第2話

 ハイナドの街に着いたのは夕方で、ヒオウは暗くなる前に目的地に着くため、道を急いでいた。


「ねぇ、お父さん。せっかくだから、もっとゆっくり街を見て行こうよ!」


 駄々をこねる愛らしい娘を見たヒオウは、緩みそうになる口元にぐっと力を込めた。


 いつもはつい甘やかしてしまうが、時には父親としての威厳も見せなくてはならない。


「アイリ、来る時に約束しただろう? 街ではお父さんの言う事をよく聞くって」


 すると、アイリはしょんぼりとした表情で、地面の小石を蹴りながら言う。


「だって、どうせすぐ村に帰っちゃうんでしょ? お店を見て回れないんだったら、私が来た意味ないじゃん。あーあ、お姉ちゃんにも、人形買って帰るって約束したのになぁー」


 立ち止まって動く気配の無いアイリに、困り果てたヒオウは優しく口調で言う。


「明日は一日、街を見て回っていいから」


「ほんとう!?」


 途端に表情を明るくするアイリに、ヒオウは呆れながら息をつく。


「約束だからね!」


 アイリはなんというか、自分の要求を通すのが上手いのだ。結局いつも、アイリの思惑通りに事が運ぶ。


 ヒオウは、娘に心を弄ばれているのでは無いかとやや危機感を覚えながらも、笑顔のアイリを見て、まあいいかと軽く笑った。


 時には娘のわがままを聞くのも父親の役目だろう。


『お父さんはアイリに甘いんだから』


 アヤノの呆れ顔が目に浮かんだが、旅先だからいいよな、とヒオウは自分を納得させて歩みを進めたのだった。


 ◇


 ハイナドの街は活気に満ちていて、大勢の人が行き交っていた。家族連れや商人、旅人はもちろんだが、お忍びの貴族らしき人もちらほら見かけた。


 全身黒づくめで顔も隠した、見るからに怪しそうな人達がいるのは気になったが、衛兵が見回りをしているから大丈夫だろう。


 村とは違って建物は間隔を開けずに立ち並び、屋台なんかも出ている。

 そんな街の景色を眺めながら歩いているうちに、ヒオウたちは目的の薬屋に到着した。


 小さな店ではあるが大通りに面しているし、小綺麗な外観はちょっとした穴場の名店といった趣がある。


 店内からは明かりが漏れ出しており、その人工的な光は街特有の先端的な色合いも忘れてはいない。


「いらっしゃい」


 ヒオウたちが店に入ると、落ち着いた声が出迎えた。店員の女性からは理知的な印象を受けるが、その柔らかな眼差しには、イチハに似た面影がある。


「あれ? お義兄にいさん、どうしてここに?」


 店員の女性は驚いたような顔をして、壁にかけられたカレンダーに目をやった。


「薬は来週のはずじゃなかった?」


 戸惑って焦りを見せる女性に、ヒオウは苦い笑いをしながら言う。


「いやー、そのはずだったんだけど、イチハが薬の瓶を割ってしまってね」


「あー、そういうこと。お姉ちゃんもドジだなぁ」


 そう言って軽く笑った彼女は、イチハの妹のフタバ。このハイナドの街で、薬屋を営んでいる。

 実はかなり高名な薬師であり、アヤノが今日まで病を抱えながらも、それなりに元気で生きてこられたのは、フタバのおかげといっても過言では無かった。


「フタバお姉さん! こんにちは!」


 そう言ってアイリが顔を出すと、フタバは途端に満面の笑みを見せた。


「ひょっとしてアイリちゃん!? 少し見ないうちにますます可愛くなったんじゃない? どうしてここに?」


 フタバはアイリに駆け寄って抱きしめながら、ヒオウを見た。


「実は、街に行きたいって言うことを聞かなくてね。なんでも、人気の人形があるとか……」


「お父さん、それもあるけど、一番はフタバお姉さんに会いたかったからだよ?」


 アイリはヒオウに冷ややかな視線を向けてから、フタバに可愛く笑いかけた。


