第3話 窮鼠、鬼を宿し、猫を噛み殺す

 ~12月10日 08:50 満田中学校グラウンド~


 ちょうど、サッカーグラウンド一面分の面積を誇る満田中学校のグラウンドに、体操服の青いジャージ姿になった2年生の生徒が集められた。隣接するクウェート国大使館の窓からは、イスラム教徒らしき男性が、1日5回の礼拝をしている姿が見える。

 通常は、男女別に行われる体育の授業だが、今日からしばらく、事件のあった中庭の様子が覗ける体育館が使用不可となっているため、例外的に混合で行われることになった。

 そして、体育を担当するはずだった教師は、全員が中庭の事件の第一発見者として警察から事情聴取を受けており、この時間は自習になった。代理の不破ほのかからそれを伝えられた生徒達は、各々のグループに分かれて、ドッジボールやら鬼ごっこを始めた。

 そして、歩はというと、すぐに霧人のグループに絡まれた。


「おい帳。ちょっと面貸せ」

「…………」


 歩はぼんやりと霧人の苛立ったような表情を眺めるだけで、何も答えなかった。そんな歩の態度が気に食わない霧人は、乱暴に歩の背中を手で押し、移動を促した。気の毒そうに歩を見る他の生徒達だったが、自分まで巻き込まれたくないと言わんばかりに、すぐに視線を逸らし、自分達の遊びに集中する。

 連れてこられたのは、校舎の裏側。ちょうど、校舎でグラウンドにいる人たちからは見られない位置だった。木々に視界を塞がれているが、フェンス越しには、今朝、霧人の知り合いの男子高校生たちが、歩を連れ去ったとされる有料駐車場になっている。

 霧人を含めた5人組が、歩を囲った。


「なんでここにいんだ、お前?」


 霧人が尋ねる。


「なんでって? 何が?」

「先輩達に連れてかれたろうが。なんで、お前がここにいるって聞いてんだよ!?」

「学校あるんだから、普段通りに来ただけだよ」

「おい、答えになってねーぞ!」


 霧人は力任せに掌底を繰り出し、歩をフェンスに押し付けた。


「先輩、金ねーっつってたからよォ。お前から小遣いもらえるんじゃねえかってオレ言っといたんだよ。なのに、なんでお前がここにいるんだよ? 連れてかれたの見てたんだぞ、オレ」

「そうなんだ。まぁ、ぼくには関係ないけどね」

「おいコラオレが話してんだぞ、んだよさっきからテメー!」


 霧人が、歩の胸倉をつかみ上げる。まるで、自分の方が格下だと言わんばかりの歩の態度に、無性に腹が立った。

 そんな霧人の心情を察してか、歩は嘆息し、ぽつぽつと呟く。


「離した方がいいと思うよ?」

「はっ? 何が――」

「今なら、まだからさ」

「いや、何言ってんだオメー? 先輩に殴られて頭イカレたか?」


 鼻で笑う霧人につられて、他の4人もゲラゲラ笑いだした。


「あんたら、何やってんのよ!」

「「「「「!!!」」」」」


 急に、女子生徒の叫びが聞こえてきたため、霧人と取り巻き達が振り向く。

 しかし、誰もいなかった。どうやら、遊びが盛り上がっているだけらしい。

 そう判断した霧人達だったが、歩は違っていた。


(沙貴ちゃん、危険だからって言ったのに……)


 さっきの声は、沙貴のものだった。きっと、彼女なりに歩を気にかけた結果なのだろう。昔と変わらず、優しい彼女の心遣いを嬉しく思うものの、もしも霧人達に目を付けられたら、今度こそ歩は――、


「……お前、わかってねえな?」


 霧人が、感情を失ったような目で、歩を一瞥する。霧人のこの顔を見せる時は、暴力を振るう合図と同義だった。


「あ、わぁーった。もしかして、お前先輩を買収してるとかか?」


 霧人は、こめかみに人差し指を当て、小刻みに頷く。


「そんで、二度と自分に関わんなーとか、そんなことしたわけ? お前の小遣い、もう結構もらっちゃったけど、まだ残ってたとかそんなトコか?」

「なんだよー、先に言ってくれよー」

「おれ、欲しいゲームあんだからさー」


 取り巻き達が勝手に盛り上がるのを尻目に、霧人は歩の顔の真横に手を突く。いわゆる、壁ドンというヤツだ。


「せっかくだから教えてくれよ? 後、いくら持ってんだ?」

「金欠だよ。君のせいで」

「あ? だったら親からもらえばいいだろぉ? なんだったら、あの織部ってヤツに借りても良いんじゃね?」


 霧人の醜悪な笑みが、歩の鼻先まで迫る。

 瞬間、歩の眼の色が、赤く染まった。


「ぶぐッ!?」


 突然、霧人が糸の切れた操り人形のように倒れた。取り巻き達は何が起こったのかわからず、慌てふためく。

 

