第7話 警察とのつながり

 ~12月11日 8時30分 満田中学校~


 ホームルーム終了後。疲労が抜けきらない歩は、気怠さを隠せず、机の上に突っ伏していた。


(呪われてんじゃなかろうか、ぼく……?)


 昨日は、人生最大の大事になった。

 戦鬼なんて化け物に体を乗っ取られただけでなく、他の戦鬼に命を狙われてしまった。しかも、そいつは同級生で、なんとか大人しくさせたはいいけれど、そこを幼馴染である沙貴に目撃され、婦女暴行を疑われ、ありえない誤解からアレコレ問い詰められてしまった。精神をゴリゴリ削られたものだ。

 なので、実際には肉体のダメージより、精神面の消耗が厄介だったりする。


(何なんだよ、鬼とかさぁ)


 歩は、恨み節を元凶の大元に向ける。

 そもそも、実在するわけがないと思っていた生き物が、取り憑いたり、襲い掛かってきたりしたこと自体が理不尽極まりない。だが、当事者である歩は、信じない訳にはいかない。目を背けることが許されない。

 一方で、メリットがあることも自覚している。

 レガに身を委ねなければ、歩は今も霧人達に怯えながら生活することになっていただろう。彼ら――主に霧人は、今も教室の片隅から時折こちらを睨んでくる。だが、気が付いて振り向くと、すぐにバツが悪そうに顔を背ける。完全に、力関係が逆転している。

 干渉されない――ただそれだけのことが、歩にかつてない程の解放感を実感させてくれる。死んでしまった元バスケ部の先輩が必死に止めてくれたことを、歩は今になって感謝した。

 そして、改めて自覚する。

 歩の中にいるのは、そんな恩人を食い殺した化け物だということを。何やら操られていた――みたいなことを話していたが、それだってどこまで真実か、わかったものではない。けれども、歩はレガの声に嘘が含まれていないことを、心のどこかで確信していた。その根拠が分からず、さらなる混乱に陥る。


