第31話 男の娘な兄、弟に甘える

 霞さんに安眠枕をプレゼントしたあと。

 俺は自室に戻り、Wi tubeでとある動画を垂れ流しながら、変色してしまった瞳を改めて観察していた。


 日本人特有の茶色から、外国人もおっかなびっくりな色彩へと変化したそれ。


 苦々しい表情で観察することしばし。

 驚愕の事実に俺は気が付いた。


 オーロラの様なゆったりとした動きで、ピンクの色彩が微小なりとも動いている、ということに。


 瞳孔を中心とし、その周りを円を描くように色彩が流動しているのだ。

 部位でいうところの、虹膜と呼ばれるところが動いているのだ。


 あり得ない。

 普通じゃない。

 意味が分からない。


 人間の目玉がどんな構造をしているのかの詳細なんて知らない。しかし、こんな風に円運動する所を俺は見たことがない。


 目の色が変わるだけに飽き足らず、目の色が動くのだ。


 円を描くように、確実に。


「……きもちわるっ」


 俺は鏡に映る大きなお目めを覗き込みながら、盛大に眉をひそめてそう呟いた。


「何とか元に戻らないかなぁ……いててッ」


 手鏡を左手に持ち替え、右手の人差し指の爪で、瞳を軽くツンツンしてみる。


 ペロンッと色が剥がれ落ちたならよかったけど、そうはならなかった。


 涙が出て、ちょっと痛い思いをしただけだ。


 これ以上、刺激しても目を覚ました時の様な痛みが再びやってくるかもなので、とりあえず触れないでおこう。


 触らぬ瞳に痛み無しってやつだ。


「…てか、これで変なものが見えるようになるとか……ないよな?」


 しばらく色んな角度から瞳を観察した後、俺は不意に周りを見渡した。


 背後にあるクローゼット。

 角張った部屋の隅。

 白い天井。

 窓の外。

 デスクの下。

 ベッドの下。

 モニターの背後。

 

 部屋の隅々まで見て回るが、特にこれといったものは視界に映らなかった。


「ふぅ……そこだッ!!」


 切れのあるフェイントを入れ、素早く後ろを振り返るも、先ほど開けたクローゼットが視界に映るだけだ。


 足のない人影なんてものは、何処にも見当たらなかった。


「……内なるパワーが開放、されたり?」


 怖いものが見えないことにホッとしながら、気分転換に次なる可能性に思考を向けてみる。


 〇輪眼とか⑥眼とか多種多様な魔眼を頭に浮かべ、「ふぬぅう」と踏ん張って色々とためしてみる。


 しかし、特に何も起きない。

 びっくりするほど何も感じない。


 しいて起きたこと、感じたことを上げるのであれば、引きこもり生活で訛りに訛った体が、全身を力ませたことで酸欠をおこし、若干意識が朦朧として辛かった、ということくらいだろうか。


 俺がわくわくドキドキするような現象は何一つとして起きなかった。


 眠れる力が開放し、チート能力を得て現代無双なんてことも出来なければ、理想の姿になれる力もない。


 ただ色が変わっただけで、不気味にそれが動くだけ。


 実に夢が無く、退屈極まる話だ。

 

 不思議な夢を見ても、唐突に瞳が変になっても、所詮、現実は現実。


 そうそう都合のいいことは起きない。

 ましてや俺が理想とすることは絶対に。


「………つまんな」

 

