その⑤ 屋上と噂

 ギャルの葉寺夜澄はでら よすみは、わたしの自慢の胸(いや、自慢なんてほんとたまにしかしたことないよ!?)を値踏みしてから、


「ここだとマズいし、ついて来なよ」


 と勝手なことを言った。

 さくさくと鞄を肩にかけて歩いてく彼女を見送って知らんぷりすることもできたけれど、教室で発言力のある彼女を無視するのは危険すぎる。明日になったら壮絶な嫌がらせとか受けるかもしれない。

 幸い、うちの学校で平和な部類で、そういうのも目立っていないけど。

 とにかく校則ではグレーだけど、ギリギリ注意されないくらいの明るい髪がゆられるさまを追った。


「屋上……」


 ちょっと不良っぽいギャルはスカートのポケットから鍵を見せた。

 彼女は何食わぬ顔で『立ち入り禁止』と貼り紙されたドアの施錠を解いた。


 ちょっとじゃない、絵に描いた不良だった。職員室からくすねた鍵で屋上を出入りして、授業をサボってタバコとか吸っているんだ!

 逆らうと危険かと思ってのこのこついて来たけれど、もしかしてついて来た方が危険だったかもしれない。


「あ、あのね、葉寺さん。わたし……塾の時間が……」

「この時期の屋上、けっこういいよ。空気とか暖かさとかちょうど良くて」

「へ、へぇ……」


 よくわからないが、早く来いと手招きされた。とても逃げられるような雰囲気じゃない。

 怖い。カツアゲとかされたらどうしよう。


「……」

「どう、気持ちいいっしょ?」

「は、はい」


 たしかに、見晴らしは良いし、風も澄んでいて空気そのものもなんだか綺麗な気がした。実際にはそんなに変わらないんだろうけれど、屋上効果かもしれない。

 その効果でちょっとだけ警戒心が下がったところで、葉寺さんがそっとわたしの横に並んだ。


「なあ、噂聞いたけど」

「え、噂っ? ……わたしの?」


 噂というと、お昼の白戸しらとさんとのことだろうか。

 そういえば、葉寺さんはクラスで一番目立つ女子だけれど、白戸さんは学校で一番目立っている女子だ。

 こちらも同じ噂で、葉寺さんは白戸さんのことを嫌っているらしいと聞いたことがあった。よくある話だ。「あいつ調子に乗っている」みたいな。自分より目立つ相手を悪く言う、そういう子もいる。


 それで嫌っている白戸さんとわたしが仲良さそうにしていたらか「なにお前、白戸のグループなの?」ってことだろうか。もしくは「白戸と仲良いの? じゃあさ、あの子の弱みとか知っているよね?」みたいな。


「……え、あの、わたし……全然そういうんじゃ……」

「隠すなって、悪いようにはしないから」

「悪いようにって」


 そんなこと言う人は、大抵悪いことを考えている。

 葉寺さんはつり目がちで、ちょっと顔の怖いタイプの美人だ。ギャルらしい着崩しと明るい髪色がよく似合っている。白戸さんとは違うけど、十分美人だし、そんな争う必要ないと思う。


「あのあの! 葉寺さん美人だし、そんな全然気にする事じゃ」

「はぁ? なんの話だ」

「えっ、いや、顔が近かったから……つい……その感想を……」


 突然、葉寺さんの顔を褒めてしまったけれど、あれではまるで「白戸さんに負けているのコンプレックスかもしれないけど、気にしなくて大丈夫じゃない?」と勝手に失礼な励ましをしてしまったようだ。

 こういうのは、こっちが下手なことを言うと余計怒らせてしまうものである。


「感想って……お前、変なヤツだな」

「変……」


 そんなことはない。ちょっと不良っぽいギャルに屋上へ連れてこられたり、学校一可愛い女の子と二人きりで土下座でもされたりしたら、動揺して変なことを言うけれど、普段は至って普通である。


「ま、あたしの話聞けって」

「……」

「あー、そうや名前、今まであんま話したこともなかったけど、一応いるか? あたし、葉寺夜澄」


 わたしの沈黙をなにと勘違いしたのかわからないが、今更律儀に彼女は名乗った。わたしも一応名乗り返して、頭を下げる。


「よろしくな、千冬。クラスメイトだけど、改めてってことで」


 グータッチで挨拶を交わす。これが、ギャル!?

