幕間 蘭霧人1 「目を逸らしてしまったら……」

 最近、ムカつくことばっかり起こる。

 先日、あららぎ霧人きりひとは、格下だと思っていたとばりあゆむにボコボコにされた。過去に自分に怪我を負わせたことを物種にして、ストレス解消にもってこいのサンドバックにしてやったはずのヤツに、悪友共々、完膚なきまでに叩きのめされてしまった。

 その醜態は、瞬く間に学校全体に知れ渡ることになった。権威を見せつけるために、同じ生徒達相手にオープンに振舞っていたことが、見事に仇となったのだ。

 この敗北をきっかけに、霧人は完全に学校の教員達から目を付けられる破目になった。担任の女は、高利貸し(と聞いているが、実際はヤクザだろう)である父親に借金をしていることから何かと便宜を図らせていたが、新人教師に出来ることはせいぜい見て見ぬふりくらいであり、彼女が霧人を庇える範囲に限界があった。

 取り巻きの何人かが豹変した歩に恐怖し、今までのいじめやカツアゲの事実を全て白状してしまったことも大きかった。


 この事実は、霧人の父親の耳にまで届いた。

 霧人の父は金銭的な援助は惜しまないが、それ以外のことが壊滅的だった。端的に言うと、父親失格である。

 何せ、霧人の母親が霧人を出産してすぐに蒸発したこと、結果的に父親である自分に親権を押し付けられてしまった――と、息子の目の前で言ってのけたのだから。

 それならば、と霧人は我慢をしない生き方を決意した。幸い、金だけはある父親だから、金で買えるものならば、手に入れてしまえばいい。「邪魔さえしなければ」という理由から、霧人に与えられるお小遣いは十数万円程度も与えられていた。周囲の生徒と比較してみても異常な額だが、与えられる物は存分に活用するべきだ。そこに躊躇は無い。

 レジャーやファッションなどはもちろん、東京の女は金さえあれば寄ってくるので、そういう経験には困らない。霧人に家族の温かさなんてものは理解できないが、女の温もりが「こういうものだ」ということは誰よりも知っているつもりだ。

 確かに、親ガチャには恵まれなかったかも知れない。

 しかし、霧人はそれも悪くないと思い始めていた。不幸を逆手にとって幸福を手にするなど、何よりもドラマチックではないか。

 

