第8話 二成の子
浜名湖サービスエリアで昼食を終え、いざ山爺たちの元へ。
三ヶ日の特産品である三ヶ日ミカンが生い茂る山畑を背景に、車で走ること約30分。
木造建築の古い屋敷が、他の建ち並ぶ建物と少し離れたところに見え始める。あそこが親父の実家こと、山爺の家である。
車が四台ぐらい止まれる砂利スペースに親父は小慣れたように車を止める。
止まったのを見計らって、雪美、親父の順で車の外へと出ていく。
続けて俺も出ようと思い、すぐ横の母を見上げ、「でないの?」と目で訴える。
しかし母は何故だか俺の顔を見つめ返し、微笑みを浮かべた。
「ルー、まだお外怖い?ママが抱っこしようか?ふふ」
何処か揶揄う様な母の口調に、俺は恐竜のフードの下で眉を顰める。
どうやら母は気付いていたらしい。
既に俺が外をあまり怖がっていないことに。
怖がっていないのに母に甘えるのは、ただ俺がお子ちゃまなだけ。
それを看破された俺は、若干恥ずかし気に「もういい」と、返した。
「そう?それは残念ね」
ふふふ、と笑う母。少々にして憎たらしい。
俺はくすくすと笑みを溢す母を無視し、車の扉を開け、外へと一歩踏み出す。
若干にして足取りが重かったものの、今までの様な体が硬直してしまうほどのそれは無かった。
自分自身で殻を破ったことで、少しだけ成長した気になる。
田舎特有の新鮮な空気を大きく吸い込み、吐く。
「兄貴、もう一人で平気なのか?」
「……(ぱくぱく」
俺を誰だと思ってるんだ?。なんて、自信満々に口にしようとしたが、当然の様にそれは無意識の手によって塞がれた。
どうやら外が怖いのと、雪美…というより、男と話せなくなるのは関係ないらしい。
いくら雪美に言葉を投げかけようとしても、言葉が喉に詰まっているかのように音が出せなくなる。
理性で何とか声を振り絞ろうとするが、徐々に押し寄せてくる悪寒と吐き気に、俺は思わず、自らの手で口元を塞いでしまった。
何と情けない。殻を破った気になっていた先程の俺をクラッシュさせてやりたい。
俺は、無視したことで気を悪くさせたかもしれない雪美へ『ごめん』と、手帳を見せる。
「そんな心配すんな、俺は気にしてねぇよ。それに、外にも一人で出られたんだ。きっと、いつか俺とも喋れるようになるって、…ついでに親父とも」
雪美は俺を元気づけるかのように言葉を紡ぎ、笑顔を見せる。
久しく見せなかった、爽やかな笑顔。可愛かった頃の弟はもういないが、代わりにかっこいい弟の姿がそこにはあった。
俺より幾分か背の高い弟を見上げ、俺は小さな感動を覚える。同時に劣等感なるものも、心の奥底で芽生えた。
「ルー君、今度はパパが抱っこしようか?」
膝をついて大きく両手を広げる親父を無視し、俺は無言で母の手を取り、目の前にある山爺の屋敷へと雪美を連れて向かう。
====
「おうおうおう!久しぶりだなぁ、お前達!」
約一年ぶりに合う山爺は、それはもう随分と元気そうにしゃがれた声をあげ、俺達家族を玄関先で出迎えてくれた。
フード越しに見える山爺の表情は、欲を払い落したかのような純粋な笑顔で、皺くちゃだった。
不思議と山爺は他の同性と違って怖くない。
山爺となら、もしかするともしかするか?
