第11話 ルーツ
~12月11日 20時24分 織部家~
歩の指示通り、自宅に帰った沙貴は、着替えもせずに自室のベッドの上で膝を抱えていた。
「アユくん、大丈夫かな……?」
あれから、何度か歩に電話やLINEをしてみたが、全く反応は無かった。LINEの方は既読すら付いていない。スマホを弄る余裕すら無いらしい。
「やっぱ、変なことに首突っ込んでるんじゃあ……」
その後、両親と夕食を食べる。その時に見たニュースによると、例のクマみたいに大きなロボットは、廃校のグラウンドで爆散したらしい。コメンテーターとして番組に招かれた、どこかの大学の教授は、日本を内部から混乱させてやろうと画策している外国のテロ組織による工作であると予想していた。
ロボットの爆破に関する真実はどうあれ、物騒な話であることは間違いない。田町駅周辺の道路には、例のロボットによる銃撃、その弾痕が至る所に残されていたという。死傷者が出なかったから良かったものの、日本では所持することすら禁じられている銃火器が使用されたのだ。開発者は、間違いなくイカレている。
追って、学校の連絡網が機能する。
この事件を受けて、満田中学校はしばし休校となることが決定した。先日の生徒殺人事件に加えて、銃火器を乱射するロボットの出自がわからないこの区域に、子どもを歩かせるのは危険だと判断したようだ。
そんな厄介事に、歩は関わっているのだろうか?
部屋に戻り、再びスマホをいじる。
歩からの返答は、無い。
「……ちゃんと出てよ、ばか」
沙貴は、スマートフォンの画面に表示される『アユくん』の字を眺める。
もしかしたら――と思い、ライムグリーンの受話器のマークをタップする。
十数回鳴らされたコール音。
それを止めたのは、沙貴だった。
~12月11日 20時30分 旧
「まったく、驚いたもんだ」
同族を見た影響なのか、蒼井はレガの姿になった歩を見て、恐れるどころか愉快そうに笑う。
「もう、二度と見ることは無いって思ってたのによォ。まさかまさかの零破の時代に出てくるなんてな」
「あ、あの、先生……何言って――ていうか、何か知ってるんですか?」
自然と、口から追求の言葉が漏れていた。
自分以外にも戦鬼がいることは、伊織のこともあるから驚くことではないかも知れないが、まさかこんなに近くに潜んでいたとは、出来過ぎた偶然だと思った。
「今は、そんな野暮な話は置いとこうや」
蒼井はどこから取り出したのか、日本刀を手に持ち、抜く。抜き身の刃が反射する蛍光灯の光は、紛れもなく真剣の輝きだ。
「俺と戦え」
「はい?」
「久しぶりに稽古をつけてやる」
「あの、今はそんなことしてる場合じゃ――」
「やり合えねぇってんなら、人の言葉が通じない化け物とみなして、世界中にお前のことを公表させてもらうぜ」
「うわぁ……」
教師から生徒への言葉とは思えない、下劣な発言だった。
しかし、彼の言う通りになってしまえば、家族や沙貴にも迷惑が及ぶかも知れない。それだけは避けなくてはならない。
そして、蒼井はそんな歩の心情を、限りなく正確に読み取っている。
歩にしてみれば、一方的に思考を読まれるこの状況は、不利の一言に尽きる。
これを覆すために、歩に出来ることは――
「……怪我じゃすまないかも知れませんよ?」
全身から闘気を漲らせ、蒼井を睨む。
完膚なきまでの完全勝利。
そうすることでしか、歩は沙貴たちを安心させることが出来ない。そう思った。
「それを待ってんだよ!」
蒼井がいきなり斬りかかってきた。
歩は右腕で刀を受け止めようとするが、
「ッ!」
咄嗟に体を後ろに倒し、相手の斬撃の軌道から逃れる。仰向けになって倒れる形にはなったが、蒼井はむしろ「感心した」とばかりに口角を吊り上げた。
「ほほう? よく躱したな。当たってればスパッと切れてたはずなのによ」
歩は、蒼井の言葉が誇張表現だとは思わなかった。
彼の手に宿る得体の知れない気配は、鋼鉄のロボットを容易く握り潰せる程に頑強なレガの身体を、両断できるだけの切断力を刀に与えている――そう感じた。
チキィンッ!
