第9話 歩と沙貴
~12月11日 17時06分 満田大通り~
ひとまず、歩は沙貴と肩を並べて家路につく。ちょうど帰宅ラッシュの時間帯なのか、大通りはサラリーマンと思わしき大人が道を占めている。夕飯時の前になるため、総菜屋から漂ってくるコロッケの良い匂いが鼻孔をくすぐり、食欲を誘う。
「そりゃ、隠し事してるのは悪いと思ってるよ?」
歩は、カエルのように頬を膨らませる沙貴をなだめるのに悪戦苦闘していた。理由は確認していないが、伊織との内緒話(という風に沙貴は捉えているだろう)をしていること、そしてその内容を知られて尚、教えようとしないことに腹を立てていることは明白だった。でなければ、彼女はあんな洒落た店に、一人で尾行に来るなんて真似はしない。
「でも、昨日も言ったけど、沙貴ちゃんは関わっちゃダメなんだ。危険なんだって」
「……それ、聞き飽きた」
依然として、沙貴は不貞腐れている。ちょっと逆ギレ気味にも思えたが、口にすると火に油なので黙っておく。
「でも、いくらなんでも尾行はマズいよ」
「学級委員として、そーゆーのは見過ごせないの!」
沙貴は歩に視線を合わせる、キッと睨みつける。不純異性交遊を防ぐためにストーキングを敢行するとか、逆に学級委員失格のような気もするが、口にすると(以下略)。
正義とは立場によって悪にもなり得るものだと、身を持って思い知った瞬間だった。
「何よ、女の子連れて喫茶店なんて、今時高校生だってしないんだから! 不純異性交遊の前触れだわ!」
そしてまた、そっぽを向いた。
「……偏見に満ち溢れていらっしゃる」
「学級委員のやることは正義なの! つまり合法!」
「なかなか厄介なこと言うね……」
謎理論の波を受けて眩暈を覚える歩だったが、沙貴の歩の上着の袖をしっかり握る手を一瞥すると、自然に笑みがこぼれた。
「……確認するけどさ、アユくん?」
「何?」
「断片的にしか聞こえなかったけど、なんだか大事に巻き込まれてる、んだよね?」
「そうだね……」
歩は、力なく笑う。
「それって、どうしてもアユくんじゃないとダメなことなの?」
「ダメも何も、ぼくは当事者だからね」
「むぅ~」
「そうでなくちゃ、君に隠し事なんかしないよ」
「……ホントに?」
沙貴が、訝しげな――それでいて縋るように上目遣いをして、歩の表情を覗き込む。
「ぼく、一度でも君にウソついたことあった?」
「つこうとしてる」
「…………」
言い訳の材料が無く、反論できない。
「沙貴ちゃん、ぼくは別に、ウソをつこうって思ってるわけじゃないんだけど」
「一緒だもん」
「えぇ……?」
「隠し事してるってことは、やましいことがあるってことでしょ? それってウソとおんなじじゃない!」
沙貴は猛牛のように鼻息を鳴らしながら、ドカドカと前を歩く。歩は、そんな沙貴になんて声をかけていいかわからず、立ち尽くした。
そして――振り返った沙貴が、立ち止まる。そして、怒りに歪めた顔を真っ赤にし、目に涙を溜め始める。
「追ってこい」、ということか?
「ぼかぁ、どうすりゃ良いのさ……?」
項垂れた歩は、重い足取りのまま沙貴に続く。すると、途中にある店から煙が立ち込めるのを確認した。良い匂いの元は、どうやらこの店のようだ。
「あぁ、そういえばここ……」
そこは、かつて馴染みのあった肉屋だった。古ぼけた看板と、ショーケースの中に並べられた数々の精肉を眺めながら、歩は沙貴に手招きをする。沙貴は、すぐに駆け寄って来た。
「見てよ、懐かしい」
「何が?」
「ほら、よくここでお母さん達にコロッケ買ってもらったじゃないか」
「……あぁ、そうだった」
まだ幼い頃。近所にある幼稚園に通っていた歩と沙貴は、家路の途中にあるこの肉屋から漂う匂いを嗅ぐ度に、コロッケやからあげを買ってと母親におねだりしていた。歩の父曰く「近隣のレストランでは味わえない、どこか田舎臭いというか、昭和的というか、とにかく都会には似合わないような、そんな味を楽しめる店」なんだとか。
「考えてみれば、小学校にあがってからはこの辺通らなかったから、買ってもらう機会も無かったんだよなぁ」
「わたしも、お小遣いとか、お菓子とかに使っちゃうから……」