「もうー、アイリちゃんは可愛いな。嘘だとしても嬉しい!!」


「嘘じゃないよー」


 ヒオウはそんな風にじゃれ合う義妹と娘を見ながら、アイリがいつの間にこんなあざとさを身につけたのかと、思索した。


 結局結論は出ないまま、とりあえず成長だと前向きに捉えることにして、ヒオウは本題に話を戻した。


「それでフタバさん、急で悪いんだけど、アヤノの薬は貰えるかな」


 すると可愛いめいを堪能し終えたフタバは立ち上がって、難しい顔をした。


「ごめんなさい。最近仕事が立て込んでて、まだ用意できていないのよ。素材は問題ないんだけど、今から調合するとなると、最短でも三日は待って貰わないといけないかな」


「そうか。突然押し掛けたこちらが悪いんだが、少し困ったな……」 


「薬の残りはどれくらいある?」


 フタバは真剣な表情で尋ねる。


「昨日の分で最後だ」


「そう……」


 フタバは深く考え込んでいる様子だった。


「そうね……」


 フタバは棚に並ぶ多くの薬の中から、一つを選んで取り出した。


「おそらく大丈夫だとは思うけど、一度戻ってこの薬を飲ませた方がいいかもしれないわ。対症療法的で根本解決にはならないんだけど、一時しのぎにはなるはずよ」


 そう言ってフタバは、高級ポーションをヒオウに手渡した。


「ありがとう、フタバさん」


「いいのよ。気にしないで、かわいい姪っ子のためだもの」


 近くで話を聞いていたアイリは、心配そうな表情でヒオウに聞く。


「すぐに帰ることになったの?」

「仕方がないだろ? お姉ちゃんのためだ。それに俺にも仕事があるから、家を長く空けるわけにもいかない」

「それは、分かってるんだけど……」


 納得はしているようだったが、アイリの表情はすぐれない。あれだけハイナドの街に来ることを楽しみにしていたのだから無理もない。


 その時、少し考え込んでいたフタバが二人に提案した。


「よかったら、しばらくこっちでアイリちゃんを預かろうか? 薬が出来たらアイリちゃんと一緒に村まで届けに行くからさ」


「それは、ありがたいけど……いいのか?」


「ええ、そろそろアヤノちゃんの様子も見たいと思っていた頃だし、ちょうどいいわ」


 フタバは優しく微笑んだ。


「え? 私、この街に残ってもいいの?」


 話を聞いていたアイリは、表情をパッと明るくして、目を輝かせながら二人の大人達を見た。


「ああ、良かったな。フタバさんに迷惑かけるなよ?」


「もちろん、私を誰だと思ってるの?」


 どこからくるのか分からない謎の自信で答えるアイリに、ヒオウはため息まじりに微笑んで、フタバに向き直った。


「無理言って申し訳ない。アイリを頼みます」


「ええ、任せといて。たくさん甘やかしてあげるから!」


「あー、それは、ほどほどで……」


 穏やかな笑い声が、小さな店内に広がっていた。


 ◆


 そうして、全てが丸く収まるはずだった。


 翌日、一人で村の家に帰ったヒオウは、フタバの指示通りにアヤノに薬を飲ませた。

 そして、あとはハイナドの街を楽しみ尽くして満足したアイリが、フタバと一緒に帰って来るのを待つだけだった。


 だが、アイリとフタバの二人が家に来ることは無かった。


 アイリの帰りを待つ家族三人にもたらされたのは、一つの衝撃的な知らせだった。


 ハイナドの方から来たという旅人は、青ざめた表情をして告げた。


「ハイナドの街は一夜にして消滅した。一面の砂ばかりで、何も残っちゃいない……」


 その旅人は夢でも見ているかのような、現実感の無い様子だった。

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