「今、なんて言った……?」


 態度を一変させた歩が、霧人の髪の毛を掴み上げ、目を合わせる。この時点で、既に霧人は目の焦点が合っていなかった。脳を激しく揺さぶられたようで、ロクに体を動かすことも出来ないでいる。


「親? 織部? 今、なんかそんな風に聞こえた気がしたんだけどなァァァー? 気のせいだったかなぁ~?」


 取り巻きの男子たちは、歩を見て怯えていた。声も出せず、ただ震え、だけど目をそらすことだけは出来なかった。

 歩は――嗤っていた。


 ◇◆◇◆


 ~12月09日 23:00 帳家~


 少し、時は遡る。

 目が覚めた時、歩は自宅のベッドで寝ていた。ふと、視線を下に向けると、いつの間にか着替えも済んでいて、寝巻代わりの黒いスウェットに身を包んでいる。

 枕元の目覚まし時計で時刻を確認した歩は、きっと眠っているだろう両親を起こさないよう、慎重に起き上がり、家の中を移動する。


「どうして……?」


 家の中は、いつもと変わらない風景だった。自室から出て、左手には玄関。向かいの部屋は物置となっている。右手に進むとリビングになっており、手前には食器戸棚と食卓テーブル、キッチンがある。奥に進み、居間にはテレビと家族3人が並んで座れるくらい大きなソファが、そこから右手は和室となっており、そこで両親が布団を敷いて眠っている。厳つい顔をした父は貿易に関わる仕事をしていて、平日は帰ってきてからすることと言えば、食事と入浴、そして睡眠だけと思われるくらい忙しい。年の割に若作りだと評判の母親は、そもそも夜更かしが苦手で、夜の10時には布団に入ってしまう。

 そんな帳家の日常は、平常運転で回っていた。

 歩ただ一人を除いて……。


「ぼくは……」


 自室に戻り、再びベッドに寝転がる。

 今日、自殺するつもりだったのに。もうここに戻ってくることは無いと思っていたのに、歩はこうして自分の匂いがするベッドに横たわっている。それがどれだけ安心で、幸せなことか、噛み締めるように震える。

 だからこそ、夢だと思いたかった。

 もう一人、あそこにいた先輩は――歩の目の前で死んでしまった。


「あいつは一体……」

『俺がどうかしたか?』

「えっ――」


 瞬きをした一瞬で、歩の目の前の景色は一変していた。

 全てが黒で塗り潰された世界。その中で、歩の姿だけが鮮明に映し出されている。

 そして、もうひとり。

 クマのように大きな体格の、真紅の鉄のような体をもった赤鬼が、歩の目の前で浮かんでいた。そして、赤鬼はすぐに肉体を粒子上に分解させ、紺色の着物を着た、若い男性の姿へと変えていった。燃えるように赤いセミロングの髪を後ろで縛り、鍛え抜かれた肉体の内側には、限界まで絞られた筋肉の躍動を感じる。総じて、野性味溢れる男だった。


「これは……」

「驚いたのはこっちの方だぜ」


 驚き過ぎて、逆に反応が淡白になる歩に、男は楽しそうに笑って見せた。 


「まさか、俺の自我を目覚めさせられる人間がまだいたなんてなぁ」

「自我って……あなたは、誰なんですか? それにここは――」

「はいはいわぁーってる。今から説明してやんよ」


 赤髪の男は、自分を親指で差しながら、不敵な笑みを浮かべる。


「俺の名前は、レガ。さっきまで、お前が赤鬼だと思ってたヤツの中身ってところだ」

「中身って……じゃあ、先輩を殺したのは――」

「俺じゃねえ! ……いや、説得力がねえか。まぁ、俺なんだけど、俺じゃねえ。心と体が違ってたっつーか……すぐに信じられるわきゃねえとは思うけど、とりあえず話を聞け。でねーと先に進まねーからな」

