第2話

「ちょっとここにいる人だけでも聞いて欲しいんだけどぉ、今日からここで暮らす3年の戸村瑞希くん。よろしく〜」

 パラパラと人がまばらに座っている食堂の端っこで、瑞希を横にたずさえた早乙女が大声でそこにいるみんなに呼びかけた。元々この寮に住んでいるのは、1年14人、2年18人、3年、は今日から瑞希を加えて16人の計48人、でそのうち半分以上はもう部活の朝練でとっくに学校へいってしまっているか、まだ自室で惰眠をむさぼっているかのどっちかなので、今ここにいるのはせいぜい20人ってとこだ。昔はもっとたくさんの寮生がいたらしいけど、交通の便が良くなり、学校の偏差値が下がり、わざわざ寮へ入ってまで通うメリットがなくなってきた我が学園は、入りやすくなった分学生は増えたけど寮生は減少の一途を辿っている。俺も自宅から通えなくもないんだけど、微妙に遠いのと、寮生活ってもんを一度してみたくて親に頼んだらあっさり「いいよ〜」と許されたものの、入ったら入ったで「意外と金がかかる!」と手のひら返され今では自宅から通える大学へ進学するよう母ちゃんに厳しく言い渡されている。ちなみに内部推薦がもらえる附属の学園大は同じ県内にあるので自宅からの通学許容範囲内だ。

「よろしくお願いします」

 瑞希がペコッと軽く頭を下げると、あちこちからパラパラとかわいた拍手がわいた。そしてその拍手の合間からコソコソと聞こえてくるのが、「なんかめっちゃかわいくね?」「やばっ」「スカート履いてほしい」の声だ。

 マズい……。さっそく目ぇつけられてるし。俺の瑞希を、いやまだ俺のじゃないけど、俺の中ではもう俺のなんだけど、狙うハイエナどもめ!近寄るんじゃねえ!俺はギンと周りに睨みをきかせる。が、そんなの誰も気に留めちゃいない。

「原口ぃ、同室のよしみで戸村に寮内のこと色々教えてやってくれな」

 白い食パンの表面に、小袋から絞り出した赤いジャムを塗りたくっている原口に向かって、早乙女が声をかけた。

「え〜俺忙しいんですけどぉ」原口が指についたジャムを舌で舐めながら、露骨に嫌な顔をする。

「お前はオナニーで忙しいだけだろ」

 俺の隣に座っていた水上が、すぐ横のテーブルにいる原口に向かって茶々を入れた。

「失礼な!俺は外部の大学も受けるから受験勉強で忙しいんだよ」原口がようやく食パンから離した目をむいて、水上に抗議した。

 そうか、原口が同室か!あのオナニー狂いと同室なんて、俺の瑞希が危険すぎる!

「はい!はい!俺が色々教える!俺、全然暇だから大丈夫」

 俺は右手を勢いよくあげて叫んだ。

「ん?じゃあ一之瀬、頼むわ」

 早乙女にバトンを渡された俺は大きく頷くと、座っていた丸椅子が倒れんばかりに勢いよく立ち上がり、配膳カウンターまで歩いていくと瑞希を手招きで呼んだ。

「朝食は毎日6時半から7時半までだから。食堂にきたらこっからトレーをとって、パンと、好きなおかずと、あ、お皿こっちな。飲み物は好きなの選んでコップに入れて」

 手本を見せながら、さっそく朝食の段取りを説明し始める俺。

「ありがとう、一之瀬くん。朝からお世話になりっぱなしで」

 瑞希は俺の隣で、大皿に盛られた3種類しかないおかずを、うーんと言いながら選び始める。

「『くん』いらねーよ。同学年なんだし」

「うん。一之瀬、ありがとう」

 瑞希がニヤッと笑った。ニコッで笑ってるんだろうけど、左右の頬の上にできるスッとしたシワのお陰でニヤッて感じになるのがまた俺のツボにはまって、いい。トレーにパンとソーセージとサラダとスープとオレンジジュースを載せて、俺がそれを持って俺の向かいの席まで瑞希をエスコートした。

「ありがとね」

 瑞希がニヤッと笑い、俺は不器用に頷く。

「戸村ってさ、なんでこんな中途半端な時期に入寮してきたわけ?」

 必然的に同じテーブルにつくことになった水上が、さっそく瑞希に向かって話しかけた。ちなみにその質問は、朝みんなが起きるまでの間、瑞希と2人で玄関の三和土と廊下の段差に腰掛けながら喋っていたときに俺が1番最初にした質問と同じだ。ていうか、その質問はこれから何度もされることになるだろう。3年の、しかも5月になってから寮に入るなんて、よっぽどの事情がない限りは、ない。

