第2話 変化の兆し

 ~12月09日 18:45 満田中学校裏庭~


 神聖たる学び舎に、多くの警察官を乗せたパトカーがなだれ込んできた。けたたましいサイレンの音が、校内の生徒や教職員、周辺の都民達の平穏をかき乱す。

 殺人事件が起きた。同校の男子生徒が、全身をバラバラに引き裂かれる惨い死に方をしていたという情報は、瞬く間に世間に知れ渡ることとなった。校舎内から、偶然現場を目撃した人間がいるらしく、そこからSNS上に情報が拡散されたようだ。

 被害者の身許は、すぐに判明した。遺体と共に引き裂かれた黒の学ラン――その襟に付いていた校章、落ちていた生徒手帳が、彼がバスケ部に所属していた男子生徒のものだった。部長を経験しており、誰からも慕われる人気者だった。

 流れ落ちた血液は瑞々しく、男子生徒が殺害されてからまだ間もないと判断した警察は、校舎内の人間を安全確保とアリバイ調査のため、校舎内での待機を命じた。

 しかし、調査は難航を極めた。容疑者の目撃情報が皆無だからだ。被害者が全身を切断されたということは、犯人は多少なりとも返り血を浴びているはずだ。しかし、一切の目撃情報が無い。念のために周辺の草むらを探ってみたが、こちらでも容疑者の足跡は確認できなかった。

 まるで、瞬間移動で姿を消したかのようだ。

 唯一、おかしな点があるとすれば、それは現場近くにある電柱の電線がショートし、火を噴いていたことぐらいだった。

 けれども、それが事件に関連性のあるものだとは、誰も想像できないだろう。



 ~12月10日 08:15 満田中学校内~


 翌日。凄惨な事件が起きたものの、義務教育を止めるわけにはいかないという理由で、予定通り生徒達はそれぞれの教室に向かっていった。

 普段と違うことがあるとすれば、裏庭を囲う警察の姿に、不穏な空気を感じ取っているということか。


「おっはよぉ、みんなぁ~!」


 2年2組の教室内に、おっとりとしたクラス担任の女性教諭――不破ふわほのかの声が響き渡る。不破は去年まで教育実習生だったということもあり、若くてきれいな女教師だった。大人でも殺人事件はおっかないと思うが、不破は大人の役割と役職を果たさんと、努めて元気よく振舞っている。


(アユくん、遅いなぁ……)


 クラスの学級委員を務める少女、織部おりべ沙貴さきは、さらさらした長い黒髪を手で梳きながら、右隣の空席をみつめ、ため息をつく。

 幼馴染の歩は、基本的には真面目な性格だから、何があっても連絡なしに学校に遅れるような男の子ではなかった。

 胸騒ぎが、止まらない。


(もう、何やってんのよ……)


 沙貴は、歩の姿を求めるように、外を眺める。


(もしかして、またあららぎに?)


 沙貴は、窓際の席の最後尾の席に座る赤髪の男子生徒――蘭霧人きりひとのニヤケ面を一瞥すると、怒りをこらえるように両手を握りしめる。

 クラスメイトである沙貴は当然、歩が霧人からのいじめの被害に遭っていることを把握していた。

 幼馴染の危機ということで、沙貴は被害の拡大を防ぐため、匿名の投書で職員室にいじめの報告をしたことがある。

 だが、一向に改善は見られなかった。

 これは、一度や二度の話ではない。自分でも2週間に1回はしているし、友達に協力してもらったこともある。それにも関わらず、学校側は蘭霧人を止めようとする動きを一切見せなかった。

 警察官の息子である霧人は、何かしらの後ろ盾を得ている――そう思わずにはいられなかった。噂では、女遊びもしていると言われており、不破も相手のひとりだとか噂されている。だとしたら、それは揉み消しを行うためだろう。

 でなければ、ここまで何も起きないなんて思えなかった。


(最近、エスカレートしてるよね。蘭のいじめ)


 今朝も、沙貴は歩が登校中に蘭霧人に連れ去られていく場面を目撃していた。しかし、何をどうしたら良いのかわからず、見てみぬふりをしてしまった。本音を言えば、体を張ってでも割り込みたいが、歩から「危険だから」と強く止められてしまい、沙貴も出るに出られない、もどかしい状況になってしまった。


「帳君」


 その名が呼ばれた瞬間、教室内の空気は一瞬で冷え込んだ。


「帳君? ……まだ来てないのね」


 不破が目で生徒達に問いかけるも、誰も口火を切ることは無かった。


「そっか。欠席なのね……」


 困ったように唇を尖らせる担任の姿を見た霧人と、彼の周りの男子生徒が、ニヤニヤと嫌味な笑みを浮かべる。霧人の取り巻きのような連中は、「おもしろそうだから」という理由で彼の悪事に加担している、愚かな子どもだった。


(アユくん……)