「ダメだ、さっぱりわかんない……」


 悩み、机に額をこすりつける歩だったが、


「何かお困りですか?」

「ん?」


 自分を捉える視線に気づき、顔を上げる。


「失礼。何やら、興味深そうな様子を見せていたものですので、つい」

「珍しいっていう意味では、こっちのセリフなんだけど……」


 メガネをかけた長身の美男子が、歩に近付いてきた。短く切り揃えた金髪は、両親のどちらかがイギリス人であるためだという話をしていたことを思い出した。

 彼の名は、三橋みつはし秀真ほつま――クラス一の秀才で、全国の模試で一位を獲得したと言われている。

 歩とはクラスメイトの間柄だが、事務的な会話しかしたことがない。名前を知っているだけの、赤の他人に等しい相手だった。


「帳君、少しよろしいでしょうか?」

「うん、どうしたの?」


 普段、他人と関わりをもとうとしない人物から声をかけられるシチュエーションが続くものだから、歩は「なんかこういうの続くなぁ~」と思った。


「今日、放課後は空いていますか?」

「放課後か……」


 歩は頭の中でスケジュールを確認する。とはいえ、約束事の有無だけだが。

 しかし、今回はその数少ない約束事があるタイミングだった。


「そうだ、ごめん三橋君。ドンピシャで、今日は別の人との約束があるんだ」


 歩は、伊織のいたずらが成功してはしゃぐ子どものような笑顔を思い浮かべた。

 今日は、彼女からいろいろ話を聞く約束をしていた。


「悪いけど、また今度でいい?」

「それは、杜若さんとの約束ですか?」

「えっ?」


 説明する前に言い当てられ、歩は唖然となる。


「その様子だと、図星みたいですね」

「う、うん……」

「では、問題ありません。今回の席には、彼女も同席しますので」

「そ、そうなの?」

「はい」


 意外な者同士の繋がりに、歩は首を傾げた。

 普段、接点のない者同士の結びつきを見せつけられたことで、さらなる混乱の種を植え付けられ、眩暈を覚える。


「詳しい事情は、その時にお話しします。これで問題はありませんか?」

「そういうことなら、ぼくは平気」


 歩は、伊織の座席を見る。

 彼女は今、沙貴と談笑している。秀真は冗談はもちろん、嘘をつくタイプでもないと思ったので、あえて彼女達の会話を邪魔してまで、確認しようとは思わなかった。


「ありがとうございます。必ず、退屈はさせませんので」


 そう言い残し、秀真は自席に戻り、ハードカバーに目を通し始めた。

 歩もまた、「なるようになるか」というケ・セラ・セラの精神で開き直り、ゲームが原作のライトノベルを読み始めた。


 ――――――――――――――


 ~同日 16時00分 喫茶店ケ・セラ・セラ~


 午前授業での下校は、しばらく継続することになっている。そのため、昼食前に下校した歩は、約束の時間を迎えるまで自宅で時間を潰す。

 その後、駅の近くにある図書館で、歩、伊織、秀真の三人で合流した。その後、秀真に先導され、駅前にあるこじゃれたカフェにやってきた。中は豪華なホテルのラウンジのようで、クラシックなデザインの柔らかそうなソファとテーブルが並んでいる。


「な、なんか落ち着かないなぁ……」

 

 ソファの座り心地は最高ですぐにでも眠れそうだったが、歩は次第に落ち着かなくなる。それもそのはずで、周りの客のほとんどが、ビジネススーツを着こなしたサラリーマンと思わしき大人ばかりだからだ。

 中学生の歩達は、明らかに浮いている。しかし、伊織と秀真はまだいい方だ。

 秀真は白いYシャツの上に灰色のセーター、ベージュ色のスラックスに黄土色の革靴といった出で立ちで、無理せず大人っぽいコーディネートだった。

 伊織も、黒い長袖のYシャツに翡翠色の革ジャンを羽織っており、下はチェック柄のミニスカートに、ブラウンのカジュアルシューズを履いている。パンク系と言われれば、納得できるファッションだ。

 二人揃って、年の割に垢抜けたようなファッションをしており、見た目以上に大人に見える。

 と、なると、問題は歩だ。黒いTシャツに深緑のカーゴパンツに、ユニクロのウルトラライトダウン(カラーは紺色)、黒いウォーキングシューズと、身軽さ以外の要素に気を遣っていないことが明白な組み合わせだった。


「……もうちょっと、ファッションのこと考えよ」

「「???」」


 きちんとしている二人に挟まれる形で、歩は服装に無頓着な自分を反省した。ここに、沙貴がいないことだけが、救いだった。


「へぇー、やっぱ洒落てんねぇー。初めて来たけど、やっぱ店入ると雰囲気あるわ」


 と、伊織は言うが、彼女は他の客が頼んだメニューのチェックに余念がないようだ。おおよそ、周囲に気を遣っている者の態度ではない。


「僕も付き合いが無ければ、来ることはありません。ですが、落ち着いて話が出来る環境が、ここくらいしか思いつかなかったものでして」


 ウェイトレスの女性が横切ると、秀真は一つ咳払いをする。


「とりあえず、まずは何か注文しましょう。今日は僕が持ちますので、お二人とも、どうぞ好きなものを頼んでください」

「マジで!? じゃあ、まずは食べ物からっとぉ」


 伊織は目を輝かせながら顔を上げると、再びメニューに視線を落とす。


「…………」

「どうしました、帳君? お金の事なら気にしないでください。こう見えてもお茶代を賄うだけの余裕は――」

「あ、ううん。そうじゃなくって……」


 今の歩は、ここに伊織と共に連れてこられた理由にしか興味が無かった。歩が抱えている事情は、戦鬼の存在を知らない人から見れば、風変わりなオカルト話にしか聞こえないだろう。しかし、殺人事件と関わりのある身としては、周囲からの注目を浴びるような真似は、精神衛生上の問題で避けたかった。


「ふむ。周りの視線が気になるのはわからないでもないですが、ここは思い切ってアダルトな雰囲気を堪能する方が吉だと思いますよ? 失礼ですが、帳君はこういった場所に足を踏み入れるという発想が無さそうに見えたので」

「そ、そりゃそうでしょ……」


 明らかに、中学生には敷居の高い場所だ。入り口のドアを潜った時点で店員に追い返されるんじゃないかと思ったぐらい、場違い感があると思った。


「生意気なことを言いますが、未知の世界に触れてみるということは、今後の成長するための糧になります。いろいろな世界に触れてみるということは、言ってみれば自分の世界が広がるということですからね。恥もかき捨てという言葉もあるくらいですから、あまり気にしない方がよろしいかと」

