第5話
中間考査が終わり、採点済みのテストがすべて返され、順位表が配られた。俺は特段出来が良いわけでもなく、かといって悪いわけでもなく、ていうか成績の良し悪しなんて別にどうでもよくて、ただただ学園大への内部推薦が貰えるくらいの点数が取れていればそれでいいと思っている人間だ。今回もそこそこ取れるくらいの山張った勉強法でなんとか乗り切った。そして安堵の中、帰る用意をして寮へと戻るための帰路についた。隣にいるのは瑞希だ。もう、すっかり一緒に帰るのが習慣となっている。うん、いい感じだ。
「瑞希、大丈夫だった?転校してきていきなりテストだったけど。前の学校と教科書の進み具合ってどうなん?」
俺が横を歩いている瑞希に話しかけると、瑞希は、ギクッと肩を震わせて、「う、うん。まあまあ、できたかな」と目を逸らした。
……なんか、デジャヴだ。先週、自習室で瑞希にテストの話をしたときもこんな感じだった。
俺は隙をついてサッと瑞希が肩にかけていた通学鞄を取り上げた。
「あっ!」
必死で取り返そうとする瑞希の手を避けながら、無造作に鞄の外ポケットに突っ込んであった順位表を引き抜く。
「おい!勝手に見んなって!」
瑞希は俺の膝の裏に蹴りを入れると、俺の手から順位表を奪い返した。けど、もう遅い。俺は、容赦ない瑞希の蹴りに体制を崩しながらも、そこに書かれていた数字をバッチリ見てしまった。そして瑞希に向かってにっこり微笑む。
「瑞希くん。後でキミがいつもやってる問題集、見せてもらえる?」
瑞希の順位。クラス順位1位。コース内順位1位。
「一之瀬、カタツムリになってるじゃん」
部屋に入ってくるなり、まだ寝るには早い時間であるにもかかわらず、頭まで布団を被ってまるまっている俺を見て水上が言った。
「おまえ、落ち込むといっつもそうなるよな。今回はどうした?テストの山が外れたか?それとも、コンビニの唐揚げくんが売り切れだった?」
「ちげーよ。事態はもっと深刻だよ」
「なんじゃ、そりゃ」
水上はもうどうでも良さそうに俺がカタツムリになっているベッドを素通りし、奥にある自分の学習机に向かって座るとパチンとライトをつけた。
「水上」
「はいよ」
「俺たちの学校って、そんなにアホじゃないよな」
「ん〜、まあ……普通くらいじゃね?」
「だよな」
俺はさっき寮に帰るなり、真っ直ぐ瑞希の後ろについて瑞希の部屋に行き、学習机に並べてあった問題集を隅から隅までチェックした。
「これって、教科書じゃないよね?」
「う、うん」
やたらと難解な問題ばかりが載っているその問題集は、前の学校の授業で使われていたものらしい。瑞希が前に通っていた学校では、俺たちが教科書で今習っているところなんて、もう2年生のときにはとっくに習い終わっていて、3年生からは問題集を使った、さらにレベルの高い授業に取り組んでいたのだという。
「瑞希、なんでうちの学校選んだの?」
「え……寮があったから」
そうだった。瑞希は寮に空きがある高校を探していてここにヒットしたんだった。それにしても……レベル違いすぎじゃね!?
俺はフラフラと瑞希の部屋を後にし、自分の部屋に入るとそのまま布団に潜ってカタツムリになった。
頭も良くて、バスケも上手くて、強くて。俺の出る幕なんてひとつもないじゃないか。ていうか上から目線で瑞希のテストの心配なんかしていた自分がバカみたいに思えてくる。
「水上」
「なんだよ」
「俺のいいところを10個、言ってくれ」
「知るか」
俺は布団の中で、背が高い、女子にモテる、性格が明るい、視力がいい……と、ぶつぶつと1人でつぶやき始め、水上に「気が散るんだけど」と咎められた。
「そういえば、美鈴ちゃんと遊園地行くの、明日だったよな。外出届は出したんか?」
水上に言われて俺は、はっ、そうだった!と布団からガバと起き上がった。
そうだった。結局ニシダに「もう自分でなんとかしてくれ」と突き放された俺は、美鈴ちゃんとテストが終わったら2人で遊園地に行く約束をしていたんだった。
特別な関係になりに行くわけじゃない。きちんと会って断るためにだ。こういうことは、メールとかでさらっと済ませるべきではなく、ちゃんと向き合って話さなくてはと思ったのだ。
こんな気持ちになったのは、きっと瑞希に会ったからだ。だって俺が瑞希に告ったとして、瑞希からの返事がさらっとしたメールとかだったら絶対に嫌だ。断られるなら断られるで、ちゃんと向き合って話しをして、友だちとして関係を続けるのか、気まずいから少し距離を置きたいのか、なるべくお互いの意志を確認しあって尊重しあいたい。告って断って終わりだなんて、そんな寂しい関係でいたくない。
「外出届、出してくる」
俺はそう言うと、ベッドから抜け出し、室内履きに足を突っ込んだ。