 俺は椅子から無造作に放り出した両足を、ぶらんぶらん、とさせながらぼそりと呟いた。


 そしてそれから不貞腐れること数分。

 俺は再度、瞳の色を確認するため、手鏡を手に取る。


 もしかして変色は一時的なもので、時間がたったら戻るのでは?なんて思いながら鏡の中を覗き込んだ。


 しかし、結果は変わらない。


 母や父、そして雪美とはまるで違う色のそれは、相も変わらず瞼の裏に在る。


 さもそれが当然だと言わんばかりに。

 元々、こっちが正しいのだと言わんばかりに。

 石竹色の宝石を思わせる輝きをもって、二つの瞳が鏡越しにこちらを覗きこんでくる。


「……」


 俺は無意識に己の髪に触れた。

 母がいつも触れ、褒めてくれたその長い黒髪。

 思い出を手放さないよう、大事に大事にそれを手櫛で梳く。


 降って湧いた疎外感。

 それを誤魔化すように、髪を梳いていく。


 大丈夫、母も親父も帰ってくる。

 大丈夫、俺や雪美は捨てられてない。

 大丈夫、俺は嫌われてない、嫌われない。


 …大丈夫、俺は榊家の榊美春、他の誰でもない。


 俺は俺だ。


 豪傑にして獅子王を志すVTuber、ラッシュだ。 


「……お前なんかいらない」


 俺は持っていた手鏡を、無造作にベッドへ放り投げた。


 手鏡はパスッ、と音を立て、毛布の上に落下した。


 しばらくベッドの方に無言のまま視線を送った後、俺は立ち上がり、大きく息を吸いこんで「ふすぅーーーッ」と思いっきりブレスした。


 獅子王の咆哮で、ベッドごと手鏡を焼き尽くす(妄想)。


 灼熱の炎は何もかもを灰塵と化し、闇を払う(妄想)。


 しかし、一度のそれでは闇は懲りずにまた這い寄ってくる(妄想)。


「ふすぅう゛ーーーーッ!!…すぅ、ふすぅうーーーー!!…ふぅ、ぅ…けほけほッ」


 ブレスのし過ぎで咳き込む獅子王。

 王といえど限界のようだ。


 しかし、限界は闇も同じ。


 闇は聖なる炎の明かりによって完全無欠に祓われた。


 流石は俺。

 流石はラッシュ

 豪傑と獅子王の名は伊達ではないッ。


「よしっ!!」


 闇を祓えて満足する気持ちを切り替えるよう、両頬を手のひらでペチペチ叩き、俺はゲーミングチェアにドカッと座り、デスクに向き直る。


 そしてマウスを手に取り、垂れ流しにしていた動画を完全に消去するため、Wi tube studioへとログインした。


「証拠隠滅、さらば黒歴史」


 SKの配信をミラーしたそれ。

 俺の地声と嘔吐する音が入ったそれ。

 ラッシュが無様の限りを尽くしたそれ。

 一夜にして10万視聴回数を叩きだしたそれ。

 幾つも気持ちの悪いコメントが届いていたそれ。


 豪傑の獅子王としての誇りを守るため、俺は昨日のアーカイブを消去した。


「……ふぅ、…あとは」


 禁忌のアーカイブが確実に消滅したことを確認した後、俺は次に、無断で転載された切り抜き動画なるものや、禁忌に触れ過ぎた動画の抹消に取り掛かった。


 Wi tubeの検索ボックスに『豪傑のラッシュ』『事故』を入れ、検索。

 

 検索結果の一番上から内容を飛ばしとばし確認し、今後の活動に支障が生じそうなものは全て削除依頼。


 すぐ動画を消してもらえるよう、催促のコメントも一応いれておく。


『萌声のラッシュ爆誕!!アンチ手のひら返しww』

 削除依頼。


『ASMR不快賞を勝ち取ったあの男がまさか!?』

 削除依頼。


『豪傑のラッシュについて考察してみた』

 削除依頼。


『SK、キチガイを召喚し、チャンネル登録者10万人越え!!個人V異例の伝説的なデビュー戦を飾る!!快進撃は止まらない!!』

 削除削除削除削除削除依頼。


『豪傑のラッシュ、あれは地声なのか?』

 削……、これは俺の地声がボイチェンで加工されたのではないか説を推す動画。俺のアンチ活動をしてる人だけどグッド評価。いいぞ、もっとその説を広げろ。


『中学生アイドルVTuber、SKが率いるケロぺロスの輪がいま熱い!!個人勢推し必見!!』

 削…うーん、削除依頼。


『炎上系VTuberピリリカ、さっそく新人潰しに動くww』

 ピリリカさんSKに絡みに行って炎上してる。……俺には絡んでくれないのかな。陰キャ四人組で絡んでないの俺だけじゃない?。…なんか、仲間外れにされてるみたいで悲しい。バッド評価。


