第6話

「あ。戸村だ」

 朝の食堂。朝食のパンをかじっている俺の隣のテーブルで誰かが呟いた。振り向くと瑞希が配膳カウンターの前に立って、たくさん積まれたトレイの中から1番上のやつを取ってカウンターに置いている。

「あいつの顔面は男子寮のオアシスだよな」

 隣のテーブルのやつが続ける。俺はそっちを見ないようにしながら、心の中で反論する。

 瑞希のいいところは顔面だけじゃない。

 努力家で家族想いで勇気がある。それを知らずに見た目だけで満足しているキミが俺は哀れでならない。

「俺さ、ここだけの話……」

 隣のやつは声をひそめるように同じテーブルに座っているやつらに顔を近づけると、「キスくらいならできそうな気がする。戸村と」とのたまった。俺は握っていた食パンをブチッと真っ二つにちぎって静止する。そんな俺の横では隣のテーブルのやつらが、マジかよ、やべ〜、あ〜でもわかるかも〜などとケタケタ笑い合っている。甘い、甘いよキミたち。俺はな、俺は……瑞希とならセックスだってできるぜ!

「おはよ、一之瀬」

 後ろから瑞希に声をかけられて俺は肩からビクーッと縮み上がった。隣のテーブルのやつらも一斉に笑うのをやめる。

「水上は?」

 瑞希が俺の向かいに朝食の載ったトレイを置きながら言った。

「に、日直だからもう行った」

「そうなんだ」

 瑞希は軽く答えると、椅子に腰掛けてオレンジジュースをひと口飲んだ。

 朝からいかがわしいことを考えて気まずさでいっぱいの俺の目の前で、爽やかに朝食を食べる瑞希は今日もかわいい。いや、顔面だけじゃないよ?体目的でもないからね……。いつの間にか隣のテーブルのやつらは姿を消していた。


「文化祭のねえ、実行委員を決めないとならんのよ」

 1限目。ホームルームの時間、担任の下柳が黒板の前で教師用のデスクに手をつき、指で眼鏡を押し上げながら声を張り上げた。

 ああ、そんなものがあったな。俺たちの学校は毎年夏休みが終わった9月の始めに文化祭を開催する。早いやつだと9月の終わりにはもう大学入試が始まってしまうので、その前に文化祭を終わらせてしまおうというわけだ。そのため準備は、ほぼ夏休みの間にわざわざ出校して行わなければならない。実行委員ともなれば出校しなければならない日数も当然増えるため、できればみんな、やりたくない。まあ、高校最後の夏休み、青春の1ページを燃やし尽くしたいと思っているやつがいるなら別だけど。

「誰か立候補いないかあ〜?」

 下柳の声が、虚しく静寂の中に溶けて消えていった。残念ながら青春を燃やし尽くしたいやつはいなかったようだ。

「じゃあ、推薦でもいいから〜。できればあんまり受験に差し障りのない感じのやつで誰かいないかあ?」

「一之瀬くんがいいと思います!」

「はあっ?!」

 突然名前を呼ばれて、俺は手に載せていた顎を持ち上げ、ニヤニヤと笑っているニシダの方を見た。

「ふざけんなよ、ニシダ、てめぇ」

「だって一之瀬もう内部推薦余裕だろ?この前の模擬テストも全然合格圏内だったっつってたじゃん」

「だったらおまえやれよ!おまえだって余裕だろ」

「俺が余裕なわけねえだろ!」

 そんな押し問答を繰り広げる俺とニシダの間に「まぁまぁ」と落ち着いた声の下柳が割って入ると、「じゃあ2人でやったらどうだ?どうせ2人選出しなきゃならんのだし」と半ば強引ともいえる理屈で話をまとめ、みんなも自分にとばっちりが来る前にと、「さんせーい」とパチパチと手を鳴らす。え、嘘だろ?ニジタは思いっ切り墓穴を掘ったという顔のまま硬直している。

 チラッと隣の瑞希の顔を見たら、俺と目があった途端申し訳無さそうに、ご愁傷さま、といった表情をされた。


 その日の授業後、さっそく開かれることとなった実行委員会に出席するため、俺とニシダは2人並んでてくてくと廊下を歩いていた。下校していく生徒たちが、俺たちとは逆方向に流れを作ってお喋りをしながらすれ違っていく

「まったく、おまえはよ〜。余計なこと言いやがるから」

 恨みがましくニシダに向かって言う俺に、「それはこっちのセリフだわ!」と言い返すニシダ。

 ああ、せめて隣にいるのが瑞希だったら。そしたらもう少しやる気も出せそうな気がするけど、瑞希は外部の、しかも薬学部という超難関狙いなので巻き込むわけにはいかない。

 俺はもう一度ニシダの方を見て、はあ〜と大きなため息をつき、「おまえ、そこまでされるとさすがの俺も傷つくぞ」とニシダに悲しそうな顔をされた。


「はあっ?!」

 実行委員会の会議の途中、俺は視聴覚室の席のひとつから腰を浮かせて、本日2回目の「はあっ?!」をあげた。

「3年はもうこれが最後だし。やろうぜ!女装コンテスト!」 

 ふたつ向こうの席に座っている、何だっけ?隣のクラスの……そいつがはしゃいだ声を出した。

「女装コンテストはだんだん悪ノリする生徒が増えてきたため一昨年中止になったはずですが」

 さっきくじ引きで実行委員長に選ばれてしまい、渋々みんなの前に立っている、同じ3年の名前も知らない眼鏡くんが静かな声で答えた。そうだ!悪ノリ良くない!

