第15話 新しい戦鬼の力!

 ~12月13日 9時46分 芝公園周辺~


 雲一つない青空の下、一組の少年少女が、芝公園周りを走り続けていた。彼らの後ろには、深緑の迷彩色で彩られたジープが、おかまを掘るように後を付けていた。すれ違う人や車のドライバーたちは、珍妙な光景の中で何気にすごい身体能力を見せる少年少女の姿に、少しだが目を奪われている。

 そのスピード、時速にして30km! 世界最速のマラソン選手の走行速度は時速20kmと言われているため、それを超えていることに、果たして何人が気付いているだろうか?


「オラオラぁ! しっかりしろー!」

「ゼェ、ゼェ……!」

「その目はなんだー! その顔はなんだー!! 必死こいて力を絞り出しやがれー!!」


 ジープの運転席から聞こえる蒼井の怒号。それを背で受けながら、歩は荒い呼吸を繰り返し、全身汗だくになりながらも、足を止めずに走り続ける。


「ほいほ~い! 歩ぅ、体の力で走るんじゃないんだってばぁー! ちゃんと、レガの力に動かしてもらう感じでやってみー?」


 歩の後ろを走る伊織は、運動量に反して全く汗をかいていない。それもそのはず、彼女は筋肉の力ではなく、厳密には妖力で体を浮かしながら移動しているからだ。


「歩よ! 繰り返すが、これは体力づくりではなく、妖力を使いこなすことが目的の訓練じゃ!」


 助手席に座る秀真の後ろから、白峰が声を張り上げる。


「これまでのお主の動きを見るに! お主が妖力を発揮するための鍵は、生存本能にあるようじゃ! ひたすらに肉体を追い込むことで、少しずつじゃが妖力が全身に流れ始めているのがわかる! それを自分自身の感覚で拾い上げるんじゃ! 難しいように聞こえるが、慣れればそうでもない! 要やお主が自覚できるかどうかじゃ!! その感覚を見出してみせい!!」


 説明し終えたところで、白峰は懐からコルトパイソンのモデルガンを取り出し、歩の顔の横めがけてBB弾を発射した。


「チッ! 上手く狙えんのぅ」

「ちょっ!? 何してるんですか!」

 

 蒼井の後ろ、白峰の隣の座席を陣取っていた沙貴が、怒りをあらわに白峰の両手を掴み、二射目を封じる。


「おぅ? 何するんじゃ! 危なかろーに」

「マジで当たったらどうするんですか!? 下手したら後頭部命中して、当たり所悪くてアレなカンジになりますって!!」

「実弾じゃないんじゃ。そう大袈裟にとらんでも――」

「モデルガンの弾を受けて人が死亡した例は、枚挙に暇がありませんよ」


 助手席から、秀真が淡々と解説する。


「当たり所が悪くて、肺が破裂した事例もありますし、もしも血管が切れてしまうようなことになれば、例えばそれが頭部のものだった場合、取り返しがつかなくなることも考えられます」

「ほらほらー! うちの学校の成績一番が言うんですから――」

「しかし、そのくらいしなければ、帳君の生存本能を刺激できないのも、事実だと思います」

「あんたとっちの味方!?」


 幼馴染の生死に関わる場面になるためか、沙貴の口調はいつもより荒くなっていた。

 しかし、そんな彼女の必死さも虚しく、白峰は楽しそうにモデルガンを構える。


「ほれほれ! 逃げ切ってみせい耐えてみせい!! できねばお主の女子が泣くぞ!!」


 白峰が、再びモデルガンを発射した。

 その弾道の先は――歩の無防備な後頭部!


「ふっぅぅ……!」


 ガクッ。

 あわや、前のめりに転びそうになった歩だったが、なんとか体勢を立て直した。

 転びかけたおかげで、歩はなんとか頭に当たりそうになったBB弾を、紙一重で回避することに成功していた。目の前ではじけ飛ぶBB弾の存在には目もくれず、歩は何事も無かったかのように走り続ける。

 その様子を、ジープの上にいる四人は無言で見ていた。


「セーフ……」

 

