一話 白色の眷属

 「・・・・・・。」




 少女の手が小刻みに震えている。そしてその震えは手指を通してテストの答案用紙に伝達する。緑髪でショートヘアーの少女の名は江古田 翠えこだ みどり。中学二年生だ。翠はテストの結果に絶望していた。


 新学期最初の確認試験から一週間が経過し本日返却された。だが、翠は一年の復習を怠り、点数が25点と低めであった。はっきりと言えば赤点だ。




「うわぁ~これは酷い。じゃから百合と一緒に勉強しようって言ったのに断るから」


「う、うるさいなぁ。そういうみかんは何点だったんだy・・・・・・ん?」




 みかんと呼ばれたオレンジ色の髪色をし、訛りのはいった少女の名は燈乃とうの みかん。翠と同じクラスメイトであり、親友である。


 翠が反論する前に一枚の紙、つまりは自分の答案を見せつけるように差し出す。みかんは目を瞑りながら天井を見上げ、勝ち誇ったかのように鼻を鳴らした。翠が奪い取るように手に取り、また手先が震えた。


 そこに記されていた数字は93点。翠の三倍近くある点数にぐうの音も出なかった。歯を食いしばり、悔しさが顔に出るがどうしようもできず、残された選択肢としては白旗を上げるのみである。




「翠ちゃん、顔が怖いよ。」




 二人のやり取りに苦笑いしつつも、翠に声をかける少女の名は白花 百合しらはな ゆり。白髪が特徴的な女の子だ。


 三人は小学校の頃から仲の良い親友である。




「悔しい。何も言い返せないのが」




 正論を言われ、ただ歯を食いしばることしかできない翠。百合は励まそうとするも試験の結果は翠の自業自得なのでかける言葉がなく、苦笑いしかできなかった。


 そうしているうちに教科担当であり、百合たちのクラスを受け持つ那須先生が話を始めた。




「はい、皆席に着いてー。今回の範囲は一年生で習った範囲だからできてない人は恥ずかしいと思ってね。あと赤点の江古田は放課後補習をするので帰らないように」




 名前を呼ばれ、しかも一人だけ赤点だという屈辱を与えられ、あまりの恥ずかしさに顔を赤く染めた。


 なにも名指しで言わなくてもと思ったが、結局は自分が悪いのだから


 テストの結果に満足したもの、危機感を感じたものなどいろいろ生徒の思うところはあっただろうが、那須先生の声によって生徒たちの会話は終わり、授業を始めた。


 生徒たちは気持ちを切り替え教科書を開き授業に集中する。ただ一人を除いては。


 翠がさっきから死んだように机に伏せている。よほどテストの結果がショックだったのか、それとも那須先生の名指しが嫌だったのか、どちらにせよ自業自得である。




「江古田。ちゃんとノートとっときなさいよ」


「はーい」




 顔を上げずにめんどくさそうに返事をする。そしてそのまま数秒もたたぬうちに熟睡。那須先生のお叱りを受けたのは言うまでもない。






☆★☆★☆★






「じやあ行ってくるよ」




 まるでこの世の終わりを見てきたかのような顔をしている。時刻は放課後で16時30分過ぎ。今日の授業はすべて終わり放課後になった。部活動に行くもの、委員会の仕事を全うするもの、まっすぐ家に帰るものなど生徒一人ひとりの自由な時間が訪れる。・・・・・・ただひとり翠を除いては。これから翠は補習という名の地獄に行かなければならない。最初翠はバックレようとしていたが、あの那須先生を怒らせることがどれだけ愚かなことか過去の経験から知っているため嫌々補習を受ける決意をしていた。




「い、行ってらっしゃい・・・・・・終わるまで待ってようか?」




 百合にはどうすることもできない。せめて友達として笑顔で送ってあげようと考えたが、あまりの翠の顔に少し引いてしまったのは本人に内緒だ。これを機にもう少し勉強を頑張ってほしいが、どうせ次も補習を受ける運命なのだろうなと失礼なことを考えていた。