『萌声の軌跡』

 削除依頼…む、これで最後か。


「ふぃぃ~…ちかれた」


 検索して出てきた全ての動画の削除依頼が完了。


 俺は一仕事終えたサラリーマンの様に関節の節々を伸ばし、椅子の背もたれへと体重を預ける。


「とりあえず今日のWi tubeはこんなもん。次はQwitterに上がった動画の方を削除依頼しなきゃ……うぅ、先は長いな」


―――コン、コン。


 Qwitterを開き、削除依頼&苦情のDMを個人へ送っていたら、自室の扉がノックされた。


 そしてその数秒後、指二本分、扉が開かれた。


「美春様、朝食のご用意が整いました」


 霞さんの声が部屋へと注がれる。


 俺は削除依頼を切り上げ、「うぃッ」と返事をした後、デスク周りをシートで隠し、背もたれにかけてあるキツネの仮面を装備して部屋を出た。


「先ほども思ったのですが、これからは家内でも面を御付けに?」


 部屋から出てきた俺を、正座したまま迎えた霞さんが、無表情のまま疑問を口にする。


 なんだか咎められている様な気がして、ちょっと冷や汗。


「……だ、だめ?」


「滅相もありませぬ。…よく、お似合いに御座いまする」


 何処かぎこちない感じで俺のことを褒め、口の端を僅かに上げる霞さん。


 狼狽した時でもほぼ無表情だった彼女が微笑むなんて、珍しいこともあるもんだ。


「先に席へお着きに、私は弟君にお声をかけたのち、愚物を叩き起こします故」


 彼女はそういうと立ち上がり、隣の部屋へと向かった。


 それを横目に、俺は階段を下りてダイニングへと向う。


 因みに先ほど霞さんが口にした「愚物」というのは、消去法で分かる通り、零さんのことである。


 出来る霞さんに出来ない零さん。

 必然的に後者の仕事はなくなり、惰眠をむさぼるナマケモノが我が家に爆誕した。


 そんなナマケモノに対する霞さんの扱いは雑だ。

 いつからか名前で呼ぶこともなくなり、愚物なんて酷いあだ名で呼ばれる程に。


 霞さんは基本的に母の様に慈悲深くて優しい人である。

 しかし、同僚、且つ愚物の零さんには鬼のように厳しい。


 二人とも仲が悪いというわけではない。

 むしろ良いと言えるぐらいにはそう見える。


 いつかの日、霞さんに「二人は仲良しプリルキュア」なんて言ったら、彼女は困った様な心外な、といったような表情を浮かべたが、表情筋が働くぐらいにはきっと気心の知れた仲なのだと思う。多分。