金属の弾ける音がした。
歩は背後に振り返ると、転落防止の錆びた鉄格子が、袈裟斬りにされていた。スルリと床に落ちて音を鳴らす鉄格子を一瞥し、歩は気を引き締める。
――本気で戦わなくては、負ける。
歩は立ち上がり、姿勢を低く保ちながら、眼前の蒼井を睨む。
しかし、
「カッハハハハ! OKOK、今のだけで充分だ!」
蒼井は刀を鞘に納め、空に放り投げた。すると、刀は空中で粒子状に分解され、目に見えなくなった。同時に、腕も人間のそれに戻っていた。
「今のは――」
「今のが、俺の戦鬼としての力の一部だ」
蒼井は腕組みをしながら、破顔する。
「歩の中に、いるんだな? ……兄貴」
「えっ?」
蒼井が、歩を見る。
いや、歩の顔に、誰の顔を重ねているように見えた。
そこで、歩は初めて気づいた。
(先生の顔って、レガの人間の姿に似てる……か?)
蒼井の、少し青みがかった黒髪を赤く染めれば、彼の姿形は人間のレガと瓜二つだった。
『似てて当たり前なんだよ』
歩の体から、レガが分離される。それに伴い、歩の身体は元の姿に戻った。
『コイツとオレは、双子なんだからよ』
「ふ、双子!?」
「ま、そーゆーこった」
蒼井は、歩とレガの姿を交互に見比べる。
「ったく、マジのマジに、兄貴なんだな?」
『そうだよ。見りゃわかんだろうが』
「そう思えねーくらいの面倒事引き起こしたヤツが、よく言うぜ」
悪態をつく蒼井だが、身にまとう空気は、田舎町の草原のように穏やかなものだった。
「
『さぁね』
急にそっぽを向くレガ。その光景を、歩は唖然となって見守っていた。
『てーと、何か? もしかして、オメーずっと歩を見張ってたってか?』
「そうだよ。必ず、何か引き寄せてくるって思ってたからよ」
「あ、あの、一体どういう――」
歩がつぶやくと、レガと蒼井は同時に振り返った。
「お前とレガ……兄貴の出会いは、必然だったってことだな」
「必然……?」
「そうだな。まずはいきなり爆弾食らわしてやるとするか」
蒼井は歩の背後に回り、両肩に手を置き、レガに向ける。
「あれな、お前のご先祖様なんだよ」
「………………………………へっ?」
いきなり、訳の分からないことを言われた。
レガが、ご先祖?
「ご……センゾ?」
「そそ。先祖」
歩は、頭が真っ白になった。
クマみたいにデッカくて、乱暴で、電気に溶け込めるようなヤツが、ご先祖様? あんな化け物から生まれた人達から生まれ、生まれ……繋がってきた先にいるのが、真面目なだけが取り柄の自分?
悩み、それでも関係性を理解しようとするが、出来ない。まるで、油まみれの床の上に立ち、100メートルを全力疾走しろと言われているようなものだ。そんなん出来っこない。足を滑らせ、後頭部ぶつけて気絶するのがオチだと思った。
しかし、蒼井の表情は、楽しそうではあるものの、決して茶化すような雰囲気ではない。
つまり、彼は事実を話している。
「あの日、お前を食い殺そうとしたけど内側から反撃食らって我に返ったバカな化け物は、お前のご先祖様なんだな」
「……………………あ、もおいいや。楽になろう」
リラックスしたかった歩が取った手段は、白目を向いて倒れることだった。
さすがに、いろいろとついていけない……。
「そりゃショックだろうなぁ~」
『てめえ、そりゃどういう意味だ?』
「言った意味の通りだろうが。鏡見て言いやがれってんだ」
『これか? イカしてるだろうが』
「……まぁ、あんたがそれで良いなら俺は構わんが」
楽しそうで何よりだが、そこに混じる余裕が、歩に残っているわけがなかった。
◇◆◇◆
少し気分が落ち着いた所で、歩は再び蒼井との会話を再開する。しっかりと腰を落ち着け、三人で焚き火を囲うように並ぶ。
「元々、俺達は安土桃山時代の人間だった」
「そんな昔!?」
初っ端から、驚愕の事実をぶちまけられ、歩は早速頭痛がした。
「……ざっと、四百年くらい前じゃないですか!」
「そうだなぁー。軽くそんぐらいするんだろうなぁ~。俺、おじさんどころの話じゃあねえわぁー」
しみじみと語る蒼井をそのままに、歩はレガを見る。
『四百年生きてると、スゲーのか?』