「いや、いい。補習は18時まであるらしいし、百合をだいぶ待たせることになるから先に帰っててくれ」


「そう?わかった。じゃあ今日は先に帰るね」


「そういえばみかんは?さっきから姿が見えないんだけど」




 顔を左右に動かし教室内を見渡すが、みかんの姿はどこにもなかった。




「みかんちゃんなら今日は用事があるから早めに帰るって言ってたよ。ご両親遅く帰るから家のことやらなくちゃいけないんだって」


「あ~そうか。大変だな、みかんも」




 ふと教室の壁に掛けられた時計を見ると長針は50を指していた。補習の時間まであと十分ほどしかない。




「ってやば。もう行かなくちゃ。じゃあ百合、また明日」


「うん。翠ちゃんも補習頑張ってね」




 そう言って鞄を持ち教室を出た。補習の場所は三階の教室で行うので間に合うとは思うが、遅刻した時の那須先生の怖さを知っているため早めに席に着きたいのだろう。


 翠もみかんも百合の友達は皆教室から去ってしまった。百合も帰る準備をしようと荷物をまとめていると、教室の一番前の席に座り読書をしている黒髪の少女が目に留まった。


 彼女の名は十返 黒葉とがえり くろは。一年生では別々のクラスであったが、二年生になりはじめて同じクラスになった同級生である。今は読書をしているようだ。夕日の西日が彼女を茜色に染める。一年生の時、面識はあるものの会話したことはほとんどなかった。これを機に仲良くなろうと話しかけようとしたが、普段読書をしない百合は共通の会話の内容も特に浮かばず、それどころか読書の邪魔になるのではないかと考えた百合は今度読書をしないときに話しかけてみようと思い、今日は諦めた。学校指定鞄を左肩にかけ、教室を出ようとドアを開けた。しかし、ドアの扉は百合によって開かれることはなく、扉の向こう側に立っていた人物がドアを開けていた。その人物は那須 紫音なす しおん。百合たちの担任だった。




「あら、白花さんちょうどいいところに。今時間大丈夫?」


「あっはい。大丈夫です」


「本当に!?よかったー。ちょうど人手が欲しかったのよ。ってあら、あそこにいるのは十返さんね」


 視界に映った黒葉に先生が気づき、声をかけようと近づく。彼女は読書中なので百合は邪魔しないよう止めようとしたが、那須先生はそんなことお構いなく黒葉に声をかけた。


「十返さん。読書中悪いのだけれど今時間あるかしら?」


「なんでしょうか?」


「少しだけ手伝ってほしいことがあるの。後ろの白花さんと一緒に。大丈夫、そんなに時間は取らせないわ」


「わかりました。少しだけなら」




 黒葉は今読んでいる本にしおりを挟み、本を閉じた。




「それじゃあ二人ともついてきて」




 そう言って那須先生は教室を出た。二人に手招きして「早く」と急かす。黒葉は自分の本を机に置いて席を立ち教室を出る。百合も荷物を自分の机に置き、慌てて二人の後を追いかけた。


先頭を那須先生が歩き、後ろに二人が並んで歩いている。二階から一階へ降りていく。


三人の間に会話はなく、足音だけが響く。沈黙を先に破ったのは那須先生だった。




「二人はもうクラスに慣れた?」


「あっはい。一年生の頃、同じクラスだった人も多いのですぐに慣れました。二年生になったていう実感はなかなかあまりわかないですけど」


「そうよね、あまり実感わかないものよね。先生も学生時代はそうだった」


「そうなんですか」


「そうよ。クラス替えしても仲のいい友達と離れ離れになることは少なかった。勉強も習うことが増えたり変わったりはしたけど、一年から二年で変わったのってそれくらいだったから。担任も相変わらずフレンドリーに接してくれたからね」




 百合は「へぇ~」と返事をしていたが、おそらくイメージがわかないので相槌程度に返事をしたのだろう。




「十返さんはどう?クラスには慣れた?」


「いえ、私は・・・・・・あまり・・・・・・」




 元気のない声で返事をした。目線は下に先生の足元を見ていた。黒葉はだいたい一人でいることが多い。人との付き合い方があまりよくわかっていないのだ。




「あまり仲の良い人いないですし、正直不安のほうが大きいです。私上手くやっていけるかなって・・・・・・」


「そっか・・・・・・あ、だったらちょうどいいところに白花さんがいるじゃない。二人が放課後に残っていたのもきっと何かの運命よ。これを機に二人とも仲良くなってみたら?」


