優しき天神は生贄を欲す 其の弐《に》

鳥の声が聞こえる。

耳に優しいそのさえずりに、ゆっくりと目を開けると、そこは私の暮らす古びた納屋なやではなかった。


「……?」


ぼんやりとした頭で辺りを見回すと、古いながらも床の板張いたばりも壁も、しっかりとした部屋にいるようだ。


此処ここ…は…)


私の部屋は、薄暗くて光など入らない納屋のはずだ。

両親をなくし、親戚に引き取ってもらった私は邪魔者で、親戚家族が暮らす家には入れて貰えず、敷地内にある納屋で寝泊まりをしている。


家に入れるのは、掃除や洗濯。それに買い物など、用事を言い付けられる時だけだ。

それなのに目が覚めた私がいるのは、確かに薄暗くはあるが、陽の光が差し込む広い部屋。


「ッ…!?」


そこでやっと、昨日の記憶が甦る。

十年毎に行われる天神祭てんじんさいで、今回は自分が生贄に選ばれた事。だが天神様てんじんさまに生贄はいらないと言われた事。


そして、生贄として捧げられた自分は村に帰る事が出来ず、天神様…琥珀のいるこの山で暮らす事にした事。


(あぁ、そうだ…思い出した…)


改めて身体を起こして辺りを見回すと、自分のいる場所が本堂ほんどうである事が分かる。


かなり古い寺らしく、あちこちがちており、先ほどの陽の光は穴が開いた天井から差し込んで来ていたらしい。


薄暗い室内には、其処彼処そこかしこに空いた天井の穴から、太陽の光が光線こうせんの様に差し込んでいる。


御本尊ごほんぞんこそ見当たらないものの、御本尊の代わりに小さな石が置いてあった。


(…石?)


近づいてみると、ただの石ではなく、ほんのりと光っているように見える。


「光ってる…」


そう呟きながら手に取ると、何かが開く音と共に、薄暗かった室内が明るくなった。

振り返ると、重い扉を開けて何者かが本堂の中に入って来る。


「…目ぇ覚めたのか」


「あ…」


入ってきたのは琥珀こはくだった。

私は慌てて手にした石を元に戻すと、身体ごと琥珀に向き直る。


「おはよう…ございます?」


「なんで疑問系なんだよ」


「あの…私…なんで此処に?」


昨日、木の上で話した事までは覚えているが、その後の事が記憶にない。

そういえば、琥珀は山の上の廃寺はいじに住んでいると言っていた。おそらく此処がそうなのだろう。


「ったく、一緒に暮らすだなんぞ言ってねぇってのに、急に倒れやがって…。おかげで連れて帰ってくる事になっちまった」


本当に村で聞いた噂通りの恐ろしい性格なら、放って帰っていただろうが、その言葉からは言い方こそ乱暴だが、優しさが伝わってくる。


家族だなどと、都合の良い言葉で着飾って、体良ていよく人を下女げじょのように扱う親戚よりも、余程よほど良い。


そんな事を考えていると、琥珀が私の顔を間近で覗き込んできた。


「それよりてめぇ…ちゃんと食ってんのか?」


「え?」


「この馬鹿人間!!てめぇは栄養失調で倒れたんだよ!気づいてねぇのか!!」


がしっと大きな手で私の腕を掴むと、琥珀は怒った様に声を荒げた。


「てめぇの身体は骨と皮だけじゃねぇか!生贄っつったが、そもそも喰う所がねぇ!生贄を寄越すなら、もっと丸々太った女を…」


「今は人間を食べていないと…おっしゃってませんでした?」


「……」


話している途中だったが思わず口を挟むと、琥珀はバツが悪そうに固まってしまう。


「…ちっ!」


悔し紛れなのか、掴んでいた私の腕を投げる様に乱暴に離すと、琥珀は一つ咳払せきばらいをした。


「とにかくだ…、てめえは食え!」


そう言うと、持っていた風呂敷を私の目の前にずい、と差し出す。

思わず受け取って包みを開けると、中には沢山の野菜と果物が入っていた。


「…これ、は…」


「見りゃ分かんだろ、食い物だよ」


「私に…?」


「他に誰がいるんだよ!!」


呆れた顔の琥珀は、私の前にどかっと座ると、持ってきた果物にかじり付いた。


「それにしても、てめえは何でそんなに痩せてんだ?ここ数十年の間に、人間共にんげんどもの生活は随分ずいぶんと良くなってきたように思えたがな…。貧乏なのか?」


「……」


言いたい放題言ってくれる。

確かに村の名主なぬし地主じぬしに比べれば質素な生活ではあるが、自分を引き取ってくれた親戚の家だって、決して貧乏ではないはずだ。


(…私がほとんど食べさせて貰えなかっただけ…)


だがそれは琥珀に言っても詮無せんない事だ。

それに親戚が引き取ってくれなければ、のたれ死んでいただろう。

どんな扱いを受けたにしろ、感謝こそすれ恨みなど烏滸おこがましいにも程があると言うもの。


「…まぁ、裕福では…ありませんでした」


どう答えたら良いか分からず、かろうじてそれだけを言うと、私は果物に手を伸ばした。


「それより琥珀は…人間とは違うのですよね。天神という名も、私たちが勝手に呼んでいるだけだと仰ってましたが…」


「そうだ、…琥珀っつーのも、てめえが勝手に呼んでるだけだがな」


嫌味のように言うと、琥珀は次の果物に手を伸ばす。


「…食えっつーの!!てめえに食わせる為に持って来たんだ!」


「あ、はい!!」


慌てて果物を袖口で拭き、同じように齧り付いて見せると、

琥珀は満足気に鼻を鳴らした。


「俺は人間でも、ましてや天神ってやつでもねぇよ」


「…では?」


言葉を止めた琥珀に、先を促すように果物を下ろすと、ジロリと睨まれて再び果物を口に運ぶ。

あまり食欲はないのだが、食べないと話してくれないような気がして食べていると、琥珀は先を続けた。


「俺は鬼だ」


「…!鬼…」


聞いた事がある。

何故気付かなかったのか、分からなかったのか。

琥珀には立派な角があるというのに。


伝説では、鬼という存在は男女問わず、この世のものとは思えぬ美しさを持ち、その美しさで人間を魅了しておのれ眷属けんぞくにする異形の存在だ。


眷属にされた人間は、食糧として喰われたり、妙齢みょうれいの女ならば、子をもうけるために攫われるという。

そして鬼の子を宿した女もまた、人ならざる存在となり、鬼の眷属として、子を育てて生きて行く事になる。


「……」


身体が震える。

幼い頃から聞いていた天神様のように、生贄を捧げれば守ってくれる神様などではなかったのだ。


「なんだよ?てんじんなんぞじゃなく、あやかしだと知って、今更びびってんのか」


「あ、いえ…」


神でも妖でもどちらにせよ、生贄として来ているのだから結果は同じだし、喰わないとも言われている。別に怖がる必要はない。


だがそれでも確かに、神だと信じていた存在が異形の者だったと知るのは、私にはそれなりに衝撃だったのだ。


「じゃあ…あの、この山に加護を与えて下さったのは、琥珀ではないんですか?」


「あったりめぇだろが。鬼の俺に加護なんぞ与える力はねぇよ。この山に加護を与えたのは…」


そこまで言うと、琥珀は何かを思い出したように顔をしかめた。


「…思い出したら頭にきたぜ」


「?」


一体何の話なのか分からないが、聞いても答えてくれない事は明白で、私は何も言わず、琥珀が持って来てくれた果物を食べ続けていた。

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