第7話 世界が変わるその前に
~3月14日 09:20 羽田空港~
「はぁ……最悪なんですけど」
動矢とルーシーは、イタリア行きの便に乗り、日本を飛び立つのを飛行機の座席で待ち続けていた。本来であれば、もう少し日本旅行を満喫するつもりだったのだが、ここにきて大きく事情が変わってしまったのだ。
ルーシーが、再度盛大なため息をつく。
「まさか、イタリアにまであの黒いのが出てくるなんてね……」
「アンノウンか。神出鬼没って感じだなぁ……」
昨晩、カスケットから緊急の通信が入り、イタリアにもアンノウンが大量出没したとの報告が入った。聞いている限りだと、個々の戦闘力は雑魚と呼べるものだが、とにかく数が多く、イタリアの各地に出現したために、応援要請が入ったためである。
「ホント、最悪なタイミングよね。特にアンタは」
「気にすることないさ。むしろ、状況としては良い方向に向かってると思うしね」
動矢は苦笑する。ただ、この言葉自体に嘘は無かった。
「母さんたちとは、またいつでも会えるようになるだろうし」
予定通りであれば、動矢は実母と兄のいる日本の実家に立ち寄る予定だった。しかし、それが出来なくなったため、母とはこれまでの経過の報告も兼ねて、昨晩の内に電話で長い事話し合った。
そこで、動矢は思わぬサプライズを受けることになった。
「そっか。ご両親、再婚なさるのよね」
「うん。歩君がレガに選ばれて、ヤマタノオロチ……ヒュドラを倒してくれたからね。それで、親に鬼絡みの問題が解消されたって、それを警告した人が教えてくれたんだってね。僕らが東京にいる間にさ」
「そっか……」
ルーシーが、少しだけ寂しそうに笑う。
「あんただけ……やってくれたわね」
「おっと? 「寂しい」って素直に言う場面ではないんかね?」
「思ってるわよ? 結局あのラーメン食べられなかったし」
「そっちかい」
「もうね。イタリアのあの集まりのせいでこっちはあの国に縛られてるわけじゃない。ネットワークなんてモンが当たり前に発達するんだったら、転送装置のひとつやふたつ作れてもおかしくないわけじゃない。早めにそういう世の中になってほしいもんだわ」
「それを切望する理由がラーメンってのが、なんだか人間小さく見えるんだよなぁ」
「私ね、今日から好物をニンニクにしようと思う」
「白桃屋のきざみにんにくなら、通販で取り寄せなよ。あれは秘伝万能調味料だからさ。チャーハンはもちろん、ペペロンチーノとかオムライスを作るのにも適してる」
動矢は、未練がましく拳を震わせるルーシーの肩に腕を回し、あやすように揺らす。それが自然に出来るのは、彼らの間に人並み以上の繋がりがあるからだ。周囲から見れば、とても微笑ましい光景だ。
「にんにくの話は良いんですけど……」
だが、今だけはそれを素直に祝福出来ない男の声が、動矢の前の座席から聞こえてきた。
その人物の正体を知っている二人は、同時に席を立ち、相手の頭上から表情を覗き込む。
「ん? どうかしたか、歩君?」
「腹痛?」
「どうして、ぼくがここにいるんでしょうか……?」
私服姿の帳歩が、遠い目をしながら窓の外を見ていた。その隣では、白の戦鬼ハクオウこと白峰加世子が、最新ハードのゲーム機を両手に持ち、RPGに夢中になっていた。こちらも、普段とは打って変わって、竜のイラストが背中にプリントされた革ジャンと赤いシャツ、青いロングスカートといった出で立ちになっている。
「本来なら、今頃はチョコをくれた幼馴染と友達に、ホワイトデーのお返しをしなきゃいけないところだったのに……」
「観念せい、歩よ。何度も話したことじゃろうが」
ゲーム機から目を離した白峰が、気の毒そうに笑いながら、歩の肩を軽く叩く。
「他の面々が例の奴らの後処理に追われている現状、一番身軽なのは最強自宅警備員である妾と、中学生であるお主が選ばれるのは必至というわけじゃろーに」
「義務教育の時間をなんだと思ってるんですか……言ってみれば青春そのものですよ?」
「んな建前なんぞで動く輩かお前さんは? どーせ、ホワイトデーのお返ししないと後が怖いとか、そんなじゃろ?」
「あとは、このイタリア行き自体ですよ……」
歩は、重苦しいため息をついた。
「話ではサミット的なものは先だって聞かされてたのに、いきなりこれですから。ぼくは、まあいいとしても、沙貴ちゃんとか伊織は絶対後で怒りますよ。「一緒に行きたかった!」とか言って」
「観光じゃないんじゃぞ! 血生臭いとわかって連れてくバカがどこにおる!?」
「あいたっ! ……それですんなり納得してくれる相手じゃないから、気が重いんですよ」
「亭主の仕事を理由にブツブツ抜かす女なぞ放って置け! あいつらにとっても良い薬じゃ。戦鬼の嫁になることがどういうことになるかってのを、今から頭の中に叩きこませとけ! でないと、将来おんなじやりとりを繰り返すことになるぞ?」