「え?」




 そう言ってお互いに顔を見合わせる。百合からすれば願ってもみない提案だが、彼女はどう思ってくれているのだろうかと不安がよぎる。




「着いたわ。ここよ」




 百合の不安をよそに那須先生は二人に振り返る。その教室は長年使われておらず、他の教室で余分な机や椅子をしまっている場所であった。




「ここですか?ここってずっと使われていない教室ですよね?」


「そう二人に手伝ってほしいのわね、ここの机と椅子を掃除して白花さんたちのクラスまで運んでほしいの」




 教室の鍵を開けて中に入る。室内は夕日に照らされオレンジ色に染まっている。普段使われていない教室ではあるが、一年生の掃除担当になっているので特に目立った汚れは見当たらない。那須先生は教室の奥にあるロッカーから雑巾を二枚取り出した二人に手渡した。




「雑巾で軽く机と椅子を拭いて教室の一番後ろに運んでくれたらいいから」


「わかりました。でも、なんで机を運ぶんですか?何か授業で使うとか?」




 何の説明もなく連れてこられ、疑問の尽きない百合は質問せざるをえなかった。




「うーん。まだ生徒には秘密にはしておかないといけないんだけど・・・・・・手伝ってくれる二人に説明がないってのも確かにね・・・・・・」




 腕を組みながらためらっている先生。二人は何のことかわからず首を傾げる。




「生徒には内緒になってるからあまり言いふらさないでほしいんだけど実は来週転校生が来るのよ」


「えぇ!?」


「この時期にですか?」




 二人とも驚いた。驚きながらも質問したのは黒葉だった。




「なんでも父親の長期出張で東京からこの岡山に引っ越してくるらしくて・・・・・・今、その手続きを職員室でしているの。それで学年が白花さん達と同じ二年生らしくて机と椅子が一セット必要になるから二人に来てもらったのよ。二人とも転校生の子と仲良くしてあげてね」




 二人が断る理由もなく「はい」と返事を返す。




「先生はまだ他の仕事が残っているからこの場は二人に任せるわね。終わったら戸締りして鍵を職員室に返したら帰っていいから」




 そう言い残し教室を退出する。出ていくときに妙に嬉しそうだったのは気のせいだろうか




「それじゃあさっさと終わらせて早く帰りましょう。私は机を拭くから白花さんは椅子を拭いてくれる?」


「うん、わかった」




 二人で分担してすれば仕事は早く終わるもので五分もかからずに終えることができた。黒葉が机を、百合が椅子を持ち教室の鍵を閉めて百合たちの教室に運ぶ。




「十返さん大丈夫?重くない?階段があるから一度二人で運んだほうが・・・」


「平気よ。これくらい」




 階段を上る時、特に苦労することなく上がり、教室にたどり着いた。教室の後ろに運んできた机を置く。呼吸も表情も一切乱れていない彼女の姿はまさに百合の心配が不要であったことを証明している。


 教室の窓からはオレンジ色の光が差し込んできて幻想的な世界を創り出している。




「ここに置けばいいのかな。それとももう一度那須先生に聞いてくればいいのかな」


「いいんじゃない?あの先生それしか言ってなかったし」


「それにしても転校生か・・・・・・どんな子なんだろう?仲良くなれるといいな」


「さぁ、わからないけど。でも、白花さんの言う通り仲良くなれるといいわね」




 十返さんとも仲良くなりたいけどねと百合は本人には言わないが、胸の内に秘めておいた。




「十返さんは鍵を返したらもう帰るの?」


「えぇ、特に用事もないし、また先生の手伝いをするのは嫌だから」




 結構根に持っていたのか、少し表情を歪ませて呟いた。




「もし良かったら一緒に帰らない?私ももう帰ろうと思ってたの」




 一瞬戸惑いの表情を見せるが、すぐに「いいわ。一緒に帰りましょう」と承諾を得ることができた。


百合は机に置いていた青色が特徴的な通学鞄を左肩にかける。黒葉も通学鞄を右肩にかけた。


 教室の鍵を閉め、きちんと閉まっているか確認。鍵を職員室に返しに行く。職員室には那須先生がいなかったため他の先生にお願いして鍵を返した。


 そこから百合と黒葉はお互いの趣味や休みの日に何をしているか、好きなもの、お互いの名前の呼び方についてなど話した。黒葉は甘いものが嫌いと言っているのに好きな食べ物はシュガートーストだと答える少し変わった人物ではあるが、百合の話を真面目に聞いていた。百合も黒葉の話を相槌を打ちながら聞き、会話を通じて仲を深めていく。会話も盛り上がってきた時、二人は校門に差し掛かった。