「……スケール違い過ぎるから、肯定も否定も出来ないなぁ……」
たかが十四年しか生きていない歩には、何百年もの間を生きている人の記憶や価値観を疑うことすら出来なかった。
「俺達兄弟は農民の出だったけど、腕っぷしの強さだけは自信があってな。その内、織田の軍に入って、ある化け物退治に出かけることになった。……歩、化け物って何だかわかるか?」
「ヤマタノオロチ……とか?」
歩は、伊織に見せてもらった手帳の内容を思い出していた。
「そうだ。伊織からちゃんと話は聞いたみてーだな」
「先生、今日ぼくらが会うこと、知ってたんですか?」
「あぁ。カミさんから聞いた」
急に知らない人間の存在を聞かされ、首をひねる。
「なんで急に、先生の奥さんの話になるんですか?」
「俺の嫁は伊織の姉貴なんだよ」
「…………あ、すいません。そろそろ頭が痛くなってきた」
胡坐をかいたまま、歩は項垂れた。
世間は、歩が思っている以上に、狭いのかもしれない……とか、のんきなことを考えてしまった。
「おう? もしかして、ショックだったか? 恋は早い者勝ちって知らねえの?」
「先生、その冗談は笑えませんよ?」
歩には既に、心に決めた女性がいるのだ。
「だよなぁ。お前にはもうお姫様がいるもんな」
「そうだし、そもそも会ったことのない人に恋するとか無理でしょ」
「そりゃそーか」
豪快に笑う蒼井の姿は、いちいちレガと被って見えた。
「話を戻すと、だ。その時代に現れたヤマタノオロチってバケモンが出てきて、織田信長は俺達のいる隊に、その討伐を命じたわけだ。で、実際にそいつがいる山ン中まで、雁首揃えて足を運んだっつーわけよ」
「さっきはスルーしちゃったけど、先生、本物の織田信長を知ってるってことなんですか? なんか、別の意味ですごい話になってきてんですけど……」
「生憎、俺達は直接信長の顔を見たわけじゃねえから、歴史書の修正とかそーゆーのは出来ねーんだわ。……そうだな。そこんとこは追々ツッコまれるだろうからあらかじめ宣言しとくが、俺らはお前達が使ってる歴史の教科書に載ってる人間とは面識ねーから、そこんとこヨロシクな」
「なぁーんだ……」
歩は露骨にガッカリして見せた。部活を通じて師弟関係を築き上げた者同士ということで、歩の蒼井への対応は、下手な友人よりもフランクなものになっている。
「まぁそんなのはどうでもいいじゃねえか。今はそれよかもっと重大なことがあるんだからな?」
「そ、そうでした……」
何の話かは知らないが、蒼井は歩のもつ疑問に対する回答をくれると言っている。
一言一句、聞き逃すわけにはいかない。
「山奥の洞窟の中にはな、話の通り、でっかい怪物がいた。この校舎みたくデッケー、尻尾が合体した八匹の蛇がな」
「でも、先生たちは勝った……」
「そりゃな。こうして生きてるわけだし。けども、百で挑んだってのに、生き残ったのは俺と兄貴を含めて、八人しかいなかったよ」
「……壮絶ですね」
歩は考える。
相手は、人間よりもはるかに大きな体躯の化け物。それを討伐するために派遣すべき兵力とは、如何ほどのものか。
敵は山奥。洞窟の中。所在ははっきりしている。
戦いは数。しかしながら、このようなケースの場合、無駄に人数を割いても、実際に戦いに出れる人間は限られてくる。相手は単体で、しかも森の中という開かれていない空間だからだ。
装備させ充実させれば、それほど多くなくとも良いのでは? と考えた、当時の兵の思惑は、間違っていないと思う。正しいやり方もわからないけど。
「実質、相討ちみたいなもんだと思ってるよ。その証拠に、生き残った俺達討伐隊は、装備も兵糧も何もかも失くしちまってたからな」
「…………」
「んで、勝ったはいいが、ロクに動けねーで腹ばっか減ってくる状態になったわけだ。オロチの化け物っぷりは周りの野生動物にも伝わってたみてーで、あいつら死体にすら近づこうとしなかったからな。狩りも出来なかった」
蒼井は、「さて、ここで問題だ」と続ける。
「俺達は、どうやって飢えを凌いだと思う?」
歩は、少しだけ考えるフリをした。
身動きできず、道具もなく、獲物も近寄らない。