 ひとり、胸をなでおろす沙貴はともかくとして。


「これは……まぐれでしょうか?」


 秀真は、運転席の蒼井の横顔に問う。


「まぐれといやぁ、そうだろうがな」


 しかし、蒼井は愉快だと言わんばかりに笑う。


「けど、あいつはまだまだ自分のポテンシャルには無自覚だ。勘が鋭いくせして、っそれを頼らずに今日まで技術を磨き続けてきたわけだからな」

「それを自覚させる……全てはそれからなんじゃ。だから引っ張り出したスタンガンを構えるでない!」


 むくれるように頬を膨らませた沙貴は、ジープの座席下に積まれた段ボールの中に入れられていた数々の武器――その中の一つであるスタンガンを手に、白峰を睨んでいた。

 沙貴の妙な思い切りの良さに、白峰は思わず冷や汗を垂らした。


「しかし、経過は良好のようですよ」

 

 秀真の指摘により、車上の面々の意識が歩に移される。


「おぉーいいじゃんいいじゃん! だんだん動きが滑らかになってきたぞー!」


 伊織の声援を受け、歩の表情にわずかな余裕が生まれる。少しずつ、妖力で体を動かせるようになったことで、使用する筋力を減らすことが出来るようになってきた。溜まりに溜まった乳酸により、鈍り始めた体の感覚が、徐々に戻り初め、よりランニングのイメージがしやすくなる。


「はぁっ、はぁ……!」


 呼吸の荒さはそのままだが、歩は徐々に、妖力を体に流す感覚を得ようとしていた。その証拠に、徐々に移動が「走る」ではなく「流される」ような感覚に近くなっていくのを自覚する。歩のイメージでは、動く歩道の上を歩いているような感覚に近かった。

 この瞬間、歩は己の中の妖力との付き合い方を知った。



 ~12月13日 10時38分~


 おおよそ三十分後。場所は、区内のバッティングセンターに移る。


「さぁ、いくわよ!」

「どこに!?」


 ビニール製の緑色のネットで四肢を縛られた歩は、眼前のピッチングマシンと、それを愛おしげに撫でる蒼井を睨む。

 妖力の流れをスムーズにすることで、自然治癒力を高めた歩の体は、普段よりずっと早い回復を見せた。

 それ故に、次のステップに進むことにはなったのだが、これではまるで処刑だ。


「ていうか、これは一体なんですか!? 戦鬼の修行するんじゃないんですか! なんで的扱いされてんですかぼくは!?」

「怖いか?」

「決まってんでしょ!」

「だったら防げ! お前自身の力で!」

「手足縛っといて何言ってんですか!」

「バカヤロウ! 修行の主旨を思い出せ!」


 そこまで言われて、歩は蒼井が何を期待しているのかを悟る。

 とりあえず、悟るのだが……。


「いきなりこれは無理ですってきっと!」


 蒼井はきっと、「妖力を使ってボールを防げ」と言いたいのだろう。しかし、つい先ほど、ようやく妖力の仕組みを理解し始めた自分には、そんな真似が出来ない――歩はそう思っていた。


「出来なければ死ぬだけだ」

「具体的にはどうやるんですか!? それがわかんないんじゃ、どうにもできません!」

「さあな! 中身にでも聞いてみやがれ!」


 歩は、「こりゃダメだ」と思った。

 教育に例えるなら、今の蒼井が言っていることは、母親が子どもに見本や説明をしないで「あれやれ、これやれ」言うようなものだ。それでは子どもは何をどうすれば良いかわからないし、結果母親に怒られても、自分が何故こんな目に遭わなくてはならないのか、納得することが出来ない。

 今の歩も、同じ心境だった。


「伊織! 三橋君!」


 歩は端にあるベンチに腰を掛ける伊織と秀真に救いを求めるも、


「王手」

「うわ、キッつ!」


 こんな時に限って、二人は仲良く将棋を指していた。今回の訓練は、手伝うことが無いらしい。

 その後ろでは、口と手足を布で縛られた沙貴が転がっていた。非難されることは想定済みだったが、さすがに妨害されることはいただけない――そう判断した特務三課メンバーの総意により、この場においては寝てもらうことにした。