 だが、霧人は知っている。

 お金では決して手に入らないものがあることを。

 努力しなければ、得られないものもあるのだと。

 そして、それは霧人が最も欲していた栄光だということを。


 ~~~~~~~~~~~~~~


 小学生だった頃の霧人は、数々のゲームやマンガの影響で、剣を使うことに憧れを抱いていた。俗にいう「なろう系」や「異世界転生」といった現実逃避ではなく、今ここに存在する自分の手で、最強の剣士になること――最強な自分を思い描いていた。それが剣士というわけだ。

 だから、どんなに汗臭くなったとしても、剣道の練習はサボらなかった。幸い、父の部下には剣道の有段者がおり、彼からマンツーマンでじっくりと教わることが出来た。同年代の少年少女が通うようなお遊戯では決して学べない、実戦でも使うような戦い方を知るきっかけにもなった。

 師匠ともいえる男の実家は都内の道場で、区外ではあったが、そこから登録をし、大会に出場することが出来た。

 それが、デビューとなるはずだった。

 だが、霧人は出会ってしまったのだ。


 帳歩――本当の天才に。


 歩が所属するチームと当たるまでの準決勝までは、順風満帆に勝ち抜いてきた。危なげなく勝利し、応援に来てくれた女子たちの黄色い声援は、とても心地いいものだった。

 だから、優勝するまで、苦戦することはあっても、誰にも負けないはずだった。

 その驕りが、よりによって歩が相手の時に悪い形で出てしまった。

 ――相手の動きを読み取り、華麗に避けて、反撃する。

 今までそうしてきたから、今度もそうするつもりだった。


 気付いたら、仰向けに倒れていた。


 あまりにもショックで、呼吸が苦しくなっていたことも、倒れた衝撃で右腕が折れていることも、しばらく認識できずにいた。後で聞いた話だと、歩の突きが霧人の喉元に直撃してしまったという。

 この試合は、かなりの大事となってしまった。

 結果、霧人のチームは敗北し、相手にけがをさせてしまったショックから立ち直れなかった歩のチームは、彼を欠いた状態で決勝戦に挑み、敗退したという。

 

 周りの人間は、霧人を慰めてくれた。

「あれは危険行為だった」。

「悪い偶然が重なった」。

 いろいろな言葉をもらい、霧人も気にしない素振りを見せたが、心の底では思い知らされてしまった。


 あれは、相手の攻撃が速過ぎた。反応できなかった。

 目の前に相手がいるのに、周りの反応に意識を向けてしまったこと。


 自分にもしっかりと落ち度があることを、この時の霧人はしっかり自覚していた。

 だが、霧人はその後、そこから目を背けてしまった。

 なりたい自分になれない――思い知らされてしまったからだ。

 本当の天才は、別にいた。

 自分とは比べ物にならない程の才覚だった。

 認めてしまった。霧人は歩に、己の理想を重ねてしまった。

 そのことが、何よりも悔しかった。

 だから、相手を憎むことでしか、自分を保つ方法がわからなくなった。


 だから……中学二年生の進級時、ふたつの学校が合併され、帳歩の姿を見つけた時、霧人の中のドス黒い感情が、爆発した。

 そして、ヤツがまだ当時の記憶を引きずっていることを知るや否や、抱えていた劣等感は暴力になった。 

 奪い、痛めつけ……全てを破壊する!

 そう思っていたのに――その寸前で、全てを覆された。


 ~~~~~~~~~~~~~~


「……チッ!」


 やり場のない怒りを発散させるべく、霧人はフラフラと芝公園周りを歩いていた。休校になり、退屈な授業に出なくて済んだのはラッキーだが、以前のように遊び回ることも出来なくなっていた。

 あれ以来、仲間達は散り散りになった。一対多数で挑んだにも関わらず、一方的に叩きのめされたことで、歩と関わり合いになることを避けるようになったのだ。

 ある者は、プライドという名の牙をへし折られ、意気消沈。

 ある者は、カツアゲをした事実が親にバレてしまい、こっぴどく叱られ、首輪をつけられたように大人しくなってしまった。

 またある者は、豹変した歩がいる学校にはいられないと、怒る親を前に泣きながら転校を懇願しているとまで聞いた。

 総じて、歩に屈してしまったのだ。教師から呼び出されたあの日、霧人が報復を提案したにも関わらず、それを拒否したのがその証拠だ。

 あの時の戦いは、霧人から仲間すら奪ってしまった。


 あいつと関わると、何かを失ってしまう。


 そう思った時、霧人は見てしまった。

 ジープに負けない速さで、ひたすらに走り続ける歩の姿を。


(まだ、鍛えようってのか!?)


 死にそうな顔をしながらも、必死に体を動かし続ける歩。その姿は、見えない何かに備えているような、そんな風に見えた。

 あんなことは、余程強い動機が無くては成し得ない。

 霧人は顔を歪め、その場を歩き去った。

 理由はわからないが、歩は再び強くなろうとしている。今の時点で、あれだけ惨めな気持ちにさせられたというのに、さらに強くなろうとしている。


 それは何故か?

 誰のため?

 その力の矛先は、誰に向けられる?


 霧人は無意識に、呼吸を荒くしていた。

 内側から湧き出る感情の正体を認めることが出来なかった。

 受け入れるのが、たまらなく嫌だった。


(なんで、こんな気分にならなくちゃいけねーんだよ!?)


 霧人は無意識に、だがはっきりとした目的のため、ある場所へと足を運んでいた。

 昔から、霧人は嫌なことがあれば、必ずそうしてきた。


「そんなことしても、意味ねーんだよ……!」


 ありもしない――見なければ何も無いはずなのに、霧人は自らの意志で、破滅への道に足を踏み入れてしまった……。

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