 学校の敷地内を出るとここで二人の行き先が別々であることに気づいた。百合は左に黒葉は右に曲がろうとしていた。




「あれ?黒葉ちゃんの家そっちなの?」


「えぇ。百合はそっちの方向なのね。なら寂しいけどここでお別れね」


「うん、また明日ね黒葉ちゃん」


「えぇまた明日」




 そう言って二人は反対方向に歩きだす。お別れを言ったが、寂しさを感じる百合は後ろを振り返る。そこには黒葉の背中が見える。長い黒髪が左右に揺れている。その背中を見ると少し安心できた。すると黒葉は百合の視線に気づいたのかこちらに振り返った。二人の目が合う。手を振る。黒葉も手を振り返してくれる。お互い姿が見えなくなるまで三回ほどその動作を繰り返した。また黒葉と仲良くなれた気がして百合は嬉しくなった。






☆★☆★☆★






 時刻は18時を指そうとしていた。4月の初めに行った実力試験基準は30点。つまりは赤点にさえならなければ受けなくていい補習なのだが、あろうことかこの娘江古田翠は復習を怠り、赤点を取ってしまった。それでいままで補習を受けていたのだ。一年生、二年生、三年生合同で場所は三年の教室を使い、数学の先生が行っている。教室には三学年合わせて五人しかおらず、しかも二年生は翠一人だけである。


 補習といっても今回の実力試験の問題の基礎を押さえておけば解ける問題となっている。それにプリントは提出する必要はない。




「もうすぐ18時が来るから今回の補習はこれまで。家に帰っても各自復習を忘れないように」




 そういって数学の先生は教室を退出した。先生がいなくなったことにより生徒たちも緊張の糸が切れ、姿勢を楽にしたり、体を伸ばして補習による疲れを和らげようとしていた。翠も体を伸ばし補習で配られたプリントをクリアファイルにはさみバッグに入れる。周りの一年生や三年生はちょうど二人ずつ来ており、元から仲が良かったのかそれともたまたま同じだったからなのか真意は不明だが、今日の補習の出来や問題の難しさについて話し合っていた。この場に彼女がいれば間違いなく名前を叫びながら抱きついていたであろう親友は既に帰っているので翠もすぐに帰ろうと教室を出る。左右の確認をせずに出たため左から歩いてくる人物に気づかず、もう少しでぶつかりそうになったが向こうが止まってくれたため衝突を避けることができた。




「ご、ごめん。大丈夫?」


「えぇ、私の方こそごめんなさい。もう少し外側を歩けばよかったわね」




 翠とぶつかりそうになった。少女は藍色の髪色が特徴的な少女だった。どこか妖艶で魅力的な雰囲気を放っていてそのオーラは中学生とは思えないほどである。




「じゃあ私はこれで」


「待って!」




 一刻も早く帰りたい翠はその場をさっさと去ろうとしたが、その言葉に思わず足を止めた。




「あの・・・・・・まだなにか?」


「あなたの名前を教えてもらっていいかしらいいかしら?」


「江古田翠だけど」




 なぜ?と疑問に思いつつも無視すると罪悪感を感じるので素直に教える。




「翠さん。頬になにかついているわよ」


「え?」




 驚いて右手で頬を触る。名前を聞いたのは注意したかったからなのかと一人納得していると少女は一歩大きく近づいてきて翠の顔を両手で固定し顔を近づける。少女と翠の唇が重なる。この間わずか一秒程度。




「!!!???」




 突然の事態に頭が回らず驚愕と混乱で抵抗するという思考が奪われた。そして少女は翠の口の中に舌を入れ、自分の唾液を流し込んでくる。嚥下反射が起こり否応にも飲み込んでしまった。翠がようやく抵抗を始め、両手の力を使い少女を引き離す。少女は意外にも抵抗せず翠から離れた。