 危害を加えるための行為ではないため、これには歩も黙認を決め込んだが、むしろ危ないのは自分の方だと思い直す。

 そして――


「プレイボールッ!」


 ピッチングマシンから、硬式の野球ボールが撃ち出された。


「うがッ」


 白い球は、歩の側頭部に命中した。常人なら死んでもおかしくない衝撃だったが、こうして苦痛だけに留まっているのは、レガの妖力のおかげか。


「死ぬんじゃねぇぞ、歩! 幼馴染を悲しまちゃいがんて!」

「いて、イダダダタタタタダダダダッ!」


 言葉に反して、蒼井はピッチングマシンを止めてくれない。マシンガンのように撃ち出されるボールが、次々と歩の体を命中し続ける。

 歩の意識は、ここで途切れた。



 だが、蒼井は「上出来だ」と言わんばかりに笑っていた。

 歩の意識が途切れて以降、彼の身体にボールは当たらなかった。

 全て、見えない何かに触れて、破裂したのだ。

 その理由は――考えるまでもなかった。



 ~12月13日 14時22分 港警察署~


 バッティングセンターを出てからも他の訓練をこなし、少し遅めの昼食の時間がやってきた。一行は一度、特務三課の事務所に戻ってきていた。



「かぁー! 飯だ飯!」

「今日は出前で寿司を頼んどいたんじゃー! ほれ、もう届いとる!」


 子どものような笑顔を咲かせた白峰は、長テーブルの上に置かれた、三段重ねの黒塗りの寿司用桶を手に取る。そのまま、一桶ずつ手に取り、それを蒼井、伊織に手渡し、残りの一桶を自分の手元に残し、パイプ椅子に座って手づかみで食べ始めた。最初は、醤油を付けないたまごだった。


「んまぁーい!」


 口元を手で覆うことすら忘れ、白峰は興奮し始め、テーブルの上に桶と一緒に置かれた醤油を入れる小皿を手に取り、備え付けの醤油入りパックを開封。中身を皿の上に注ぎ、他のネタを食べ続ける。

 白峰に倣い、それぞれが適当に並べられたイスに座る。


「警察らしく、かつ丼でも良かったんだけどな。お前ら中学生の場合、肉のが好きって言う可能性もあったしな」


 疲労困憊の歩は、「勘弁してくれ」と心の中で思った。こってりしたものは、胃が受け付けない……。


「だいじょぶ、アユくん?」

「う、うん……」


 少しだけ膝を折り、表情を覗き込んでくる沙貴に対し、歩は無理にでも笑顔を浮かべて見せる。強くなるための訓練とはいえ、守りたいと思う人には、あまり弱弱しいところを見せたくない――男の性である。


「さっぱりしたもんなら、食べられんでしょ? つか、無理にでもなんか腹に入れとかないと、この後の訓練に耐えられないからね?」


 伊織は、中身を見せるように寿司桶を歩の前に差し出した。


「ほれ。沙貴も、二人とも好きなの取って良いよ」

「おぉ~! 伊織、なんか今日は気前良いね!」

「奢りだしね~!」


 歩の表情は変わらないが、沙貴は目を輝かせて桶の上に並べられた色とりどりの寿司を眺め、生唾を飲み込んだ。

 まぐろ、中トロ、いか、えび、うに、河童巻き、いわし、はまち、サーモン、つぶ貝、あなご、アジ、たこ、たまごetc……。


「わたしはゆっくり決めるとして……アユくんはこっちね」


 沙貴はバッグから弁当の包みを取り出し、開く。

 お重の弁当箱の蓋を開けると、そこには一面びっしりとちらし寿司が詰め込まれていた。他には何もない。


「……見栄えは綺麗だけど、なんか男っぽいカンジだね?」

「ちらし寿司はアユくんの好物なんだよ。酢飯だから食べやすいだろうし、多めに用意したらこうなってた」

「ちなみに、一人で作ったの?」

「ううん。歩の母親おばさんに手伝ってもらった」

「…………そ、そうなんだ」

「だから、ここで寿司が用意されていたという事実に、八つ当たりだとわかった上で、ムカついてたり」

「まぁ、明らかにダブルブッキングだわねー」


 伊織は、誤魔化すように笑った。出前で寿司を頼もうと提案したのは白峰だが、彼女の提案を全力で後押ししたのは伊織であるため、ある意味共犯になる。沙貴がちらし寿司を用意してくることは、完全に想定外であり、結果的に彼女の思いやりに水を差してしまったことには、少しは申し訳なさを感じていた。

 それはそうと、ちらし寿司は市販されている素を使えば、炊いたご飯に入れてかき混ぜるだけで出来ると思っていたのだが……。


「アユくん、いける?」

「…………(コクコク)」


 声もなく頷く歩。明らかに、食欲がありそうな様子ではなかった。

 

