戦鬼夜行 ~弱き少年は、弱肉強食の理を覆す~
すはな
第一部 鬼になる
第1話 戦鬼
――その日、ある少年の中で、大事な何かが折れた。
冬の冷たさは、人の脳を壊す。12月初旬の東京でも、ロクに対策をしていなければ、人間ならば簡単に体調を崩してしまう気候だ。
それは、精神にも作用する。
普段なら当たり前のように思うことでも、寒さに弱った人の心は、それを重荷と感じるものだ。当然、そうなった人は、重たい荷物を降ろしたくなるものだ。
たとえば――自分の命とか。
「バカ、何やってんだよ!」
東京都港区にある
「おらぁ!」
大柄の男子が、もう一人の男子を地面に投げ飛ばす。彼の胸ポケットから飛び出した緑色の生徒手帳には、彼の証明写真と、
そして、すぐに思い至る。
彼が、『例の』……。
「……邪魔しないで」
ずぶぬれになった黒髪が目元を覆っており、表情は見えなかったが、歩は泣いていた。地面に尻餅をつき、身を震わせる。
しかし、どんな状況にあっても、許してはならないことがある。
「アホ!」
大柄の男子が、歩の頭をはたいた。歩の反応は無いが、それでも言わずにはいられない。
「こんなトコで……何してんのか、ホントにわかってんのか!?」
血相を変えた様子の男子生徒が、息を荒くしながら歩に詰め寄った。
歩はぼんやりと記憶を探り、彼が今年の夏までバスケットボール部の主将を務めていた男子であったことを思い出した。
「何考えてんだよ、お前……?」
「……何でもないよ」
「んなわきゃねーだろ!」
元バスケ部は、制服の胸ポケットからハンカチを取り出し、歩の顔を拭う。
「こんなびしょ濡れになって……なんかあったんだろ?」
「……なんでもない」
「なんでもなけりゃ、こんなトコで入水自殺なんて真似するかよ」
元バスケ部は深いため息をつきながら、歩の髪に染みついた水をハンカチで吸い取り続ける。
「お前、確か帳っつったよな? 2組のいじめられっ子のさ」
一瞬、歩の肩が跳ねた。随分とはっきり口にしてくれるものだ、と歩は思った。
「もしかして、
歩の顔が曇る。その反応を見た元バスケ部は、図星だと確信し、表情を歪めた。
しかし、何よりも有名なのが、歩に対するいじめの酷さだった。
「ちゃんと、先生には話したのか?」
「……話し、ました」
しかし、歩のこの反応からして、元バスケ部は教師がこの問題に深く介入する気が無いことを察した。
問題が発覚してから2か月経った今でも、歩を苛む状況に改善の兆しが見られないのが、なによりの証拠だ。
手をこまねいているのか、あるいは放置されているのかはわからない。どちらにせよ、学校はこの事態を静観するつもりなのだろう。
「ったく、胸糞悪ぃ!」
歩の境遇に同情した元バスケ部は、手の平に拳を叩きつける。そして、
「次こんな事になったら、俺に話せ」
元バスケ部は歩に目線を合わせ、労わるように彼の肩を叩いた。
「えっ?」
「そいつのこと、ぶん殴ってやる。そうすりゃ、少しは状況が――」
「ダメだよ、そんな……」
歩は、弱々しく首を横に振る。
「もうすぐ受験なんでしょ? こんなトコで暴力沙汰でも起こしたら、進学どころの話じゃ無くなっちゃいますよ……?」
「あっ……」
元バスケ部は、気まずそうに表情を歪めた。ただでさえ成績が良くないのに、ここで問題を起こしてしまえば、何が災いするかわからない。
歩は、「所詮こんなもんだよね」と思いながら、嘲笑うような表情で天を仰ぐ。
「だいじょぶです。ぼくのことは、ホント、いいんで……」
「だけど……」
「どうせ、無駄なんだから……」
先程とは打って変わって気弱な態度の元バスケ部に、歩は短く笑って見せる。
きっと、彼の気持ちは嘘偽りのない、本心から歩を気遣ってくれたのだろう。善意だけでどうにかなる問題ではないことは、ずっと前からわかっている。
だから、しょうがないことなのだ。
「だから、気にしないでください。何もかも……全部どうでもいいんだ……」
「お前……!」
「ぼくがいなくなれば……全部解決するんだ……」
「そ、そんなわけにもいかないって!」
元バスケ部は勢いよく立ち上がると、強引に歩の腕を取り、立たせようとする。
「離して……」
さすがにうざったくなったので、歪んだ表情で拒否感を示す。だが、元バスケ部は歩を立たせるために腕を引っ張り続ける。目の前で死のうとしているのだから、当然の帰結だ。
「このまま勝手に死なれたんじゃ、後味悪過ぎんだろうが! いいから、一旦落ち着けって!」
元バスケ部に強引に立たされた歩は、盛大にため息をつく。
「いろいろあったんだろうし、軽はずみな同情なんてのもできねーけど……でも、死ぬな。死んじまったら、それこそお前をいじめてたヤツを喜ばせるだけだろ」
「そんなこと言ったって……」
「どうすれば良いの?」、と歩は視線で訴える。しかし、勢いで口を滑らせたのか、元バスケ部は具体的な打開策を提示するでもなく、ただ「生きてりゃなんとかなる!」と、体育会系にありがちな根性論を持ち出してきた。
今、一番聞きたくない言葉だった。
(あ~あ。邪魔されちゃったよ……)
歩は呆然と、空を眺める。そして、何気なく、軽はずみに願った。
(こんな世界、壊れちゃえばいいのに)
後に、歩はこの時の言葉を、酷く後悔することとなる。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
背後から響く爆音が、歩の鼓膜を震わせる。ふと、ゆっくりとした動作で振り向いた時には、既に状況は一変していた。
突如、目の前が白い光に覆われた。
「うわぁ!」
「ぐっ!」
元バスケ部は叫び、同時に歩の全身に、大きな鉄の塊をぶつけられたような衝撃が襲った。突き飛ばされた歩は、後ろに転がり続け、やがて仰向けに倒れた。痛みに苦しみながらもなんとか起き上がり、目を開く。なんとか、視界を回復していた。
しかし、あるいは見えなくなったままの方が良かったのかもしれない。
そう思いたくなるくらい壮絶な光景が、歩の目に飛び込んできた。
「えっ――」
目の前に、化け物が立っていた。鎧を着た熊のような巨躯に、丸太のように太い手足、歌舞伎のような橙色の長髪。銀色の光沢を放つ爪と牙には、血が滴っている。
その姿は、正しく赤鬼だった。
バキバキッ! ぐちゃぐちゃぐちゃ!
