第2話 白い狐耳と尻尾のわたし

 高校から家までの間、家寄りの場所にこの神社はある。しかし間といっても、神社はちょっとした丘の上に建てられており、手すりもない階段を上る必要がある。男子高校生の体力でもこのように少し息が上がるのだ。老若男女誰でも気軽に立ち寄れる場所ではなく、人気は少ない。

 ただ、元々1人になりたくなった気まぐれで立ち寄った場所だし、俺にとっては都合がよかった。……自称神様に話しかけられるまでは。

「呼んだ?」

「うわっ!」

 背後からの声に飛び上がると、こんこんと笑う声が追いかけてきた。

「急に背後を取るのやめてくださいよ……。びびりますから」

「ごめんごめん、反応が面白くてつい。ようこそわが家へ。ゆっくりしていってね」

「どこからともなく話しかけられると思うとゆっくりできないんですけど」

 不満を述べながら手に提げていたコンビニの袋を漁り、買ってきていた油揚げを取り出してみせる。

「おっ!昨日のお願い、聞いてくれたのだね~」

「これでいいっすよね。それじゃ」

「ワーイいただきまーす……ってこらこら。帰ってどうするのさ」

「渡したらご利益あるって」

「用件もわからないのに利益も何もないでしょ。私も暇なのわかるでしょ~話そうよ~」

 暇と結びつくのかはわからないが、今日もここは俺以外に参拝客はいない。

「話なんて……昨日も言いましたけど、神様へのお願いは筋を通してからって」

「……まったくもう。1日おいたらすんなり話すと思ったのになあ。頭の固い子だこと」

「え?なんか言いました?」

 相手の姿が見えないと会話のテンポも掴みにくいらしい。小声で話されたりするとうっかり聞き逃してしまう。

「お、おコン。だいたいね、君の秘めたる願いなんていうのは想像がつくわけなのだよ。ずばり!君自身の事ではなく……そう!家族とか!あとは友じ……」

「な、なんでわかるんです?」

 何故家族のために来ていると?まさか、俺の心を読んだ⁉

「あ、一発でアタリって感じ?ラッキー……っていうのはさておき。心なんて読まずとも、他人のためにここにいることは察しがつくのだよ」

 呆気に取られて何も返事ができなかった。おかしなことだが、初めてこの声の主が神らしいことを言っている気がする。

「人間が神に願うのは、大抵自分の力だけでは御しきれない機運のこと。自力でなんとかなるなら、神を頼る必要はないからね。

 信仰もない君が何日もここを訪れるのはそれだけ大事な願いがあるということ。恐らく、家族の命に関する事だろうね」

「……す、すごい」

「ふっふっふ。伊達に数百年人間の願いを聞いてきてないよ。君みたいな人間は初めてだったけどね。

 とにかく、神への願いなんて言うだけタダなんだし話してみればいいわけなのだよ。人間同士でも、やれ相談しろ悩みを抱えるなって言ってるでしょ?」

 ころころと神様は笑った。こんな調子だけど声音は優しい。たぶん、神様なりに気遣ってくれているのだろう。

 ……ここまでくれば言っているのとほぼ同じか。せっかく相手が良いと言ってくれているのだし、これ以上意地を張る必要もない。

「あの……実は、俺の母が今度手術するんです」

「うん。あ、それと敬語禁止。ほら力抜いて」そう諭すように告げられると、不思議なくらい身体が軽くなった。

「は、はい……じゃあその。母さん、今度大きな手術をするんだ。失敗のリスクもあるし、成功しても合併症や再発のリスクがあるって

 ……うちは母子家庭で、母さんってば休む間もなくずっとフル稼働だったから、きっとそれがたたったんだ」

 いつも笑顔で優しくて、たった1人で俺をここまで育ててくれた大切な家族。家事に仕事に大変なのは昔からわかっていたが、母さんは辛そうな素振りを一度たりとも見せなかった。それに甘えて、母さんのことを気を遣ってあげられなかったのだ。

 目がじりじりと熱くなってきて、急いで袖で目を拭うと「聞いてるよ」と優しい声が空を泳いだ。その温かさに嗚咽しそうになるのをなんとか堪えて、続けた。

「……こんなに苦労してるのにあんまりだろ。失敗すれば、ずっと体の不安と付き合っていかなきゃいけない。だから何が何でも成功して、元気に過ごしてほしいんだ。そのために俺、もっと頑張るから」

 母さんの頑張りを知り得るのは俺と……神様くらいだ。もし神様がいるのなら、きっと母さんの行いを見てくれているはず。藁でも空想上の存在でも何でもいいから、とにかく力を貸して欲しかった。


 ふと、手に持っていた油揚げがちょいちょいと跳ねた。ビニール包装を破いて剥いてみると、油揚げが空中を浮かんで……欠けた。

「うわっ……食べた?」

「んぐんぐ……久しぶり~♪……もぐ」」

「食べ終えてから話してくれ……って、あれ⁉」

 いつの間にか空中にもう二つ浮かび上がるものが。ふさふさの白い獣耳と……尻尾?それはまるで……。

「神様って狐だったのか!」

「もう少し早く気づいてもいいと私は思うわけだよ」

 そういえばここは『白狐しろぎつね神社』だったっけ。なんの神様がいるか知らずに訪れていた俺も大概悪いが。しかし、その割に欠けた油揚げはまるで人が食べたような跡になっている気がするが。