「な、な、ななな・・・・・・」




 顔は紅潮し、動揺で上手くしゃべれず体温は上昇し心拍数は跳ね上がる。呼吸も荒くなっているのが確認しなくても理解できた。




「ごめんなさいね。それじゃ」




 彼女は笑顔でその言葉を残すと翠に背を向けてその場から立ち去る。自分の体を抱きしめるように両腕を対側の上腕を掴み、身震いしていた。翠は彼女の背中を見つめながら少女に苦手意識を感じていた。少女はその後、翠に振り返ることもせず角を曲がって翠の視界から姿を消した。少女の手は藍色の光を放っていた。






☆★☆★☆★






 黒葉と別れた後、百合はいつもの帰り道を歩いていた。広い四車線の歩道の道中を右に曲がり住宅街へ入っていく。ここは交通量が少ないため車両や軽車両はめったに通らない。


 夕陽に照らされ影が前方へ大きく伸びる。自分の影を見つめながら百合は一人で下校していることに今更ながら気づく。今思えば一人で帰るのは珍しいかもしれない。隣には必ずと言っていいほど翠かみかんがいたからだ。あまり意識したことはなかったが、一人で帰ると寂しさが二人の偉大さを改めて知る。明日は三人で一緒に登校して三人で一緒に帰れたらいいなと胸に秘め突き当りの道を右に曲がる。


すると曲がり角で一人の女性立っていた。




「えぇ!?」




 百合はその人物に驚いた。それも無理はない。百合の瞳に写る人物。それは今の現代日本ではありえない服装をしていたからだ。白い肩を露出させる純白のドレス。足には白いヒールを履き、ミディアムの銀髪を肩に垂らす頭には小さなティアラに首から下がるネックレスなどが彼女の気品をより引き立てる。どこかのお姫様を連想させる。彼女は百合の言葉に気づき、こちらを向いた。彼女と百合の目が合う。百合は目が合ったことに少し驚き目を逸らす。彼女は口角を上げこちらに近づいてくる。そして百合の手を握り目を輝かせながら




「お待ちしておりました。白の眷属に選ばれし勇者よ。いえ、白花百合様と呼んだほうがよろしいでしょうか?」




 笑顔でそう言った。


 待っていた?眷属?勇者?慣れない単語に混乱する百合。何よりも一番驚いたのは自分の名前をフルネームで言われたことだ。当然彼女と会ったのはこれが初めてだ。




「どうして私の名前を・・・・・・?」


「あっ、申し訳ございません色々と説明が足りなくて百合様を混乱させるようなことをこの度の無礼どうかお許しください」




 彼女は両手を膝に深々と頭を下げた。あまりにも美しいその謝罪はぜひ手本にしたいほどである。




「えぇ!?」




 突然の謝罪にますます混乱する百合。質問したら謝罪されたのは初めてである。




「と、とにかく頭を上げてください。私は気にしてませんから」




 何も知らない人がこの場面を見れば必ず誤解され面倒な方向へ進みかねないのでとりあえず頭を上げてもらうよう促す。




「まぁ・・・・・・なんと寛大な・・・・・・噂通りお優しい方ですね」




 いきなり頭を上げたかと思うと百合の両手を握り、恍惚な瞳で見つめた。どこの噂を信じたのだろう。若干暴走気味な彼女はようやく落ち着いたのか百合の手を離し、腕を組んで右肘を左手で支え、右手の人差し指と親を顎に当て下を向き何か考え始める。考えていることをぶつぶつと呟いているため全部ではないが、単語が断片的に聞こえてくる。そして数秒後。ある程度考えが決まったのか再び百合に向き直る。




