第7話 覚醒への道程

 俺たち一家は、親父の地元である三ヶ日という田舎町へ行くために、一般道路から東名高速道路へ乗り継ぎ、東京から静岡を目指す。


 流行の音楽を紹介するラジオ番組をBGMに、車内の時間がゆっくりと流れていく。


「お父さん、大丈夫かしら…」


 八人乗りのミニバンの最後尾で、横にいる母が、俺の髪に櫛を通しながら、そう口にした。


 腰辺りまである鬱陶しい髪も、母に髪を触られるときばかりは、伸ばしていてよかったと思える。


「しんぱ~い、ないさ~♬」


 母の独り言のような小さな呟きも、親父は耳ざとく拾い、どこぞの歌を口ずさむ。


 そしてそれを皮切りに、会話の流れが生まれ始める。


「心臓の具合があまりよろしくないのでしょ?この前も急に倒れたって…」


「大丈夫、大丈夫、あのひと馬鹿なだけだから」


「馬鹿って、あなた…」


 全く心配した素振りを見せない父親に、母は不満気なご様子。どっちが山爺の子か分かったものではない。


「兄貴、お菓子食う?」


 親父の後部座席に座っていた雪美が、何の脈絡も無しに、そのまた後ろの座席にいる俺へとお菓子を差し出してくる。


 俺の好物をよく理解しているのだろう。こちらに視線を向けず、ぶっきら棒に差し出されたその左手には、五枚入りの「ネコの舌」という菓子が入った袋が握られていた。


「…(ぱくぱく」


 苦しゅうない。そう労らおうと口を動かすが、あの日と変わらず声が出ない。


 結果、俺はそっと盗み取る様にしてお菓子を受け取り、母と分け合う。母は全部食べて良いと言ったので全部食べた。うみゃい。


 お菓子に夢中になっている時、ちらりと雪美がこちらを見てきた気がする。無言でお菓子を盗み取った俺に、少し気を悪くしたのかもしれない。


 血を分けた兄弟とは言え、礼儀を忘れれば、他人以下の何かになりかねない。


 何時ぞやみたネット記事の「兄、弟に刺され、死亡」という一文が脳裏によぎる。


 このままではまずい。そう思った俺は、恐竜の服部にある三次元ポケットへと手を突っ込み、ネタ帳として持ってきた手帳とボールペンを取り出す。


 さささっと紙にペンを走らせ、文字を書く。そして、雪美にそれを見せるため、ペンの先で肩を突っつく。


『よきにはからえ』


「上から目線、うざ」


 最近妙に丸まった態度で俺に接してきていたが、こういう容赦のない突っ込みをする所は変わっていない。


 俺はそのことが嬉しく、思わず笑みをこぼす。


「ふふふ」


 母が笑った。


「ひひひ」


 父も笑った。


 俺は母の太ももをぺちんと叩き、弟は父の座席を蹴った。


== 浜名湖サービスエリアにご到着 ==


 朝一で家を出て、数時間かけてようやく最後のSAまで俺たち一家は辿り着いた。


 道程は長く、過酷なもので、俺の体力は底をつきかけている。


 そこに丁度お昼時という一文が足されれば、美味なる食を口へ運ぶ以外の選択肢はもう取れない。


 SA内に建ち並ぶ屋台へと、親父と雪美の二人を向かわせ、俺と母は芝生が生え揃う公園の地面に持ってきていたブルーシートを敷き、そこへと腰を落ち着かせる。


 温かい春の風が、とても心地よく吹くいい場所だ。


 浜名湖を一望できるし、人通りも少なく、丁度いい静けさが辺りには漂っている。


 少し離れたところに設置されている鐘を、恋人や夫婦といった人たちが鳴らし、幸せの音が公園内に小さく鳴り響く。


 のどかで、平和で、なんて退屈な場所だろう、ここは。


 湖とは反対側に生い茂る木々の下、俺は母に膝枕をしてもらいつつ、フード越しに頭を撫でてもらいながら幸せを噛み締める。


「……」


「ん?どうかした?」


 時たま母を見上げ、その慈愛に満ちた存在を確かめる。俺は「何でもない」と返し、今度はフードについているつぶらな瞳越しに母を盗み見る。


 下からのアングルでもその整った相貌が窺い知れるというもの。