「親が仕事の都合で海外に行くことになったんだけど、俺は日本で大学受験したかったから残ったんだ。で、1人暮らしは心配だからどこか寮に入れる高校ないかなあって探してたらここにヒットした」

 瑞希はそう言って、またニヤッと屈託なく笑った。周りにいたみんなも、へ〜、そうなんだ〜、って感じで和やかな雰囲気で頷いていた。

 でも、瑞希の話は、さっき俺が聞いた話とちょっと違う。違うというか、今言えば場の雰囲気を悪くしてしまうんじゃないか、という部分をうまく端折っている。

 さっき俺が聞いた内容はこうだ。

 瑞希の家は母子家庭で、お母さんがバリバリ働いて瑞希と瑞希の弟さんを養っている。瑞希のお母さんは海外に行くのも自分から志願したくらいの仕事人間で、瑞希は小さい頃から5歳年下の弟さんの面倒を見てきたらしい。お母さんと離婚したお父さんとは、今ではまったくの音信不通で、お母さんが日本から離れている間、唯一の身内であるお母さんの弟さんの家に瑞希たち兄弟は預けられるはずだったんだけど、瑞希は叔父さんにそこまで迷惑はかけられないと、中学生の弟さんだけを叔父さんの元へ行かせ、自分は寮に入ることを選択したのだという。

「俺が居心地悪いっていうかさ。まあ叔父さんとこ子どもいないんだけど、せっかく夫婦2人で気ままにやってたのに、俺たちのせいですみませんって気持ちになっちゃうんだよね」

 地球上に俺ら2人だけが取り残されたような雰囲気のせいか、まだ誰も起きてこない早朝のひんやりとした廊下にお尻をつけながら、瑞希はしんみりと俺にそう話してくれた。ていうか、俺だけに話してくれた。俺だけが知っている。知っているのだ。

「瑞希」

「ん?」

 いきなり下のなまえで呼ばれたことなんか気にもとめずに瑞希がスープの入った器を口から離してこっちを見た。

「今日、一緒に学校行こうな」

 俺はそう言うと、瑞希の返事を聞く前に勝手にひとり大きく頷いた。


 学校は寮から歩いて5分のところにある。ていうか学校の4階の窓から覗くともう寮の屋根がすぐそこに見えるくらいだから、ほとんど敷地内と言ってもいい。俺たちは、授業のある平日の間、そんな狭い世界を行ったり来たりして毎日を過ごしている。

 学校に着くと瑞希は、「俺、職員室寄らないといけないらしいから」と言うので、俺は職員室の場所まで瑞希を案内すると、瑞希と別れて先に教室に向かった。

 教室の前まで行くと、同じクラスの斉木と遠藤が、ひっくり返した状態の椅子を上に積んだ生徒用の机を、2人それぞれ両端を持つ恰好でえっちらおっちら運んでいるのが見えた。

 あー、ぶつかる、ぶつかる、そっちもっと右、などといいながら、狭い扉から苦労して俺たちの教室に入れようとしている。これは、もしかすると……。

「なあ、それ、どうしたの?」

 俺はもうほとんど気づいているくせに、一応2人に確認の意味も込めて探りを入れてみた。

「転校生くるから、シモヤナギが運んどけって」遠藤が答える。下柳は俺たちのクラスの担任だ。よっしゃ!瑞希と同じクラス確定!

「こっち。こっち、空いてる」

 俺は浮き足立った気分で教室に飛び込むと、1番後ろの俺の席の隣のスペースを指差した。

 予鈴がなり、みんなが転校生への興味を廊下に向けながらぞろぞろと席につき始め、俺もワクワクしながら自分の席に腰掛けた。

 暫くして『THE理科教師』といった感じの、眼鏡でひょろ長い下柳が、瑞希を伴って教室に入って来た。瑞希は、さっきまで前の学校の制服だったというベージュのブレザーを着ていたのに、今は俺たちと同じ何の工夫も洒落っ気もない黒の学ランに身を包んでいる。寮から学校へ向かう途中で、「制服が間に合わなくてさ。学校に行けば届いてるかも知れないけど」と言っていたので、学校に着いてから急いで着替えたのだろう。