「そういえばまだ私自身のことについて名乗っていませんでした。私はスザンヌと申します。この姿を見てもう薄々気づいているかと存じますが、姫です」


「やっぱりコスプレじゃなかったんですね」




 ”コスプレ”という単語に首を傾げていたが、「気にしないでください」の一言で話題を変える。




「どうしてお姫様がここに?・・・・・・あっ、いやこちらにいらっしゃったのですか?」


「敬語で話さなくてもよろしいですよ」


「え?いや、でも・・・・・・」


「百合様。先程も申し上げましたがあなたは白の眷属に選ばれし唯一の方なのです。ですから私に気を遣わなくてもよろしいですよ」


「う、うん。それとずっと気になっていたんだけど眷属って何?それに選ばれたって・・・・・・」


「それもあわせてお話しします。それと百合様、これからお話しすることは信じられないかもしれませんが全て真実です。あと他の方にこの話はしないでください。」


「だれにも話ないでって・・・・・・友達や家族にも?」


「誰にもです。唯一話をしていいのは百合様と同じ選ばれた眷属の方のみです」


「私以外にもいるの?」


「はい。百合様の他に約9人いる予定です」


「多いですね」


「そうでしょうか?私はもっと他に人数いてもいいとは思いますけど。」




 素っ気なく答える姫に苦笑いして対応する百合。基準が分からないため人数が多いのか少ないのかわからないのだ。






「話を戻しますが、私はまずこの時代の人間ではありません。私は過去から来ました。その眷属の力はこの時代に目覚めつつある魔女とその魔女の眷属である悪魔たちを倒すための力です」


「魔女と悪魔?」


「はい。魔女は私たちの時代で国を滅ぼそうとした恐ろしい人物です。そして悪魔は魔女の手によって作られた魔女の眷属です。彼女たちのその圧倒的な力に王国は万策尽き滅亡の危機が迫っていました。しかし、天上より舞い降りた神が眷属の力を授けてくださり、何とか魔女と悪魔を倒すことができました。ですが、どういうわけかこの時代に今、魔女と悪魔が復活しようとしているんです」


「それってつまりこの町も危険にさらされるっていうこと?」


「はい。今すぐというわけではありませんが百合さまがお住まいになっているこの町も必ず戦いに巻き込まれると思います。そのために眷属の力が必要なのです。魔女も悪魔も眷属の力でしか倒すことができません。魔女に対抗できるのは眷属の力に選ばれた百合様たち以外いないのです。百合様、どうか世界を救うために力を貸してほしいのです」




 スザンヌに必死に懇願されるも百合は黙り込んでしまった。百合には動揺と疑念が渦巻いてた。姫様の言葉を疑うわけではない。むしろ嘘を言っているようには思えなかった。だが、現実味を帯びていないのだ。何かのドッキリか夢ではないかと思ってしまう。できればそうであってほしいとさえ思う。今日出会ったばかりの人物をこれほどまでに信じるのはおかしいとも思うが、否定もできないため反論もできなかった。




「百合様これを」




 そう言って姫様は百合の左手に何かを握らせた。それは美しく白色の輝きを放つ宝石。白き光が百合の心を魅了する。




「無理にとは言いません。これは百合様自身が決めることですから。ですが、もし百合様が白の眷属として力を貸してくださるのでしたら、その白き宝石に力を宿しているアルジェントが百合様の力になってくれるでしょう」


「アルジェント?」




 新たに姫様の口から飛び出した単語に首を傾げる。




「私がこの世で最も信頼しているものの名前です。その宝石の中にアルジェントの魂が宿っています。百合様が眷属の力を使うときはアルジェントが力を貸してくださるでしょう。アルジェントも百合様に挨拶してください」




 姫様の言葉とともに百合の手にしている白い宝石の光が少し強くなる。




『初めまして百合様。私はアルジェント。これから魔女とその悪魔討伐のためお傍に身を置くこと、どうかお許しください」




 宝石から若い男性の声が聞こえ喋りに応じ、白い宝石の光が点々と繰り返す。




「は、初めまして白花百合です」




 宝石から聞こえてくる声に驚くも挨拶を返す。どういう原理でしゃべっているのか全く理解できずにいたが、まず存在そのものが不思議な彼女たちには今更なのでそういうものだと自分に言い聞かせた。


それにいくら相手がしゃべる宝石だからと言って無視するわけにもいかない。


 その時だった。百合の背後から迫る影が一つ。影は音もなく気配を消して近づいてた。姫様がいち早くその存在に気づき




「百合様、危ない!」




 と言って百合を地面に押し倒した。百合が先程までいた場所には長く鋭利な鎌が薙ぎ払われた。よく見れば鎌を持っているのは人間ではなかった。火に焼かれたような赤い肌、側頭部より直角に伸びる角、獲物食い殺すかのように生える牙、肩甲帯には赤紫色の羽が左右に広がっている。その姿はまさしく




