最終話
アヤノはカーテンの閉められた部屋のベッドで横になっていた。
ベッドの横には仕切りが置かれてていて、その向こうには生贄の眠らされた豚が置かれている。
「アヤノちゃん、頑張ってね」
「しっかりな」
心配そうな両親が部屋を出て行くと、部屋にはアヤノと、灰色の髪の少年とその連れの少女の三人だけが残された。
ベッドの上で寝ているアヤノに、黒髪の少女が声をかけてきた。
「アヤノさん、気構えなくて大丈夫ですからね。痛くも何ともないですから」
少女は優しく微笑むと、少年の方に目をやった。
この少女は、どちらかというとアヤノよりも少年の方を心配しているように見えた。
そこで、アヤノは少年に尋ねた。
「なんでこんな嘘をついたの? 希望だけ持たせて何がしたいの? 言いがかりをつけて、お金でも騙し取るつもり?」
優秀な薬師であるフタバでも完全に治せず、特別な薬でやっと生きながらえていたアヤノの病を、こんな通りすがりの少年にどうにかできるとは思えなかった。
すると、少年は少し寂しそうに目を伏せて、穏やかに言った。
「イチハさんには、とても優しくしてもらいました。だから、少しでも恩返しを、と思って」
それから、少年はその深紅の瞳でアヤノを見つめる。アヤノには、彼の心の内がどうしても分からなかった。
「少しそこで待っていて下さい」
そう言って少年と少女は仕切りの向こう側に行ってしまった。
それから二人は、しばらく仕切りの向こうで何かやっているようだったが、アヤノは待っている間に眠りに落ちてしまった。
◇
夢の中で出会ったのは、アイリだった。アイリは最後に見送った時と同じ、元気な姿でそこにいた。
「アイリ……」
アヤノは、失ってしまった妹の姿に言葉を失った。
「お姉ちゃん、ごめん。約束の兎の人形、持って帰れなかった」
申し訳なさそうに謝るアイリを、アヤノは抱きしめながら叱った。
「バカ、兎の人形なんかより、あなたが戻ってこない方がずっと悲しいに決まってるじゃない」
「アハハ、そうだよね。ごめん」
それから、アイリはアヤノから離れると、明るく笑って言う。
「お姉ちゃん、お母さんとお父さんの事よろしくね」
しかし、アヤノは俯いて首を横に振った。
「無理だよ。私も、もうすぐそっち側に行くんだから」
すると、アイリは両手でアヤノの顔に触れ、強引に前を向かせた。
「ダメだよ、前を向かなくちゃ。お姉ちゃんにはこれから、私の分まで生きてもらうんだから」
そう言って、アイリは笑顔で踊るように跳びながら、遠くへ去って行く。
「アイリ!!」
最後に振り返ったアイリは手を振りながら叫んだ。
「お姉ちゃん、大好き!」
◇
目を覚ましたアヤノの目尻からは、涙がこぼれ落ちていた。
「大丈夫ですか?」
少女の黒い瞳が心配そうに、アヤノを見つめていた。
「え、ええ」
アヤノは咳き込みながら、体を起こした。
アイリはいなくなった後まで、明るくアヤノの心を掻き乱す。
(もうすぐ死ぬ私にどうしろって言うのよ……)
その時、少年がアヤノに小瓶を差し出した。
「これを飲んで下さい」
それは、イチハ達が用意した高級ポーションの小瓶だった。しかし、色が赤く変色していた。
(これを飲めば、助かる?)
アヤノはまだ懐疑的だったが、やけくそで赤いポーションを一気に飲み干した。
その直後だった。アヤノをずっと苦しめていた息苦しさが、綺麗さっぱり無くなったのは。
(え?)
アヤノは困惑しながら、もう一度大きく呼吸をした。咳も、胸の痛みもすっかり消えていて、それどころか元気がみなぎってくるような気さえした。
(治った?)