 沙貴は、幼馴染である気弱な少年の身を案じる。

 2年になり、霧人が転校してきてから、歩は彼からいじめを受けるようになった。なんでも、小学生の頃、歩と剣道の試合をした時、右腕に怪我を負わされたとかで、当時の恨みつらみを晴らそうとしているらしい。優しいが気弱な歩は、自らの責任とばかりに、霧人の嫌がらせを甘んじて受けてしまい、暴行がエスカレートしていった。持ち物が無残に引き裂かれるのは序の口で、最近では霧人の知り合いの不良高校生のサンドバッグにされているなんて話も聞いたことがある。

 こうなってしまうと、歩が沙貴を避けるようになったことは、理解できてしまう。

 歩の懸念通り、沙貴が無鉄砲に間に割り込んでしまえば、取り返しのつかない結果になる可能性が高い。

 だから、沙貴も歩を避けるようになってしまった。巻き込まれるのが怖いと思ってしまった。

 せめて、「何とかしなきゃ」とは思っているけれども、学校は頼りにならない。大人の助力が得られないのなら、改善案なんて浮かばない。

 沙貴が一人悶々と頭を抱えているところに、背後から扉が開く音がした。


「すみません、遅れました……」


 クラスが騒然となる中、沙貴は教室に入って来た探し人の姿に、微笑を浮かべる。


(アユくん……!)


 帳歩が、ぎこちない笑みを浮かべながら入って来た。

 静かに驚く沙貴に気付いた歩は、気まずそうに微笑みながら自席に着く。

 沙貴は秘かに安堵した。先程、最後に見た彼の顔は、この世の終わりを迎えたかのように沈み切っていたから。

 一方で、違和感もある。


(……今日は、何もなかった?)


 近頃は生傷が絶えない歩の体が、今日は綺麗になっている。顔面に青タンが出来たり、首筋や袖の下から痣が隠れている、なんてこともないようだ。

 沙貴はつい、霧人の方を見る。

 彼らは、呆気に取られていた。きっと、何かしら歩に危害を加えようとしたのに、こうして平然と教室に入ってきたことが、意外だった……ということだろう。


 やがて、担任の話が「昨日の特番に出てきた街の歴史について」などとどうでもいい内容に入った。

 ここで、沙貴は机を指で叩き、歩の注意を惹く。

 歩は、すぐに振り向いてくれた。


「どうしたの、織部さん?」


 少しだけ、胸がチクッとなった。

 今年になって、歩の沙貴への呼び方は他人行儀になっていた。霧人の矛先を、沙貴に向けないためだとは理解しており、沙貴もそれに合わせる形を取っている。

 だが、たった一人の男のために、自分達の関係を変えられてしまうことは、沙貴にとって不愉快極まりない話だった。


「遅かったね。何かあったの?」


 努めて、笑顔を浮かべて尋ねる。


「あ~、うん……ちょっとね」


 対する歩は、気分が優れないといわんばかりに表情を沈める。


「そう……」


 気の利いた励ましが出来ず、沙貴は自己嫌悪に陥る。

 そこで、一限目の授業の始まりを告げるチャイムが鳴り響いた。不破が慌てて職員室へと戻っていく。そして、生徒達もそれぞれ授業の準備を始める。


「……それじゃあ、ぼく行くね。早く着替えなきゃ、授業に遅れちゃうよ?」


 歩は手にした袋を示し、沙貴に着替えを促す。今日の一限目は体育であり、男女別れての着替えが義務付けられている。


「あ、うん」

「じゃ、また後で」


 少しだけ忙しない様子で、歩は一人更衣室へと向かっていった。とりあえずは元気そうで良かった、と沙貴はひとまず胸をなで下ろした。


 ◇◆◇◆


 ~12月10日 08:40 校内某所~


「やはり、彼は出てきましたね」

「滾って来たかい、刑事さん?」

「えぇ。早速、『レガ』が動き出してくれましたから。腕が鳴るというものです」

「へぇ? なんでわかんの?」

「ホームルーム直前に、またも学校近くの電柱がショートを起こしていたそうです。そして、後で騒ぎになると思いますが、近隣の有料駐車場で、複数の男子高校生が重傷を負った状態で倒れているのを、現場近くを調査中だった警官が発見したそうです」

「と、なると……?」

「えぇ。犯人ほしの目星もついています。ですが、先走るのはよしてくださいね?」

「なんで?」

「睨まないでください。あなたがレガに執心している理由は承知していますし、理解も出来ます。ですが、相手が悪過ぎる」

「言ってくれんじゃない。ズケズケとさぁ?」

「ケンカ腰になられては困りますよ? 僕達は一応、協力関係にあるわけですから」

「だったら、その無駄に回る舌をひっこめるんだね。アタシは、アタシがやりたいようにやるだけ」

「賢明とは言えませんね。まぁ、あえて止めはしません。あの高校生らが蘭霧人に加担していたと思えば、因果応報とも呼べる結果でしょうし」

「てなわけだ。アタシは折を見て仕掛けるから、大人しく見てるんだね」

「やれやれ……人目を避けることだけは徹底してくださいね?」


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