「にしたって、こういう所はちょっと駆け足過ぎる気もするけどね……」


 それがわからないから、こうして頭を捻っているというのに。


「なら、杜若さんにメニュー表を独り占めされている間、ちょうど良い暇つぶしでもしましょうか」

「良いけど、何を?」

「質疑応答です。まずは、あなたの疑問を解消することで、少しでもリラックスしてもらおうかと思ったのですが、いかがでしょう?」

「…………」


 秀真は、ちっとも笑わない。きっとそれは、彼が自分の懸念していることを見透かしているからなんだ、と歩は思った。

 知識があれば、対策が出来るのだから。


「腹を割って話してくれて結構ですよ? 自分で言うのもどうかとは思いますが、僕は自分があまり笑わない人間だということを自覚してますから。想定しない奇天烈な発言をもらわない限り、平静を保つ自信があります」


 そこまで言われたら、遠慮する理由は無い。


「……三橋君、ヘンなこと訊いちゃうね」

「どうぞ」


 一呼吸置き、あえてやけになりながら、声に出した。


「鬼って、実在すると思う?」

「します」

「!」


 即答された。歩は、思わず渋面を浮かべる。

 今の時点でこうもはっきり口にできるということは、彼は戦鬼について十分な知識を持っていることの証左に思えた。だからと言って、歓迎できる話ではないが。 


「じゃあ、君はひょっとして、一昨日の事件について――」

「はい。僕は、一昨日の先輩が殺害された犯人の正体を知っています」


 秀真は歩の顔から、胸の位置までを指した。


「そこにいる、あなた以外の何かが、先輩にあたる男子生徒を捕食しました。情報規制を行なっているため、世間には知られていませんが、確かです。映像記録も確保してあります」

「ッ!」

「冷静に。あの映像を見れば、誰もあなたが犯人などと思うわけがありません。今は、君の潔白が証明されたことを喜んでください。……あなたには、無茶な注文だと思いますが、それでも言わせてもらいました」

「それは……」


 上手く、頭が働かない。

 自分が犯人ではないという証明があると言われた喜び、先輩を死なせてしまった無念とが、せめぎ合っている。


「帳君に質問があります」


 歩の葛藤を断ち切るように、秀真はわずかに声を張り上げ、尋ねてきた。


「よろしければ、何故僕が戦鬼のことを知っていると思ったのか、訊いても良いですか?」

「いや、杜若さんも一緒だからさ。……後は、妙に落ち着いてたし、なんとなくってカンジ」


 ぼんやりとした記憶だが、近くに殺人犯がいるというのに、秀真は全く動じていないように見えた。先生たちですら、多少は動揺していたというのに、あそこまで冷静でいられるのは、少しおかしいとは思っていた。

