その⑭ お礼

 白戸しらとさんの方はおこがましい気持ちを隠さなければ……許してくれるんじゃないかってのは、ちょっとだけ思っていた。

 でも葉寺はでらさんの方は――。


 ついこの前仲良くなったばかり、それ自体は白戸さんと同じだけど、でも葉寺さんには胸もまれてないしキスもしてないし……えっとつまり、普通の友達である。


 それなのに、上から謝ったほしいなんて言ってしまった。

 いやいや、普通の友達以前に、葉寺さんクラスの人気者だよ。多分彼女がちょっと「あいつウザくね?」って言ったら、だいたいのクラスメイトから避けられるよ。そういう相手に、わたしはなんてことしてしまったんだ。


 冷静になると、あまりのことで正直に日中は葉寺さんの方をまるで見られなかった。同じ教室にいるけれど、露骨に逃げてきた。ごめんなさいごめんなさい、クラスの端っこにいるタイプなのに調子乗りました。


 ただ放課後の約束は、逃げられない。

 もしわたしだけ逃げて、葉寺さんを待ちぼうけさせてしまったら――それこそ終わりだ。

 図書室の前で、


「…………はぁ」


 もちろん、葉寺さんがそんなことをする人じゃないとはわかっている。

 それこそ小学生のころは白戸さんのことを仲間内で小馬鹿にしていたみたいだけれど、今の彼女はもっと大人で情にも厚い人だ。

 だから明日からわたしの机に花が飾られてるとかそういうのはない。ないはず。……まあ、いいよ? わたし、迷信とか信じないし。別に菊とか「あーきれいなお花あるー」みたいな素っ頓狂なこと言って喜んでも。ドラマのヒロインってたいてい序盤でいじめられるけど、それくらい屈強な精神力と天然さがないとハッピーエンドならないからね。


 でもわたしがヒロインってことはないか。せいぜい脇役だよ。クラスで地味な女子数えたら最初の方に来るもん。……そうなると、モブは普通にいじめとかされたら泣いちゃうか。ヒロインに助けてもらえばいいのかな。えっと、白戸さん? それもなんかおかしいな。白戸さんに助けてもらう役っていよいよメインキャラだし。


 白戸さんは虐げられた(白戸さん視点)けど、負けじとあらがって数年後には学校一の美少女になったわけだもんね。よく考えたらドラマの主人公みたいだ。

 そうなると……あれ、その白戸さんから好意を寄せられているわたしはやっぱり!?


千冬ちふゆ、おーい。千冬?」

「えっ、はい!?」


 ドラマ好きがたたって、ついつい妄想の脚本が進み過ぎてしまった。

 気づけば遠のいていた意識が呼び戻されて――。


「葉寺さん……っ!?」

「なんでそんな驚く。勉強の約束だろ?」

「だ、だって……来てくれないんじゃないかなって……」

「なんで?」


 目力のある瞳が、本当にどうしてかわからないというように、不思議そうにわたしを見つめた。


「だって、昨日」

「昨日は、悪かった。まさか夕里ゆうりとあそこまで言い合いになるとは思ってなくて……じゃないな、夕里があたしのこと、あそこまで恨んでたなんて知らなかった」

「えっと」


 そういえば、初めてカフェで二人が言い合いした翌日の図書室でも、葉寺さんはむしろ白戸さんとまた話せたことに喜んでいた。あの時もわたしは謝っていたけど。

 彼女は本当に気にしていなくて、白戸さんの独り相撲だったということだ。


「千冬のおかげで夕里の気持ちもよくわかった。昨日は、なんつーか売り言葉に買い言葉で、あたしも言い返して……だから止めてもらって助かった」


 そもそも葉寺さんだって客観的に「ムキになってくる夕里が面白くてけっこうからかってたし、それを根に持たれてても文句は言えないな」と言っていたのだ。だからあの場で白戸さんがあれだけ暴れて、ついつい言い合いになってはいたけれど、ちゃんと冷静に話し合えれば、葉寺さんはわたしがなにも言わなくても謝っていたと思う。


「ちゃんと夕里に謝れてよかった」

「……そう言ってもらえると、わたしもありがたいけど」

「なんだよ、歯切れ悪いなー。あたしがこんな感謝してるのにっ! わかった、言葉だけじゃ足りないか? チューしてやるっ」

「えっ、ちょっと待って待って」


 まさか感謝してもらえるとは思わなかった。――いや、葉寺さんの性格を考えたら、そんなにおかしくないし、むしろわたしが悪い方向に考えすぎていただけなんだけど、それでも拍子抜けしてしまう。わたしが謝るつもりだったのに、むしろ昨日のカラオケを台無しにしてしまったと謝られ、なおかつ白戸さんに謝れる機会をくれたと喜ばれてまでいる。


