止めて驚く瑞希。その声に驚いて、土間に脱いだ靴を取ろうとした姿勢のまま止まる俺。
「え?もしかして瑞希、帰んないつもりだった?えと、叔父さんとこだっけ?」
「う、うん」
マジか……。瑞希が叔父さんとこに遠慮していることは知っていたけど、ここまで頑なだとは。
俺はう〜んと悩みながら、あ、とあることを思い出して、「ちょっと、ちょっとついてきて」と脱いだばかりの靴にもう一度足を突っ込んだ。
「え?」
戸惑いながらも瑞希もまた足を靴に突っ込みながら俺の勢いにつられて後ろをついてくる。俺は扉を開けると再び外の空気の中に身を晒し、そのまま小走りにぐるっと俺たちが生活している宿舎を回って裏側に出ると、長く生い茂った雑草をかき分け、寮の敷地と外を隔てる塀と宿舎の間にある狭い隙間へと入っていった。そこは気をつけて歩かないと、制服の白いシャツを塀か宿舎の壁に擦って汚してしまうくらいに狭い。
「え……ちょっと一之瀬、ここ」
「あ〜しまった!踏み台になるもの持ってくるの忘れた!」
「踏み台?」
「まあいいや。瑞希、ちょっとこっち。俺の肩にまたがって」
俺はこの辺かな〜と宿舎の上方を見上げながら見当をつけると、まだ肩に提げたままだった学生鞄を年中湿っているような匂いのする土の上に置き、しゃがみ込んで瑞希に肩車の上になるよう促した。
瑞希は戸惑った顔のまま、そおっと自分の鞄を地面に下ろし、俺に言われるがままソロソロとしゃがんだまま構えている俺の肩にまたがる。瑞希がしっかりとまたがったのを確認してから、俺は脚に力を入れゆっくりと立ち上がった。そして、肩にぐっとかかる瑞希の体重に耐えながら、宿舎の壁に手をついて脚を真っ直ぐに伸ばしていく。
「窓、覗いてみ。誰かいる?」
俺は宿舎の壁と向かい合ったまま、見えない瑞希の顔に向かって訊ねる。
「いない……ていうか、ここ何?」
「倉庫なんだよ、寮の。んでさ、その窓、持ってそおっと持ち上げてみ」
「えっ?」
瑞希が驚いた衝撃でバランスを崩しそうになったのを脚で踏ん張ってなんとか耐え、「外れるんだよ、その窓」と上にいる瑞希に向かって言った。
「あ、本当だ!」
一度納得すれば行動は早いのか、瑞希が窓を少し持ち上げている気配が、見えないけどする。
「オーケー?1回下ろすよ?」
「あ、うん。ちょっと待って。窓戻す」
俺は瑞希が「いいよ」と声をかけるのを待って、またゆっくりと膝を折り曲げながら瑞希を地面に下ろした。そして瑞希の脚の間から首を抜き取り、ふうと息をつくと、「ちょっとここにいるの見つかるとヤバいから戻ろうぜ」と鞄を持ち上げると、瑞希を押し出すようにしてその場から離れた。
「あそこの窓さ、中から鍵かかってても外れるんだよ。だから瑞希が寮に残りたいなら、みんなが寮を出たあとこっそり戻ってきてあそこから入ればいい」
俺と瑞希はもう一度寮の中に戻ると、そのまま真っ直ぐ2人で自習室へ行き、そこに誰も居ないことを確かめてから声を潜めて話し始めた。
「え?そんなことしてバレないの?」
「バレない、バレない。だってあそこの窓外れるの俺と水上とニシダしか知らないし」
「逆になんで一之瀬たちは知ってるわけ?」
「だって外せるようにしたの俺らだもん」
俺はドヤァといった顔をして胸を張る。瑞希が呆れたように目を大きく開いた。
俺たちの寮は古い。だけど50年前、最初に建てられた木造建築のままずっと使われているわけではない。全面リニューアルとまではいかないけれど、時代とともに部分的にリフォームしては使い勝手を良くしてきた。個室の窓枠もすきま風の入らないアルミ製のサッシに変わったが、倉庫の窓枠だけは木製のままだ。