 上下黒の学ランに着替えても、瑞希のかわいさが損なわれることなどまったくなく、むしろ服がシンプルな分、そのかわいさが更に際立って見えているくらいだ。

 案の定、教室のあちこちで「え、かわいくね?」「マジ、ヤべぇ」と後ろを向いたり横を向いたりして喋っているやつらの声があちこちから聞こえてくる。俺は再び、俺の瑞希に近寄るんじゃねえ!と目をギンと光らせる、が気づかれないという一連の流れを繰り返す。

「え〜今日からこのクラスの一員となる、戸村瑞希くんです。はい、拍手〜」

 下柳が声を張って言いながら率先して瑞希の方を向いて拍手をし始めた。俺たちもそれに倣ってパラパラと拍手をする。「よっ!」と声をあげてひときわ大きな拍手をしているのは、1番前に座っているお調子者のニシダだ。

 瑞希は拍手に応えるように、ペコッと軽く頭を下げると、「戸村瑞希です。親の仕事の都合で寮に入ることになりました。もう卒業まで1年もないんですけど、良かったら仲良くしてください」と言って軽く微笑んだ。ニヤッとした感じにならなかったのは、きっと緊張しているからだろう。

「うん、じゃあ……あ、机、一之瀬の隣に置いたのか。あそこに座って」

 下柳が俺の隣の空いた席を指差して、瑞希に座るよう促した。視力2・0の目が瑞希と合う。あ、ニヤッとした。俺も笑顔になって、他のやつらの机と机の間の通路を歩いてくる瑞希を、まるでバージンロードで新婦を待つ新郎のようなドキドキとした気持ちになって待っていた。と、突然俺たちの間を引き裂くように、白地に緑の学年カラーの入った上履きがスッと通路に投げ出された。

 えっ?

 驚いたのも束の間、瑞希はその足に躓いて思い切り前に倒れ込み、ドッと手と膝を強く床に打ちつけた。

「お?大丈夫か?」

「すいませーん。俺の足が引っかかっちゃったみたいで〜」

 明らかにワザと引っ掛けたにも関わらず、下柳からは死角となって見えなかったのをいいことに、その足の持ち主、小安こやすがしれっとした顔をして言った。あいつ……小学生かよ!分かりやすいアピールしやがって。俺の瑞希に。ていうかどうしよう。近寄って助け起こすべきか。でも瑞希だって一応男子なんだし、こんな大勢の前でか弱い扱いされたらあんまりいい気分じゃないかも知れない。でも……と俺がうだうだ迷っていると、よつん這いになっていた瑞希がゆっくりと自分で立ち上がり、いきなり小安の胸ぐらを掴んでぐっと持ち上げ、少し首を後ろに引いたあと、「えっ」と驚いている小安の頭に思い切り自分のおでこを打ちつけた。

 ゴンッ、という鈍い音が教室内に響いた。続いて「いっでえぇ!!」という小安の絶叫する声。小安は一瞬痛みを堪えるようにうずくまったが、すぐに跳ねるように立ち上がると、「何すんだよ、てめぇ!」と瑞希の胸ぐらを掴み返した。えっ、ヤバい、瑞希が……。俺は思わず席を立った。すると、「そっちが先にやったんだるぉうがあっ!」ドスの効いた瑞希の怒声が、小安の声よりも更に大きくその場にいた全員の耳をつんざいた。

 普通はここで歓声があがり、「やれやれー」とケンカを始めた当人たちを鼓舞するようなヤンヤヤンヤの大騒ぎが始まる。下柳が「やめなさい!」と怒鳴ってケンカを止めに入る。でもそのとき、俺を含め教室にいる誰もが動きを止め、目を丸くして、ポカーンと瑞希のことを見つめていた。下柳ですら一瞬言葉を失い、やがてハッとしたように慌てて「やめなさい、2人とも!」と胸ぐらをつかみ合っている2人の間に割って入る。そして無理やり引き剥がされた後も、瑞希は怒り狂った猛獣のような目で小安を睨みつけていた。

 誰も発するべき言葉を見つけられないでいた。

 え?あそこにいるのって……戸村で合ってるよね?って感じだった。

 みんなの中の瑞希が、「女の子みたいにかわいい男の子」から「女の子みたいな顔なのに中身は誰よりも男の子」という認識に変わった瞬間だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る