「ふぁ~~あ、…おはよ」


 一人、足をぶらつかせ、朝食が用意された席について二人の関係に思考を巡らせていると、雪美が大きな欠伸をしながらやってきた。


 俺はチラリと視線を向け、正面の座席に手をかけた弟へ「うぃ」っと返す。


「兄貴、なんだそれ」


「…なにが?」


「何がって…、面なんかつけてどっか行くのか?」


「別に…いかんけど」


「ふーん、あっそ」


「……」


「……」


 普段とはちょっと違う距離感。

 たがいに視線を合わせず、謎に気まずい状況が続く。


 なんだ?、何故こうも…空気が重い?。


 もしかして…いや、もしかしなくとも深夜のあれが原因か?。


 それともこの仮面?。


 …どっちだ。


「飯食う時ぐらい外せよ、鬱陶しいから」


 どうやら仮面が原因らしい。


 …ほっとけってんだ。


「…外さないけど」


「なんで?」


 ちょっと語気を強め、ムッとした表情でこちらを見てくる雪美。


 俺は無意識に髪を弄り、俯く。


「……っち、うざ」


 弟の眼力程度に怯んだことが腹立たしい。

 だから小声で悪態をつく。


 また少しの間、重苦しい沈黙が流れた。


 というか二人とも遅い。

 なんでこんな待たせる?。


 いや、霞さんがナマケモノを起床させるのにてこずっているだけだと思うけど…。


「兄貴」


 行儀悪く机に肘をつき、重苦しい沈黙を破る雪美。


 何を言い出すのかと顔を上げ、聞く姿勢をとる。


「何がどうなって面なんか付けてるのか知らんけど、それって、家族の前でもする必要あんのか?」


 薄暗い部屋の中、俺はずっと瞳を手で隠して見られないよう努めていた。


 だから雪美はそのことを知らない。


 知らないのであれば、隠す必要はある。


 そもそも必要があるからこうしているのだ。


 こいつは馬鹿か?。


「……ある、けど」


「これからもずっと?」


「……まぁ」


 俺がそう返事を返すと、雪美はしばらく沈黙して、唐突に「はぁ~」と大きくため息を吐いた。


「とれよ」

「とりませんけど」

「気が散るから早く外してくれ」

「外しませんけど」

「どうしても?」

「どうしても」

「…ふーん」

「ほーん」

「……」

「……」


―――ガタッ!!。

―――ガタッ!!。


 無言のにらみ合いの末、互いに席を立つ。


 動きはほぼ同時。


 俺は駆けだそうと背を向け、雪美は逃げ出すその右肩に手を置いた……あれ?早くね?。


 まだ駆け出してすらいないんですけど。なのになんで机を挟んだ先にいたやつに接触されているんですかね。不思議だ。


―――ッバ。


「放せションベン小僧!!」


「追い詰められたら直ぐそれ口にすんのやめろっ!!」


 必死に逃げようとする俺。

 必死にお面を外そうとする雪美。

 互いに力は拮抗し、後者の手がお面に触れ――、


「こ、こんにゃろぉおッ!」


 前のめりになってお面を取りに来た雪美の体重を利用し、俺は全体重をかけて一気に前回転した。


「うおっ!?」 

「うぎゃッ」


 互いにバランスを崩し、床を転がる。


 転がる際中、俺と雪美は尚もつかみ合い、マウントを取り合う。


 そのままゴロゴロとリビングの方へと転がっていき、コマ君が父といつも一緒に寝ているソファーへとぶつかり、最終的に止まる。


―――カラン、カラン。


 激しく転がったのが原因か、ソファーにぶつかった衝撃で、緩みに緩んだお面のひもが解け、外れた。


 しまった、と思った瞬間、俺は瞳を見られまいと閉じた。


「面外れたぞ!この馬鹿兄貴!!」


 マウントの取り合いに一応勝利した雪美は、俺の頬を両手でつねり、敗者を弄ぶ様にぐにぐにと動かしながら暴言を吐いてきた。


 偉大な兄の上に跨り、さらには屈辱と侮辱を浴びせてくる愚弟。


 マジで許すまじッ!!。

 断じて許すまじッ!!。


 俺は怒りの形相で跨る雪美を見上げ、やり返そうとその頬に手を伸ばす。


「ほぉのやひょぉーーッ!!はにゃせぇ!!どへぇ!!」


「そんな短い手が届くかッばーかッ!!」


「こにょッ!!こにょッ!!」


 両腕を伸ばし、頬を抓ってやり返そうとするが、まるで届かない。


 ならば、と一生懸命に手足をジタバタさせて上に乗っかる愚弟をどかそうとするが、これも敵わず。


 びくともしない。

 こいつほんとに小5か?。


 俺はその後もしばらくジタバタするが、状況は変わらなかった。


 やがて体力が底をつき、喧嘩の勝敗を知らせるゴングが頭の中で鳴り響く。


―――カーン!カーン!カーンッ!!勝者ぁあッ、ションベン小僧~~ッ!!。


「ふぁかッ…ふぁかふぁか……ふぃっく…うぅ」


「思い知ったかクソ兄貴め」


 いつもの如く、喧嘩は僅差で俺の負け。


 勝ち誇ったかのような暴言を、雪美が上から浴びせてくる。


 弟としての意識が低すぎる。


 この俺という兄をもったのであれば、それをもっと立てろッ、敬えッ、尊敬しろッ、慄けッ!!馬鹿ッ!!。


「ワンッワンッ!!」


 見下ろしてくる視線に負けじと睨み返していたら、突如として我が忠犬が助けに来てくれた。


