【本編完結】優しき天神は生贄を欲す

優しき天神は生贄を欲す 其の壱《いち》

例えば誰かを好きになる理由。

例えば誰かに惹かれる理由。


それは人によって違うもの。


私の場合、それは今まで持っていた印象との相違そういによるものだった。








私の暮らす村は山奥にあり、外界とはほとんど連絡を絶って生活をしていた。

そのせいか、村では昔の風習や伝説などを、今でも現実のものとして扱っている。


その中の風習の一つに、天神祭てんじんさいというものがあった。


この山に暮らす私達は、天神様てんじんさまの加護の下、豊富な食べ物に恵まれ、飢える事なく暮らしており、その感謝を捧げる重要な祭りである。


ただ祭りと言えば聞こえは良いが、実際はそんな賑やかで楽しいものではなく、山の頂上にある深い森に住む天神様へ、生贄を捧げる為の催しだ。


この天神様というのは、伝説でも言い伝えでもなく、本当に存在する、ひたいに一本の角を持つという異形の者だ。


小さな頃から、悪い事をすると天神様の森へ連れて行くぞ。と言った、躾けに使われて来た存在でもある。


私が生きて来た十数年で、天神様が人を襲ったり喰ったりしたなどの話はついぞ聞かないが、大昔は実際にあったと聞いた。


天神様が山のふもとまでやって来て、子供や生娘を攫って行った事が続き、見境みさかいなしに襲われるよりはと、定期的に生贄を捧げる事にした事が、天神祭の始まりだと教わった。 


前回の天神祭は私がまだ幼かった頃の記憶で、生贄に選ばれた娘も私の知らない人だった気がする。


…まぁ、何処にでもある話だ。


天神様に関しても、この目で見た事はなく、村の年寄り連中の話す、粗野で野蛮、見上げるほどの大きな体躯たいく一度ひとたびえれば山の頂上から麓の村まで声が聞こえ、その怪力は山をも壊す…など、そんな印象しかなかった。