 息子である俺の贔屓目をもってしても、母はとても綺麗だ。三十代半ばに差し掛かろうとしているにもかかわらず、見てくれは二十代前半。


 特にこれといったケアもせずにこれだ。少しばかり、ナチュラルが過ぎませんかね、母上。


――サァ。


 草木を揺らし、不意に、強めの風が吹く。


 日傘の役割を果していた木々が風に揺らされ、木漏れ日が母へと降ってくる。光の帯を纏った、絵画的女性が、数瞬の間だけ恋人の聖地と呼ばれているSAに爆誕した。


 偶然的にもその光景を見た周りの人たちは、皆一様に動きを止め、足を止め、母へと視線を釘づけにされていく。


 少し俺達とは距離を空け、同じように地面へと腰を落ち着かせている家族連れのお父さんなんて、完全に恋した瞳をしている。因みに俺と同い年であろう息子さんも同様だ。


 俺はその二人の隣で無表情を作る女性に「うちの母がすまんな」と、心の中で謝罪をし、神様にこの世界に不幸な家族が出来上がらないことを祈っておいた。


「ちょちょちょッ!!あれみて、ちょー綺麗なんですけど!」


「ん?なに…って、やっば!マジじゃん!!うけるッ!」


「顔ちぃさ~、スタイルもよさそうだし、芸能人か何かかな?」


「てかあの膝枕してあげてるの人形?可愛いんですけどッ、あの人」


 今さっき、目の前を通り過ぎたJKの集団が、少し離れたところからひそひそ声で母の美貌を絶賛する。


 少し立ち止まってJKが興奮したようにこちらへと視線を飛ばしていると、今度は同じグループであろう男子数名がそこへ集まってきて、同じように母をほめちぎる。


 あ、なんか、こっち来そうな予感。


 俺の事を人形だと思ったまま、どうか立ち去ってください。お願いします。


「お、おい、お前、ちょっと声かけてこいよ!」


「いやいや、お前がいってきんって」


 親父という巨熊がいないと、母が目立ってしょうがない。


 高校生集団を始め、別の人達も少し離れたところから何故だか足を止め、こちらを指さして小さく盛り上がっている。


「ふふふ、面白いね、ルー?」


 さすがは三十路の美人。周りからチヤホヤされてもまるで意に介した様子はない。


「…今の笑顔みた?めっちゃ可愛かった」


「ちょ、俺…声かけてくるは」


 高校生グループの男子の一人が、こちらへ来るようなことを言っている。


 俺はこのまま人形のふりを突き通すか、男子高校生の魔の手から母を守るべく、立ち上がるかで頭を悩ませる。


「うちの妻に何か御用ですか?」


 高校生男子の数名が母へと一歩踏み出した時、その後ろから笑顔の熊さんが現れた。俺はほっと息を吐く。やっと来たかと。


「へ?…つ、妻?」


 横にも縦にもでかい親父を目の当たりに、高校生グループの女子は悲鳴を上げ、男子は畏怖したように後ずさる。


「あれとこれ、結婚してるんで変に突っかからないでもらっていいすか?おにいさん、おねぇさん方」


 虎の威を借りた狐こと雪美が、一歩前に出て母と親父の関係性を明確に示す。


「ちょっとユッキ~、ウチとママがラブラブだってこと言いふらさないでよぉ、は・ず・か・し・い♬もぉ~」


 目の前のJKに感化されたのだろう。JKの親父が周りの人たちをドン引かさる。


「お、おい、もういこうぜ」


「あぁ…いこういこう」


 親父の出現で、ようやく場が落ち着きを取り戻す。


 小さな人垣が徐々になくなり、最終的に先程までの静けさが俺と母の周りを漂う。


「兄貴、だいじょうぶだったか?」


「ルー、大丈夫かい?」


「…」


 両手に袋をぶら下げて帰ってきた二人が、一言目に俺を気遣う。


 どう考えても心配する順序がおかしい。


 何故、話題にあがっていた母ではなく、人形に間違えられていた俺が二人から先に心配されるのだろう。


 俺は母の膝枕から頭をあげ、ペンを右手に、手帳へと、言葉を書く。そしてそれを二人へ見せる。


『めし』

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