「よかった、効いたみたいですね」
少年は安堵したように息をついて、穏やかに微笑んだ。
アヤノはこれほど呼吸をするのが楽だと感じたことは無かった。これまでの人生の中でずっとあった息苦しさが、完全に消えていた。
「もうこれからは、薬が無くても生きていけると思いますよ」
気がつくと、アヤノの頬を涙が伝っていた。
病気が完全に治った。それはまさに奇跡のような事であった。
未だに、アヤノは信じられずにいた。しかし呼吸の快適さは、どうしたって病の消失をアヤノに突きつける。
(私、生きていけるんだ……)
その事実に気がついた瞬間、アヤノはどうしようもない不安に襲われた。
いつ死んでもおかしくないと思って、これまで考えた事も無かった、未来。それがアヤノの前に唐突に広がったのだ。どう受け止めて、どうしたらいいのか分からなかった。
命が助かったというのに、様子のおかしいアヤノを少年は心配する。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう……、けど私、どうやって生きればいいか分からない」
アヤノは腕を抱えて、肩を震わせた。
「もうアイリもいない……」
アイリの喪失が、唐突に現実感を帯びて襲いかかってくる。これからアヤノは、アイリのいないこの世界を生きていかなくてはならない。
「私は何のために生きたらいいか分からない。私はいったい、どうしたらいい?」
アヤノは自分の命を救った少年に、縋るような目を向けた。
すると少年は少し考えたあと、深紅の瞳で優しくアヤノを見つめながら答えた。
「アヤノさんの好きに生きたらいいと思う。でも、もし可能なら、出来るだけ多くの人を救う為に、その命を使って欲しい。それが僕の願いです」
それから、少年は思い出したように杖を取り出した。
そして少年が杖を一振りすると、何も無いところから一つの白い兎のぬいぐるみが出現した。
「そうだ、よかったらこれあげます」
それはおそらく、アイリが持ち帰ると約束した兎の人形なのだろう。アイリの最後の笑顔が、アヤノの脳裏に蘇る。
「どうして……」
「ハイナドの街にいた時、そのぬいぐるみを大切そうに抱えて歩いている子とすれ違ったんです。とても素敵な笑顔だったので、覚えていたんです。これは僕が作った模倣ですけど、それでもよかったらどうぞ」
「そう……。ありがとう」
可愛らしい兎のぬいぐるみをアヤノは笑顔で受け取った。
それから、アヤノはその白く可愛い兎を大切そうにぎゅっと抱きしめる。
そしてそのまま、溢れ出す涙に身を任せて、泣きじゃくったのだった。
◇
それから、アヤノを救った少年ハクと少女アルナは、旅の支度を整えてからアヤノ達の家を去る事となった。
アヤノを救ってもらったお礼をしようとするイチハ達に対して、ハク達は泊めてもらい、旅の用意もしてくれたお礼にと、逆に金貨を置いていった。
最初こそハクとアルナという見知らぬ二人に関心が薄く、むしろ警戒していたアヤノだったが、命を救われた後ではすっかり打ち解けていた。
「やっぱりアルナちゃん達も、ずっとこの家にいてもいいのに……」
「ありがとう、私もとっても居心地良かったです。でも行かないと……」
二人にはどうやら旅の目的があるらしく、寂しいが引き留めることはできなかった。
そして別れ際、アヤノはハクに声をかけた。
「ハク君、私決めたよ」
不思議そうに首を傾げるハクに、アヤノは決意を口にした。
「私、治癒師になる。たくさん勉強して、私の命をここまで繋いでくれたフタバさんや、救ってくれた君みたいに、誰かを救ってみせる。この命のある限り、出来るだけ多くの人を救うよ」
すると、少年は少し目を丸くした後、嬉しそうに微笑んだ。
「僕はアヤノさんのこと、応援してます」
そして、別れを惜しむアヤノたち家族三人に見送られながら、二人の少年少女は去って行った。
黒い大きな狼の背に乗って遠ざかって行く二人の姿は、その距離以上にどこか遠い存在に感じられた。
◇
部屋に戻ったアヤノは、兎のぬいぐるみを抱きながら、ふと考える。
昔読んだおとぎ話に出てきた、流浪の癒し手。酷い目に遭った人の前に現れ、ひとさじの救いをもたらす少年。
ハクというあの不思議な少年は、ひょっとしたらそれなのではないか。
(いや、考えすぎかな)
アヤノは兎のぬいぐるみをそっと置き、大きく伸びをした。
ハクにもらったこの命で、アヤノはこれから、アイリの分まで生きて、フタバの分まで人を救って、自分の人生を生き抜かなくてはならないのだ。
「頑張らないとな」
アヤノは窓を開けると、思いっきり息を吸い込んだ。
澄んだ空気が肺の隅々まで行き渡り、アヤノを満たしていく。
そうしてアヤノは呼吸を続ける。悲劇を越えて、まだ見ぬ明日を生きるために。
〜おわり〜
ーーーーーーーーーーーーーーー
ハクとアルナたちの話
↓
流浪の癒し手 〜入れ替わりから始まる異世界生活~
https://kakuyomu.jp/works/16817330657993154205
※この話の別視点は12-1から12-5です。なぜハイナドの街が滅びたのかは、第一章で分かります。気になったらどうぞ。
流浪の癒し手 〜とある家族の悲劇と奇跡〜 U0 @uena0
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