優しき天神は生贄を欲す 其の玖《きゅう》

 






    鬼という存在は男女問わず

    この世のものとは思えぬ美しさを持ち

    その美しさで人間を魅了みりょう

    おのれ眷属けんぞくにする

     

    眷属にされた人間は食糧となるか

    妙齢みょうれいの女ならば

    子をもうけるために攫われるという

      

    そして鬼の子を宿した女もまた

    人ならざる存在となり

    鬼の眷属けんぞくとして

    子を育てる鬼となる


    例えどんなに美しくとも

    鬼は異形いぎょうの存在である









調味料や衣服などの生活用品は、村ではなかなか手に入らず、私と琥珀は近くの町まで足を伸ばしていた。


琥珀にとっては特に久しぶりの町だったのか、大通りに入った途端に再び姿を消してしまった。


(まったく落ち着きのない人…、いや鬼か…)


取り敢えず琥珀は放っておいて、持って来た果物を市場に卸す事にすると、私は果物が山ほど入った籠を背負って市場に向かった。


ちょうど昼頃のせいか、市場はかなり賑わっており、あちこちからりの声や、値引き交渉の声が聞こえてくる。


市場には叔母夫婦の家にいた頃から、買い出しなどでよく来たが、私はこの喧騒が好きだった。

沢山の人達が行き交う賑やかな通りは、寂しさを忘れる事が出来るからだ。


(あら…?)


周りを見回しながら歩いていた私は、ふと道端に立てられた高札こうさつに気付いて足を止める。

そこに、縁日の知らせがあったからだ。


(縁日…今日だわ)


知らせを見ると幸運な事に、今日の夕方から、町の西にある稲荷神社で行われるらしい。


縁日など、幼い頃に両親に連れて行って貰ったきりだ。


皆が皆、酒を飲んで踊り、楽しそうな声や笑い声が聞こえる通りには、所狭しと提灯がぶら下がり、小さな私はその提灯を見上げては喜んだものだった。


屋台で煎餅やあんず飴を買ってもらい、父に肩車して貰いながら見下ろす町並みは、いつもと違って幻想的に見えた。


今はもう夢物語になってしまった、記憶の中の遠い思い出だ。

少しの間、両親と過ごした幸せな時間へと気持ちがさかのぼる。

いつの間にか流れていた涙を拭う事すら忘れ、私の心は遠い過去へと戻っていた。








それからしばらくして、買い物を済ませた私は、同じく買った大八車だいはちぐるまに荷物を乗せて歩いていた。


滅多に来れないと思うと、つい大量に買ってしまうのは悪い癖だ。

これを引いて山道を歩くのは大変そうだな、と溜息を吐く。


取り敢えず引いていた大八車を道端に寄せると、私はその上に腰掛けた。


道行く人々を眺めていると、山で琥珀と過ごしといた日々が夢だったように思える。


実は私が生贄に選ばれたのも琥珀と出会ったのも、私の見ている夢で、目が覚めれば、いつも通りの生活が待っている…。


そんな気さえするほど、山での生活は今までと一変したのだ。


「ふぅ…」


空を見上げながら溜息を吐く。

晴れた空は何処までもあおく、私は空に吸い込まれる感覚を感じながら目を閉じた。


しばらくそのまま、顔にあたる陽の光を感じていたが、ふと視界が暗くなり、私は不思議に思って目を開けた。

すると、私の目の前に男が三人立っている。


「…??」


知り合いではない。

警戒しながら立ち上がると、男の一人が辺りを見回しながら口を開いた。


「連れの男はいねぇのか?」


「つ…連れ…?」


もしかして琥珀の事だろうか。

少し前まで一緒にいたから、その時に見られた可能性もあるが、山で暮らす琥珀の知り合いとは思えない。


「あの…彼が、何か…」


知らぬうちに迷惑でも掛けたのかと問い掛けると、男は「いや?」と笑って首を振る。


「いねぇのなら、まぁそっちのが楽でいいか」


「かなりの色男って聞いたから見てみたかったけどな」


何の話なのかと眉を顰めると、三人のうちの一人が私の腕を掴んだ。


「…!何するんですか!?」


振り払おうとするが、さすがに男の力には敵わず、腕はびくともしない。

痛くなるほど掴まれた腕を引かれたと思った瞬間。

腹部に強い衝撃を受ける。


「…!!」


鳩尾みぞおちを殴られたのだと理解した時には既に遅く、私の身体は見知らぬ男の腕の中へ、ずるりと倒れ込んだ。








目が覚めた時、私は薄暗い部屋の中にいた。

両腕は後ろ手に縛られており、履いていたはずの靴は、片方脱げて無くなっている。


理由は分からないが、先ほどの三人組に攫われたらしい。


(…たくさん買い物してたから、お金持ちと勘違いされたのかも…)


だが私の実家は至って普通の家庭だ。

身代金など出せないし、むしろ、あの叔母夫婦が私の為に身代金を出すとは思えない。


(どうしよう…)


何とか一人で脱出しなければ。

私は三人の顔をはっきりと見ているのだ、身代金が手に入らないと分かれば、殺されるかも知れない。


辺りを見回すと、暗闇に慣れた目が、無造作に積まれた農具を見つける。


農具の古さを見るに、今は使われていないようだ。

同じく他に積まれた道具も、壊れていたり折れている。


それにどうやら、小屋自体が今は使われていないらしく、埃がすごい。

壊れたまま、木板が打ち付けられた窓からは光が差し込んでおり、攫われてから、まだそんなに時間は経っていないようである。


縛られた腕を動かしてみるが、かなり強く結ばれているらしく、全く緩む気配がない。


なんとか体勢を変えながら立ち上がると、木板の打ち付けられた窓へ近付き、木板の隙間から外を覗く。


(何処かしらここ…)


小屋の周りには何もなく、ただの野っ原が広がっている。

助けを呼ぼうにも人通りもない。

扉も外からかんぬきがかけられているらしく、ほんの少しも動かなかった。


(困ったわ…)


あの人通りの激しい通りで攫われたのだ。

もしかしたら誰かが見ていて、町奉行に伝えているかも知れない。

何とか冷静にと心を落ち着けていると、扉の閂が外れた音がした。

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