勉強

その① 密室

 うっかりで赤点を三つも取ってしまったわたしは、白戸しらとさんと葉寺はでらさんの二人に勉強を教わり、元の試験よりも難しいと評判の追試に備えることになった。


 なんで追試が元々のテストより難しいのか。

 もともとほとんど赤点になる生徒がいないように難易度調整されているからとか、追試でなんとかすればいいと手を抜く生徒の対策とか、そんな話を聞くが……実際の所はわからない。

 ただ赤点を取る生徒は、学年でも数人で、三つも取ったのは歴代でもわたしくらいだという。

 記録保持者だ。


 いや、全然いらない記録なんだけど。


「追試大丈夫そう?」


 と友人の未美みみが、教科書とにらめっこしているわたしに聞く。


「特別講師の目処はなんとか」

「よかったじゃん。白戸と葉寺?」

「うん、一応」


 どうにか彼女を先輩と呼ばなくていいように頑張らなくては。

 とはいえ、一旦休憩だ。ちょっとした空き時間もなるべく教科書を読み返して、自己学習にも余念のないわたしだけれど、さすがにお昼休みくらいは勉強のことを忘れたい。


 今日のおかずは――。


千冬ちふゆさん!」


 わたしがお弁当を開く前に、教室のドアが豪快に開いた。

 その声と、声の主で教室に残っていたクラスメイトたちがざわつき始める。


「…………」

「なあ、千冬。お客さんみたいだよ」

「…………お腹空いたなぁ」


 無視していないフリでやり過ごしたいけれど、もうクラスメイトたちから「え、なんで白戸さんが」「千冬ってあの千冬?」「もしかしてわたしたちの知らない千冬もいるんじゃないの。白戸さんに呼ばれるくらいハイスペックな」「うちのクラスには赤点三つとる千冬しかいないぞ」と罵詈雑言が届き始めている。


 このままだと白戸さんも「いないんですかー千冬さーんっ!?」ってもっとだいたいてきに探し始めて、「あいつ赤点三つも取った上に白戸さんに探させるような手間までかけてんのか」「ウチのクラスの面汚しだな」「白戸さん、見つけ次第ウチらでとっちめて置くんでゆっくり座って待っててください」とかなりそうだ。


「……あの、お昼、先食べてて」


 未美ら友人たちに、涙ながらの別れを告げた。連日、二回目。


「白戸さん……どうしたの?」


 そろそろと立ちあがって、なるべく目立たないように白戸さんに手をふった。


「千冬さん、勉強しましょう!」

「……お昼休みだよ?」

「勉強は頭でします。だから食事しながらでもできます」

「……お昼ご飯だけじゃなくて、休むことも本質の一部なんじゃないかと」


 本気でお昼休みまで勉強したくなかったので、ごねようかと思ったが――クラスメイトたちからの視線が刺さってくる。みんな、クラスメイトなのにわたしより白戸さんの味方のようだ。まあ、わたしも第三者だったらそうかもしれない。


 おとなしく白戸さんについていくと、生徒指導室なる場所に連れてこられた。

 なんだここは。


「ここ、なに?」

「先生と対面で面談するときなどに使う場所ですね。私たちもも受験シーズンになると、進路指導で使うと思います。他にもなにか校則を罰したときにここで指導を受けることもあるそうですが」

「はぁ……」


 なるほど、懲罰室みたいなものか。

 わたしは一応真面目な生徒だし? ここに呼び出されたことはなかった。いや、昨日職員室に呼ばれて追試を突きつけられたばかりですけど。


「え、なら、わたし……関係なくない?」

「中庭は机がないですから。教室だと他の生徒も多いのでうるさいので、ここが勉強しながら食事をするのは最適かと」

「……そうかもしれないけど、勝手に使っていいの?」

「追試で留年の危機がある生徒に勉強を教えるために必要だと説明したところ、利用許可をもらえました」


 なるほど、学年一位の優等生が落第生を指導するための特例として認められているのか。


「……いや、事実なんでなんにも反論できないんだけど…………その説明、胸に来るね」

「胸……す、すみません。たしかに、配慮にかけた言い方でした」

「う、ううん。わたしのためにありがとうね」


 そういうことで、生徒指導室に入る。

 畳三畳もない個室の真ん中に机と、それを挟んで向かい合うように椅子が二つ置かれていた。本当に、ただ二人きりとかで面談をするだめの場所って感じである。


「ご飯も食べて良いの?」

「はい、そちらも大丈夫です。できるだけ綺麗に使って欲しいとは言われていますが」

「なんか、学校の中にいるのにこんな場所でこっそりご飯食べていいのわくわくするね。秘密基地みたい」


 勉強という目的がなかったら、もっと楽しいんだけど。


「白戸さんには日本史と物理頼んでいいんだよね……? 日本史は基本暗記だし……物理をメインで教しえてもらえると助かるんだけど。あっ、そもそも白戸さん……理科の選択ってなに? 社会科もだけど……」


 友人たちが私を見放した理由が、彼女たちはわたしと同じで数学が得意ではないし、物理に関しては選択すらしていないというのが大きかった。

 日本史はけっこう取っている子も多いけど。じゃあなんでわたしが物理を選択したかというと……そもそも文系のわたしは、理系科目なんて一年の間だけちょっとやるだけだし、一番点数が取りやすいって噂の物理でいいか、と決めてしまった。

 実際、平均点を取るだけなら、公式とかそういうのをなんとか覚えれば乗り切れるので、他の理系科目より簡単なのも事実なんだけれど。


 追試だとちゃんと応用できないと、マズいって話だし。なんでなの、赤点取っている人って普通基礎がまずできていない人じゃないの!? そういう人に応用のテストするって鬼だよね!?


「大丈夫です。勉強してきました」

「……え?」

「昨日、千冬さんが物理の追試を受けると聞いてから、教科書をすべて勉強済みです。千冬さんがどのような疑問を持たれても、完璧に解説できる自信があります」

「……え?」


 どうやら、物理は選択していなかったらしい。

 それなのに、わたしのために勉強してきたのか。というか、一晩で教科書一つ網羅してきたって……本当?


 わたしは試しに、いや、白戸さんを疑うわけじゃないけど――物理の問題集から一つ出題してみた。白戸さんはよどみなく正解する。


「すごっ」

「千冬さん、私を信じてください。葉寺さんなんかよりも、ずっと千冬さんのことを助けられます」

「うっ、うん。ありがとう……あと、本当にごめんね。選択じゃない教科だったのに、頼んじゃって」

「いえ、千冬さんのためなら、これくらい」


 なんだろう、本当に感謝しかないけど、重い。

 白戸さんにもケーキを奢って、お返しするつもりだったけど。


「……あ、あのさ、ケーキの他にもなにかお礼とか」

「お礼なんてそんな……。私は好きで千冬さんの力になりたいので、気にせずに」

「で、でもさ、わざわざ選択してない科目の勉強までしれもらってなにも返さないのはちょっと」

「そ、それでしたら、その……」


 白戸さんの視線が、チラリチラリわたしに向いた。


 ――んーっと、お弁当かな? またわたしのお弁当のおかずがほしいのかな?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る