ならば、答えは明白だ。
「……食べたんですか? ヤマタノオロチを」
「そうだ」
『んで、こんなんなっちまった』
レガは自分の身体を見下ろした後、歩を見据える。
それと同時に、見覚えのある人間の姿に変わった。
髪と瞳の色以外は、蒼井とほぼ瓜二つだった。
「こうしてみると、ホントに正気に戻ったってわかんな。
『余計なお世話だっつーの』
「世話してんのは子孫だぞ。迷惑かけんな」
『知るか!』
短い会話の中でも、歩は二人の間に血族特有の温かみを感じた。
「それで……どうして、その、レガは――あいや、紅郎、さん? ご先祖様って言った方が良いのかな……?」
『レガで良い。ご先祖様なんて言われるようなヤツじゃねーし、今はもう、本名を名乗る意味もねぇ。今まで通りに扱え』
「は、はい……」
元来、生真面目な歩にとっては抵抗のあるレガの申し出だったが、本人がそう言っている以上、それに従うのがベストだろう――そう思い、それに倣うことにした。
「こうして話してる分には普通の人なのに、なんでレガはあんな風に……人間を食べるようになっちゃったの?」
レガは、何者かによって操られたから人を食べたのだと話していた。
その正体が、わかるかも知れない。
「そのためにも、まずは戦鬼になった時のことも軽く触れておこうな」
蒼井は、レガを指差す。
「オロチの肉を食らった俺達八人は、その場で揃って、戦鬼に変化しちまった。しかも、死にたてホヤホヤってんで、そん時に残ってたオロチの精神の残滓みたいなのが、やたら強力でな。俺らの思考を塗り潰そうとして、結果全員がおかしくなっちまったんだ」
「じゃあ、レガを操ってたっていうのは――」
『違う』
レガはつまらなそうに、歩の指摘を遮るように、断言した。
「で、でも……そう考えれば、辻褄は合うんじゃあないの?」
「いや、今のは兄貴のが本当だ」
蒼井までもが言い切った。
「順を追って話すっつったろ? その理由も、これからの話にあるからよ」
「は、はい……」
遠回しに「静かに聴け」と言われ、歩は閉口する。
「他の連中はその場で同士討ちを始めちまったんだが、俺と兄貴は咄嗟にその場を離れていった。それからのことは朧げだが、確か俺は本能寺に向かったあたりで意識が途切れちまったな」
「本能寺って……まさか!」
「いや、記憶にはねーんだけどさ……そのまさからしいんだわ」
歩は、固唾をのんだ。
その話が本当なら、歴史の教科書の内容がガラッと変わる。
蒼井はばつが悪そうに笑いながら、視線を明後日の方向に向け、話を続ける。
「意識がはっきりした時には、明智光秀の軍に拘束されちまって、ボコボコにされちまった。ただ、そのおかげで血が抜けて動けなくなって、でもおかげでオロチの支配が弱くなったんだと思う。冷静になって話が出来るようになってからは、光秀といくつかの密約を交わすことを条件に、見逃してもらった」
「密約って――」
「戦鬼の討伐とか、存在の秘匿とかだな」
蒼井は、レガに目を向ける。
「俺や兄貴、他の仲間達も含めて、戦鬼という存在を歴史から抹消すること。人類全体が混乱することを恐れた明智光秀は、それを条件に俺を見逃してくれた。まぁ、あいつの考えることはわかるから、俺もそうするために動き出して、兄貴や他の仲間を探すことにしたんだ」
「明智光秀が本能寺の変で織田信長を討ち取ったって話は、戦鬼の存在を隠すための作り話ってわけか……」
「だな。歴史的な事情とか、そういう関係の尻ぬぐいはあいつに任せて、俺は戦鬼になった自分の能力を確認しながら、仲間を探した」
「ほわぁー……」
織田信長の首は現在も見つかっていないらしいが、それも当然の話だった。
彼の肉体は、既に青の戦鬼の腹の中で消化されてしまっているのだから。
「んで、兄貴以外の連中は、全員死んじまったことを確認した」
「死体とか、見つけたんですか……?」
「そうだな。けど、そこで終わりじゃなかったんだが……まずは俺らのことに集中させてくれ」
「あ、はい」
また話がややこしくなるフラグが立てられてしまったが、そもそも隠蔽された事実の解明とは、こういうことの連続だ。