「ちゃんとルール決めたらいいんじゃん。露出禁止。チラ見せも禁止。撮影禁止」

 さっきのやつが食い下がる。俺はたまらず発言をする。

「どうせ瑞希が目当てだろ」

 そうだ。こいつは確か瑞希が転校してきた初日に「瑞希ちゃ〜ん」と廊下から黄色い声援を飛ばしていたあいつだ。

「目当てっていうかさ、瑞希ちゃんがいるおかげで色物狙いじゃなく正統派の女装コンテストとして盛り上がると思うんだよね」

 もっともらしい理由をつけるそいつをギッと睨んでやったら、サッと目を逸らされた。瑞希ちゃんって呼ぶな!

「じゃあ、まあ普通に多数決で決めまーす」

 やる気があるのかないのかよくわからない実行委員長の指揮で多数決を取った結果……。

「じゃあ今年の体育館イベントは女装コンテストに決定します」

 委員長が淡々と話し俺はガックリとうなだれた。どうせみんな瑞希の女装が見たいだけだろ。てか、1年も2年もみんな賛成って……。

「一之瀬、ちゃんと戸村口説いておけよ!」

 同じ寮生の佐橋が遠くの席から叫んだ。ヤツも実行委員か。その前に、うちのクラスは瑞希が出るってもう決定してるの、おかしいだろ。

「うちはニシダが出るから」

 俺が最後の抵抗を試みると、隣のニシダが「いや、なんでだよ」と驚いて俺の顔を見た。


 次の日、休み時間に俺がトイレに行っている間に、昨日女装コンテストを提案した隣のクラスのやつ……後でニシダにきいたところによると、大島という名字らしいが、その大島がうちのクラスの瑞希の席にまでやって来て、瑞希に向かって何やら話しかけているところに遭遇した。

「おい、なにしてんだよ」

 俺は急いで2人の元に駆け寄ると、2人の間に体をねじ込むようにして立ちはだかる。

「なにって……一之瀬、まだ戸村くんに女装コンテストのこと話してなかったんだ?」

 大島に言われて俺はグッと口をつぐむ。実は昨日、委員会が終わってから寮に帰ってからもずっと、女装コンテストのことは瑞希に言い出せずにいた。ニシダは瑞希を怒らせるのが怖いから、とはなっから言うつもりはない。ていうか、そもそも瑞希が出場すると決めつけて話を進めること自体意味がわからない。

「うちのクラスはちゃんとみんなで話し合って出場者決めるんだよ。おまえ隣のクラスなのに関係ねーだろ」

「あの……女装コンテストって」

 そこで、ようやくこの騒動の主役である瑞希が口を開いた。

「文化祭で女装コンテストやるんだけどさ。是非、戸村くんに出場して欲しいな〜って話」

 この大島というやつは、まったく物怖じしない性格なのか、あっけらかんとそう言うとにっこりと瑞希に笑いかけた。

「強制じゃないから」

 俺は慌ててとりなすように瑞希に向かって付け加える。

「え〜でもさあ、結局クラスから1人出さなきゃいけないんだからさ、話し合いで決めたとしても結局戸村くんに決まるでしょ」

「アホか!本人が嫌がったら別のやつが出るわ!」

「ええっ?!戸村くん出さなかったら多分全校生徒から非難轟々だよ?」

「だからそれがおかしいっての!瑞希の意志はどうなるんだよ!」

「戸村くん」

 大島は俺の言葉を無視していきなり顔をくるりと瑞希の方に向けた。

「は、はい」

 今まで蚊帳の外に置いてけぼりだった瑞希が、驚いてぴょこっと椅子から腰を浮かせる。

「俺さ、隣のクラスの実行委員やってるんだけど、うちのクラスで女装コンテストに出場してくれるってやつがね、受験ガチ勢のやつなのね。だから俺、今度の委員会で女装コンテスト出場者は文化祭準備全部免除っていう特権を与えてもらえるよう提案しようと思ってるんだ」

 お、おまえ……それは汚い。

「免除……」

 瑞希の気持ちが揺らいでいるのが手に取るようにわかる。瑞希が寮にいる間、少しでも受験勉強に時間を費やしたいと思っていることは、普段の様子を見ている俺が1番よく知っている。だからこれはヤバいぞ。なんとかしなくては。

「いや、そんな特権与えなくても、元々受験組にはあんまり負担いかないようにシフト組むのは当たり前だし、そこはちゃんと俺が考える」

「それでも何回かは夏休みも出ないとだめでしょ。まったく文化祭参加しないでいいなんてないし。でもコンテスト出るならもう準備は免除」

「おい!おまえ、汚ねえぞ!!」

 俺は危うく大島に掴みかかりそうになった。

「わかった!出るよ」

 突然空気を切りさくような声で瑞希が叫んだ。一瞬そこにいた俺と大島、周りで様子を伺っていたやつら全員がシンと静まりかえる。

「出るよ。それなら当日だけ参加すればいいんだよね?じゃあ出る」

「よしっ!じゃあ決定!」

 大島は手を叩くと、もう用はないとばかりにその場を立ち去ろうと背中を向けた。そしてピタッと止まるともう一度振り返り、ガビーンと青ざめている俺の横顔に向かって、「なんで一之瀬はそんなに反対なわけ?戸村くんの女装、見たくないの?」と、問いかけた。

 お、俺?俺は……めっちゃ見たいに決まってる!そんなもん、絶対かわいいに決まってる!でもそれは、俺のためだけにじゃなきゃ嫌なんだ。瑞希がみんなの見せ物になるなんて、俺はそんなの嫌なんだよ!









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