優しき天神は生贄を欲す 其の参《さん》

ある程度腹が膨れたあと、私は本堂の掃除に取り掛かる事にした。

古さに関しては仕方がないが、それ以上に汚すぎる。まさに荒れ放題、という感じだ。


窓や戸を開け、空気の入れ替えをしつつ、板の間を掃き、雑巾での水拭き。

好き放題にはった蜘蛛の巣や、動物達の死骸しがい糞尿ふんにょうの撤去や掃除等々。


どくらい掃除や片付けをしていなかったのか、本当の意味で廃墟同然の様子に、俄然がぜんやる気がみなぎるというものだ。


(そういえば…)


ふと御本尊に置いてあった石を思い出し、再び近づいてみると、明るくなった室内では分かりにくいが、確かに光っている。


「石、よね」


何故光っているのか不思議だ。

透かしてみると、赤みがかった黄色をしており、琥珀の瞳の色を思い出す。


「綺麗…」


石なのか宝石なのかは分からないが、わざわざ御本尊に置いてあると言う事は、余程大切な物なのだろう。


「鬼にも大切なものがあるのね」


人間は琥珀の事を恐れ、天神様という存在に神格化しんかくかさせ、生贄を捧げる事で自らを守って来た。

だが当の琥珀は、天神などと、人間が勝手に呼んでいるだけで、自分は鬼だと言っている。


(琥珀の瞳の色…)


琥珀のあの瞳に見つめられると、何故か落ち着かない気分になり目が逸らせなくなるのは、鬼がもつ人間を魅了する力のせいなのだろうか、それとも琥珀自身の魅力なのだろうか。


考えた所で答えが出る訳もなく、私は傷をつけないように気を付けながら御本尊周りを掃除し、石を元通りに戻した。


ある程度満足するまで掃除をしていると、いつの間にか太陽が高い位置まで上がっている。


(…そろそろ昼餉ひるげか。どうしようかな…)


朝は果物を食べたが、まさか昼も果物という訳にはいかないだろう。

かと言って、この廃寺に厨房…ましてや食材などあるとは思えない。


(買い物に行くにも先立つ物もないしな…)


琥珀はいつも食事をどうしているのだろう。

あれだけ野生的だと、山の野生鳥獣やせいちょうじゅうを狩って食べている可能性もあるが、私は獣肉が好きではなく、基本的に口にする事はない。


村にいた頃は狩猟しゅりょうで得た動物をさばく事はあっても、食べる事はなかった。


食べなくとも、動物達の尊い生命に対する感謝を忘れた事はなく、料理の際は肉は勿論、骨や内蔵にいたるまで全てを使った。


その為、料理の腕はそれなりのものだと自負じふしている。


(もし罠か何か作れれば、琥珀に何か作って差し上げられるんだけど…)


いかんせん、狩りや罠に関しては全く知識がない。

どうしたものかと思いながら本堂を出ると、爽やかな風と眩しい太陽、そして鳥達の心地よいさえずりが私を迎えた。


「……」


何故だろうか。

村で暮らしていた時より、生贄として捧げられた今の方がを感じる。

掃除や片付けなど、やっている事も村と変わらないが、それも自らの意思でやるのと、人にやらされるのでは全く違う。


(これが自由…)


誰に何を強制される訳でもなく、自ら考えて行動する事は、こんなにも気分が良いものなのか。


(少し辺りを散歩してみようか…)


もしかしたら散策しているうちに、琥珀が戻ってくるかも知れない。


「…そういえば琥珀はどこに行ってるのかしら」


こんな広い山の中で、毎日毎日一人きりで過ごして琥珀は寂しくないのだろうか。

沢山の動物達はいるが話し相手もおらず、たった一人で生きるのは、私なら寂しいし悲しい。


まさかあの琥珀が「俺には動物達がいるから寂しくない」と言うわけもない。むしろ言ったら気持ちが悪い。


それを想像して1人笑うと、私は琥珀と出会った大きな木の所まで行ってみる事にした。


別に琥珀がいるかも知れないと思った訳ではなかったが、巨木の辺りまで行って辺りを見回すと、やはりその大きな木の上で昼寝をしている琥珀を見つけた。


こちらに気付いていないのか、両腕を枕がわりに頭の後ろで組み、目を閉じている姿は美しく見える。


口を開けば乱暴な物言いで分かりにくいが、本来鬼というものは性別問わず美しく、人を魅了する存在だと言われており、その伝説も本人を見ると納得だ。


私は起こさぬよう注意しながら巨木に近付いたつもりだったが、琥珀の真下まで行った時、頭上から声が聞こえて来た。


「何か用か?」


「あ…、起こしてしまってすみません。音を立てないように気を付けたんですが…」


「…てめえは根本的に俺を馬鹿にしてるよな」


どうやら鬼は人間より遥かに良い耳と嗅覚を持っているらしく、どんなに気を付けていても動けば音は聞こえるし、動かなくても匂いで分かるらしい。


「で?用があるから来たんだろ?」


「いえ、用という程では。ただそろそろ昼餉の時間なので何か作ろうかと思ったのですが、食材もないようでしたので…」


私がそう言うと、琥珀は軽い身のこなしで、木から私の前へ飛び降りた。


「琥珀はいつも何を食べていらっしゃるんです?ご迷惑でなければ、何かお作りして差し上げたいのですが」


食べ物に関しては興味があるのか。今までつまらなそうだった琥珀の表情が変わった。

だがそれは一瞬の事で、琥珀はぷいっと顔を逸らしてしまう。


「人間の作ったもんなんぞ食えるか。その辺の猪や野兎でも捕まえ…」


「…美味しいですよ?」


「…!」


にこにこと笑顔で見つめる私に、琥珀は気圧されたように生唾を飲み込んだ。

そして結局、私の言った美味しい、と言う言葉に負けたのか、琥珀は数匹の野兎と、鹿。それから川魚や山菜を大量に持ち帰ってきたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る