「悪・・・・・・魔・・・・・・?」




 と呼ぶにふさわしい。攻撃を外した悪魔が振り返り追撃する。頭上で鎌を回転させ百合の頭めがけて振り下ろす。しかし、これも失敗に終わった。姫が百合の手を引っ張り上げ間一髪で回避する。鎌によって切られた髪が数本宙を舞う。本来であるならば髪を切られたことにより怒りを覚える女性は多い。だが、恐怖という感情が怒りの感情を押し殺しているためそんな感情はわいてこないどころか突如現れた怪物に思考と理解が追い付いていない。ただ姫に手を引っ張られるまま住宅街を走っている。悪魔は先程振り下ろした鎌が思ったよりも地面に突き刺さっており、引き抜くのに苦戦している。




「今です。百合様。宝石に向かってインテグラと唱えてください」


「イン・・・・・・テグ・・・・・・ラ?」




 突然のことに困惑する百合。姫様の言うことが理解できなかった。




『百合様、インテグラというのは百合様が眷属の力を使うために必要な言葉。呪文を唱えるようなものです。今この場であの悪魔を倒せるのは百合様しかいません」




 走りながら手元の宝石を見つめる。姫様とアルジェントに言われた言葉を反芻する。飛翔しながら追いかけてくるあの悪魔を倒せるのは自分だけだと言われ、とてもではないが二人を信用できなかった。これは悪い夢なのだとそう思いたくなる。けれどもそれを許さないのが心臓の鼓動と恐怖である。心臓は先程からバクバクと早くなり恐怖がそれを助長し扇動する。あまりにも現実離れしすぎている。本当に自分にあの悪魔を倒せる力があるのか、そもそもあの悪魔はどこから出現したのか、眷属とは何なのかわからないことが多すぎる。


 しかし、唯一わかることがある。それはあの悪魔を倒さなければ百合も姫様もアルジェントも死ぬということだ。先程姫様が押し倒してくれなければ百合の首は宙を舞い道路に血の池を作っていたことだろう。想像しただけでもぞっとする。


 姫から手を離し、追いかけてくる悪魔に振り返る。先程まで怯えていたのは打って変わって真剣な表情を浮かべる。




「姫様。言葉は”インテグラ”でいいんだよね?」


「え?・・・・・・あっはい。そうです」




 ほんの一瞬、突然の百合の行動に静止する姫様であったが、はっと我に返り百合へ返事をする。




「ありがとう」




 振り返らないままお礼を言う。覚悟を決めた百合は両腕を横に伸ばし、そのまま手を合わせる。今度は肘を曲げて合わせた手を胸の前に持っていき、、瞼を閉じる。その姿は教会で祈るシスターのようだ。




「インテグラ」




 百合が掛け声を放つと白い宝石が光り、周囲に広がって白い光の球体を作る。地上に現れた白い太陽のようにあたりを照らす。あまりの眩しさに姫は直視できず右腕で自身の視界を遮る。悪魔には眩しい光が通用しなかった。スピードを緩めず接近し、白い球体に向かって鎌を振り下ろす。攻撃が当たった後、周囲に金属音が鳴り響いた。白い球体がどんどん縮小していき、やがてその全貌が映し出される。その光景に悪魔は驚きを隠せず声を上げる。それも無理はない。なぜならそこには白銀の鎧を身にまとい、右手にある大きな盾で悪魔の攻撃を防いで、片膝立ちの姿勢でいる百合がいた。左手には白銀の剣が握られている。盾で押し返しながら立ち上がり悪魔の腹部に蹴りを入れた。小さい悲鳴があがり約百メートルまで飛んでいった。住宅街のコンクリ―トの外壁に衝突し静止する。


 そこでようやく自分の姿が変化していることに気づいた。セーラー服は消え、代わりに鎧と盾と剣。それはまるで姫様に仕える騎士そのものだった。




「えぇ!?な、なにこれ!!??」




 自分の腕や体を見て触って声を上げる。百合のその騎士の姿に驚きを隠せない。白銀の装備は夕陽に照らされ白とオレンジの輝きを放っている。武具に詳しくない百合でもこの装備が名のある職人によって仕上がっている素晴らしいものであることがわかる。