「う~ん……なんか、久しぶりに食べたくなったなぁ」
ケースに山積みにされたコロッケを見ると、お腹が鳴った。ズボンのポケットから財布を取り出し、小銭入れの中を見ると、中には百円玉が一枚と、二十円玉が二枚。コロッケは一個80円。普段は札入れには四千円程入れているのだが、今は自宅の勉強机に置きっぱなしだ。いじめを受けてた頃からの、カツアゲ防止策を無意識に取ってしまっていたようだ。
よって、所持金120円。
一つだけなら買える。
「うん。久しぶりに、ちょっと手を出してみようかな」
「あ、アユくん」
「止めないでよ、沙貴ちゃん。こういうのは食べたい時に食べるの――」
「わたしも食べたい」
「――が一番おいしい……えっ?」
意外な返答に、歩は目を丸くする。
「だから……わたしも食べたいなぁ」
沙貴が、おやつをねだる子犬のような目を向けてくる。
思わず、耳を疑った。
この学級委員、無駄遣いを止めるどころか「おごれ」ときた。
「……沙貴ちゃん、お金は?」
「お茶代ですっからかんになっちゃった」
「…………」
歩は冷や汗を流しながら、再度財布の中身を確認する。
120円。
いつの間にか増えていたり、といった奇跡が起こるハズも無い。秀真が残したつり銭は、やはり素直に受け取りづらい額だったので、全て伊織に押し付けてしまった(本人は嬉々として受け取ったが)。
「……(ニコニコ)」
(期待の眼差しが痛い……)
今になって、後悔する。しかし、ここで沙貴の機嫌を損ねたら、それこそフォローが面倒になる。
だけどそれ以上に、彼女の前でカッコ悪いところは見せたくなかった。
「オッケー。ここで待っててね」
歩は肉屋のカウンターに移動する。
「すみません、牛肉コロッケ一つください」
「はい、ありがとうございま~す」
見覚えのある恰幅の良い店員のおばちゃんは、嫌な顔一つせずに紙袋にコロッケを入れ、ビニール袋に入れて渡してくれた。そのまま会計を済まそうとすると、
「……あれ? すみません、ひとつ多いんですけど」
袋の隙間から見えたコロッケの数は、二つだった。歩の手持ちでは一つ分しか購入できないのだが、
「そいつはサービスだよ」
おばちゃんは優しそうで、それでいてどこか意地の悪い笑みを浮かべる。
「せっかく彼女と一緒だってのに、一個だけじゃカッコつかないだろ?」
「かッ!?」
歩は、一気に赤面した。
「ぼ、ぼぼぼくら、そ、そそそそ、そんな風に、見え、見栄……」
「何も言わなくていい。おばちゃんはわかってるつもりだよ」
そう言いながら、おばちゃんは自分が持っていた財布から五十円玉と十円玉を取り出し、歩が出した百円玉と一緒にレジに入れた。
「ぼくちゃん。あの手の女の子は、積極的に見えて相手の出方を待っているパターンだね。向こうから迫ってこないということは、ぼくちゃんの積極性を問われているってことさね。ココは、ガンガン行かんくちゃダメよッ」
「な、何の話ですか!?」
「訊くんじゃないよ。わかってるくせにぃ」
ふと、歩は沙貴の柔らかい肩回りと、唇を思い浮かべる。
行き過ぎた願望を想像し、歩は顔が熱くなるのを自覚した。
「行きなさい、ぼくちゃん。そして、成功したら、ウチの店を思い出の場所としてインプットして、通りかかる度になんか買っていきなさい」
「あ、ありがとうございます……ッ!」
かなり照れ臭かったが、歩は素直に礼を述べ、沙貴の所に戻った。おばちゃんはエール代わりに拳を突き出していた。こちらも返そうかと思ったが、人差し指と中指の間に親指を突き出してたので、無視した。
「お待たせー」
「わぁ、ありがとう!」
歩からコロッケの入った袋を沙貴に手渡す。そして、二人で肩を並べながら道を歩く。
「(もぐもぐ)……うん、おいしい!」
「だね。味も、あの時のままだ」
「ホント。おかげで、いろんなことが懐かしくなっちゃったな」
歩は、沙貴につられるように来た道を振り返る。
沙貴と一緒に幼稚園に通っていたのは、九年も前のこと。都心とはいえ、この辺もあの頃と比べて随分発展したが、全体的な雰囲気はそれほど大きな差は感じない。
そう思うのは、自分達も街と共に変わったからだろうか?
