その⑦ ペットボトル

 白戸しらとさんの気持ちを確かめる必要は、本当にあるんだろうか。

 こんなやましい気持ちだけでわたしと卓球をしたがる彼女に、わたしはなにを求めているのか。


(やっぱり白戸さん、わたしの胸以外に興味ないんじゃ……)


 体を動かした以上に、なにか精神的な疲れと気怠さを感じたのですこし休ませてもらう。自販機でスポーツドリンクを買って、少し飲む。冷たい液体が、のどをゴクリと流れる。たいして汗をかいたわけでもないけれど、運動あとだといつもより美味しい気がする。


「……あ、白戸さんも飲む?」

「いっ、いえ! 私も自分で買います」


 横で見ていた彼女にペットボトルを差し出したけれど、白戸さんはさっと視線を逸らして自販機へ向かった。

 スポーツドリンクは好きじゃなかったんだろうか。パタパタと小走りでミネラルウォーターを買った白戸さんが戻って来る。


「卓球、楽しいですね」

「……まぁ、うん」


 わたしの胸が弾む様を堪能したかった白戸さんは、さぞ満足できただろう。卓球台の近くで、二人して並んで立っている。

 わたしがどう切り出して良いか悩んでいるのもあって、どことなく二人して所在なさげであった。


「……あのさ、白戸さんってやっぱり……わたしの胸にしか興味ないの?」


 自分で言って、おかしなことを言ったと思う。


「ご、誤解ですっ!! 台が邪魔でしたけれど、スカートがふわりと浮いていつもより露わになった太ももも見ていましたっ!!」


 しかし白戸さんのほうがおかしなことを言う。


「……太もも」

「あっ、その……違いますよ? ……千冬さん、そんな私のことを誤解しないでほしいです」

「本当に誤解なのかな……」

「私、言いましたよね。私が好きなのは千冬さんです。千冬さんの胸や太ももだから好きなだけで」


 まあ、それは修学旅行の時にも言われた。

 別にわたしは嫉妬深い彼女でもないから、わたし以外の――たとえば向こうで卓球しているカップルのお姉さん、遠目にもけっこう胸が大きい。わたしより大きいかも――胸を白戸さんが凝視していても、「なによっ!」って怒ることはない。


「……好きって、どういう好きなの? ……どのくらい本気なの?」

「信じてもらえるならマイナンバーカードを預けても構いません。それくらい本気です」

「いや、その発言がもう……なんか……」


 好きを証明するのに、身分証を渡されても困る。

 冗談――ではないとしても、なんというか。


「……もののやり取りっぽい」

「そんなことないですよっ!?」

「白戸さん、最初も土下座とお金でわたしの胸ももうとしてたし……なんかそういう、交換条件で解決できるタイプのことなの? 白戸さんの気持ち」

「違いますっ!! 違うんですけど……」


 白戸さんの表情が少し曇った。さっきまで楽しそうだった彼女に、こんな詰め寄るような言い方はしたくなかった。


「ごめん。言い方悪かったよ」

「そんなことは……悪いのは、私です」


 白戸さんの細い指が、卓球台の上をそっとなぞった。


「平たくて、硬いです」

「え、う、うん?」

「……すみません。私、今までにこういう気持ち、なったことがなくて。それで自分でもどうするのが正解かわかりませんでした。……千冬さんには、失礼な……無理のあることをお願いしてしまったと、今では反省もしています」


 失礼とまでは思わないけれど、同級生相手にするのはおかしなことを要求していた。それを白戸さんが客観的に理解していたことは嬉しい。よかった、まともだ。


「でも、後悔はしていません。千冬さんの胸を揉めました。……それに、その」


 白戸さんの視線が、わたしの顔――いや、目よりちょっとしたの、つまり唇を見ていた。それから体をなめ回すように見て、ぽっと頬を赤らめる。


「いやいやっ、なに思い出しているの!?」

「千冬さんとの思い出です。素敵な、私に取っての宝物です」

「……そ、そんな言い方してもっ!!」


 手に持っていたペットボトルを、思わず強く握ってしまう。めこっと音を立てて少し形が歪んだ。ダメだ、わたし。冷静になるんだ。

 多分、わたしの頬も少し赤くなっているだろう。つまり、白戸さんが変なことを言うからではなく、恥ずかしいから声を大きくしてしまっただけだった。


「だからその……千冬さんに拒絶されて、もう二度と話せなくなって、顔を合わせたら逃げられて……それでもいいって思っていたんです。私、それくらいの覚悟だったんです。……千冬さんが、先生に相談して、私が退学になってもおかしくないってわかっていました」