 戦鬼と繋がりがあるとまでは想像していなかったが、こうして話を聞いた今では、むしろ腑に落ちたくらいだった。


「杜若さんの独断専行には困ったものですが、こうして双方共に無事でいられたようで、本当に何よりです」

「そのことも知ってたんだ?」

「協力者ですから。既に報告は受けています」

「協力者……?」

「失礼します」


 割って入るように、ウェイトレスがスマートフォンを片手にやってくる。どうやら、この店ではスマートフォンでオーダーを取るようだ。

 どうやら、伊織が呼んだらしい。


「杜若さん、僕らはまだ何も決めてないんですよ?」


 秀真が、片眉を下げることで伊織に抗議する。


「先に頼んじゃおうと思ってさ」


 伊織は全く悪びれなかった。

 何を言っても無駄だと思ったのか、秀真はそれ以上何も言わなかった。


「えっと、アイスミルクとナポリタンとBLTサンドに、チーズケーキ、とりあえずお願いしまーす」

「容赦ないね……」


 いくら奢ってもらえるとはいえ、そこまで遠慮なく頼めるものだろうか。歩には、とても真似できないことだ。


「良いんだよ。そいつ結構稼いでんだから」

「だからって……えっ? 稼ぐ?」


 中学生への説明に出てきてはならない言葉が出てきた。


「順を追って説明します。……では、僕はアプリコットを」

「じゃ、じゃあぼくはホットのミルクティーをお願いします」

「かしこまりました」


 反射的に口にしてしまった歩だったが、秀真はそれを止めず、店員も淡々とスマホに注文内容の入力を進めていく。

 そして、歩達のオーダーを再確認した後、「失礼します」の言葉と共に丁寧なお辞儀をし、席を離れていった。

 周囲が歩達に意識を向けなくなったことを確認した後、秀真は胸ポケットから黒い手帳を取り出した。


「それでは帳君、まずはこれをご覧ください」

「これって………………ッ!」


 秀真の手帳を見た歩は、思わず目を丸くした。

 見覚えのある金色の記章は――確かに警察を意味するものだった。


「普段は公にしませんが、僕は刑事なんです」

「そ、そうなの!?」

「警視庁特務三課所属になります。極秘に結成されたチームなので、調べても出てこないのが煩わしいですがね」

「……えっと……」


 言葉が続かない。あまりにも意外な展開に、あっという間に脳内の情報処理能力が追い付かなくなる。


「特務三課は、戦鬼を始めとする常識の外に位置する生物への対応になります。今の主な業務内容は、戦鬼の調査です。必要に応じて戦闘にも参加しますが、僕は後方支援担当になるため、戦闘要員ではありません。一通りの護身術や拳銃の扱いについては、レクチャーを受けていますがね」


 重苦しい単語が連なる秀真の話に、歩は息を呑む。


「ちなみに、あんたの中に隠れてるレガが上級生を殺したのを突き止めたのは、そいつだよ」

「ッ!」


 伊織の注釈に、歩の背筋が凍りつく。

 そう言えば、先程映像記録があると話していたが……。


「さっきのって、君が撮ったものなの……?」

「直に見たわけではありませんが、学校のそばでレガの妖力が膨れ上がり、消えたことを、専用の通信衛星で観測しました。その情報を辿り、学校が用意したものとは別の監視カメラを起動させ、レガの暴走の映像記録を撮影しました」


 秀真は、手にしたスマートフォンのアプリを起動し、歩に示す。そこには、様々な色のメーターが上下していた。


「これは特務三課で開発した、妖力を探知するためのアプリです。これのおかげで、レガを探知することができたというわけです」

「なら、これがあれば先輩の――」

「情報の公開を提案しようとしているのなら、認められません」

「な、なんで……!?」

「戦鬼の存在は未だ公にされていないし、目途も経っていません。そのような状態であの映像を出したら、混乱を招く恐れがあります。公表に至るまで、余計な混乱をもたらさないようにする意味でも、先程のでっち上げという手段を用いることになったのです。苦肉の策ではありますがね」

「酷いよ、それは……」


 事実が判明しているのに、せめて親族にだけは事情を知るべきだと思ったのに、警察はそれすら許さない。

 歩は、秀真の顔を通して、国という組織の非情さを呪った。

 秀真は、歩の胸中を慮ってか、まっすぐに彼の視線を受け止めた。


「見た所、君はかなり正々堂々としているようですが、今回の一件だけは運が良かったと思って割り切ってください。それが世のため人のためです」

「割り切るって……何を?」

「あなたが納得していないこと、全てです」


 歩はテーブルに肘をつき、手で目元を抑えた。

 秀真の話を信じることが前提だが、警察が関わっているというのに、正しい情報を明かさないという対応を取ることが、信じられなかった。ゲームや小説、ドラマなんかでよく見る汚職警官の存在は知ってはいるが、まさか組織全体でそんな真似をするとは、思いたくなかった。


「まぁ、そう思ってしまうあなただからこそ、信用できるのも事実ですが」


 秀真は佇まいを直し、歩を真正面から見据える。


「単刀直入に言います。帳君、僕らに協力してはいただけないでしょうか?」

「協力?」


 思いもよらない催促に、歩は呆気にとられる。


「えっと……何に?」

「もちろん、特務三課の任務に、です。見た所、あなたは警察の決定に納得が出来ていない様子。ならば、その前提を覆すだけの働きを示す必要があります。そして、あなたにはそれを叶えられるだけの力があります」