「そんで去年の年末に俺ら3人で倉庫の整理してたときにさ、水上が『この窓、外れそうじゃね?』って言い出してさ、下の……なんていうんだろ、あの出っ張ったところ、もうちょっと削ったら外せそうだったから、3人でこっそりヤスリ持ってきて削ったんだよ」
俺は再びドヤ顔をしてニヤリと笑う。呆れた瑞希は、今度は目を細めながら苦笑いをした。
「でも電気とか水道とか……」
「それが使えるの。無用心だろ?俺らそれで去年こっそり忍び込んで年越しパーティーやったから」
「うへえ〜」
呆れすぎておかしくなったのか、瑞希が聞いたこともない変な声を出す。実はその年越しパーティーにはニシダの友だちの友だちという女の子たちも呼んで楽しくやったのだが、今はそのことに触れる必要はない。
「なっ、だから大丈夫だよ」
万事解決といった感じで膝を打つ俺とは相反して、瑞希は「う〜ん」と眉間にしわを寄せ、「でも俺、ひとりなんだよね?夜とか」と元々小声で話していた声のボリュームを、更に小さく落として神妙な顔をした。その様子を見てピンときた俺は、「もしかして瑞希、信じちゃってる系?幽霊とか?」と発破をかけた。
「ばっ……違うっ!そんなんじゃなくて!ほら、泥棒とかさ!」
どうやら図星だったらしく、言い訳をしながらだんだん顔を赤く染めていく瑞希。俺はその可愛さに思わずキュン死にしそうになってしまう。泥棒って……小学生じゃん。
「笑ってんだろ?」怒る瑞希に、「笑ってない」と言いながら両手で顔を覆う俺。笑ってるんじゃなくて悶えてるんだよ。
「やっぱり笑ってる!」
「違うって!わかった。俺も一緒に残るから」
その言葉はするりと俺の口から滑り出た。
「え?なんて?」
「だから俺も瑞希と一緒に寮に残るよ」
俺がもう一度言い直すと、瑞希はまた目を大きく見開いて、「えーっ!それは悪いよ、さすがに」と声を大きくするので俺は思わず、しーっと人差し指を自分の口に当てた。そして改めて声のトーンを下げると、「あのさ、俺の実家は近いからいつでも帰れるの。だから別に閉館日に合わせて帰らなくったっていいんだよ。ていうか帰ってもすることないしむしろ面倒くさい。だから瑞希がいいなら俺もここに残る」と諭すように瑞希に言った。そして言いながら、あれ?俺今なんかすごいこと言ってないか?とふと気づく。
瑞希と寮で2人きり……。
これ、実現したらヤバくね?あんなこととかそんなこととか。いやもちろん理性を保ったうえでって何するつもりだよ、俺?でももし万が一いいムードに持っていけたとしたら。いや、そんなことが起こるわけ……ないこともないよな。
あれこれ妄想を膨らませながら、俺はぽかんとしている瑞希の返事をドキドキして待った。
「えっと……」
瑞希はウロッと目を動かすと、少し迷っているようにじっと黙っていたけど、やがて決心したように俺の顔を見て、「一之瀬さえよければ、お願いします」と頭を下げた。
いよっしゃあああっ!!!
俺、占いなんか信じないけど、もしかして今年の俺って人生最高の年なんじゃね?俺の中で歓びの炎が燃え上がり、思わずガッツポーズを取りそうになっていると、「あ、じゃあニシダと水上も誘う?」瑞希に呆気なく鎮火させられた。
「あ、そうだね。俺から2人には伝えておくよ」
俺は瑞希に笑顔でそう答えると、あの2人が寮に残ることだけはなにがなんでも阻止しようと心に決めた。
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