第4話
浅い眠りについていたアヤノは、何やら下の階が騒がしい気がして目を開けた。
(アイリは……)
アイリを思うだけで、息が苦しくなる。
父がハイナドから持ち帰ってきた薬は、一時的な効き目はあったものの、やっぱりいつもの薬でないと調子がでない。
アヤノは咳き込みながらも起き上がり、部屋を出た。
階段を降りると、ハイナドの様子を見に行った父の姿があった。しかし、その表情から良い知らせが期待できないことは、容易に想像できた。
「お父さん、おかえり」
「アヤノ、寝てなくて大丈夫なの?」
咳き込んでいるアヤノにイチハは心配そうに聞いたが、アヤノは自分だけ仲間はずれにされるのは嫌だった。
アヤノにとっても、アイリは大事な妹で、かけがえのない家族なのだ。
消えそうな希望をかろうじて持って、アヤノは言う。
「お母さん、私だってアイリが心配なの。お父さん、アイリは帰って……って誰?」
アヤノの視界に入ったのは、見知らぬ二人の子供だった。
一人は灰色の髪に深紅の瞳をした少し不思議な雰囲気の少年。もう一人は、どこにでもいそうな普通って感じの少女だった。少女の方はアイリが気に入っていた服を着ていて、黒髪も合わせて少しだけアイリと雰囲気が似ている気がした。
「アヤノ、この子達はハイナドから逃げてきたそうなの」
イチハの説明に、アヤノは特に興味を引かれなかった。
「そう……、それは災難だったね」
今はよく知らない他人よりも、アイリの安否が何よりも重要だ。
「それで、アイリは帰ってきたの?」
アヤノの問いに、ヒオウは暗い顔で首を横に振った。
「そう……」
アイリは見つからなかった。その事実は、どうしたって逃れられない絶望的な現実をアヤノに突きつける。
アイリはハイナドの消失に巻き込まれて死んだのだ。
病気のアヤノの方が、ずっと死には近いはずだった。アイリはずっと元気で生きていくものだと思っていた。
「なんで……、なんでアイリが死ななくちゃいけないの? 私と違ってあの子は元気そのものだったのに……」
アヤノは、アイリの理不尽な死を納得できなかった。
そのアヤノの言葉に、ヒオウが反応した。
「アヤノ! そんな事を言うな! まだ、アイリが死んだと決まったわけじゃない……」
この期に及んでまだアイリの死を受け入れないヒオウの態度に、アヤノは苛立ちを覚えた。
「もう死んだって決まったも同然じゃん! だってハイナドの街にはもう何も残って無いんでしょ!?」
「アヤノちゃん!」
イチハが諌めるように言ったが、アヤノはその言葉も振り払う。
アヤノだって悲しくて辛くてたまらないのだ。それでも必死にアイリの死を受け入れようとしているのに、両親はまだ現実から逃げて、ありもしない希望に縋っている。
「私だって辛いんだよ!! でも、認めなきゃ! お父さんとお母さんはこれからも二人で生きていくんだから……。しっかりしてもらわないと……」
両親が立ち直ってしっかり元気で生きていけるようでないと、アヤノは安心できなかった。この先の二人が心配だったのだ。
ハイナドの滅亡、アイリと叔母のフタバの死亡。これは避けられないもう一つの悲劇的な事実も暗示していた。
高名な薬師であるフタバの死去は、すなわちアヤノの薬がもう入手不可能だということだ。
フタバは魔術学校を優秀な成績で卒業した一流の薬師だった。そんなフタバが必死に作り上げたアヤノの薬を、同じように作れる薬師はそういないだろう。例えいたとしても、必死に探し出して頼み込み、それからようやく薬が完成する頃には、とうにアヤノは息絶えている。
アイリを失った悲しみの中にあっても、無慈悲に襲いくる息苦しさが、命が残り僅かだとアヤノに告げていた。