俺は山爺に向かって「山爺、お小遣いほしいなぁ~(もじもじ」と、甘えた声を出そうとする。出なかった。
男全般、やっぱだめらしい。それが分かっただけでも、良しとしよう。
若干にして期待外れな結果に、俺は誰にも気づかれないようため息を吐く。
「御久し振りですお義父さん、体の方はいかがです?この前、倒れられたのでしょ?」
「おうおう、
母と山爺が楽し気に会話する。
その光景に、一人我慢できないものがいた。超ド級の愛妻家こと、親父である。
「そこを退けい!我、妻のお通りだ!!クソ爺!!」
楽し気に母と会話する山爺を見て嫉妬したのか、何時にもまして、親父のキャラがブレている。いや、これが素なのだろうか?。息子の俺でもその辺は計りかねる。
「なっ、この生意気坊主め!!あって早々、実の親をクソ爺とは何事かッ!!」
「ささ、お手をどうぞ、白帆様」
怒る山爺を無視し、親父は母へとその大きな掌を差し出す。
「さ、行きましょうか二人とも」
親が親なら子も子といった風に、何処かカッコつけている親父の横を、俺達三人は素通りする。
無視され、した者同士、よくウマが合うのだろう。背後から二つの口やかましい声がいつまでも家中に響き渡る。
== 山谷家の居間 ==
親戚が一同に集まっても収まるよう用意した長机の手前端に、ちょこんと座る影が一つ。山婆である。
※因みに、今更だが、榊家に婿入りする前の親父の苗字は、山谷である。故に、じぃじとばぁば、のことは、山爺、山婆と俺は勝手に呼んでいる。
「ごめんなさいねぇ、碌に出迎えも出来ず。ご存じの通り腰がねぇ…うふふ。あっ、そうだ、蜜柑の瓶詰でも食べるかい?今年は沢山用意したんだよ。去年のミカンは甘くて丁度いい酸味があってねぇ、本当においしかったのよぉ~」
腰を痛めてからというもの、あまり誰かと会って話す機会が減った山婆が、実に楽し気な様子で、マシンガントークを繰り出す。
去年より、大分老け込んでいるように見える。以前の様に髪を染めず、大量の白髪がそう見せるのかもしれない。
「いえいえ、お気になさらず、お義母さん。それよりもお久しぶりですッ、腰の具合はどうですか?少しばかり、やせた様な気がしますが、ちゃんとお食事をとっておられますか?睡眠は?熟睡できていますか?」
山爺とは少し違った態度で、母が腰の弱い山婆へスススと、華麗な足さばきで近付いていく。
着物に皴を作らないよう上品に膝を折り、山婆にぴっとりと寄り添う形で母が座る。
俺と雪美は目を合わせ、無言のまま肩を竦ませる。
母は山婆の事が大好きなのだ。久しぶりの御対面という事もあり、俺達の事をそっちのけで、山婆と語り合う。今はそっとしておいてあげよう。
俺はいつ山婆にお小遣いをせびろうかと、タイミングを見極めるため、フード越しに山婆を観察する。
―――ズキッ。
不意に、目が痛む。
「兄貴?どうかした?」
目ざとくも、隣にいる雪美が俺の異変に気が付く。
俺は首を振り、何でもないと伝えた。
痛みは一瞬。特に気にすることも無いと思ったのだ。
俺はそんな事よりと、お小遣いをもらう方に意識を再び向け直す。
だがしかし、何時まで経っても母と山婆の会話が終わることは無かった。
一体いつまでこの人達は喋り続けるのだろう?ついでに親父たちも。
俺と雪美がそんなことを想った時、目の前の会話が、無視できない話題へと突入した。
「あの人ったら、『子供たちの未来の為、俺は節約するッ』なんていってねぇ、この前、その無理が祟って倒れちゃったんですよ。ほんとお馬鹿なんですから、あの人…うふふ」
「節約……、ところでお義母さん、つかぬ事を伺いますが、子供たちにはお幾らほどお小遣いを?」
何かを察したのだろう。母はつかぬ事を聞いてしまった。
「「あ」」
俺と雪美の声が重なる。
