第8話 帳歩、イタリアに立つ。

 ~3月15日 11:22 ナポリ・パルテノペ通り~


 日本からイタリアの空港に辿り着くには、一度便の乗り換えをする必要がある。おおよそ、一日近く時間をかけての空の旅を、危なげなく終えることが出来た。そして、いくつかの電車の旅を経て、歩は動矢とルーシーのホームグラウンドである、ナポリに辿り着いた。


「おぉー……!」


 空港で見た光景は、歩になんともいえない感慨深さを与えた。「ナポリを見て死ね」という言葉が真実であるかのように、綺麗な街並みや、ナポリ湾の向こう側に見える卵城の外観は、まるで自分が絵本の中の登場人物であるかのような錯覚を与えてくれる。現に、歩は過去にビデオで見た小学生向けのアニメや、長寿マンガのことを思い出していた。特に、レンガ造りの建物の数々は、大好きなゲームに出てくる三番目の町を思い出す。あれは、ゾンビに支配された町ではあったが、実際のナポリはそんな暗い雰囲気とは真逆の、光と水によって彩られた幻想的な世界に思えた。

 

「もしかして、歩は海外旅行って初めて?」


 動矢が、敬称無しで歩に尋ねる。移動距離の長さゆえの退屈な時間の中で、彼らの唯一の楽しみは会話のみ。なので、自然と彼らの間には気安さが生まれていた。


「そうなんですよ。特に海外行きたいって思ってたわけじゃないけど、いざ行くぞって時になったら、こう……アガりますね」

「でも、これからだと思うわよ? 日本がいかに裕福な国かってことを思い知るのはさ」 


 ルーシーは眉間に皺を寄せながら、右手に持ったスマホを睨んでいる。


「そういえば、ルーシーさんはしきりにそんなことを話していましたね?」

「そろそろご飯の時間にしようと思うけど、せめて日本人の味覚に合う店を選ぶって話は散々したと思うけど、その唯一の希望が、今日はなんと臨時休業日! ……正直、気が滅入ってるわ」

「ぼ、ぼくは大丈夫ですよ……? たぶん」


 動矢やルーシーはネガティブを連発するが、歩は信じていた。

 イタリア人は、食に拘りがあるという話を。現に、イタリア人が投稿したと思われる料理の動画を再現したという、母が作ってくれたパスタ(アマトリチャーナというらしい)は、絶品だった。

 だから、これは個々の味覚の問題だと思うことにしている。動矢とルーシーの意見を蔑ろにするつもりはないが、それでも先入観で何もかもを判断するのは、愚かなことだ。


「妾はお茶漬けがあればなんでもよい」


 会話の流れをぶった切るように、白峰が希望を口に出す。


「イタリアでんなもん期待しないでくださいってば……」

「あぁ、白峰さん。ぼく、梅干しなら持ってきてますよ。日本の味が懐かしくなった時用にって、母さんが持たせてくれたんです」


 歩は、母親が持たせてくれたものと、念のためにと日本のコンビニで買い足していた梅干し(はちみつ入り)が入ったプラスチック製の包装を取り出した。数にして、ちょうど四つである。


「くれ」

「あ、僕も良い?」

「私もー」


 あっという間に、三人に一袋ずつ奪われた。特に、イタリア組のカップルの圧の強さは、これからのイタリア旅行の食事情に、暗い影を落とすには十分すぎるインパクトがあった。


(食べ物に関しては、二人もだいぶ釘を刺してきたし、相当なんだろうなぁ)


 しかし、これから控えているであろう、ヴァンパイアのお偉いさんとの面談が控えているこの状況。歩は、緊張であまり空腹を感じていなかった。そういう意味では、持参した梅干しだけでも十分なくらいだ。


「ふむ。来ると思っていたよ」


 東の方から、一人の男性が姿を現した。黒いコートの下に黒のスーツを着こなした四十代と思わしき男性は、黒の中折れ帽を手に取り、オールバックの黒髪を晒した後、丁寧に礼をする。三日月を思わせる髭が、特に印象的だった。


「カスケット! ここにいたのね?」

「君達がそろそろ来る頃だと思っていたのでね。眷属に駅を見張らせていたから、迎えに行こうと思っていたところだ」


 そう言うなり、カスケットは歩と白峰の姿を凝視する。

 ここで、歩は思い出していた。

 イタリアはファッション大国であり、そんな国の人々は他者を外見で重視する傾向にあることを。「社会的に重要だから」ということだから、歩は特に気負わず、普段着で今回の旅に臨んだのだが、果たして白峰の方はどうなのだろうか? その辺は、ファッションやその重要性に疎い歩には、ちっとも想像がつかなかった。

 しかし、そんな歩の心配は、全くの杞憂に終わった。

 大の大人二人は、互いに懐からゲーム機を取り出して見せると、ほぼ同時に微笑を浮かべ、固い握手を交わした。


「ハクオー。君のことだったのか」

「ドレイク。なるほど、ゲーム越しに感じた凄みは本物じゃったか」

(そういえば、ゲームで知り合ったって言ってたっけ?)