「は、はい……」


 歩は気を引き締め、何かあったらすぐに反応できるよう身構えながら、レガの言葉を待つ。


「俺を操っていた誰かがいる。けど、お前のおかげで目が覚めた……」

「…………」

「……あ、終わりな?」

「えぇー!?」


 思わせぶりな態度の割に、塵に等しい情報量。歩は、思いっきり脱力した。


「いや、わかんだよ? お前の言いたいことも。けど、事実だ。俺の目が覚めてたら、あんな風にガキを食ったりなんかしねーからな。調理が簡単な鶏肉の方がぜってー美味い!」

「そ、そんなこと言われても……」


 そう言いつつも、歩は不思議と、レガの言葉を信じかけていた。彼の理性ある言葉が、歩の肉体に染みこみ、魂に形があるとするならば、その中心にまで熱を与える――そんな感覚をもって、捉えていた。


「事情はどうあれ、お前のおかげで俺が目覚められた。ってことで、気絶したお前の身体を使って、ここまで移動したってわけだ」

「要するに、乗っ取ったってことですよね……?」

「非常事態だったんだぞ、悪く思うな。普段からそうしてーわけじゃねーから、そこは安心しな」

「はぁ……」

 

 にわかには、信じられない話だった。

 一方で、話が通じる相手のようでもある。

 それがわかっただけでも、大分違う。


「ふむ……しつけーようだがな、俺はこうなりてーって思ってたわけじゃねえ。つまり、眠ってた俺を誰かが操ってたってこたぁ、俺を使って何かしようってバカがいるってことだよな。ってことは、このままにはしておけねーってわけだ」

「な、何をする気なんですか……?」

「決まってんだろ」


 レガは、掌を拳で叩きながら、双眸を鋭くした。


「ぶっ潰す」


 歩は、渋面を浮かべた。思っていた通りの反応だった。

 同時に、嫌な予感がした。


「俺の身体は今、お前と同化している状態にある。なんでか知らねーがな」

「同化って、そういや何が起きてるんですか!?」


 血相を変えて慌てる歩だったが、


「やかましい」


 レガに頭を片手で掴まれたことで、多少は落ち着きを取り戻せた。そのまま、話は続いていく。


「言った意味の通りだ。俺は今、お前の中でしか生きられねー」

「そ、それでどうやって、その相手を追うってんですか……?」

「あ? オメーが手伝うんだよ! 俺の身体はもう、力が無くなってお前無しじゃ実体化出来ねーんだし、わかり切ってんだろうが!!」

「いや、初耳……っていうか、うわぁ……!」

「あからさまに嫌そうな顔してんじゃねえ。その代わり、お前に何かあった時は、全力で助けてやっからよ。そんじゃ、頼むわー」

 

 そして、瞬きすると同時に、歩は再び自分の部屋に戻っていた。レガの姿は、見当たらなかった。

 代わりに、歩の右手に、真紅の三鈷剣が握られていた。刃渡り40センチ程度の短刀だが、中学生が持つには十分に物騒な道具だった。


「……呪われてんのかな、ぼく?」


 愕然となった歩だが、すぐに強烈な睡魔に襲われ、眠りについた。

 今度は、変な夢を見ることはなかった。


 ◇◆◇◆


 ~12月10日 09:05 満田中学校校舎裏~


「……ちょっ、どうしたっていうのよ!?」


 校舎の影に隠れて歩と霧人達のやり取りを覗き見していた沙貴は、呆気に取られていた。

 今までは、自らの罪として甘んじていじめを受け入れていた歩が、ここに来て急に反抗した。それ自体は喜ばしいことだが、問題は歩の態度だ。


「今まではぼくだけが狙いだったみたいだから大目に見てたけど、今度はそういうわけにもいかないかなァァァー……」


 歩の赤くなった目がギョロっと動き、残りの取り巻きを捉える。


「ひっ!」

「こうなったら、しょうがない」


 歩は目に留まらぬ速さで、一番大柄の男子の懐に飛び込み、彼の左脚を蹴り上げた。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「少し、思い知らせるか」


 大柄の男子はその場で尻もちをついて転倒したが、それだけでは済まなかった。


「お、おい高村!?」

「こ、これ、折れてんじゃねえのか!?」


 高村と呼ばれた男子の左脚は、曲がってはいけない方向に曲がっていた。

 