「そっか。なら、食べられそうになったら、食べてね」


 沙貴は、箸を握ったまま動けなくなった歩の肩を数回、優しく叩く。

 そのまま、視線を寿司に戻したところで、気付いた。


「三橋君はお昼どうするの?」

「? 僕は既に頂いてますが?」


 秀真は、左手に持ったバナナを掲げて見せる。

 沙貴の目に映る食べ物は、それだけだった。


「えっと……お寿司は、あんまり好きじゃないの? 警察の人達の分は、全員分用意してあると思ってたけど……」

「あぁ、あいつはバナナしか食わないバナナマニアだから。ほっとけほっとけ」


 伊織は気兼ねなく、河童巻きを手に取って口に放り込む。一応、蒼井と白峰に目を向けるも、二人とも自分の分の寿司を食べながら、ニュースを見たりスマホを弄ったりしている。秀真に分け与えようという姿勢は、一切見られない。

 そして、秀真自身、それを望んではいない様子だった。

 

「バナナは果物の王様と言われる程、栄養価の高いフルーツです。含まれない栄養素は、サプリでも飲んでおけばいいだけの話ですからね」

「そ、そうなんだ……?」

「女性にもおすすめですよ。エネルギーは93㎉と 低カロリーで、ダイエットに向いている食べ物です。1.1グラム含まれる食物繊維は、便秘の予防と解消に役立ちます。ビタミンB群はエネルギーの代謝を助ける効果があり、カリウムは摂り過ぎた塩分を調節する効果があり、現代人向けです。マグネシウムは骨の健康のために重要ですし、とにかくいろいろな効果があるということです。マラソン選手は、レース前に食べて、体の酷使に備えますしね」

「そ、そうなんだ……」


 意外というか、見た目通りというか、とにかくいつにも増して饒舌な秀真を前に、沙貴は苦笑いを浮かべて誤魔化した。

 こういうところを見ると、やはり秀真も人間なのだと思った。


「見たところ、今の帳君に穀物は辛そうですね。ここは僕も協力しましょう」


 秀真はそう言って立ち上がると、歩の後頭部にバナナを一本乗せた。


「すごいパワーを得られます。よろしければ、ご賞味ください」

「あ、ありがとう……」


 しかし、残念ながらバナナを頭に乗せられただけでは、歩の全身を支配する疲労を抜くことは出来なかった。


「うん」


 満足げに頷く秀真をそのままに、二人の少女は間に挟んだ寿司桶から、好きなネタを手に取り、食べ始めた。



 ~12月13日 15時33分 満田中学校~


 そして、本日最後の訓練メニューの時間を迎える。


「……いいんですか? 休校中なんでしょ?」


 歩達が最後にやってきたのは、学校の体育館だった。一応は休校となっているため、部活動も活動休止。誰も使用していないから都合が良いと言えば良いのだが……。


「俺、一応は教員だぜ」

「先生。生徒をジープで追い回すという行為についてはどう思いますか?」


 体育館の隅で待機する沙貴が、挙手をしながら苦言を呈する。


「歩。正直、お前がここまでレガの力を操れるようになるとは思わなかった」

「センセー、シカトですかぁ~?」


 沙貴の非難の声に呼応するように、歩の身体の傷が痛みが発する。それを自覚した歩は、感謝の念以上に恨み節を募らせていた自分に気付き、笑顔を浮かべながらこめかみに青筋を立てるという、コミカルな怒り方をする。

 そして、そんな歩の様子を、蒼井はむしろ楽しそうに見ていた。


「緻密、とは言えないまでも、自分の意志でレガの妖力を引き出すことが出来るようになった。本来、それが出来るようになるには、一年以上の修行を要する。兄貴のフォローがあるとはいえ、一日も経たない内にここまで操れるようになるとは……お前、天才だな」


 歩は、お礼代わりに、笑顔と共に首肯して見せた。

 口を開けば、「懐柔はされませんよ?」と口走りそうだったから。


「だが、お前にくっついてんのは最強最悪の戦鬼だ。他の連中と同じ足並みで満足してる場合じゃあねぇ」


 蒼井は手に持った竹刀の切っ先を、歩に向ける。


「後は実戦経験を積ませることで、より実践的な妖力の使い方を覚えさせる」


 蒼井が、歩にもう一本の竹刀を投げ渡す。それを受け取った途端、歩の表情から感情が消える。


互角稽古ごかくけいこ、ですか……?」


 蒼井は、嬉しそうに頷いた。

 互角稽古とは、相手と自分の実力や経験に関係なく、互いに全力で行う稽古を指す。 勝敗にこだわらず、色々な技を駆使して相手に臨み、 自分たちで審判をする試合稽古のようなものだ。そのため、自分より目上の人や実力者と対する時も、臆することなく果敢に攻めていく姿勢が求められる練習方法だ。

