第4話

「いちのせ〜っ!!」

 ちょうど炭酸を飲み終わって瑞希と一緒に寮の玄関に入った途端、既に私服に着替えたニシダが廊下の向こうから俺に飛びかからんばかりに走り寄ってきた。

「うわ、なに?」

「なに?じゃねえよ、おまえ!美鈴ちゃんの誘い断わっただろ?俺の方にDM来て『今度、みんなで遊園地行こ!一之瀬くん絶対連れてきてね』って言われちゃったじゃん!」

 あ……。俺はチラと横目で瑞希の方を見る。が、瑞希は何も気にする様子などなく、通学用の白いスニーカーを脱いで、まだ慣れない自分の靴箱の場所を首をかしげながら確認している。

 あの子……なかなかに押しが強い。さっきの返事で察してくれてもよさそうなものを。俺はキミと、特別な関係になる気はありませんって。

「もう、おまえがヤリチンだってバラすかんな」

「ちょっ……!」

 とんでもないことを言い出すニシダを慌てて制して、俺はまたもや瑞希の方を、今度はしっかりと反応を確認するように振り返った。今の……聞いてなかったよね?

「へえ。一之瀬、ヤリチンなのか」

 瑞希は、なんでもないことのようにそう言うと、ようやく見つけ出した自分の靴箱の中から、クロックスのサンダルを取り出してパスンとすのこの上に落とし両足を突っ込むと、向かい合っている俺とニシダの横をすり抜け廊下の奥へと歩き去った。その後ろ姿を見送って、俺はガクッとうなだれる。

「あれ?今のダメだった?」

 まるでまずいことをしてしまった子どもがやるみたいに、愛想笑いを浮かべながら俺の顔を覗き込むニシダに、「イエ、キミは悪くないです。悪いのはオレです。オレがサイテーなんです」と気もそぞろに答える。そして俺はフラフラと廊下に上がり、ニシダに「一之瀬、靴、靴!靴履き替えてないから!」と止められた。


「だからあ、美鈴ちゃんに『一之瀬くんて好きなこいるの?』って訊かれたから、『いないと思う』って答えたら、『ありがとう!』って言うからてっきり2人でやり取りしてるかと思ったらあんなDMくるからさあ。俺を間に挟むとかやめてくれよ、めんどくせーよ」

 ニシダが俺の勉強机の椅子に後ろ前逆の向きで腰掛け、背もたれを載せた腕にあごを載せながら、ことの成り行きを説明した。

 俺はいつも使っている2段ベッドの下の段に仰向けで寝転び、う〜んと唸っている。あの子、そんな本気そうには見えなかったけどなあ。

「ていうか、2人で行けばいいじゃん。今までだってそうしてたろ。なんかヤバい子なわけ?美鈴ちゃん」

 自分の勉強机の椅子に腰掛けて、くるんと机とは反対の向きに椅子を回転させていた水上が話に加わる。ここは寮の中で俺と水上が使っている部屋で、そこにニシダが入り込んできて、俺たちは3人で会話をしていた。

「ヤバい子じゃないんだけどさ。あんまり気が乗らないっていうか」

 俺は曖昧に返事をし、瑞希の顔を思い浮かべる。

「珍しいな。来るもの拒まずの一之瀬が。ていうか、いつも付き合ってもあんまり続かないのはなんで?そんな風に急に気が乗らなくなっちゃって振っちゃったりすんの?サイテーだな」

 勝手に話を作り上げて俺をサイテー扱いする水上のことをサイテーだなと思いながら、「俺から振ったことなんかないし」と反論する。

「えっ?じゃあ、おまえが振られるわけ?どんな付き合い方してんだよ。あっ、わかった!浮気だろ、浮気」

 急に嬉々とした顔になって喋るニシダに、うわあ、こいつら揃いもそろってサイテーだと両手で顔を覆った。

「浮気もしないし、気分で振ったりもしない。ただ向こうが何回も、『私のこと好き?』とか訊いてくるから、『好きだよ』って言ってんのに信じてくれなくていつの間にか他の男に乗りかえられてるってパターンが多い」

 俺は自分の黒歴史を語りながら、別に自分がそのことに傷ついているわけでも絶望しているわけでもなく、すごく軽い気分で話せていることに気づいていた。

「執着ないもんなあ、一之瀬は」

 まるで俺の心を見透かしたかのように水上が呟く。

「相手も不安になるんだろ。自分に関心がないことぐらい、すぐに気づかれちゃうんだって」

 また話を勝手に捏造する水上になんとか反論しようとするが、上手い言葉が見つからない。

 関心がない、わけじゃない。付き合ったならちゃんとしようとはいつも思ってる。例えば他の女の子とは会わないようにするとか、毎日「おはよう」と「おやすみ」のラインを入れるとか、土曜か日曜のどっちかには必ず会うようにするとか、あとは……あとは?