「退学って……それは……どうだろう」


 女子同士のことだし、そこまではならない気もする。

 でも同級生相手に、胸をもませてくれって土下座やらなにやらで迫ったら、停学くらいはあったかもしれない。


「それでもっ、私……気持ちが抑えられなかったんですっ!」

「あのさ……えっと、わかったような、わかんないようななんだけど」


 たとえばだ。

 たとえば、これが普通に告白だったとしよう。それだったらわかるのだ。まあただの告白だったら、そんなに覚悟がいるのかどうかわからない。でも一応同性相手だし、変なこと言われるかもってのはあったと思う。だからそれで、好きだって告白されていて、そういう覚悟の上でしたって言われるのは――この人わたしのこと、本当に好きだったんだなってなる。


 でもだよ。

 白戸さん、わたしの胸もみたいって言ったじゃん。

 まずそれだったよね。

 その後、好きとかなんとか、いろいろ言われたけど、まず胸だったじゃん。

 百歩譲って、告白の後じゃないの? そういうの。それだったらまだ、わかるけど。でも胸の後告白って。あれだよね、ちょっと二人きりで部屋飲みとかしている男女が、やれる雰囲気になってから後追いで告白するようなやつだよね。「わたし、付き合ってない人とはそういうことしないから。したいなら、ちゃんと好きって言って」ってやつ。その後から出てくる好きと、その前に出てきてた好きって、なんか違うじゃん。

 ねえ。


 だいたい、白戸さんも『冬さんの大きい胸にひかれて、千冬さんを好きになったという可能性を完全には否定できませんっ』って言ってたし。


「はぁ」


 なんだろう、少しわたしが考えすぎていた気がしてきた。

 あんなにはっきり好きとか言われるのも、あんなにいやらしい感じで胸を揉まれるのも初めてだったから、わたしは変に勘違いしていたのかも知れない。

 気持ちを整理すべきだ。


「……白戸さんが、好意と覚悟を持ってわたしの胸をももうと……実際もんだってのはわかったよ。まあ覚悟は、最初の土下座の時から、なんとなくわかってたけど」


 普通、冗談でも同級生相手に土下座はしない。

 ここまでは、わかった。確認するまでもなかったことかもだけどど。白戸さんがマイナンバーカードとか言うから、逸れてしまったのだ。


 肝心なのは――。


「えっとさ、……好きって、その……付き合いたいとか、そういう好きなのかって聞きたかったんだけど」

「つ、付き合う……っ! 私と千冬さんが……お付き合い……っできるんですか!?」

「えっ、いやその」


 目を輝かせる彼女に、わたしは戸惑った。

 あれ、なんで質問し返されているんだ。

 でも、わたしが付き合うつもりもないのに「付き合いたいの?」と聞くのはおかしなことだろうか。だって白戸さんが「はい、お付き合いしたい好きです」と言って、「へー、わたしは付き合いたくないかなー」って返したら、あまりにも非道すぎる。血の色が心配になってくる。


「待って待って、ごめん。聞き方が悪かったかも」

「お付き合い……千冬さんの家にお呼ばれ……ご両親に挨拶……公認の胸……」

「あの、白戸さん?」


 白戸さんがどこか遠くを見て、うっとりと恍惚こうこつを浮かべていたので、パンパンと手を叩いて現実に連れ戻す。


「恋愛的な好きなのかなって。それで、もう一つ本当にごめんなんだけど……わたしも、まだそういうのよくわかってなくて……多分、白戸さんの気持ち聞いて、だからってなにか返事ができるわけじゃなくて……」


 両手でつかみながらペットボトルを平で転がす。きりもみみたいか感じで、気恥ずかしいやら、情けないやらの気持ちを紛らわした。


「わたし、白戸さんのこと……どう思ったらいいのかなって。普通に友達なのか、そうじゃないのか」

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