「えっと……君達の任務って、何なの? その、具体的にはさ……?」


 秀真は眼鏡のブリッジを指で押し上げながら、固い口調で告げた。


「レガの封印」

「そ、それって――」


 身の危険を感じ、身構える歩だが、


「繰り返しますが、我々は『あなたの命を奪わない』ことを前提に動いています」


 秀真は、歩の懸念を真っ先に払拭しようとする。


「いくら戦鬼に憑依されたからとはいえ、あなた自身は純粋な人間ですから」

「そ、そんなこと出来んの?」

「昨日の、杜若さんからの報告が正しければ、あるいは」

「昨日のって……」


 歩は伊織に視線を移す。


「あんたの言う通り、レガがあんたに協力的なら、逆に利用しようってことなんじゃない?」

「そ、それは……ちょっと、ヤバいんじゃないの?」


 当事者である歩には、その危険性が嫌と言うほどわかる。


「レガにその意志がなくたって、ぼくがレガの力を抑えきれなかったら、実質何も変わらないんじゃない?」

「ならば、使いこなせるようになれば良いだけのことです」


 歩の懸念を無視するように、秀真は堂々と言い切った。


「高潔な精神は、何よりも強い武器となります。君はこれまでずっといじめに耐えてきたようですが、それだって相手を慮り、くじけそうになっても大事な友人を傷つけまいとしてきた結果だと僕は判断します。その姿勢は、敬服に値します」

「ふたを開ければ、全然気を遣う必要なんて無かったっぽいけどね~」

「あ、あはは……」


 確かに、普通に怪我をした腕で殴られてきたことを考えれば、伊織が言うことも当然だと、今では歩もそう思えるようになった。


「で、でも、買い被られても困るよ? 現に、上手くできなかったから、杜若さんに酷い事しちゃったわけだし……」

「もちろん、出来る限りのサポートはさせていただきます。状況によっては、あなたには人類の命運を賭けて戦ってもらうかも知れませんし」

「お、脅かさないでよ!」

「シャレにならない――ですか? ですが、戦鬼の個体数は不明で、確かに判明していることは、人類よりもはるかに高い身体機能を持っていること。あなたや杜若さんのような人であれば問題ないと言いたい所ですが、誰もそれを保証できないでしょう?」

「そ、それは……まぁ」

「もしも、戦鬼が人類に牙を向けてくるならば、それに対抗するだけの手段が必要になります。卑怯な物言いで申し訳ありませんが、暴走したレガを止められなかったあなたなら、その必要性が理解できるはずです」

「うっ……」


 正にその通りである。それが出来なかったから、今もこうして悶々としているのだから。


「既に、上司に許可は得てあります。あなたは何も心配せずに、『自分が助かるための準備を進めていく』ぐらいの精神でいてもらえればと思います」

「そ、そうは言うけど……」


 それで、歩の不安が消えるわけがない。果たして、レガの力は人類の手に余るものなのだろうか? リスクが大き過ぎる、という意見が頭から離れない。


「具体的にどうするかは、もう少し作戦を煮詰めてからの公表とさせてください。お互い、無駄なことをしている時間は無いでしょうし」

「ん~まぁ、アタシらって来年受験だもんね……」

「あ、ははは……」

 

 実に平和的な悩みだった。

 だが、歩は思う。進路で悩むことが出来ること、そのための勉強が辛いと思えるが幸せだということを。歩がそう思うのは、誰かの死を知っているからであり、歩自身がそれどころではなくなっているところが大きい。