 そして、戦鬼の力を使いこなすための修行を行う中で、互角稽古という単語を持ち出すということは――、


「部活なら自主性を尊重するところだが、今回はお前の命を懸けた修行だ」


 蒼井はその身を蒼炎で燃やし、瞬時にメタリックな青鬼の姿に変身した。


「お前に宿った戦鬼レガの力……遠慮はいらねえ、ぶつけてきな」


 戦鬼ルーガに発破をかけられた歩は、唇を引き締め、右手の拳を左手で握り潰すようにして抑える。

 これは、歩なりの武者震いだ。


「へぇー。先生、本気だぁ?」

「随分思い切った手法を取りますね。帳君とはよく稽古をしていたことは聞いていましたが」

「ふふーん。アユくんはね、ホントはめちゃくちゃ強いからね」

「「?」」


 伊織と秀真は、互いの間に立ち、得意げに腕組みする沙貴を見る。


「アユくんはね、小学生の全国大会で優勝したことあるんだから!」

「え? マジ!?」

「それは、本当ですか?」


 伊織と秀真が興味深げに見てくるものだから、歩は苦笑しながら目を背けてしまう。


「……昔の話だよ」


 歩はすぐに表情を引き締め、ルーガと向き合う。

 蘭霧人との問題を乗り越えた歩にとって、彼を負傷させてしまった小学校時代最後の試合は、罪ではなく、あまり思い出したくない反省点となっていた。勝負に挑む者の礼儀に欠けていたために、そこから発生した勘違いのせいで、半年近く時間を無駄にしてしまった。

 そうならないためにも、目の前で起きることには、全力で取り組む。


「ならば、ちょい待てい」

「おっと」


 白峰が、歩に紺色の剣道着を投げ渡した。


「剣を振るんじゃぞ。ジャージなんて俗っぽいのはやめて、そいつに着替えるんじゃ。その方が雰囲気あるじゃろ」

「いや、よくわかんないですけど――」

「あぁ、そりゃ良いな」


 ルーガが、白峰に同調するように頷いた。


「服装がそいつに与える影響の大きさってのを失念してたぜ。剣握るんなら、確かにジャージよか着物だな」

「現代人にはよくわからない感情ですね」

「断ったら志望校にお前の悪評を吹き込んで将来という意味での進路を妨害してやる」

「何ですかその脅迫の仕方……」


 歩はため息をつき、一旦男子用の更衣室に入る。そして、ジャージを脱ぎ捨て、ロッカーの中にぶち込む。それから、紺と黒の剣道着を身にまとい、立てかけた竹刀を手に取り、再びルーガの前に立つ。


「しかめっ面浮かべやがって。そんなに剣道着は嫌か?」


 ルーガは歩の腑抜けっぷりに眉をしかめかけたが、


「すごく……臭いんですけど……」


 しかめっ面の原因が別にあることを知り、笑う。

 何故か気付くのに時間がかかったが、歩の着ている剣道着から漂う悪臭は、確実に洗濯しそびれた、嬉しくない懐かしさを感じさせるものだった。


「えりすぐりの物を選んだ」

「ひ、酷い……」

「幽霊部員に対する愛の鞭だ。気にせず受け取れ」

「イビリですよこれじゃあ……」

「反抗的なガキだな! いくぞ始め!」


 ルーガが一方的に試合開始を宣言、瞬時に歩に肉薄する。


「しゅくち――いたたッ!」


 ルーガの面を狙った一撃が、歩の左肩に落とされた。咄嗟に首を捻ったのは、ほとんど無意識だった。


「そんなんじゃダメ! ダメよ、ダメダメ!」

「いたたたたったたあ!」


 四方八方から繰り出されるルーガの剣戟に、歩はなす術もなく打ちのめされる。


「何やってんのアユくん!」

「先生の脳天に、雲燿うんのうの太刀叩き込んでやれー!」

「帳くん、そのままでは何もなりません! 反撃しないと!」

「そ、そんなこと言われても……」


 他人事のような外野の物言いに、歩は若干苛立つ。

 実際、歩はよくやっている方だった。舌を巻く程に速く、重く、そして鋭いルーガの剣は、一撃防ぐだけでもかなり神経をすり減らす。当たっても死なないとわかっていても、反射的に避けなければならないと思わされる、そんな威圧感があった。虚を突かれた始めの一本を除けば、相応に消耗しているものの、すべて捌き切れている。