「………………そ、そうなりますかね?」
「今さらデレとんじゃないわ!」
ニヤける歩の肩を、白峰が思い切り手で叩いた。
そんな二人の戦鬼を見て、動矢とルーシーは気まずそうに笑った。
「な、なんかすんません。それこそ、今さらっスけど……」
「気にするでない。現状、イタリアの状況は芳しくない。余裕のあるところが援護に回るのは当然じゃ」
「あ、歩君。お詫びと言っちゃなんだけど、ひと段落ついたら、私達がイタリアの町をいろいろ案内してあげるから」
「日本人の味覚にギリギリ合うのは、たぶんラザニアだからね。僕がその辺、しっかりリサーチしてあるから、安心して」
「逆に言うと、それ以外のものはあんまり日本人好みじゃないってことなんですね?」
「中学生だとあまり聞かないだろうね。日本の飯は全世界でもトップクラスの美味さだってこと」
「妾はトマトが苦手じゃ」
「
「イヤな方向で用意周到じゃのう、新井動矢よ」
「たはは……」
そこで、機内に発進のアナウンスが流された。会話をそこそこに切り上げ、歩たちは揃って座席に腰を下ろした。
そして、歩たちを乗せた飛行機は、イタリアを目指して飛んでいった。
~3月14日 08:20 満田中学校~
一方。
「なんでアユくんがいないの!? 急に出てきたっていう黒いヤツってのは何!? なんでまたアユくんが戦うことになるわけ!? ていうか、イタリア行きってなんでそうなるの!? なんで急に決まるわけ!? ていうかなんでアユくんなの!!?」
朝のホームルームが始まる直前、秀真から事情を聞かされた沙貴は、彼の両肩を掴んでぶんぶんと前後に揺らす。
「落ち着いてください、織部さぉえっ」
取り乱すことなく表情を変えない秀真だったが、さすがに頭を揺らされては三半規管がもたなかったのか、えづく。
「えほ、げほっ……昨晩、急遽決定したことでして、歩君にも夜間、緊急コールで伝えたのです。なので、眠っていたであろうあなたに連絡をする余裕が無かった……そういうことです」
「ぐぐ……」
「国外とはいえ、人命救助が目的です。現状でアンノウンとの交戦経験があるのは、歩君とブラッガさんのみ。そして、ブラッガさんには日本の防衛、そして自衛隊や警察との情報の共有を行うという役割が課せられています。そうなると、援軍としては歩君が適任と判断されたのです。単純な戦力だけなら、彼は日本で最強でしょうから」
「確かに、ブラッガのおっさんに任せられるイメージってあんまないわー」
沙貴の隣の机に座った伊織が、おかしそうに笑う。
ちなみに、秀真の話によると、蒼井は現状別任務のため東京から離れており、対応できないことが判明している。
まだ会ったことのない緑の戦鬼も、日本からは離れられない事情があるためイタリア行きは不可能だという。
「ちなみに、ウチの姉ちゃんも戦えないぞー」
「? 紫緒さんにも、勾玉は戻されたのでは?」
「ちゃうちゃう。あの人、実はコレだから」
伊織は笑いながら、自分のお腹の前で、手で放物線を描いて見せる。
そのジェスチャーを見た秀真は、思わず目を見開いた。
「もしかして……!」
「あー、やっぱあんたでもそうなったかぁ~」
「それは……おめでとうございます」
秀真は伊織に祝いの言葉を送った。伊織は「アタシじゃないけどねー」と、まんざらでもなさそうに受け止める。
「すごいね、伊織……」
沙貴もまた、伊織のジェスチャーの意味を理解し、微笑む。
「そっか……伊織も、おばさんって呼ばれる歳になったんだ」
「真っ先にそれ言うなって」
「あいたっ」
伊織に軽くデコピンされ、沙貴は苦笑する。
「でも、実際良い事だよ! 伊織のお姉さんが赤ちゃん産むようになったんだから。そりゃ、蒼井先生も日本から離れられないって」
「詳細は不明ですが、おそらく先生も生まれてくるお子さんのために、様々な備えをしている、と……そういうことではないかと思ってます」
「あんだけ長く生きてるくせに、子どもは初めてだって言ってたもんな~」
「そっか。そうなると、伊織もお姉さんのそばにいつでもいられるようにしなきゃだね」
「まぁねー」
「だから」、と、伊織は話を本題に戻す。
「さすがにアタシも文句言えなかったよ。歩が選ばれたことには」
「あ、あぁ……」
話を聞かされたことで、沙貴の怒りは一気に消沈した。
つまりは、消去法。
現状で、日本側がイタリアに送れる人材は、歩と白峰のみ。
そして、その二人こそが、援軍として選ばれたメンバーなのである。
「でも、アユくん大丈夫かな? イタリア語はもちろん、英語だって全然しゃべれないはずなのに……」
「だからこそ、白峰さんの同行が必須だったんです」