「もぐもぐ……うーんご馳走様!それでどう?話してみて」

「……正直、ちょっと楽になった」

「でしょ?言葉にすることはそれだけの力があるってわけなのだよ」

 白い尻尾が何回か往復した後、神様は続けた。

「神の立場も色々あってね。私は基本的に人間に深く干渉しない主義なのだよ。私ができるのは、人間が各々の最善を尽くす、そのきっかけを与えることだけ」

「最善を尽くす……」

「そう。ずばり今の君にできることは……」

「できることは……!」

「元気でいること」

 短く、けろりと神様は言い放った。

「……ええ?そんなことでいいのか?」

 てっきり滝に打たれろとでも言い出すと思っていたが。実際、言われればこの時期だろうがやる覚悟はあった。

「そんなこととはなんだね。心中察するけど、そんな仏頂面して鬱々としてたら、幸せが逃げちゃうのだよ。七福神の先輩方も昔、飲み会で言ってたよ?『笑顔の人間の方が近寄りやすいんじゃよ』って」

「……仏頂面は生まれつきだ」

「だったら努めて笑顔でいなさいな。君が元気でいないと母君が心配するでしょうに」

「それはまあ、そうかもしれんけど」

 今、元気に振舞おうとしたところで空元気になる未来が見える。友達や先生にこれ以上気を遣わせたくもないんだが。

「……ま、すぐ切り替えるのも難しいでしょうから。君ができることは1つ。毎日ここにおいで」

 煮え切らないのを察してか、神様はのんびりと言葉を足した。

「え?つまり今までどおりってこと?」

「そ。けど賽銭はもういいから。もらってもしょうがないしね。その代わり私の暇つぶしの相手になってよ」

「暇つぶしって。神様なんだから色々とやることあるんじゃ」

「やることがないのは見たらわかるでしょーが」

 境内の様子を見れば皆まで言うな、か。

「……わかった。じゃあ、母さんの手術が終わるまでは来させてもらう……けど」

「けど?」

「俺の話を聞いてくれたのはありがたいけど、俺は君になんの礼も尽くしてないままだ。それだと俺が納得できなくて」

「うわ、真面目~」

「なんでもいいけどさ、とにかく俺、君のお願いを聞くから」

「エェ⁉わ、私の?神様のお願いを?」

「そう。神様のお願いを。応えられるかはわかんないけど。それなら公平だろ?」

 これから受ける恩も、受けた恩も倍にして返すつもりで。母親からの教えだ。

「それって公平なの?」

「うん」

「自信満々で超理論を繰り広げられても……君って結構たくましいのだね」

「無理にとは言わないけど。どうする?」

「ぐぬ、小童が意趣返しとは生意気な……」

 何を勝手に焦っているのかは知らないが、人間に言い負かされそうな神様というのは中々貴重かもしれない。

 思考を巡らしているのか、白い尻尾があーでもないこーでもないとしばらく揺れた後、ピンと真っすぐ上に立った。

「……よし、お願い事決めた」

「なんでもござれだ」

「それじゃあお願いの前に……あらよっと」

 ポンっと小気味いい音に合わせて目の前が煙に包まれると、次の瞬間には人の姿がそこにあった。

「うわあああっ!出た!」

「ちょっと前まで幽霊とか信じないって言ってた人間の反応とは思えないのだよ」

 袖で口元を隠し、こんこんと不思議な笑みを浮かべる……白いショートカットの女の子だ。見た目は俺と同い年くらいだろうか。普通と違うのが今まで見えていた耳と尻尾がついている、いわば狐の擬人化みたいな人だということ。

 纏っている白い着物をゆるく着崩しており、際どい所が零れていてものすごく目のやり場に困る。

「ええっと、君、人間だったのか……」

「人間に近い姿というのが正解だね。これも私の姿のうちの1つに過ぎないのだけれど。姿が見えないと何かと不便……って、きみきみ、私のこと本当に見えてる?」

 俺の視線を追いかけてひょこっと彼女は屈みこんだ。

「見えてる見えてる!大丈夫だから」

 そうやって屈みこむとその……胸の部分が!というか絶対下着つけてないよこの神様!

「……はっはーん。もしかして君、緊張してる?」

「し、してにーよ!」

「噛んでるじゃない。よかったねえ~これで毎日ここに来るの楽しみになったでしょ~」

「べ、別にそんなことねえし!」

 まさかここにいる神様がこんなに可愛い女の子の容姿だったとは。見えて良かったのと悪かったのが半々で、ちょっと複雑だ。

「私のことはそうね……白狐しろこと呼んで。君は?」

「俺は三島昭和あきかず。三つの島に昭和しょうわだ」

「昭和と書いてあきかずかぁ……ふふ、懐かしい。いい名前だね」

 白狐は柔らかく笑う。いつもこんな風に笑っていたのかと思うと、また胸がどきりと跳ねた。

「そ、そうだ、お願いは?」

「まだナイショ。そもそも今言うとは言ってないし」

「おいこら!計ったな!」

「ふふ。狐の神様だってこと忘れちゃいけないよ」

 まったくだ。狐がずる賢いというのは古来からの習わしだが、どれだけ時代が進んでも変わらないらしい。

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