優しき天神は生贄を欲す 其の陸《ろく》

数ヶ月ぶりに帰った故郷は、記憶にある様子と、少しも変わらなかった。


たかが数ヶ月、されど数ヶ月。少しは感慨深さというものがあるかと思っていたが、懐かしさも何も感じない。


私は頭巾を深く被り、顔が見えないように気を付けながら実家…、親戚の家へと歩を進める。


さすがに狭い村なだけあり、ほとんどの者が顔見知りであり、頭巾を被った不審な女が歩いていれば目に付くのだろう。


ひそひそと声をひそめながら、私の事を話している村人達ばかりだ。ちらりと視線を送ると、村人は慌てて家の中に逃げ込むか、素知らぬふりで顔を逸らす。


当然私も殆どの村人を知っており、家に帰るまではなるべく人に顔を見られる訳にはいかない。


人目に付かないように裏道を歩いても、結局目立つのならと開き直って、家に一番近い通りを歩く。


店がのきを連ねる村で一番大きな通りから一本脇道に逸れると、実家が見えて来た。


左右に並ぶ家々からは、窓から顔を出したり、わざわざ通りまで出て来て私の姿を見ている村人がいる。

じろじろと自分に集中する視線は、しばらく人と会う事がなかったせいか、私の心を落ち着きなく掻き乱した。


(琥珀はどうしているかしら)


村の入り口付近までは一緒に来ていたが、村に入る頃には姿を消していた。一体何処どこで何をしているのか…。

こんな時こそ傍にいて欲しいのだが、あの琥珀にそれを望むのは酷だろう。


そんな事を考えていると、いつの間にか実家の前までやって来ていた。

ごくりと生唾を飲み込む音が耳に響く。緊張で喉がからからだ。

あまりの緊張で身体が震えるが、このまま家の前で村人達の視線の的になるのも嫌で、私は戸を叩こうと腕を上げた。


たが戸を叩こうとした瞬間、がらっと小気味良い音と共に、戸が開いた。


「…っ」


心臓が止まりそうになる。

家から顔を出したのは、叔父の晶翦しょうせんだ。

晶翦しょうせんは家の前に立つ、頭巾を被った私に不審な視線を投げかけて来る。


「…どちらさん?うちに何かご用ですかい?」


「あ…の、私…」


何と言ったら良いか分からず、震える手で頭巾を取った私を見た晶翦しょうせんは、これ以上ないくらいに目を見開いた。


「お前…伽耶…か?」


「…はい、ご無沙汰しています」


顔を上げられずにうつむいたまま答えると、晶翦しょうせんの声が聞こえたのであろう、家の奥から叔母である菊汐きくせきも姿を見せた。


「…伽耶だって?」


ぺこりと菊汐きくせきに頭を下げると、晶翦しょうせん菊汐きくせきは、幽霊でも見たような、恐ろしげな表情を見合わせている。


「なんで…、あんた此処ここに…?いや、なんで生きて…」


驚愕するのも無理はないだろう。私は生贄として天神様てんじんさまに捧げられた身であり、生贄とはそれすなわち、命を失う事を意味する。

二人にとって、私は死んだも同然、…幽霊なのだ。


「あの…」


私が色々と説明しようと口を開くと、晶翦しょうせんはぐいっと私の腕を掴んで家の中に引き入れた。

その直後に菊汐きくせきが慌てたように戸を閉める。


「取り敢えず中に入りな。あんたが生きて戻って来たなんて、他の連中に知れたら大変だよ」


そう言った菊汐きくせきの目には、思った通り、面倒な事になった。という色しか浮かんでいなかった。








家の中に入ると、部屋には澄華ちょうかの姿があった。

相変わらず、艶やかで美しい髪と白い肌。そして大きい黒目がちな瞳が私を見つめる。

その目は私の姿に気付くと、満面の笑顔で立ち上がった。


「…お姉さん!?生きてたのね!」


澄華ちょうか、元気だった?」


「えぇ、私は全然平気よ!お姉さんはどうしてたの!?まさか生きてたなんて思わなかったわ!」


私の手を握りながらそう言うと、澄華ちょうかは全身をじぃっと眺めてくる。


「怪我はないのね。生贄って言うからには、食べられちゃうとか殺されちゃうとか、酷い目にあうのかなって想像してたのに」


「あ、実はその話をしに来たのよ。あの…」


話の取っ掛かりを得られた次いでだと口を開くと、澄華ちょうかは「ごめんね、私これから予定があるの」と聞く耳も持たずに部屋から出て行ってしまう。


「また後で聞くから!じゃあね、お姉さん!」


残された私は、澄華ちょうかが出ていった戸を見ながら、小さく溜息を吐いた。


(相変わらず奔放ね…)


嵐のような騒がしさだ。

澄華ちょうかの魅力は決して外見の良さだけではない。我儘で自由奔放で、それでも気になってしまう、夢中になってしまう。そんな魅力が澄華ちょうかにはある。


当然異性にも人気があり、何度か私も迷惑をこうむった事があるが、どうにも憎めない妹だった。


(今はそれよりも、きちんと話をしなくては)


ただ家族の顔を見るために帰省したわけではない。

生贄は不要だという事を、村人達に分かってもらう為に来たのだ。

澄華ちょうかと入れ代わりでやって来た叔母夫婦を見つめ、私は意を決して口を開いた。

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