「さて……」


 泣きながら苦悶の声を上げる高村を余所に、歩は彼の上半身を蹴り倒した。そのまま横に向いた高村の顔を踏みつけ、足裏に接触した歯を全て叩き折った。血を吐き出し、声にならない叫びをあげる高村をそのままに、残りの3人に接近する。


「お、おい……悪かったって!」

「俺達、ただおもしろそうだからってついてっただけで、本気でお前が嫌いなわけじゃねえんだよぉ……!」

「……ッ!」


 弁解のつもりなのか、震える声で許しを請う残りの取り巻きの男子たち。彼らを前に、歩は呆れるように鼻を鳴らした。


「命乞いしたいってんなら、せめてこれまでぼくから盗った金を耳を揃えて返すぐらいのことはするべきだと思うけど? いくらだったっけ?」

「えっ、えっと、それは……」

「何万円だったかな? 正確には覚えてないけど……用意できるの?」

「そ、そんなの無理だよ……!」


 メガネをかけた長身の男子が、震えながら首を横に振る。


「なんで?」

「だ、だって……金額が高すぎて、そんなのすぐには――」

「それこそ、親に用意してもらえばいいだろう? 一人で全額用意しろってんじゃないんだ」

「そ、そんなことしたら――」

「バレる! よねぇ?」

「あ、ぅぅ……」

「成績気にしてんなら、こんなこと最初からするべきじゃないって、すぐにわかりそうなもんだけどね。ま、いいや」


 歩は残りの取り巻きをそのままに、その場を離れる。

 そして、振り向かずに語り掛けた。


「この状況は、もう周りのみんなに知れ渡ってるだろうね。でも、先に仕掛けてきたのはお前達だからな? 同級生全員が証人だ、今さら言い訳なんかできると思うなよ」

「「「は、はい……」」」

「あとは、そうだ」


 歩は振り向き、痙攣している霧人を見下ろす。


「そいつに伝えといて。今度は、右腕一本じゃ済まさないってさ。まぁ、そうは言っても、そいつ普通に右腕使ってたから、今度こそぶっ壊してやるって言い方でも構わないよ」


 そう言い残し、今度こそ歩は霧人のグループから離れた。

 そして、校舎の影に隠れていた沙貴と鉢合わせる。

 歩は、目を伏せた。そして、再び開かれた時、歩の瞳の色は、元の黒に戻っていた。


「アユくん……?」


 調子が悪いのだろうか? と思った沙貴は、気遣うように歩の腕に触れる。

 沙貴の手に、歩の手が重ねられる。


「……今までごめんね、沙貴ちゃん。でも、もう大丈夫だから」


 歩は、困ったように笑った。だが、ここ最近見せられた表情とは、大きく質が異なっていることを、幼馴染である沙貴はすぐに理解する。

 今の歩の表情は――そこに秘められた感情は、全て沙貴に向けられている。


「もう……さっさとこうしちゃえば良かったのよ」

「見てたんだよね? 怖くなかった?」

「ちょっとだけね。でも、あいつら調子に乗り過ぎてたし、むしろスカッとしたわ! ていうか、最初から出来るならそうしなよね?」

「そうだね。反省してる」

「ならよし! じゃあ、行こっ」


 沙貴は、歩の手を引いて歩きだした。少々やり過ぎな面は否めないが、沙貴の本心は歩に語った通りだった。

 初めこそ気の毒だったとは思うが、霧人は自らの怪我を全て歩のせいにし、一線を越えた。報復としては、あれでも物足りないくらいだ。

 とにかく、これで歩は大丈夫だろう。また、自分達も前と同じ関係に戻ることが出来る。

 そう思った時、沙貴は顔が熱くなるのを自覚した。


 ◇◆◇◆


「……なるほど。こりゃ決定的だ」


 歩たちのやり取りを、別の位置で監視している者がいた。プールの更衣室の上で、うつ伏せに寝そべっていたため、沙貴の目にも映らなかった。


「にしても、沙貴って意外と容赦ないわな。ありゃ、真面目系クズってんだっけ?」


 手をつなぎながら笑い合う幼馴染の男女を見守り、ため息をつく。


「せっかくイチャイチャできるようになったのに……悪いね、沙貴」

 

 そして、歩を睨み、立ち上がる。


「レガ……お前だけは、アタシが殺してやる……!」

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