だけど、十年ぶりの天神祭で生贄に選ばれた私が実際に会った天神様は、思っていたより優しく、無邪気に笑う人だった。


確かに外見は想像の通りで恐ろしい。


私の身長だと、首が痛くなるくらいに見上げなければ、顔が見えないくらいに背が高く、燃えるような赤い髪と筋骨隆々の身体は、近づく事すらはばかられる。


どちらかと言うと、天神と言うより、鬼神と言う感じだ。


だが外見は、まさに美丈夫と言ってもいいくらい、整った顔立ちをしている。


鋭いながらも切長で、見る角度によって赤の様な黄色の様な、不思議な色をした瞳や、薄くとも形の良い唇。

一瞬だけ、恐怖を忘れて目を奪われてしまう。


それに、性格も確かに粗野で野蛮な感じがするものの、私に対して暴力などは振るわなかった。

それどころか…。


「てめえが今回の生贄か。…ちっ、もうあれから十年経っちまったのかよ」


そう言うと、天神様は生贄なんぞいらん。とっとと帰れ。と私に言ったのだ。


「…え?」


「帰れっつったんだよ。俺が人間を喰ってたのは、もう数百年も昔の話だ。今は人間なんぞ喰ってねぇ。…ったく、十年前も言ったろうが…」


完全に予想外だった。


だが言われてみれば、もし天神様が今でも人間を喰っていれば、行方不明になっている村人がいなければおかしい。

しかし私の記憶では、そんな事件は起きていないのだ。


「十年前の女…、せっかく生きたまま山を下ろしてやったのに、話してねぇのかよ」


「で…でも…、私は生贄として捧げられた身です。帰っても居場所など…」


話をしていて、どんどん語尾が小さくなってしまう。

そう、帰っても居場所などない。


むしろ帰れるわけがないのだ。

役目を放棄して帰れば、どんな目に遭わされるかわからない。

生贄とはそういうものなのだ。


「…けッ、毎回毎回、飽きもせず…。人間ってのは、ほんっと胸糞むなくそ悪ぃぜ」


そう言うと、天神様はふわりと優しく私を抱きかかえ、力強く大地を蹴った。

その瞬間、身体が空中に飛び上がり、私たちの身体は近くの巨木きょぼくの太い枝に着地する。


あまりの高さに恐怖し、思わず目を閉じると、天神様は目を開けろ、と耳元に唇を寄せた。


言われるままに薄く目を開けると、眼下がんかには深い森が広がっている。

そして天神様が指を指す方向には、山の麓の村が小さく見えた。


「…私の、村」


「そう、お前を捨てた村だ。そしてもう、帰る事が出来ねぇ場所でもある」


「……」


黙って村を見つめる私に、天神様は冷たい笑みで口角を上げる。

その顔は噂通りの残虐性を感じさせる笑みだった。


「どうだ?お前が望むなら、俺が滅ぼしてやってもいいぜ」


「!?」


一体何を言い出すのか。

冗談かと思ったが、天神様の目は真剣そのものだ。


「…まさか、そんな恐ろしい事…」


「そうか?人間ってのは自分勝手な生き物だろうが。自分の為に、平気で他人を陥れやがる。だからお前も此処に来たんだろう」


ぐうの音も出ない。

事実自分を生贄として山へ送り出した村人達に、全く恨みがないわけでないからだ。


だが、だからと言って、滅ぼす程に憎んでいるかと言われると、実はそうでもなかった。


「人間は…臆病なんです。だから、臆病な分だけ人に残酷になってしまう…」


きっと生贄に選ばれたのが自分でなければ、私も安心していただろう。

安心して…、生贄に選ばれた少女を送り出していただろう。


今回はたまたま、自分が生贄に選ばれてしまった。

ただそれだけの事だ。


だが残念ながら、生贄は必要ないと言われてしまった。

村に帰れるわけでもない私は、今後の身の振り方を考えなくてはならない。


どうしたものかと思案していると、私を抱えている天神様が不思議そうに顔を覗き込んできた。


「何だ?どうした?」


「いえ、天神様が私を食べないのなら、私はこの後どうしたら良いのかと思案しておりました」


「そんなん自由だろ。自分を捨てた村に帰る事もねぇ、死ぬ事もねぇ。好きな所へ好きに行ける」


「…自由…」


天神様の言葉を鸚鵡返おうむがえすが、特に行きたい所もやりたい事もない。

そこでふと、私は思いついたように天神様を振り返った。


「このまま此処に…、天神様のお傍にいてはいけませんか?」


本当に素直に、そう思った事を口にすると、天神様は驚いた様な顔で目を見開いた。


「…はぁ!?傍にって…、山で暮らす気かよ?」


「はい、天神様は何処で生活されているのですか?」


「俺が暮らしてるのは、山の奥の方にある廃寺だ。人間が…しかも女が過ごせる様な場所じゃねぇぞ」


「構いません、掃除すればいいんですもの」


そう言って微笑むが、天神様は目に怒りのような色を見せる。

その顔は、ついさっき村を見下ろしていた時と同じ顔だ。


「てめぇは俺を舐めてんのか?一緒に暮らしてぇだと?人間の女なんかが、この俺と!?」


私の言葉がよほど気に障ったのか、激昂げっこうしたように言うと、天神様は私の両腕を力強く掴む。


「確かに今は人間を喰ってねぇと言ったが、気が変わる事だってあるんだぜ。美味そうな女が近くにいれば、いつ喰いたくなるか分からねぇ」


「……」


ギラギラと殺意がこもったような目で私を見てくるが、何故か怖くない。

それどころか、殺意に光る目の奥には、優しささえ感じるような気がし、私は迷う事なく答えた。


「その時は…、その時です」


そう言った直後、天神様はがくっと肩を落として深いため息を吐く。


「あー、なんかやりずれぇなぁ、もう…」


ボリボリと頭を掻きながらも、天神様はそれ以上駄目とは言わず、私を見つめた。


「お前…、名はなんつーんだ?」


「私の名は伽耶かやです。天神様のお名前は、なんとおっしゃるのですか?」


天神という名は、私達村人が勝手に名付けたものだ。

いくら何でも本名というものがあるだろうと思っていたが、天神様はふんっと鼻を鳴らすと、つまらなそうに目を逸らした。


「…大昔は、どっかの人間が勝手に名前を付けて呼んじゃいたが…そんなもんとうに忘れちまったな。そもそも天神ってのも、人間共が勝手に付けた名だろ?」


「…なら名前をつけましょうか」


「…あぁ?いらねぇよ、名前なんぞ」


「でも呼ぶ時に不便ではありませんか?」


このまま天神様と呼び続けてもいいが、お互いに呼び名があった方が意思の疎通がしやすい。


どんな名が良いだろうかと天神様を見つめた私は、その瞳の色に幼い頃に聞いた御伽噺おとぎばなしを思い出した。


心優しい赤鬼が人間の娘と恋仲こいなかになり子をもうけるが、それに激昂した父親に、娘共々むすめともども殺されてしまうという悲恋話だ。


残された子供がどうなったかまでは語られていない御伽噺だが、子供心になんて残酷な話なんだ。と思った記憶がある。


その心優しい赤鬼の名前が確か…。


「…琥珀こはく…」


「…ぁ?」


「そう、子供の頃に聞いた御伽噺に出てくる、優しい鬼の名前です。琥珀色こはくいろ琥珀こはくです。天神様の瞳のお色も琥珀色ですし、ぴったりですね」


そう言うと、天神様は何かを言おうと私を指差し、口をぱくぱくさせ、少しの逡巡しゅんじゅんの後、深い溜息と共に舌を鳴らした。


「…ちッ、調子が狂うぜ…」


隣で天神様が複雑そうに頭を抱えているが、村に帰れない私にとっては、もうここで天神様…、いや琥珀と暮らすしか道はないのだ。


「おい!一応言っとくがな、俺はお前と暮らすなんて一言も言ってねぇからな!」


「私の名前はです。宜しくお願いしますね、


こうして、私と天神様こはくの奇妙な生活が始まった。

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