『百合様、驚くのも無理はありません。ですがそちらの説明は後ほど。今は目の前の敵に集中しましょう』


「えっアルジェントさんの声・・・・・・どこから?」




 周囲には飛ばされた悪魔と姫様しかいない。百合が持っていた白い宝石もいつの間にか左手から消えていた。アルジェントの姿はどこにも見当たらない。




『私は今、あなたの心と一体化しています。つまり百合様の心に話しかけています」




 その説明はますます百合を混乱させた。だが、まずこの窮地を脱しなければいけないと考えた百合は詳しい説明は後回しにして悪魔に向き直った。百合は過去に剣道などの武道は一切習ったことも本で戦術を学んだことはない。


 起き上がった悪魔は今度は上空へと飛翔した。勢いをつけて空から攻撃してくるのかと身構えたが、違った。悪魔は口から黒い霧を吐き出した。煙幕に似たそれは百合と姫の視界を遮った。




「百合様、ご無事ですか?」




 遠くで姫様の声が聞こえる。「大丈夫」と叫ぶ。黒い霧に全神経を集中させる。眷属の力を使った時から百合には不思議な感覚が流れ込んでいる。自分が経験したことのない記憶。ある一人の男性の戦いの記録。これも眷属の力なのだろうか?




『今、百合様の頭の中に一つの映像が流れているはずです』




 どうしてそれをという前にアルジェントが話を続ける。




『百合様が眷属の力を使い私と一体化することで私の過去の記憶を共有します。そのおかげで手に持っている剣と盾の使い方が分かるはずです」




 まさにアルジェントのいうとおりだった。アニメやゲームでしか見たことのなかった剣と盾の使い方、もっといえば戦い方がまるで昔から知っていたかのように手に馴染む。悪魔を相手に剣と盾を持って挑む百合の姿はフィクションでよく登場する勇者のようだった。


 周囲に蔓延している黒い霧はいまだに晴れることはなく視界を遮っている。悪魔はどこにいるかわからない。目を閉じ両手で剣を持ち構えの姿勢をとる。意識を集中させる。視覚以外の五感を頼りに相手の気配を探る。音、匂い、空気の温度の変化、など視覚以外にも相手の位置を特定できる方法はある。そして・・・・・・




「そこだ!」




 後ろに振り返り左足を後ろに、右足を前に腰を落とし重心を安定させ剣を前に突き出した。グギャという声とともに何かに突き刺さる手応えを感じた。黒い霧が段々晴れてきて


 そこには悪魔の腹部に剣が刺さって貫通していた。悪魔の手から鎌が落下する。鎌は重力に従って地面に落ち、金属音を響かせる前に紫色の煙となって消失した。悪魔も同じように消失し、先程までの緊張した空気は消え遠くで車の音や鳥の鳴き声が鮮明に聞こえてくる。百合は肩の力が抜けたのか、眷属の変身が解除され、白騎士からセーラー服の姿へ戻り、左肩に通学指定鞄が現れた。手に持っていた剣と盾は消え代わりに白い宝石が手中にあった。




「お、終わった?」




 悪魔が消えた後の住宅街は先程まで非日常嘘のようにいつもと同じ光景が広がっていた。




「お見事です、百合様。素晴らしいご活躍でした。




 姫様が優しく微笑み拍手しながら近づいてきた。




「さっきのって・・・・・・」


「はいそうです。あれが私たちの倒すべき敵、悪魔です。先程百合様が倒した悪魔は力が弱かったのでそこまで脅威ではありませんでした。しかしこれからもっと力を持った悪魔が、もっと現れるはずです。一刻も早く他の眷属の方と合流し力を合わさなければいけません」


「あれが・・・・・・悪魔」




 そう呟いて視線を下に落とす。ありえない出来事の連続にまだ頭が整理できていなかった。いきなり受け入れろというのが無理な話だろう。


 その時、遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。その音に百合は焦った。特にやましいことがあるわけではないが、この現場を見られると事情聴取などでいろいろとめんどくさいことになると思い、姫様に「ここを離れよう」と言って無理やり手を引っ張って走る。姫様は驚きの声をあげるも嫌がる素振りを見せずついていく。姫様はその百合の後ろの姿が尊く見えて頬を赤らめた。


 空は赤紫色に染まっており、暗くなった住宅街を走っていった。

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