 わたしの経験がない距離感の詰め方だった。

 ――そんなことないか。ほとんど初対面で土下座して、胸もんできた人もいるし。


「それで話って?」

「あーまあ、そうだな。ちょっと言いにくいんだけど」


 このギャルに言いにくいこととかあるのか。

 普段の彼女と少し会話しただけの印象だけれど、なんでもズケズケ言いそうだった。


「千冬……金困ってて、売りやろうって考えてんだろ?」

「へ?」

「援助交際っつか、お父さん活動っていうか、そういうの」

「はぁっ!?」


 なんだ、その話。

 わたしが、やろうとしている!? あとなにお父さん活動って!? もしかして葉寺さん、パパって言うのが恥ずかしくて「お父さん」って言っているの!?


「なんだその顔。相場とか聞いて回ってるって噂で聞いたぞ」

「いやいや、そんなこと――」


 そういえば朝、友人の未美みみに「わたしの胸をもむのにいくらまでだったら払える?」って質問して、「おじさん相手に商売始める前の価格調査始めてないか?」って疑いをかけられていた。それを近くで聞いていたクラスメイトが誤解して――。


「って噂ってそっちなの!?」

「あのなぁ、千冬。悩みがあるなら聞くから、やめろって。金は貸せないけど、まぁバイト先くらいなら紹介できるしよ」

「いやいや!! 違うから!! しないよ!? お金にも困ってないしっ」

「お金に困ってないのに売りするのか? ブランドもののバッグ狙いじゃなくて?」


 ブンブンブンと空気を切る勢いで首を振った。

 まさか友人とちょっとしたふざけたやり取りが、こんなに噂として広がっていたなんて。


「……本当か?」

「う、うん。そんな噂も初めて聞いたし……本当、友達とふざけてそんなことは言ったけど、全然そんなつもりはなくて、これっぽっちも」

「ふぅん」

「え、え。あのさ、その噂、そんな広まっているの?」


 噂のことはなんとかしないと、それこそ先生にも呼び出されかねないし、万が一にも親を呼び出されたら泣かれそうだ。


「広まっているって程じゃないかな。ま、あたしだから、そういう噂は耳に入りやすいってか」

「……」


 なるほど。


「おい、千冬。あんた、あたしがヤッってそうだって思ったろ? だから詳しいんだろって」

「おっ、思ってない!!」


 ブンブンブンブンとさっきよりも勢いよく首を振った。


「ま、そういう見た目なのはわかるけど。一応言っとく、ヤッてないから。ちゃんとバイトしてるし」

「そ、そうなんた。偉いね」

「普通だろ」

「……あはは」


 バイト経験なし、親のお小遣いが生命線のわたしは苦笑いで聞き流した。別に普通以下じゃないもん。


「で、奈津なつが『あの子、援助募集中らしいよー。夜澄詳しいんだし紹介してあげたらー』ってふざけてきて」


 奈津というのは、たしか葉寺さんの友達だったか。そこまで印象に残っていないので薄ら顔が浮かぶ程度だけれど、ギャルっぽい感じの、まあ葉寺さんのお友達だなって子だったと思う。