 どうやら、ゲーマー同士でしかわからないシンパシーのようなものがあるらしい。


「来てくれて嬉しいよ、ハクオー……いや、ハクオウ」

「なんか変わったかの?」

「イントネーションの問題だ。その辺、君達にとっては拘りがあるのだろう?」

「別に、呪符で翻訳をしておるから、気にせんでも良いがの。つーかどっちも変わらんわい」

「ならば、真実の君と向き合う意味で、ハクオウと呼ぶことにしよう。そして――」


 カスケットは、今度こそ歩に向き合った。


「君が、日本の戦鬼。噂の帳歩だね?」

「よ、よろしくお願いします……」


 おっかなびっくりで差し出した右手を、カスケットはしっかりと握り返した。その手の厚みに、歩は白峰とは違うやり方で、カスケットの凄みを感じ取った。


(この手のタコは……刀? いや、海外だから、サーベルなのかな?)


 手を離し、神妙な顔つきになる歩に、カスケットは笑ってこう告げた。


「感じたかね? この私の手を通じて、戦いの気配を」

「戦いの……」

「そう言えば、カスケット。例の黒いのはもう大丈夫なの?」


 動矢が問いかけると、カスケットは帽子を目深にかぶり、首を横に振る。


「今でこそ落ち着いて見えるだろうが、少し前までは本当に混乱していた。ここは、私の管轄だから……というよりかは、敵の力が君達が戦ったという個体よりもだいぶ弱体化されていたようだから、なんとか退けた。しかし……」

「神出鬼没。次はどうかわからない……そういうことよね?」

「そうだ」


 カスケット達ヴァンパイア組が、ナポリの街並みを見渡す傍ら、歩は考える。

 アンノウンの力が、報告より劣っていた――つまり、奴らはナポリの町を本格的に狙っていたわけではない、ということだろうか? カスケットの口ぶりからして、ナポリの防衛は彼一人で担っていたようだが、確実に勝利するならば、神出鬼没だと敵に思わせられるタイミングで、一斉に攻めてしまえば済む話のはず。それなのに、アンノウンはそれを選択しなかった。

 目的が読めない。

 その不透明さが、歩の中の懸念を強くする。カスケットが、自分達に援護を要請するのも、納得がいく話だ。


「ところで、他の町の方はどうなんじゃ? お主ら三人だけじゃないんじゃろ?」


 主語が抜けた言葉だったが、それはイタリアの人々にはヴァンパイアの存在が秘匿されているからこその、白峰なりの配慮だった。

 それを正しく受け取ったカスケットは、一言「問題ない」と告げた。


「他の同胞からも、今しがた私がしたのと同じような報告を受けている。ひとまず、今回の防衛線は完全勝利という形で終えることが出来たわけだが……」

「ま、連中の狙いがわからん以上は、警戒は必要じゃろうな」


 ひとまず、一行は胸をなでおろす――直前で、歩は自身に向けられた気配に気づき、顔を横に向ける。

 こちらを覗き込んでいた何者かが、アパートの壁に顔をひっこめた。


「……動矢さん」

「どうしたの?」

「ぼく達、尾行されているとか、ありえますか?」

「尾行?」

「あなたが、動画で有名になってるからとかじゃなくて? ……いや、ありえないか」

「ありえないって、なんで?」

「ほら。歩の動画って、ここいらじゃヤラセって思われてるじゃない」

「あぁ。有名ではないって意味ね」

「じゃあ、どうして?」


 歩の自惚れでなければ、こちらを見ていた何者かの視線は、完全に自分に向けられていた。それも、針でチクッと刺すような、そんな不愉快な性質の視線を。


「まぁ、ある意味で我々は戦場に赴いておるんじゃからな」


 白峰が、歩の後ろから肩を叩いてきた。


「その追跡者の正体を探る余裕はないが、用心はしておくべきじゃな。こんな状況じゃ、どんなことが起きるかわからんからのう」

「はい……」

「いきなり暗雲立ち込めたような状況のようだが、こちらも必要最低限の態勢は整えねばならん。まずは、移動することにしよう」

「またか……」

「へばるな、動矢。久しぶりにみんなが揃うのだ、気を引き締めておくのが良いぞ」

「いえっさー……」


 意気消沈する動矢を見て苦笑いを浮かべる歩と、あきれるルーシー。

 その後、一行はカスケットの自家用車に乗って、この場を後にした。

 ひとまず、歩は先程までの視線を忘れることにした。




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〇個人的な意見

 少なくとも、ぼくはイタリアのご飯は日本人の口に合っていると思います。


























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