 だが、それも限界を迎える。


「ほらほらほらほらほらァ~!」

「うわッ!」


 ルーガの竹刀が、歩の額を打ちつけた。


「一本! それまで!」


 白峰がルーガの勝利を宣言する。しかし、


「よし、もう一試合だ」


 ルーガは次の仕合を急かす。


「どぉぉぉ……」

「ちょっと待って! とは言わせんぞ。実戦でも同じこと言うつもりか!? 女々しいのは歌の中だけにしとけ!」

「……………いや、そりゃないでしょ」


 積もりに積もった鬱憤が、一気に膨れ上がった。

 そして、歩の中で何かが切れた。


「……ぅぅぅおおおおお!」


 歩は立ち上がると、外敵と対峙する獣のように表情を歪め、ルーガと打ち合いを始める。防戦一方だった前の仕合とは異なり、今度は歩が怒涛の連撃を繰り出す。


「ふっ! おっとっとっとっと!」


 しかし、ルーガは余裕の表情を崩さず、丁寧に歩の竹刀を受け流し続ける。それどころか、さらに歩を挑発するべく、イヤラシイ笑みを浮かべる。


「どうしたどうしたぁ! もう音を上げちゃうかぁー?」

「イヤァーッ!」


 歩の居合にも似た顔面への一撃が、ルーガの鼻先をかすめる。ルーガにも勝るとも劣らない、音速に迫る一閃。

 これには、他の面々も目を丸くした。


「……これは驚いたのう」

「全国大会優勝の肩書き、伊達じゃないんだからね!」


 呆気にとられる白峰に、沙貴は再度実績の重さを主張する。


「問題はそこではないでしょう」

「訓練と言えば、訓練なんだけど……」


 秀真と伊織は、ルーガの構えに目を向ける。

 ルーガは、正眼の構えから、無造作に手を降ろしていた。一見、相手を侮辱しているようなスタイルだが、それが意味するものを秀真と伊織はよく理解していた。対峙する歩でさえも、ただならぬ気配に身を強張らせる。

 無駄な力を排した、徹底的に相手を仕留めるためのコンディション。

 歩は、己の剣の腕だけで、戦鬼ルーガを本気にさせたのだ。


「まさか、先生が無意識に本来のスタイルになっているなんて……」

「あ~んなチンピラみてぇな動きで、よ~く刀使えるもんだよねー」

「先生程の腕力の持ち主なら、それも可能だということでしょう。かの、二刀流で有名な宮本武蔵は、人並み外れた剛腕の持ち主だったともいいますし」

「それを怖がらずに突っ込むんだ、歩も相当な肝っ玉だ」

「自覚のない自信、とでもいうべきなんでしょうか――っと、これは!」


 秀真が目を瞠る中、歩がルーガの懐に飛び込む。


「トァー!」

「ぬおっ!?」


 歩が下から突き上げた竹刀を、ルーガが上半身をのけぞらせて避ける。

 だが、それは歩の予想通りだった。


(ここで!)