 誰かの死に関わるということは、それだけ大きなことなのだ。


「杜若さんは、自分の心配だけをしていればいいと思いますよ?」

「へっ?」


 唖然となる伊織に、秀真はどこか呆れたような視線をぶつける。


「僕と帳君の成績ならば、推薦による進学は充分可能な範囲です。むしろ、さっきの言葉はあなた向けに送ったものですよ」

「い、嫌味かよ! こんのインテリメガネがぁ~!」

「あなたより慎重な性格であることは認めますが、公立の学校の勉強なんてものは、復習させ欠かさなければ、それほど難易度の高いものではありませんよ」

「出た、秀才発言! それが出来りゃあ、凡人も苦労はしないんだよ!」

「大声で言うことですか」

「あ、あはは……」


 水と油のような関係性の二人のやりとりを、歩は気まずそうに見守る。今、ウエイトレスが歩たちが注文した品を持ってきてくれたが、二人とも気づいていないようだ。


「まぁ、民間の協力者である帳君の将来に支障をきたすのでは、雇用主である我々の沽券にも関わりますしね。万が一のことがあれば、もちろん何かしらの援助は約束しますよ」

「……わかったよ」


 歩は、観念したようにため息をついた後、表情を引き締めながら秀真を見据える。


「どの道、レガを抑えきれないままじゃいけないって思ってたんだ。それなら、精々出来るトコまで足掻いて見せるよ」

「賢明な判断に、感謝します」


 秀真が初めて微笑を浮かべ、右手を差し伸べた。

 歩は観念したようにため息をつき、秀真の手を握り返す。


「これできっと、杜若さんのお姉さんのような犠牲者が出る確率も、ある程度は軽減されるでしょう」

「あ、そうだ!」


 ここで、歩は伊織から彼女の姉の話を聞きそびれたことを思い出す。


「三橋君、ちょっと話題変えても良い?」

「? えぇ、構いませんが」

「ありがとう。……杜若さん、お姉さんって、結局生きてるんだよね?」

「んっ!(コクン)」


 伊織はナポリタンを頬張りながら、首肯する。


「杜若さんのお姉さん――杜若紫緒しおさんは、元は特務三課に所属していた戦鬼だったんですが、レガに力を奪われた後に、寿退社なされています」


 秀真の補足説明を聞いた歩は、いよいよ歯軋りを始めた。


「……そんな人の、何の仇を取る必要があったの?」

「むぐむぐ」


 口に入れたナポリタンを咀嚼し切れないのか、伊織は口を動かし続けている。


「…………」

「……直接聞いたわけではありませんが、僕の予想で良ければ先にお話ししましょうか?」

「ごめん、お願いするよ」


 眉間を指でもみほぐす秀真と、テーブルの上に突っ伏す歩。

 もはや、伊織は当てにならない。


「先にレガに挑んだお姉さんが返り討ちに遭ったということで、身内を傷つけられて怒った彼女が、僕らの制止を無視して独断専行に踏み切った――それが、昨日のあなた方のやり取りの結果というわけですね」

「か、杜若さん……?」


 脱力する歩の気持ちを知ってか知らずか、伊織は口をもぐもぐさせながら「メンゴメンゴ」と言わんばかりに頭を掻く。


「ちなみに紫緒さんは戦鬼としての力を失った後は、僕らと変わらない人間としての生活を、問題なく送れているようです。今も、時々我々の様子を見に来て下さりますので」

「そ、そりゃ良かった……」


 歩は、思わず胸をなで下ろす。

 伊織の姉には気の毒だったが、これで悩みの種が一つ消えた。


「むぅ~!」

「物を食べながら喋らない点だけは褒めてあげますが、品が無いですよ」

「んんんっ!」

「いや、ごめん。何がなんだか……」


 伊織が視線で助け舟を求めるが、歩は苦笑することしかできなかった。


「帳君。正式にあなたの協力を得られることがわかりましたので、僕はこのことを課長に報告してきます。恐らく、そこであらかじめ組まれていたプランを元に、あなたには戦鬼としての修行を受けていただくことになるかと思います」

「修行かぁ。……剣道部にすらロクに参加しなかったのに、大丈夫かなぁ?」


 そもそも、修行の内容すらロクに想像できない。人間、未知のものに対しては大なり小なり不安を抱くものなのだ。


「不確かな精神論に関しては何も申し上げることはありませんが、それでも今回の一件はあなたの命、そして今後の人生に関わる問題ですから。ただ一言、ご健闘をお祈りします、とだけ言わせてもらいますね」


 秀真は注文した紅茶を一気飲みする。そして、財布から取り出した一万円札を二枚取り出し、その上に重石代わりに伝票を置いた。


「お釣りはとっておいてください。後で回収するのも面倒なので」

「そ、そんな悪いよ!」

「サンキュー」

「か、杜若さん!?」

「本人が良いって言ってんだから良いんだよ」

「で、でも――」

「これだけは、杜若さんに同意しておきます。あなたには、これだけでは足りないくらいの恩が出来そうですし」

「み、三橋君……」


 困ったように眉をしかめる歩に対し、秀真は苦笑して見せた。

 かなり、無理をしているように見えたのは、気のせいだろうか?


「では、また明日」

「あ、うん……」


 そして、秀真は歩と伊織を置いて、喫茶店を出て行った。


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