「モテ男はいいねえ。執着なんかしなくたってすぐに次が見つかるんだからさ」

「執着ぐらいあるよ!」

 冗談っぽく言っただけのニシダの言葉に、自分でもびっくりするくらいの本気の声が出た。上半身を少し起こして2人の様子を伺うと、ニシダも水上もびっくりしたような顔をしてこっちを見ている。ヤバい。しくった。

「ごめん、今のもダメだった?」

 ニシダが体を縮めるので、「いや、ごめん。俺、今日なんか情緒不安定だわ」と言ってヘラッと笑ってみせた。


「そういえば、今日はみんな戸村のことばっかりだったな〜」

 水上が話題を変え、俺の心臓が鉄砲でど真ん中を射抜かれたみたいにドキンと跳ね上がった。

「そうそう、あいつあんな顔して怒るとマジ怖ぇんだって」

「へえ、見たかったな」

 1人だけクラスが別で、現場を見ていない水上は残念そうに口を尖らせる。

 実際、あの後はすごかった。噂を聞きつけた他のクラスのやつらが、まずは瑞希がどれほどに可愛いのか顔を拝みにやってきて、誰かが「瑞希ちゃ〜ん」と廊下から黄色い声援を送ろうものなら、近くにいたやつが「バカ!やめとけって!怒らせんなよ」と止めに入るということが休み時間になるたびに繰り返されたのだ。

 瑞希は、強い。俺がわざわざ目を光らせてなくたって、瑞希はもう自分で自分の身を護る術くらい、とっくに身につけている。そして完全アウェーなこの地に、たった1人で乗り込んで来たのだ。

 俺は怒っている瑞希のことを「怖い」だなんて、ちっとも思わなかった。むしろ、小安とやり合って、下柳に止められてもなお闘志を失わないその背中を、まるで神々しいものでも見ているかのように、ただただ立ち尽くしながら、「美しい」と思ったのだ。


 お風呂が終わり、夕食を食べたあと自習室の前を通りかかると、自習室の机に向かって勉強をしている瑞希の横顔が見えた。

「瑞希、部屋で勉強しないの?」

 俺は自習室に足を踏み入れながらその横顔に声をかける。自習室は狭いし椅子が硬いし、部屋に置いてある辞書をちょっと見たいとか思ったときにいちいち取りに行かないといけないので、同室のやつが風邪を引いたとかよっぽどのことがない限り使うやつはいない。

「あ、うん」

 瑞希は一瞬びくっと肩を揺らして振り向くと、困ったような顔をして頷いた。何か様子が変だ。

「なんか、あった?」

 俺が訊ねると、瑞希はチラッと体を傾けて俺の体を通り越し廊下の様子を伺うと、「原口の出ていけオーラがすごいんだよね」と小声で囁いた。

「あ〜……」

 俺は呆れてため息をつく。あいつ、まだ1人部屋を邪魔されたこと根に持ってやがるのか。いい加減受け入れたらいいのに。ていうか、ここは本来2人ずつが原則で、今まで1人で過ごせていたことが奇跡だったわけで、そんなに1人がいいなら最初から寮なんか入んなきゃいいんだ。

「気にすんなよ。あいつアホだから」

 俺が声をかけながら瑞希の1個隣りの椅子に腰掛けると、瑞希もなんの抵抗もなく「うん、そうだね」と答えた。原口のアホさにはすでに気づいているようだ。

 ちなみにさっき風呂で瑞希と同じタイミングになったメンバーは、脱衣所で瑞希が服を脱ぐまでチラッ、チラッと瑞希の方を気にしていたけど、瑞希が全裸になってガッツリ男の体をしていたのを見ると、あ〜あ、という声が聞こえそうなくらいがっかりとして浴室に入っていった。最後までドギマギして、ちゃんと瑞希の体を直視できなかったのは、多分俺くらいに違いない。


「引っ越してきて早々、来週から中間だけど、大丈夫?」

 勉強の邪魔になることは解っていたけど、なんとなくまだ部屋に帰りたくなくて瑞希と会話を繋げようと俺は粘った。

「ああ、うん。まあ、なんとか」

 そのとき、瑞希が開いていた問題集をサッとノートの下に隠すのが見えたけど、俺は大して気にしなかった。

「転校決まったときに教科書だけ先に送ってもらってたからパラパラ見て」

「パラパラ?」

「あ、いや、じっくり、じっくり」

 瑞希が不自然に笑って、ノートの下に隠した問題集を閉じてトントンと机の上に立てノートと揃えてまたパタンと倒す。

「そういえば一之瀬は大学どうすんの?」

 まるで話を逸らすかのように俺に訊ねる瑞希に、「俺?俺は学園大にそのまま内部推薦で入ろうかなあって」

「へえ。学部はどうすんの?」

「それがどこでもいいんだよね〜。大してやりたいこともないし」

 会話がいい感じではずんでいく。よし、この調子。

「学園大って何学部があるんだっけ?」

「ん〜、確か文学部と、工学部と、経営学部と、あと……心理学部?」

「心理学部!」

 瑞希が反応した。

「え?もしかして瑞希、心理学部行くの?」

「いや」

 あっさりと否定される。なんだよ、じゃあ今の反応は。

「でも、俺薬学部志望だから。もし一之瀬が心理学部に入って心理士にでもなったら、どこかの医療現場で会うかもな、と思って」

「あ、俺心理学部にするわ」即答する俺。

「えっ?早っ!そんなんでいいの?」瑞希がびっくりして目を大きく見開く。

 そんなんも何も、瑞希とまた会える可能性があるのなら、俺の選択肢は1つしかないじゃないか。


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