秀真は、指で机の上を長方形になぞる。
「白峰さんの妖術で、意志疎通の補助……平たく言えば、翻訳機のようなものを常時身に付けられるような状態に置くことで、現地の方々とのコミュニケーションを円滑なものにすることが出来るでしょう」
「それに、腐ってもあの人だって100オーバーの大人でしょ。いくら引きこもりっつっても、引率役くらいはできんでしょ」
「だと良いんですがね……あぁ、そうだ」
秀真は通学用のリュックから二つの黄色い包みを取り出し、沙貴と伊織の前に置いた。
「学校で渡すにはふさわしくないものですが」
「三橋君、これ何?」
「歩君から、あなた達へのプレゼントだそうです。話した通り、彼は急遽、イタリアへ旅立つことになりましたので。代理です」
「へー! 歩ったら、気が利くじゃんね!」
伊織は包みを手に取り、笑顔を咲かせた。
沙貴もそれを手に取ると、頬を染め、はにかむ。
「敵の戦力は未知数です。だから、本当に戻るまでの目途は不透明なんです。長引く可能性も否定はできませんが――」
「すぐに帰れるかも? でしょ?」
「はい」
沙貴の返答に、秀真は力強く頷いて見せた。
現実主義を貫く秀真だからこそ、そうすることが出来た。
本当に、わからないのだから。
「信じて待つことにしましょう。こちらも、これからが大変なのかも知れませんので」
「うん」
「わかってんよ」
沙貴と伊織は、顔を見合わせ、微笑んだ。
「……ところで、これ中身はなんだろ?」
伊織はそう言うなり、包みのリボンを解いて、中身を確認する。
中には、白い箱が入っていた。
「ちょ、ちょっと伊織?
「いいじゃん! ここで食べるわけじゃないんだしー!」
沙貴の制止も聞かず、伊織は白い箱を開け、本命の中身を確認する。
そして、頬を膨らませた。
「クッキー……」
「あらー。伊織ったら、お気の毒……」
「ホワイトデーにおけるクッキーの意味は、たしか交友関係の継続を望む意味をもつとされていますね」
「うぉーい! 歩にはアタシのおっぱい並みにでっかい愛情が伝わって無いんかーい!!」
うめく伊織を横目に、沙貴は気まずそうにしながらも、内心では安堵していた。
やはり、歩にとっての一番は
先月は、久しぶりに勇気を出して良かった。渡した手作りのチョコレートを、歩はこちらがびっくりするくらい喜んでくれたものだった(自分以外のものも手にしていたことは、目を瞑る)。
――これで、私達は互いの思いを確固たるものにすることが出来る。
それは、沙貴にとって大きな安心につながる。きっとまだ早い、だけど確実に代えがたい幸福であることを、彼女は確信していた。
「……!」
「あぁ、君もですか……」
秀真が呆れるのを余所に、沙貴もまた、歩からのプレゼントが入った包装のリボンを解き、白い箱に入った中身を確認した。
そして、その中に入っていたのは、キャンディー。「あなたのことが好き」という意味が込められたキャンディーを選ぶということは、口の中で長い時間甘さを楽しめることから、甘い時間を長く続けたい、甘い関係でいたいという意味を持つお返しの品――ではなかった。
「……クッキー」
沙貴はポカンと口を開け、目に映る物体の形を疑った。
「えっ? 沙貴も?」
沈んでいた伊織もまた、沙貴のプレゼントの中身を確認し、目が点になる。
「……どうやら、歩君は色気より食い気の方が強いようですね」
秀真は少女達のプレゼントを眺め、頷く。
沙貴と伊織は、錆びたロボットのような動作で向かい合うと、しばらく互いの額と額をぶつけ合った。
「アメリカンクラッカーですか、あなた達は」
秀真は、「あなた達は運命共同体のようだ」という言葉を飲み込み、ため息をついた。
~3月14日 14:32(日本時間) 飛行機の中~
「……ところで、歩君?」
「なんですか、ルーシーさん?」
「ホワイトデーのお返しって、何を用意したの?」
「お返しですか? もちろん、クッキーですよ」
「えっ? クッキー?」
「はい。だって、一番ボリューミーで、食べ応えあるでしょう?」
「……歩よ。とりあえず日本に戻る前に、沙貴と伊織に送る言い訳を考えておいた方が良いぞ」
「???」
「ダーメじゃ。全ッ然、理解しとらん」
「歩君は……しばらく、日本には戻らない方が良いかもね?」
「ん? クッキーダメなのか? そういや、ルーシーにクッキーあげたら何故か怒られたけど……あれ、なんでなんだ?」
「…………」
「ん? いてて、ルーシー? 耳ひっぱんないでって!」
「? 白峰さん、ルーシーさん、急にどうしたんでしょうか?」
「……ホント男子ってのはバカばっかじゃのう」
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