今、まさに、長年隠し続けた秘密が明かされようとしている。そのことに、俺と雪美は冷や汗を流し始める。
「さ、さぁ…どうだったかしら…うふふ」
「……ルー、ユー、幾ら貰ってたの?」
つい口が滑ってしまったと言わんばかりに口元を抑える山婆。
大好きな人に強く追及できるわけもなく、母は俺と雪美に振り返り、詰問してきた。
「い、一万以上、貰ってないよ?母さんと約束したからね。なぁ?兄貴」
「……(コクリコクリ」
「ふぅ~ん、そう…」
母が俺と雪美をジト目で見つめ、疑いの視線を向けてくる。
「ところでルー?」
不意に母が俺へと的を絞った。
「……『ん?』」
声を出して「どうしたの?」と聞き返そうとしたが、すぐ隣にいる雪美のことを意識してか声が出なかったため、手帳を使う。
「あの玩具なんて言ったかしら?ほら、朝、ママに見せてくれたあの玩具」
『おもちゃちがう』『イケル君』
「ふぅ~ん、イケル君っていうのねぇ、あれ、パパに買ってもらったの?」
あ、これ、色々と親父に物を買ってもらってるのバレてるやつだ。
全部では無いだろうが、凡そは把握してそう。
『イケル君』『自分で買った』
無駄に罪を重ねないよう、俺は自分で購入したことを宣言する。
「あんな高いの自分で買ったのねぇ、ルーは」
『うむ』
「…兄貴の馬鹿」
隣でぼそりと、雪美が呟く。
「ところでルー、イケル君を買うお金、何処から出したの?」
「…あッ」
母からもらう月のお小遣いは五千円。山爺たちからもらう年に数回のお小遣いも五千円(嘘)。
そのほかにも臨時お小遣いや、年に一度のお年玉などを全て貯金に回していたら、イケル君、一体を買う余裕は幾らでも溜まる。
だがしかし、当たり前の話だが、13歳になるまでに俺は色々なものを購入している。
毎週、俺の部屋を掃除しに来る母は、部屋に置かれた物をみて、俺という個人の貯金額をある程度は算出できるはずだ。
つまり、俺が何を言いたいかというと――
「ルー
完全に山爺たちから沢山のお小遣いをもらっていたことが母にばれた。
長年隠し続けてきた秘密が、「
『なんのことですか?』
「ルー君ッ!!」
「ひぃッ」
その後、俺は自分でもびっくりするほどペラペラと口を割り、雪美と共に母のありがたい御説教を、喧しい山爺と親父が戻ってくるまで受け続けた。
のどかで、平和で、退屈で、賑やかで、スリリングな日常をその日は過ごし、俺は久しぶりにぐっすりと眠りについたのであった。
ままこわい。
== 次の日 ==
夢を見た。
真っ白な世界に、巨大で真っ白な鳥居が一つ。
見たこともない程に巨大な白の鳥居を潜ろうか、立ち止まるかを決めかねている、そんな夢。
白の鳥居を潜らないといけないのに、それが怖くてできない。
何故、潜るのか?何故、潜らないのか。
夢の中の俺には分からなかった。
――ズズズ。
不意に、目頭に違和感を感じた。
何かが染まっていくような、這いずる様な、そんな違和感だ。少々、この感覚は言葉に表現しにくい。
違和感の次に、青白く光る蝶をみた。
その蝶は、まるで蛍の様に明滅して白の世界を優雅に羽ばたいていた。
見たこともない景色に、見たこともない蝶。
俺は綺麗な風景だと思った。
ただ眺めるのも飽きた頃、蝶を捕まえようと俺は白の世界を駆け回った。
そして気付いたら白の鳥居をくぐっていた。
「…っ!!………!!」
潜った鳥居の先から誰かの声が聞こえてくる。
何処か聞き覚えのある声に、俺は振り返った。
それから謎に違和感のある瞳で、鳥居の柱の横にいた人影へと視線を飛ばす。
「…もどれッ!!今すぐ戻れ!!」
男の野太い声。
怒声にも似た勢いを感じる。
不登校になってから謎に怖く聞こえる男の人の声。
怒鳴られたらもっと怖い。
だけど、その男の人の声は怖くなかった。
男の大きな体。
不思議と怖くない。