赤鬼は、食事をしていた。歩の前に、歩の目の前で、歩を助けようと躍起になっていた元バスケ部の体を、まるでフライドチキンを食べるかのように、貪っている。
ゴクリッ。
絶句。
同級生が飲み込まれていく様を、歩は見ていることしか出来なかった。地面に広がる血の海を見ても、飛沫のように飛び散る血液を体中に浴びせかけられても、悲鳴を上げるが出来なかった。それ程に、目の前に広がる光景は凄惨だった。
思わず後ずさる。だが、
「逃げんなよォ……」
思いの外、流暢な言葉遣いだった。元バスケ部の肉体を食いつくした赤鬼が、歩ににじり寄ってくる。
「な、なに……?」
「臭うなァ、お前。腐ったリンゴみたくプンプンしやがる……!」
「なに、言ってるの……?」
「けど……うんまそうだァ~……!」
一方的に喋り続けていた赤鬼が、歩の喉元に爪先を当てた。鋭い爪が、喉元を突き破り、気管支に触れる。
「お前……極上だァ~」
「えっ……?」
「獲物だァ。極上の獲物だァ~」
一瞬、冗談かと思った。しかし、歩は元バスケ部が捕食された光景を思い返すことで、そんな都合のいい思考を切り捨てる。
「死にてぇんだろ? 楽になりてぇんだろォ?」
歩は狼狽え、声にならない声を上げた。
確かに、歩は自殺するつもりでこの広場に足を運んでいた。同級生からの度重なるいじめに耐えられなくなり、かと言ってやり返すわけにもいかず、それならば――と全てを放棄するつもりだった。
だが、本能が叫ぶ。
元バスケ部の先輩のように、食べられて死ぬのだけは嫌だ!
「だったら……俺にヤラセロヨ」
「ぐっ!」
赤鬼の手が、歩の首根っこを掴む。意外にも、この化物は器用なようで、歩が抵抗できないように、かつ簡単には死なないように力を加減している。
「ぐ、ぅ……」
苦悶の声を上げる歩。力が出ないけど、それでも赤鬼の手を両手で掴む。さっきまではあれほど死にたいと願っていたはずなのに、今では何としてでも逃げたい、助かりたいという気持ちが湧き上がってくる。
「もらうゼェ~、おメェーのカラダォ、この〈レガ〉様がよォ……!」
赤鬼は憮然と鼻を鳴らすと、口端を吊り上げる。そして、
グキリッ!
歩の首の骨を、片手で折った。
「ガッ……」
歩は血を吐き出し、自分の生を支える『もの』が壊れていくのを実感した。急速に、意識が遠ざかっていく。
赤鬼が、大口を開けて迫る。この期に及んで死への恐怖は消えないが、体は動かないし、声も挙げられない。
「腹が減った。もう、我慢できねェ……!」
そして、赤鬼が血みどろになった顎を開く。
(死ぬ。これで……)
歩は、己の死を悟った。まもなく自分は、この赤鬼の腹の中に入り、溶かされていく。実に格好悪い人生だったな、と自嘲すらしてしまった。
「フシャァ~……」
そして、歩の上半身は、赤鬼に飲まれた。
◇◆◇◆
20分後。
「こりゃあひでぇ……」
青のジャージを着た若い男性が、右手で後頭部を掻きながら嘆息する。
「遅かったか……」
「はい」
男の隣では、満田中学校の制服である黒い学ランを着た少年が、中庭に広がる血の海を、無表情で観察していた。銀髪を短く切り揃えたメガネをかけた男子生徒は、いかにも優等生といった風貌であり、現に学業成績は学校はおろか、全国模試で堂々の1位を獲得する程の高さを誇っている。
男子生徒は、この現場の第一発見者だった。
「上の電線が壊れています。ここで、トラップを突破したものと思われます」
男子生徒が指差した先には、切れた電線があった。断面からバチバチと音が立てられ、火花を散らしている。
「そして、人を食らった……」
2人は、血の池を見下ろしながら、揃って息を吐いた。
「さっき監視カメラに映し出されたのは、2人の男子生徒だったな?」
「はい。ですが、この血の量は一人分……ですね?」
「あぁ。もう一人の生徒は……」
2人の男の視線が、再び千切れた電線に移る。
「連れて行ったって考えるべきか……?」
「おそらくは」
「よもや、ヤツが人間に興味を示すとはなぁ~……」
ジャージの男は重苦しい息を吐きながら、呟く。
「一体、何を企んでやがる、あの
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