 雪美の顔をぺろぺろし、尻尾をこれでもかと振るうコマ君。


 そしてそれに動揺する雪美。


「わわ、ちょっコマ君じゃま――」


―――ッゴ!!。


 一瞬、雪美が見せた隙。


 俺は瞳に涙を浮かべながらも、それを見逃さなかった。


 渾身の右手ハンマーを対象者の弱点へと叩きつける。


 ションベン小僧の弱点は、いつだってあそこ・・・だと相場は決まっているのだ。


 さっきの喧嘩は僅差で俺の負け。だがしかし、ここから先の喧嘩は俺の勝ちッ。


 弱点への攻撃と、コマ君の奇襲とで拘束が緩んだ隙に、雪美の股下からカサカサと抜け出す。


 そして情けない声を上げながら、下半身を抑えて倒れる雪美をソファーの上から見下ろす。不敵な笑みを添えて。


「こ、このクソ兄貴……卑怯…だ、ぞ」


「戦いに卑怯も何も、ひっく…ない。ずずッ…最後に立っていた者だけが真の勝者だッ!!く、ひっく…くらえッパンチグヘッドクラッシュッーーッ!!」


 下部を抑えて悶える雪美へとどめの一撃をくらわせようと、技名を口ずさみながらソファーの上で屈む。そして全体重を乗せた一撃を放とうとしたその刹那――…、


「ワンッワンッ!!」


 忠犬こと、コマ君が俺の邪魔をしてきた。


 お前、味方じゃなかったのか?。このうらぎりもんがぁああ゛!!。


 飛び込むタイミングを邪魔された俺は、盛大につんのめり、顔面から地面へと落下していく。


「あ、あぶねッ」


 落ちる瞬間、ぎりぎりで雪美が俺を抱き留める様に下敷きになった。


「大丈夫か?兄貴」


 雪美が、声をかけてくる。


 コマ君に大勝利の文字を奪われた俺は、雪美に強く抱きしめられながら、力なく「あぁ」と頷く。


「はぁ、たくッ、世話が焼けるなぁ」


 盛大に溜息を吐き、両腕を広げて俺を離す雪美。


 俺はムッと表情を作り、口を尖らせる。


「お前の方が世話がやける」


「はぁ?どう考えてもそっちだろ」


「……」


「てか、そろそろどいてくんね?重い」


「お前がどかせばいい」


「あ゛?」


「世界最強の一撃を放ったせいで、ちょっと疲れた、動きたくない」


「はぁ、なんだそれ。世界最強とか中二乙」


「うるせぇ」


 誰かに抱きしめられる程、心が休まる時は無い。


 そのことをよく知る俺は、力むことを止め、下敷きになっている雪美へと体重を預ける。


 母はまだ帰ってこない。だから、仕方ない。


「はぁ…めんどくせ」


 雪美は俺を上に乗っけたままそう呟き、空いた手でコマ君とじゃれ始めた。


 裏切り者の頭を撫でるくらいなら、俺の頭を撫でろと言いたくなるが、そこは我慢。


 兄が弟にこれ以上甘えることを、俺の矜持が許さなかった故に。


「……頭、かゆい」


 だからここは頭を掻いてもらうことで妥協しよう。


―――パンッ。


 頭を叩かれた。なんで?。むかつく。


「弟に甘える兄貴が何処にいんだよ」


「甘えてない。ただ自分で頭を掻くのがめんどくさかっただけ」


「はいはい」


「ハイは一回。学校の先生に習わなかったか?」


「もう黙れよ」


「弟は兄に従うべし。頭、掻け」


「……うぜぇ」


 ため息交じりに悪態をつきながらも、雪美は俺の頭を撫で始める。


 誰が撫でろと言った。そこのバカ犬と兄である俺を同列に扱うんじゃない。


 ドラムの音で耳が馬鹿になってるんじゃないのかコイツ。


「兄貴」


 心地よさに瞳を閉じていたら、下敷きが口を開いた。

 下敷きが喋るとはこれまた驚きである。


「その目、かっけぇじゃん、なんか魔眼みたいで」


 なんか知らんけど褒められた。


 この石竹色の不気味な瞳をほめられた。


 かっこいいと。


 …これは驚きである。


「……勝手にみんな」


「かってに見せたのそっちだろ」


「……愚弟」


「クソ兄貴」


 俺たちはその後も互いにボソリボソリと罵り合う。


「では私も失礼して」


「零、これも又、家族の団欒。邪魔立てはよしなさい」


 ナマケモノの手が俺の頭に触れようとした時、霞さんの凛とした声が聞こえてきた。


 いつの間にか二人とも一階へとおりてきていたようだ。


「兄貴、飯食うぞ」


「……うぃ」


 俺は名残惜しさを感じつつも、起き上がった。


 それから俺、雪美、霞さん、ナマケモノで朝食をとった。


 因みに霞さんとナマケモノさんからは特に瞳のことを追及されなかった。


 進んで話題に出すのも憚られたため、俺からもいうことはしなかった。


 いつも通りですけど何か?なんて装って、普通を演じた。


「ご、ご馳走様、でした…けふっ」


 朝食を取り終え、俺はその後、母としていた時のように霞さんと食器を洗い、ナマケモノにちょっかいを出されながらも自室へと足を進めた。


「なんだよ」


 自室へ戻る際中、ソファーで寝転がる雪美をチラチラと見ていたら目が合った。


「…べつに」


 そういって、俺は階段をトタタタっと駆け上がった。


―――トクン、トクンッ。

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