第3話

 ハイナド滅亡の知らせを受けたヒオウはすぐに馬を走らせた。


 日の暮れた今から出れば、到着は明日の朝になるだろうが、居ても立ってもいられなかった。


 一夜にしてハイナドの街が消滅したなんて、にわかには信じられない。


 そして、ハイナドの街にいたはずのアイリやフタバがどうなったのか、それが一番大事だ。


 ヒオウは不安を抱えて、夜の街道を走った。


 自分の目で見るまでは何も信じられない。


 そう、翌朝自分の目で、一面に広がった灰の砂漠を見るまでは。


 ヒオウの前には何も無く、ただどこまでも灰色の砂だけが広がっていた。


 ハイナドの街があったはずの場所には、何も無かった。


 数日前にヒオウが訪れたはずのハイナドの街は、綺麗さっぱり消えていて、まるで初めからそこに何も無かったかのように、灰色の景色が広がっていた。


 青空の下、一面に広がる灰の大地は、ひたすらに無機質だった。


 周囲を見回すと、ヒオウと同じようにハイナドの様子を見に来た人々がちらほらと見えた。


 彼らは皆、灰の砂漠を見て呆然と立ち尽くし、しばらくしてからフラフラと立ち去っていった。


 ここには何も無い、それは見れば分かる。


 しかし、ヒオウは何も無い砂漠を探さずにはいられなかった。


 アイリの姿を、痕跡を、探さずにはいられなかった。


 しかし、非情にもそこには何も無かった。廃墟や壊れた食器、綿のはみ出たぬいぐるみ。そんな、人の生活の痕跡すら全く残っていなかった。


 ヒオウは砂漠の中に、黒装束に身を包んだ人々の集団を見つけた。それは、ハイナドを訪れた時に見た、怪しい人達と同じ服装をしていた。


 普段だったら、決して自ら関わりに行くことは無かっただろう。しかし、この時のヒオウは、とにかく情報が欲しかった。


「いったい何があったんだ! 何でもいい、教えてくれ!!」


 ヒオウが近づくと、黒装束の男達は槍を構えた。


「何者だ! 近づくな!」

「お前に与える情報は無い!」


 顔を隠した男達が口々に言う中、集団の中心にいた男がゆっくりと言葉を発した。


「まぁ、待て。ハイナドに知り合いがいたのだろう。憐れな人に、さらに冷たくするものじゃない」


 一人だけ顔を出しているその男の低い声は、骨に染みていきそうなほど恐ろしかった。


 男の纏う雰囲気は、ヒオウの感情を恐怖で埋め尽くしていく。


 しかし、ヒオウはさらに男に近づいた。


「教えてくれ! 何があった?」


「スード様、お下がりください」


 近づくヒオウに槍を向けようとする周囲の取り巻きを、男は手で制して淡々と言う。


「原因についてはまだ調査中だが、確かな事があるとすれば……」


 男の続く言葉は、重たくゆっくりと聞こえた。


「ハイナドにいた人間は、全員死んだ。一人残らずな」


 その断定的な物言いは、ヒオウに現実を突きつけるのに十分だった。

 絶望に打ちひしがれたヒオウは、それからとぼとぼと砂漠を引き返す。


「スード様、伝えても良かったのですか?」

「ああ、事実を伝えてやるのも慈悲というものだ。まぁ、偶然ハイナドを出ていれば、あるいは生き残っている可能性はあるかもしれないがな」


 背後から聞こえたその言葉に、ヒオウは希望を見出した。


(そうだ、もしそうだったら、今頃家に着いているかもしれない)


 ヒオウは再び馬を走らせ、イチハ達の待つ家に向かった。


(アイリ、きっと無事だよな)


 一晩かけてハイナドまでやって来たヒオウは、一睡もしていなかった。


 限界の体と馬に鞭を打って、道を急いだ。


 途中で限界が来た馬は近くの民家に預けて、そこからは走って家を目指した。


 そうしてフラフラで家に辿り着いたのは、日暮れも近い夕方ごろ。


 ヒオウは見慣れた家を見て、深く震える息を吐いた。


 視界はかすみ、体は重たい。そして何より、心がミシミシと軋むようにうねっていた。


(きっと扉を開けたら、アイリが待っているはずだ)


 そう期待した。扉を開けたらアイリが笑顔で迎えてくれるのだ。


『お父さん、どこ行ってたの? 本当に心配性だなぁ』なんて呆れながら。


 だが同時に、そんな奇跡が起こるはずが無いとも、どこかで分かっていた。


 薬の完成までは最低でも三日。しかも、ハイナドが滅びたのは夜。そんな都合よく街を出ているなんて可能性はほとんど無い。


(それでも、もしかしたら……)


 ヒオウはゆっくりと、扉を開けた。


 そして、机に座る一人の少女の後ろ姿が目に入った。


 肩まで伸びたつややかな黒髪。アイリのお気に入りの白のブラウスに真っ赤なスカート。


(生きてた……)


 ヒオウの疲労は弾け飛び、我を忘れて駆け寄った。


「アイリ!! 無事だったのか! よかった! ほんとうに……良かった!」


 視界は涙で歪み、アイリの顔はよく見えないが、ヒオウは向き直ってしっかりと肩を掴んだ。


 それは、幽霊でも何でも無く、実在する人間だった。


「アイリ! イギデテヨガッター!」


 大人の男がこんな風に泣きじゃくるなんて、みっともないと思われるかもしれない。

 だが、アイリが生きていた、それだけでヒオウの涙は止まらないのだ。


 その時、ヒオウの腕を突然誰かが掴んだ。


「アルナが怖がってるから、手を離してくれない?」


 そう言ったのは、隣に座っていた少年だった。


 少年の深紅の瞳は、ヒオウを咎めるように見つめていた。


 愛する娘との再会を邪魔する見知らぬ少年に、ヒオウは不快感を露わにした。


「お前、誰だ?」


 すると、少年は表情を曇らせて述べる。


「僕はハク。そして、そこにいるのは僕の友達の。きっと、人違いですよ……」


 少年の口調には、同情するような哀しげな気配があった。


(人違い?)


 ヒオウは目の前の少女の顔をおそるおそる見た。


 涙を拭いて、クリアな視界でもう一度。



 ……別人だった。


 その少女はアイリではなかった。少女は困惑したような表情で、ヒオウのことを見ていた。


(そんな、そんな……)


「お父さん、その子達はハイナドから命からがら逃げてきた子達なのよ」


 そう説明したイチハに、ヒオウは震える声で必死に尋ねる。


「じゃあ、アイリは……」


「まだ、帰って来てないわ」


 世界がひっくり返り、真っ逆さまに落ちていくような感覚だった。


 広がる絶望に、ヒオウはなすすべなく飲み込まれていった。

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