翌日、気持ちの良い五月晴れ中、駅で美鈴ちゃんと待ち合わせた。
「一之瀬くん、お待たせ〜」
そう言って走り寄ってくる美鈴ちゃんはとてもかわいい。服装もメイクも、やり過ぎず地味過ぎず、きっと一生懸命頑張ってこれだ!というポイントを見つけてきたのであろう跡がそこかしこに透けて見えている。以前の俺なら、そのいじらしさにキュンとなって、すぐに「付き合おう」と言っていたはずだ。瑞希に会っていなければ。
「行こっか」俺は美鈴ちゃんに笑いかけ、2人で電車に乗って遊園地へ行った。そしてせっかく気合いを入れてやって来た彼女の1日を無駄にしないようにと、俺なりに精一杯美鈴ちゃんを楽しませようと頑張った。苦手な絶叫マシンにも乗ったし、あ〜んされたソフトクリームも、恥ずかしいのを堪えてなんとか食べた。そして夕方になり、美鈴ちゃんから「このあと、どうする?」という上目遣いのお誘いを受けたタイミングで俺は、「ごめん。俺には他に好きな子がいます」と90度の角度で頭を下げた。
「え?」美鈴ちゃんがぽかんとした顔をする。
「前に美鈴ちゃんとキスしたときにはいなかったんだ。本当にそれだけは誓って言う。その後できたんだ。だから美鈴ちゃんとは付き合えません」
しばしの沈黙。そしてすぐに沈黙を埋めるように、シャボン玉がプチプチと弾けるような美鈴ちゃんの笑い声が響く。
「やだ、一之瀬くん。マジレス、ウケるんだけど。そっかあ、もう!早く言ってよ。なんか私、バカみたいじゃん」
ケタケタと笑い続ける美鈴ちゃんの前で、俺は全く笑えなかった。だって俺はこの笑顔を知っている。取り敢えず笑ってその場をしのいで、大丈夫、大丈夫、こんなの大したことないって自分に言い聞かせて、そして帰ってすぐにインスタ開いて、誰かいないかなあなんて次の相手を探したりするんだ。
自分が傷ついていることに、自分で気がついてしまう前に。
今、目の前にいるのは、ちょっと前までの俺だ。
「ごめん」と俺は、真面目な顔をしてもう一度、深々と頭を下げた。
そのとき、ピタッと美鈴ちゃんの乾いた笑い声が止んだ。俺は恐る恐る、顔を上げる。そこには急に表情をなくしたような見たこともない美鈴ちゃんが、斜めにかけたショルダーバッグの紐を両手でギュッと握りしめて立っていた。
「付き合う気ないならメールとかでさらっと断ればいいじゃん!私の1日返せ、バカッ!!」
美鈴ちゃんは俺に向かってそう怒鳴りつけると、くるりと向きを変えてズンズンとその場を去っていった。
え……ええ〜〜〜?
取り残された俺は呆然としてその後ろ姿を見送る。夕陽に照らされてゆっくりと回る観覧車が、俺の動揺とは裏腹に、やけに牧歌的な雰囲気を醸し出していた。
「一之瀬!おかえり」
「……ただいま」
抜け殻になった状態で寮に帰り着いた俺は、真っ直ぐ自習室に向かい、瑞希が座っている椅子の隣の椅子に崩れるようにして座り込んだ。
「何?そのボロ雑巾みたいな状態」
ボロ雑巾は言い過ぎだろう。
「女心がわからない」
俺は目の前の机に頭から突っ伏しながら呟く。
「今日のデート、うまくいかなかったんだ?」
「いや今日のは、うまくやろうとかそういうんじゃなかったんだけどね。ていうかなんでデートだって知ってんの?」
「ニシダがみんなに言い回ってたよ」
あんにゃろう……。
「ていうか瑞希さあ、いつまで自習室で勉強してんだよ。ここ夏になるとエアコンもあんま効かないし、不便だよ?俺から原口に言ってやろうか?」
俺が気を取り直してそう言うと、瑞希は突然目を泳がして、「あっ、いや。いいんだよ。原口はもうそんなに出ていけオーラ出してないし、うん。大丈夫」と言ってヘラッと笑った。
俺は、うん?と瑞希の態度に違和感を覚え、更に突っ込んでみる。
「なんか他に自習室じゃなきゃいけない理由でもあんの?」
すると瑞希はスンと息を吸い込むと、真面目な顔をして、「ここにいると一之瀬が話しかけに来るからだよ」と言った。
「え?」
「だから、一之瀬が話しかけてくれるのが嬉しいからここにいるの!俺、正直寮に入るの不安だったし、馴染めるか自信なかったし、でも卒業までの辛抱だからぼっちでもいいかって思ってたけど、一之瀬がいっぱい話しかけてくれるからそれで……」
瑞希はシャーペンの両端を、両手の指でみじみじと弄びながらそこまで話すと、「あーもう、恥ずいわ、こんな話!一之瀬、夕飯食うならもう行かないと食堂閉まるよ」といきなり大声を出してサッと机の上の問題集に視線を集中させた。さり気に机についた腕で顔を隠してはいるけど、ちらりと見える耳が真っ赤に染まっている。
あれ?俺、もしかして……女心はわからないけど、男心を掴む才能、あるかも知れない?
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