歩はそう割り切り、蒼井の話を傾聴する。
「次に兄貴と鉢合わせたのは……今でいう青森県の村だった」
「青森って――」
「知ってるよ。お前のご両親の故郷だ」
「な、なんで――」
「順を追って話す」
「は、はい……」
とにかく、話を聞け――とのことらしい。
「そこで俺が見たのは……兄貴と兄貴のカミさんが、同士討ちするようにして倒れていた姿だった」
「ッ!?」
歩は息を呑み、レガを見る。
レガは、目を細めながら、星空を見上げていた。
今は亡き、誰かを想うように……。
「そこで、兄貴のカミさん……
(だから、直接やられたレガは、自分の中のオロチの残滓は関係ないって断言したのか……)
「後は、同じ浄化の力を秘めた、特別な力を秘めた刀もな」
蒼井は懐から黒塗りの鞘に納められた小太刀を取り出した。
「この刀……『
「人を守るために、ですか?」
「そーゆーこったな」
蒼井は再び、虹蛍を懐にしまった。
「そうしながら、俺は今の今まで、戦鬼が歴史の表に出てこないよう働きかけてきた。それと同時に、兄貴と青江さんの忘れ形見が……歩、お前の血族が元気に暮らしていけるよう、見守ってきたつもりだ」
「先生が……父さんと母さんのことまで……?」
「そういうこった。まぁ、ご存じリンゴの美味い場所でもあるからな。たまにあそこらのアップルパイの味が恋しくなるんだな」
「そう、なんですね……」
歩は静かに感銘を受けた。
蒼井の言葉に、ウソはない。それはレガが否定しないことからも証明されている――そう思っている。
自分達が今日、こうして生きていける裏で、世話を焼いてくれている人がいてくれる事実は、心に温かさをもたらした。
だからこそ、歩は気付いてしまった。
「せ、先生……」
「ん?」
「もしかして、ぼくが蘭君たちからいじめを受けてた時に助けてくれなかったのって……レガが関係したりしてます?」
「そりゃもう、ガッツリとな」
「えぇ……」
蒼井は、あっけらかんと言い切った。
「青江さんを看取って以来、姿を消した兄貴が……というか、兄貴の力を偶発的に受け継いだ誰かが、歩を狙ってくる可能性があると思ったからな。初代の戦鬼の血族には特に強く引き継がれるっていうことは、統計的なデータから調べが付いてるからな」
上げて落とす。
感動から一転して、容赦のない合理的な選択に、歩は脱力してしまった。
「だからこそ、見た目はクールでも中身はブレにブレまくったもんだぜ。なんせ、姿を消したはずのレガが兄貴のまんまで、しかもその意識をお前が目覚めさせちまったってんだからな。いやはや、わかんねーことだらけだわ」
「そんなこと言われても……」
「いやいや、俺は礼を言いてーんだって」
蒼井は、歩の両肩に手を置き、頭を下げた。
「ありがとよ、歩。兄貴を助けてくれて」
「先生……」
「見ての通り、腕っぷしの強さしか取り柄のねーバカだけどよ、それでも俺の家族であることには違ぇーねえんだ。二度と会えないと思ってたのに、こうやってまた話が出来るようになって……なんつーかさぁ……」
「……いえ。気にしないでください」
声を詰まらせる蒼井に、歩は微笑を浮かべて見せる。実際、どうしてこうなったのかわからない歩には、こう答える他なかった。
これまでの扱いには思う所が無いわけではないが、こうして数百年もの間、生き別れていた兄弟が再会出来た――それだけでいいじゃないか、と思った。
「それじゃあ、ぼくがレガに選ばれたのには、ちゃんとした理由があったんですね?」
「あぁ。つっても、この厄介な状況の中でお前みたいなのが出てきてくれたのは、悔しさ半分、嬉しさ半分ってカンジだがな」
「悔しさってなんですか、悔しさって」
呆れたように尋ねる歩だが、
「お前達だけは、巻き込みたくなかった」
すぐに茶化せる雰囲気ではないことを悟り、言葉を失う。
「歩。今まで、同じ時間の中で、八人の戦鬼が生きることは、最初の時を除いてはずっと無かったことだったんだ。それが、ここに来て一気に出てきた。俺にはコイツが悪い予兆のように思えてならん」
「そ、そうなると、どうなるんですか……?」
「最悪、ヤマタノオロチが現代に復活することになるかもしんねぇ」
