優しき天神は生贄を欲す 其の肆《よん》

そうして、琥珀と廃寺で暮らすようになってから、幾日いくにちが過ぎた頃だろうか。

暮らすと言っても、琥珀は一日のほとんどを山で過ごしており、廃寺にはいない事の方が多い。


私の事をまかない女とでも思っているのか、空腹になると帰って来て、私の作った食事を食べて、また出て行く。といった具合だ。


何処で何をしているのか気になるものの、そこまで込み入った事を聞く仲でもなく、今の今まで聞けずにいる。


もしかしたら元はこの廃寺で暮らしていたが、私が来た事で気を使って外で過ごしているのかとも思ったが、そもそも廃寺からは生活臭というものがまるで無く、どうやら杞憂のようだ。


とは言え、ある程度片付けや掃除、それに壊れた壁や床などの保全や修繕を終え、初めて来た頃とは打って変わって、きちんと人間が生活出来る空間になっている。


この寺がまだすたれて捨てられる前に住んでいたのであろう、住職の部屋もそのまま残っており、今はそこで寝泊まりをしている。


問題があるとすれば、どんなに洗っても干しても綺麗にならない煎餅布団だ。

もともと布団で寝た事はなく、納屋に積まれた藁の上に寝ていただけだが、この布団はそれよりも最悪だ。

正直、干したての藁の方が数倍良い。


出来れば新しい布団が欲しいと思うが、いかんせん先立つ物がないのだから話にならない。


たが、たまたま足元に積まれている野菜を見た私は、ふと良い案を思い付いて手を叩いた。


(そうだ。この山は季節問わず、山菜や果物が豊富だもの。売ればお金になるじゃない…)


今は親戚の家にいた頃とは違い、自分のやりたい事を好きなように出来る。何をやるにも、人に気を使ったり許可を得る必要はないのだ。


琥珀だって、この山の加護は自分が与えた物ではないと言っていた。それならば琥珀にも、了承を得る必要がない。


私は思い立ったように持っていた薄汚れた布団を放り投げると、外へ出た。


外はいつもと変わらぬ晴天で、薄暗い廃寺から出て来ると、眩しいくらいだ。


辺りを見回すと、さすが天神様の加護のかかった山。其処彼処そこかしこに果物が生っている。

この山の気候ならば、本格的に野菜や果物の栽培を始めたら、さぞかし美味い物が出来るだろう。


それを売れば、それなりの金にはなるはず。

時間は掛かるものの、これで当面の生活は何とかなりそうだ。


(でも…)


一番近い村は私が住んでいた村だが、生贄として山に捧げた娘が無事に下山して来たら、村人達はどう思うだろうか。

天神様に生贄はいらないと言われたと話して、それを信じてもらえるだろうか。


私では生贄としての責任を果たせなかったと、新たな生贄が選ばれたりしないだろうか。


もう生贄はいらないのだ。

もう誰も悲しまなく良いのだと、どう話したら良いのだろう。


だが実際、山へ行った私がこうして生きている事が何よりの証拠でもある。

私は考える事をやめると、目の前の果物の山を見下ろした。









その夜は、珍しく雨が降った。

私は雨が好きではなく、憂鬱な気分で窓から外を眺めていた。

もちろん恵の雨というくらいで、農作物や人間の暮らしに雨は必須である。雨が嫌いな理由は、私個人にあった。


村で親戚と暮らしていた頃に部屋として与えられていた納屋は、かなり古く、雨が降ると雨漏りが酷くて、とても過ごせるような部屋ではなかった。


納屋の中にある農具や藁など、濡れて困る物は避難させたが、納屋以外に居場所の無い私だけは、そのまま雨漏りの酷い納屋で過ごすしかなかったのだ。


床も壁も水浸しで、豪雨の日などは足元まで浸水しており、とてもじゃないが納屋の中にはいられないくらいだった。


(嫌な事を思い出しちゃった…)


そういえば、今年の生贄が私に決まった事で、邪魔な居候がいなくなると喜んでいた親戚一家はどうしているだろうか。


家事のほとんどを私に任せていた事もあり、今ごろ困っているのではないかと気になってしまう。


家事以外にも畑の手入れや買い出し、その他諸々たもろもろ、私がやっていたのだ。


従姉妹いとこ澄華ちょうかは私より二つ歳が下の娘で、齢十五になる。村では十五が適齢期とされているから、そろそろ結婚だろうか。

我儘だから結婚相手に関しても、叔父や叔母を困らせているのではないだろうか。


幼い頃から甘やかされて、蝶よ花よと育てられて来た澄華ちょうかだ。きっと嫁ぎ先でも姫様のような、贅沢な暮らしを望んでいるに違いない。


実際澄華ちょうかは美しい娘で、本人が望むなら、村の名主どころか、山から離れて、賑やかな町の名家に嫁ぐ事だって出来そうだ。


(本当なら私が澄華ちょうかの嫁ぎ先を探してあげたかったけど…)


きっと生贄になる事がなければ、澄華ちょうかの結婚が決まり次第、澄華ちょうかの嫁ぎ先に私も一緒に行く事になったはず。


あの叔父や叔母が私に嫁ぎ先など、探してくれるはずがないし、何より何も出来ない澄華ちょうかを一人で嫁ぎ先に送るはずがない。

まちがいなく私も下女として澄華ちょうかと共に行く事になったはずだ。


こうして考えていると、心配事が次から次へと浮かんでくる。


きっと今頃困っているはずだ。いや、困っていて欲しい。

うとんでいた私の存在が、実は必要な存在だったのだと思って欲しい。


(私の事が…、本当は大事だったのだと思って欲しい…)


迎えに来て欲しい。

いや、心配して様子を見に来るでもいい。

そんな小さな事でも、私は今までの事が報われたと思えるのに。


だが現実はそんなに優しくはない、あの家族が本当は私を大切に思っていたなど、天変地異が起きてもあり得ない事だ。


雨のせいだろうか。つまらない妄想をしてしまったと深い溜息を吐くと、外へ通じる部屋の戸ががたん。と大きな音を立てて開いた。

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