再び訪れる発作にアヤノをあえぎ苦しみ、ひどく咳き込むと、イチハが慌てて駆け寄る。
「アヤノちゃん! 大丈夫? 水飲む?」
「うん、ありがとう」
水を飲んで少し落ち着いたアヤノは、大きく呼吸をする。
死は確実に迫っている。
今は優しく背中をさすってくれている母とも、あとどれだけ一緒にいられるか分からない。
(アイリ……、何であなたが先にそっち側にいるのよ……)
アヤノは苦しい胸に爪をたてながら、悲痛な表情で虚空を睨んだ。
◇
アイリが向こうから呼んでいるのか、アヤノの病状は急速に悪化していった。
(いや、アイリはそんな事する子じゃない。私が弱いだけだ)
翌朝、アヤノは残りの短さを身をもって感じていた。付きっきりで看病してくれていた母も、疲れが表情に出始めていた。
「お母さんも、少しは休んでいいよ」
アヤノが言うと、イチハは大きく首を横に振った。
「いやよ。ずっとそばにいるからね」
きっとイチハにも、アヤノの命が残りわずかだと分かっていたのだろう。昨日はアイリを失った事に打ちひしがれていた両親も、今はもう一人の娘であるアヤノの危機を前に必死であった。
部屋の扉が開き、水を持った父が部屋に入ってきた。
「アヤノ、大丈夫か?」
父は感情をまったく隠せておらず、泣きそうな表情からは悲しみが溢れていた。
そんな父を見ていると、申し訳なくて、悲しくて、アヤノまで辛くなってくる。
「お父さん……」
そこでアヤノは、父の後ろに二人の子供達の姿を見つけた。
昨日、ハイナドから逃げてきたとかいう子供だ。アヤノを冷やかしにきたのだろうか。
「……大丈夫ですか?」
灰色の髪の少年は、心配そうにアヤノを見てきた。
(大丈夫なわけないでしょう!? 見ればわかるくせに……)
少年はきっと純粋な心配をしているのだろう。こんな事を考えるなんて、性格が悪いとアヤノは自分でも分かっていた。
それでも、アヤノは思わずにはいられなかった。そこにいるのが見知らぬ誰かでは無く、アイリだったらと。
なぜあの子たちは助かって、アイリが死ななくてはならなかったのかと。
なぜアヤノの家族にばかり、こんなに悲劇が降りかかるのかと。
「……助けられるかもしれません」
その時、少年の小さな声が聞こえた。
視線を向けると、俯いていた少年は顔を上げ、深紅の瞳でアヤノを強く見た。
「僕なら、アヤノさんを助けられるかもしれません」
今度は少年ははっきりと述べた。
「本当か?」
「ハク君、ほんとうなの?」
「試して見る価値はあると思います。ただし、条件があります」
アヤノは訝しげに少年を見たが、母と父は冷静さを欠いていて、悪魔にでも魂を売りそうな様子だった。
「なんなんだ? その条件とは?」
「できることなら何でもするわ」
少年は短い杖を取り出した。その白い杖は美しく神秘的で、少年が魔法使いであることを物語っていた。そして、少年は静かに告げる。
「これは、僕の祖先から伝わる治癒の秘術です。
一つ目の条件は、誰にも見られない場所で行うこと。治療中、覗くことも禁止です。
それから、できる限りランクの高いポーションと、生贄を用意してください。生贄は家畜とかでいいです。
最後に、僕が治療したことは、決して他言しないで下さい。これは禁術みたいなものですから」
それから、少年は穏やかに微笑んだ。
「これらの事を守れるなら、僕がアヤノさんを助けます」
その少年の提案は魅力的だった。上手く出来過ぎている気がした。
しかし、両親は少年の提案をすぐに受け入れた。
アヤノは目の前にいる少年の思惑が分からず、警戒心を抱きながらも、微かな希望を抱いてしまったのだった。
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