歩は、背筋が凍るのを感じた。
レガみたいなものを生み出した存在――その力がどれほどのものか、想像に難くない。あえて聞きはしなかったが、レガよりも強い力をもっていることは明白だろう。
そんな存在がこの世にしゃしゃり出てきたら、確実に未曽有の危機をもたらすことになるだろう。
「幸い、お前は俺の想定を超えて兄貴と……レガと共存出来ているみてーだから、虹蛍の出番はないと思うが、警戒だけはしとけよ。伊織も含めた、残りの戦鬼たちにも浄化の作用は施したし、本人の同意を得て、俺の嫁……伊織の姉貴の力も、分解しているような状態だ。みんながみんな、同じ場所に集まったりしない内は、変なことにはならんだろう」
「でも、警戒はしてるんですよね?」
「そうだな。何かの拍子に、歯車が狂わないなんて保証はないからな」
歩は、固唾をのんだ。
レガが、オロチに操られているような状態になった――今では、これだけで既に異変が起こっていることの証明になっている、と歩は思えるようになっていた。
『だから、オメーは歩を鍛えようとしてるわけか?』
ここで、レガが口を開く。
『こいつが軟弱のままじゃあ、外からでもオロチに精神乗っ取られるとか思ってんだろ?』
「そういうこった」
『だってよ、歩。お前、クソザコメンタルだと思われてんぜ』
「ど、どっからそういう言葉を覚えるのさ……?」
『俺なりにこの時代に適応しようと思ってな。んで、調べてみたらお前みたいなヤツを表す言葉を見つけたってわけよ』
「新時代の適応第一歩がそれかよ……!」
つい毒づいてしまう歩だが、最近までいじめを甘んじて受け入れていた自分には、これ以上言い返す材料は無いことも自覚していた。
今ならわかるが、器用な人間なら、きっと学校の外など、視界を広げて助けを求めたりする等が出来たはずだ。決して、自分が悪かったとは思わないし思うべきではないと信じているが、それでも状況を変えようとする行動がとれなかったのは事実だ。
「でも、今は違うって信じてるぜ」
蒼井は歩の肩を抱き寄せ、揺らす。
「今日、お前が戦ったのは、守りたい女がいるからだ。あの時もそうだったが、お前は誰かを守ることが出来る男だ。俺達の血族の人間にふさわしい胆力がお前の中にあるってことは、お前自身がとっくに証明してくれてる」
「先生……」
「だから、わかるよな? お前がこれから何をするべきかってのもさ?」
歩は、黙って頷いた。
「ぼくが……戦うべきなんですよね?」
「そうだ。さっきみたいな出所のわからんロボットが出てくるってのは、明らかに異常だってわかんだろ?」
歩は再び頷いた。
もしも、あの鋼の鬼が、今度こそ沙貴や家族を襲ってくるとしたら、その時は歩しか戦える者はいない。
大事な人は、自分の手で守るしかない。
「レガ」
『俺は、暴れられんなら何でもいいぜ』
レガは獰猛な笑みを浮かべながら、歩を見下ろす。
歩は苦笑しながら、レガに手を伸ばした。レガはその手を握り返すと、吸い込まれるように歩の身体の中に入っていった。
そして、歩の手には、赤い三鈷剣が握られていた。
「あんま言いたかねーけど、レガの力は戦鬼の中でもズバ抜けてやがる。ちゃんと乗りこなせるようにしてくれよな?」
「頑張りますけど……そこまで言うなら、レガのことも説得してくださいよ」
「兄弟ってのは、お互いに説教し合うのが嫌いなんだよ」
「それ言われたら、ぼく何も言えないんですけど……」
一人っ子の歩には、到底理解できない理屈だった。
さすが、帳家の守護者だけあって、歩の弱みはよぉ~く理解しているようだ。
「さて、まずは……」
歩はズボンのポケットからスマホを取り出す。
表示された画面には、沙貴からの着信履歴がびっしり並べられていた。
「お姫様への言い訳、だな?」
「……これが一番の難題ってのがなぁ~」
今日でさえ質問攻めに苦心したというのに、またもや問題を抱えてしまった。
今の歩にとって、愛する女は、暴走したレガを超える強敵に思えてならなかった。
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