 びっくりするくらい、なんか良い方向に進んでいた。

 ほとんど抱きつくみたいにして、葉寺さんがわたしに顔を近づけてくるのはどうにかしたい。


「なんだよーっ、あたしのキッスが受け取れないって言うのかー?」

「え、冗談じゃなくて!? 本気なの!?」

「あはははっ、ま、さすがにあたしも無理矢理チューはしない。安心しろ」

「そ、そうだよね。あははは」


 緊急事態とは言え無理矢理キスしたことのあるわたしには耳が痛い。

 葉寺さんは笑いながら体と顔を離した。


「あたし……ほら、けっこう無神経だろ? 自分でもわかってるつもりだったんだけど、ズバって言って、気づかない間に人を怒らせることあって……今回も、千冬が言ってくれなかったらさ、ずっと気づかなかった。夕里もあたしのこと避けるだけだったと思うし」

「う、うん……まあ、その……余計なことしちゃったけど、返ってうまくいったなら、よかったかなって」

「余計なんてことないっての! だからあたしは感謝してるんだって」


 そう言って、葉寺さんはまた顔を近づけてきた。

 また冗談でキスか、と身構えると、真っ直ぐと目を見つめられる。


「……千冬、変わってるよな」

「えっ、わたしは割と普通だと思うけど……よくいるタイプだし」

「そんなことないだろ。だってさ、自分で言うのもなんだけど、あたしに謝れってあんなはっきり言うヤツあんまいないし」

「うっ、……それは本当にごめんなさい」


 わたしが言うと、肩を小突かれた。


「だっかっら! あたしが悪かったし、あたしは感謝してるんだって」

「えぇえ……でもさぁ……」

「なんでか知らないけど、夕里とは仲良しだし。あいつさ、多分今もあんまり友達いないと思うんだ」

「え、そんなことはないと思うけど……」


 いつも人に囲まれている人気者の白戸さん。でも、実際わたしも白戸さん自身が親しいと思っている相手はあんまりいないんじゃないかって疑っていた。


「いない。あいつ、プライド高いし」

「……プライド、関係あるかな」

「あたしのことってか、小学生のころのことが原因なのもあるんだろうけどなー。そもそも人のこととか信用してなそうだろ、夕里」

「そんなことないと思うけど」


 一応否定はしたけれど、言いよどんでいるわたしに葉寺がさらに言う。


「千冬がそう思うのは、千冬が夕里に信頼されているからだ」

「……そう、なのかな」


 わたしは普段の白戸さんをよく知らないし、葉寺さんは一応幼馴染みだ。


(でも信頼されている……ってのは、なんか違うような)


 戸惑いもあるんだけれど、やっぱりどうも腑に落ちないでいると葉寺さんが少しムッとしていた。


「なーんか、納得してない?」

「え、だって……わたしも勝手にしただけで、謝られたり感謝されたりはあんまり……実感ないし……」

「やっぱ実感できるお礼がほしいのか」

「違うよ!? そっちじゃなくてね!?」


 自分がやったことはそこまでだったのか。ただ結果的に上手くいっただけで、もっと悲惨な結果になる可能性の方が高かったはずだ。だからこうあんまり好意的に受け入れられると、それはそれで釈然としない。


 そんなわたしの煮え切らない態度に、葉寺さんは不満なようだ。

 いや、わたしだってもっとポジティブな性格だったら、「はっはーっ! わたしのやることは間違いなかったかーっ! 感謝するといいよーっ」って豪快に喜んでたんだけど。


「仕方ない。やっぱり千冬には感謝の意を込めて、あたしのファーストキッスを捧げようじゃないか。それなら千冬もあたしの気持ちが――」

「え?」

「ん? なんだ?」

「あ、いや、ファーストキスって」


 つい、関係ないところで口を挟んでしまった。


「どうかしたか?」

「……え、別に。その……」

「千冬、言ってみろ」

「ちょっと意外だなって」


 ぎろりとにらまれて、咄嗟の嘘やごまかしも思いつかず正直に言った。


「ほう……、やっぱり千冬はあたしが遊んでる女だってまだ思っているのか」

「ち、違うって! でもほら、葉寺さんモテそう……っていうか、モテるよね!? だったらほら、キスくらい経験してるのかなーって」

「キスくらい? ふーん、千冬はあたしのことキスもしたことないお子ちゃまだって言いたいのか」

「違う違う!」


 むしろ大人だと思っていたから、ちょっと驚いただけだ。高校生だし、別にキスの経験がないからって、そんな子供だって思うわけない。


「はいはい、どうせ千冬だってまだキスしたことないだろー。全く、あたしのこと笑えないだろー?」

「え……あー、うん。笑うつもりとかないって」

「おい。なんで目をそらした。まさか千冬……キスしたことあるのか!?」


 なんか余計なことを言ってしまったらしい。

 いや、何でも顔にでるわたしが悪いのか。

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