 柄をルーガの鳩尾に叩き込み、呻いた瞬間に面を振り下ろす――はずだったのだが、


「勝つる! なんて思ったら大間違い!」

「ッ!」


 気付けば、歩は竹刀を手放していた。ルーガのサマーソルトキックのよって、歩の竹刀が蹴り上げてられていたのだ。

 そして、すかさず振り下ろされたルーガの竹刀に面を打ち付けられたことに気付くのに、数秒を要した。


「…………」


 勝利を確信した歩は、自分の予測を上回られたことを自覚し、大きく息を吐いた。


「……やるじゃねえか」


 ルーガは獣のような笑みを示しながら、拾い上げた竹刀を歩に差し出す。

 まだやれるよな? ――瞳は雄弁に語っていた。

 歩は、無言でそれを受け取る。そして、二人は距離を離し、改めて互いを見据える。


「いくぜ、歩ゥ!」

「ッ!」


 歩とルーガが互いに肉薄、鍔迫り合いを始める。

 そこで、白峰は歩の動きを凝視し、目を瞠る。


「なるほどのぅ」

「どうしたの、白峰さん?」

「帳歩の動きが……だんだんと洗練されてきておる」

「そうなの? まぁ、さっきよりはやられる! ってカンジはしなくなったかもしれないけど……」


 白峰は得意げに微笑むが、剣道初心者の沙貴から見れば、初めよりかは防御が上手くなっているとしか認識できなかった。


「剣道久しぶりって、本当なんじゃなあ。躍動感っちゅーんか? そんなカンジで、戦うことに体が慣れとっとる。たった数分の間でじゃぞ」

「蒼井先生も、腕の立つ相手との手合わせに飢えていましたからね。それがようやく戻って来たわけですから」


 秀真は、どこか安堵したように、歩とルーガの打ち合いを眺める。


「よく、この半年近く我慢できたのう」

「レガの一件が起きる前は、頻繁でした。蒼井先生が帳君を目に付けていたのは、赴任してすぐでしたから」

「剣道バカの隊長に目を付けられたのが運の尽きってわけじゃな」

「まぁ、おかげで僕としては静かに時間を過ごせたから良かったわけですが」

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 歩の怒号が響く。

 歩の竹刀が、蒼井の左肩に落とされていた。


「大分キレが増してきたじゃねぇか!」


 獣のような笑みを浮かべながら、ルーガは歩の竹刀を弾き飛ばす。


「うわッ!」

「なんで、それを蘭にお見舞いしてやらなかった!?」


 ルーガの竹刀が、歩の左のわき腹に叩き込まれる。これまでとは比較にならない速さで、歩はまるで反応できない。


「くッ!」

「剣道の理念だとか、そんな小奇麗なご高説なんかが足枷になっちまったか? それを守ったところで、誰かを護れたか?」


 振り上げられた竹刀が、今度は歩の顎先を捉える。


「ぶぐっ!」

「むしろ、お前があいつをのしてやれば、あいつをあそこまで調子づかせることはなかったんじゃないかって、そうは思えないかねぇ!?」


 横薙ぎの一閃が、歩の右頬を打ち抜いた。


「ぐあッ!」


 床に倒れ伏す歩に、ルーガが頭上から宣告する。


「……歩。はっきり言ってやる」

「な、にを……?」

「痛みを恐れるな」

「えっ?」


 透き通るような言葉に、歩は目を見開いた。


「今のご時世、調和だの横のつながりだの、腑抜けたことを言う輩が増えてやがる。そりゃ、確かにそういう繋がりがあるこたあ理解できるし、軽視するつもりもねえが……基本、人は独りだ」


 ルーガは、沙貴に竹刀の先端を向ける。


「女を守るため。それも良いだろう……けど、もしそれが無くなったら……いや、そのために彼女に嫌われたらとか、そんな風に思っていたから、それが嫌で蘭にやり返さなかった。乱暴なヤツだと、嫌われるとか思ってたんだろうからな」

「そ、そんなこと…………」


 歩は反論しようとしたが、すぐにルーガから目を逸らした。

 腹立たしいが、彼の指摘は全て的を射ていた。その自覚を、歩はもっていた。 


「ぼくの、せいなんですか……?」

「お前は悪くない。だがそれだけだ」


 ルーガは断言する。言っていることが支離滅裂に思え、歩は眉をしかめる。

 

「けどな、歩。周りに合わせることばかり覚えてると……それに慣れちまうと、人ってのはな、何か失敗した時に、そいつのせいにしちまうんだ。あいつがああしたいって言ったからーとか、こういう風にしようってみんなで決めたからーとか、都合のいい思考の逃げ道をその集団に求めて、自分の至らなさに目を向けることを忘れてしまう……それは、自分の情けないところを知ることから逃げているのと同義だ。傷つくことを恐れてるってのは、そういうこった」

「先生……」

「そのための覚悟を……勇気をもつことが出来るようになれば、お前ならレガの力くらい、簡単に使いこなせるようになるはずなんだ」


 蒼井の表情が、いつになく神妙になる。


「歩。強くなれ」

「えっ――」

「戦鬼とか妖力とか関係なしに、お前自身が納得できる行動をとれるようになるために……今ここで、強くなれ。それが、お前の望む結果につながる。断言してやる」

「先生……?」

「本当は気付いているはずだ、お前も。だから話したんだ。話したし、その理屈を俺なりに伝えたつもりだ。お前がこれまでのことで得た経験や決断を、俺は全力でそれを肯定する。背中を押してやる。だから、お前は絶対強くなる」


 ルーガは、再び戦闘態勢を取る。


「俺を倒せるようになるまで、徹底的にしごいてやる」

「そ、それはちょっと……」


 あまりにも無理な注文だった。

 実際に手合せをしたからわかるが、ルーガの力量は歩を凌駕している。何回かはこちらの攻撃が当たったこともあるが、それはルーガが故意に受けとめたものだと、歩だけが理解していた。