コロッケを食べながら、ぶらぶらと歩く。
「……ねぇ、アユくん?」
「何?」
互いに視線を合わさず、前を向いたまま話す。
「アユくんはさ……部活、どうするの?」
「部活?」
「ほら、剣道……」
「あぁ、そういうことね」
沙貴の心情を察した歩は、片手で竹刀を持つように、胸の前に腕を伸ばし、手を動かす。
「蘭君のことは誤解だったけど、それでもあの程度のことで怖くなっちゃう自分に、スポーツでの競争が向いてるのかってことは、迷ってるトコはあるかもね」
「じゃあ、このまま辞める?」
「部活として続けるかどうかって意味では、そうなるかもね」
「部活としては……?」
「うん」
戦鬼と関わりをもった以上、これからは命懸けの戦いをする機会が増えるかも知れない。その時、戦う力が無いのでは、話にならない。
よって、剣道をやめるわけにはいかない。むしろ、より本格的な、実戦を想定した練習――訓練を始める必要があるだろう。
しかし、それは心身を鍛えることを目的としたスポーツには不要なもので、時代を逆行するような道を進むことになるのだろう。
既に、覚悟は決めた。今さら躊躇うことはない。
だが、それは沙貴が期待してくれているであろう選択ではないはずだ。
だから、沙貴に理由を語ることはない。
「そっか。まぁでも、アユくんは天才とか神童とか言われてたくらいなんだから、後からでもがんばれば、きっと他のみんなに追いつけるよ! うん、わたしが保証する!」
「ハハハ、ありがとう」
的外れな沙貴の激励だが、彼女の思いやりが胸に染み、歩は笑みを浮かべる。
気持ちが膨れ上がり、沙貴の手を握る。
「アユくん……?」
「……うん」
「……ん~!」
互いに、照れ隠しするように笑う。
それ以上、言葉はいらなかった。
二人はしばらく、そのまま手を握り締め、互いの温もりを感じ合っていた。
「やっぱり、ウソついた」
「えっ?」
突然、沙貴が泣きそうな顔になる。
「蘭達を蹴散らしてから、アユくん、何か変な感じがする。わかってるんだから」
「変、な……?」
「まるで……別の誰かになっちゃったみたいな」
沙貴は、歩の胸に手を当てる。柔らかい感触と共に伝わる微かな熱が、心地よかった。
そして、彼女は気付いてくれた。歩の中にいる、戦鬼レガという不可思議な存在に、気付いてくれた。
彼女は、誰よりも自分に寄り添ってくれている――そう思えて、涙が出そうになった。
だから、つい口が滑ってしまった。
「……信じられる?」
「えっ?」
「本当に……ここに、ぼく以外の生き物がいるって言われたら……信じられる?」
「別の、誰かが……」
沙貴は歩に触れたまま考えこむ。
そんな沙貴の仕草を見た歩は、「しまった!」と思いながら、彼女の手を掴み、体から離した。
「ごめん、バカ話に付き合わせちゃったね」
沙貴の手を離した歩は、彼女の数歩先を歩く。
「さ、もう暗くなるから帰ろう。そろそろ親も心配してるだろうしさ」
「あ、アユくん!?」
歩の笑顔に違和感を覚えた沙貴が、彼を呼び止めようとするが、
ボォォォオオオオオオオオオオオオオオオオン!
「きゃっ!」
「な、なんだ!?」
突如、鼓膜を突き破る程の大きな爆発音が鳴り響いた。
しがみ付いてきた沙貴の体を抱き寄せながら、歩は周囲を見渡す。
(なんだろ、ガス爆発?)
しかし、その予想が間違いだった。
「な、なんだあれ!?」
今しがた、振り返った道の向こう側から、見たことの無いロボットを見つけた。
シルバーカラーに染まったレガのような形をしていた。
ロボットは、歩たちがいる位置に向かって走ってくる。自動車やトラックを突き飛ばしながら移動する様は、まるで暴走機関車だ。
「あ、アユくん! 何あれ!?」
「せ、戦鬼、なの……?」
「センキ?」
「い、いや違う! ホント、なんだよあれ!?」
レガを模した銀色の鋼の鬼が、真っ直ぐに歩に近づいて来る。
金色に怪しく輝くツインアイからは、確かな殺気を感じた。
「沙貴ちゃん、逃げて! あいつ、もしかしたらぼくを狙ってるかも!」
「えぇ! なんでそうなるの!?」
「わかんないけど! とにかく、あいつらが消えたら、そのまま家に帰れ!」
歩は沙貴の盾に無いように前に出て、すぐに彼女を走り去った。普通なら男として最低の行為になるのだろうが、歩の睨んだ通り、鋼の鬼は沙貴に見向きもせず、歩の後を追って走っていった。
「あ、あれ? アユくん? アユくん!?」
動揺していた沙貴は、目の前を走り去ったはずの歩の姿を見失ってしまった。
辺りを見渡し、消えた幼なじみの行方を捜すも、見つからなかった。
気付けば、ロボット達もいなくなっていたが、そんなことはどうでも良かった。
「まさか、アユくん……ホントに?」
歩を取り巻く問題――その危険性を肌で感じた沙貴は、己の無力さを嘆き、震えた。
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