「帰ってこい!!」
なんでだろうなんて今更、思うまい。
だってその男の人は――…、
―――
== 明け方 ==
「……」
俺は朝、目を覚ました。
日も登っていない時間帯のせいで、まだ誰も起きていない。
もう少し寝ようと思ったが、やけに頭痛と目が痛くて眠れなかった。
俺はとりあえず顔を洗いに、洗面所へと足を運ばせる。
電気をつけ、目元を抑えながら蛇口をひねる。
田舎の冷たくて綺麗な水を両手で救い、目の痛みを癒す様に顔へとかける。
頭痛はまだあるが、目の方は冷やしたおかげか、大分楽になった。
俺は壁に掛けてあったタオルで顔を拭く。
そして目の違和感を確かめようと洗面所の鏡を覗き込む。
「っひ!!」
お化けと目が合った。…いや、お化けではない。よく見ると俺の顔だ。
違うのは髪の色と瞳の色。
母が大好きだった黒髪は、何処か神々しさを纏った白髪に。
侍の黒い瞳は、
そして俺は、何を思ったのか、ふとちそちそに触れる。
ちそちそはある。若干にして縮んでいるのは気のせいだろう。
「……な、なんだこれ」
ホッとしたのも束の間、右手は凸だけではなく、凹の感触をもたらした。
縮んだちそちその直ぐ下に、凹がある。
俺は恐る恐るその凹みに人差し指を近づけ――やめた。
踵を返し、早歩きで洗面所を出る。
急いで恐竜の衣服へと着替え、俺は裏庭に続く裏口へ向かい、その間の廊下で、寝ぼけ面の雪美と遭遇する。
「兄貴、こんな時間にどっかいくの?」
「……」
「まだ暗いし、布団にはいろうぜ…ふぁ~あ」
「……」
「今、行くってんなら、俺もついてく」
大きな欠伸をする雪美を無視し、横切ろうとしたら、先程まで晒していた寝ぼけ面を止め、何処か真剣な口調でそう口にした。
演技だった。雪美はいま、演技していた。
いつもと変わらぬ日常を送るため、雪美は何にも気付いてない風を装っていた。
フードを被っているので、変化はみられていない。
だが、雪美は何かを感じ取っている。……本当に、聡い奴だ。偉大な兄に気を使いすぎだ、全く。
――フサッ。
ほんのりと明るくなり始めた外からの明かりが、近場の窓から廊下へ、徐々に降り注いでいく。俺はそこで、雪美が見ている目の前で、深々と被ったフードを脱いだ。
「…兄貴、それ」
驚きに目を見開き、硬直する雪美。
俺は
だが、どうせなら最後に背中を押してほしい。
そう思って、彼――雪美を見やる。
「かっこいいじゃん、兄貴」
「……え?」
思わず口から零れた一文字。
「兄弟、舐めすぎ。少し綺麗になったからって、俺が兄貴を好きになる訳ねぇじゃん…気持ちわりぃ」
「……あ、あぁ」
文字は言葉として浮かび、俺の口から自然と出てくる。
今までいくら弟に向かって出そうとしても出てこなかった声。
それが自然と出てくる。
「ふぁ~あ~あ、…ねみぃ、……俺、もう寝るわ、お休み」
「…お、おや、すみ」
まだたどたどしくはある。無意識が声を押しとどめようとする感覚がある。
だが、確かに言葉を俺の口から雪美に伝えられた。
俺はいつになく大きく見えるその背を見つめ、雪美が、弟がいてよかったと心から思った。
「…兄貴」
不意に、雪美が立ち止まり、背を向けたまま俺を呼んだ。その声は、どこか震えていた。
「勝手にいなくなるの、禁止な」
雪美は本当に目ざといというか、察しがいいというか、よく気が回るというか…なんというか。
「わ…かった」
「約束…な」
「う、ん」
俺の意思はまだ迷っている。
だが、雪美は強い意思を持っている。
だから、俺は約束してしまった。約束させられてしまった。
弟の癖に、生意気だ。
「おやすみ」
「…お…すみ」
俺はその後、首を吊ることを諦めた。
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