「なんだ? 無理だってのか?」

「そ、そりゃそうですよ! ぼくと先生とじゃ、年季が違い過ぎ――」

「そういうところを直せってんだバカヤロー!」


 ルーガの妖力を伴った一振りが強烈な突風を巻き起こし、歩の体を持ち上げた。


「うわぁ!?」


 背中から地面に落ちた歩は、数十秒むせる破目になった。


「出来るとか出来ないとか、そんな数字なんか気にしてるからそうなんだ! そういう意味では、お前はまずバカになる必要がある。よって、お前は今から面百連発で倒すと予告しよう」

「生徒の頭をカチ割る気ですか!?」


 ルーガの一撃ともなると、アンパンマンのように顔が膨れる前に、血の噴水が噴き出ること山の如しだ。


「歩よ。花火はさ、日本の伝統文化だよな?」

「じ、児童虐待で訴えてやる!」

「生意気なことほざいてんじゃないよ歩のクセに!」

「わぁぁぁ!」


 ルーガが竹刀を振る度に強風が巻き起こるものだから、歩は目を回しそうになりながら逃げ惑うしかなかった。


「……急にコントじみた戦いになっちゃった」


 沙貴の呟きを皮切りに、全員がため息をついた。


「ああもバカげたことに命かける少年が気の毒じゃの」

「珍しく良いこと言ったと思ったら、これなんだもんなぁー……」

「蒼井先生にも困ったものですね」


 外野はのんきにしていたが、歩としてはこのままでは死にかねないため、必死に体を動かす。


「くそ! このままじゃ――」

『いいじゃねえか』


 刹那、歩は時が止まったような感覚に陥った。

 そんな中で、あの人の――紅郎の声だけが響いて来る。


『めちゃめちゃ勝手に言いやがる野郎じゃねえか。遠慮なくぶっ殺しちまいな』

「お、弟なんでしょ? 良いんですか、容赦とかしなくて」

『お前が遠慮するような立場かあ? さっき自分で認めたろうが、あいつのがつえーってな』

「それは、まぁ……」

『だったら、遠慮なくぶつけちまえ。あいつが寄こせっつったことなんだからな。それでくたばったら、むしろ幸福ってもんだろうが』

「…………………………それもそうか」


 歩は納得し、意識を現実に戻す。

 そして、意識を研ぎ澄ます。

 さすがに殺すことを目的とはしないが、ハチャメチャな力を振り回すあの手と得物は、ぶっ壊してやりたい。そのために必要なものを、出来るだけシンプルに考える。

 固さ。

 瞬発力。

 リーチ。

 それらを満たすために必要なもの。妖力。

 体? 変えられる力があることに気付く。だけど全部はいらない。

 止められたら困る所は? 手足。後は過剰だ。リスクを背負うことも大事だ。そのための覚悟でもある。

 後は、イメージ。


「…………………………ッお! オオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 そして、導き出した結論こたえが、歩の奥底に秘めた感情を吐き出させた。  

 無鉄砲にルーガに突っ込む歩の身体は、瞬時に変化していた。

 右腕の肘から下、左腕は丸ごと、衣類に隠れているが両脚の膝回り、全てレガのものに変わっていた。力の発現の証として、瞳の色が黒から赤の輝きを放つ。

 そして、握った竹刀が、刃渡り三メートルほどの赤いレガ刀になった。身の丈以上の獲物による一撃は衝撃波となり、ルーガの竹刀を消し飛ばす。


「おぉ! あれは、彼奴の精神世界で見せた武器ではないか!」


 白峰が興奮しながら、レガ刀を眺める。沙貴たちも、言葉を失いながらも、驚愕に目を剥いていた。


「なるほど。じゃあ今の姿は、その刀を使うために必要な下準備ってわけか」


 無意識に得た姿に、歩は静かに驚き、戦意を高揚させていく。

 そして、眼前のルーガが青く輝く刀を手に取ったのを見て、それを爆発させた。


「つあああああああああああ!!」

「っしゃあああああああああ!!」


 そして、二人は互いの刀を打ち合わせ続けた。

 二時間後、激しい打ち合いによる衝撃により、他の面々が白峰の妖術による光の壁に守られていることに気付き、歩は沙貴や友人達を危険に晒した事実を自覚し、深く恥じた。

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