「……それ、信じたの?」

「んーまあ、本当だったら止めないとって思って」


 それで放課後、わたしのところにわざわざ来たのか。


「あっ『たしかにね、なるほど』って言ってたよね!? わたしのこと見て!」

「ああ、やりそうな胸だったから」

「なにそのやりそうな胸って!?」

「悪い悪い。誤解だったな。ま、結果オーライだよ」


 失礼すぎる。ちょっと胸が大きいからってそういうことしそうって、完全にセクハラじゃないか。


「ごめんって。胸だけじゃなくてさ、千冬可愛いから、まあ人気でそうだなって」

「可愛いって」

「ほら、あたしは美人系だろ? あんまおっさんとかにはモテないタイプだから。千冬は逆でおっさん受けいいタイプ」

「……はぁ」


 自分で美人と言ってのけるのは、まあ葉寺さんに関しては本当のことだから良い。

 ただわたしが「おっさん受けが良い」と言われるのは大変複雑だった。喜んで良いんだろうか。バカにされているのかもしれない。


「とにかく、こんな可愛い子が万が一にも道逸らしたらいけねーって止めようと思ったの。でも教室で話して、それこそ本当に広まったら困るだろ?」

「……それで、屋上」

「そゆこと。悪かったね、勘違いでご足労して」


 単なるクラスメイトでしかないわたしのことを心配してくれていた、というのは多分本当だろう。

 だからまあ、失礼なことは言われたけれど、わたしもそんなに怒る気にならなかった。

 少なくとも、このまま不機嫌な感じで別れるのも悪いと思った。なんとなく、せっかくグータッチで挨拶した仲だし、もうちょっと話してから良好な形で解散したい。


「あのさ、屋上の鍵」


 しまった。

 なんとなく適当に話題を出そうと思ったが、ちょっと不良っぽいギャルがなぜか持っている屋上の鍵について聞いてしまった。

 絶対いかがわしいことをしている。「教師を脅して合鍵つくったんだよ」って武勇伝を語られたらどうしよう。そのときは「へへへっさすが葉寺さんです」って愛想笑いしてから逃げよう。


「あー! そうだな、説明しとかないとな。これ、ちゃんと合法だから」

「合法……」


 合法というのは、大抵悪い言葉の前につく。法の抜け穴をついているから捕まりませんけど、悪いことやっていますとかそういう意味で使われる。

 わたしは身構えた。


「あたし、キショウ部で」

「キショウ部?」

「そ、気象予報のキショウ。あ、正式には天文気象部」

「……そんな部、あるの?」


 と思ったが、天文部なら特に名前を聞いたことはなかったけれど、存在自体はそこまで珍しいものじゃなかった。あってもおかしくない。


「まー部員は全然いないし、正直まともな活動もたいしてしてないけどな。ただ部の活動内容に、定期的な屋上での風力測定とか天体観察とか入ってるから、部員になったらこれがもらえるわけ」


 葉寺さんは手の中で屋上の鍵を転がして見せた。


「で、屋上とかなら部員のあたしは出入りオッケーなわけよ。ちゃんと顧問もいるし、合法だろ?」

「へぇ」


 本当に悪い意味でない合法だった。


「千冬。その顔、あたしのこと疑ってたな?」

「……ごめん」

「なんだよ、正直だな。そこはそんなことないって言えって」


 言いながら、葉寺さんはカラカラと楽しそうに笑った。

 うん、本当に変な疑いをかけてしまったし、ちょっと不良なギャルだと思っていたけれど存外彼女はいい人なのかもしれない。少なくともわたしが思うような悪いことはしていないみたいだし。


「ん、ごめんなさい。ちょっとだけ……その葉寺さんのこと、派手で人なのかなーって誤解してました」

「おいおい、本当に正直だな。別にそんなことまで謝るなって」

「そうなんだけど……、一応」


 たしかに、わざわざ改めて報告する方が気を悪くしたかもしれない。別に黙っていれば良かった。

 でも葉寺さんは、


「ま、ならちょうどお互い様ってことだな。あたしも千冬のこと勘違いしてたから」

「……葉寺さんっ!」

「そういうわけで、チャラってことで。んで、これからかこの機会で仲良くするってことで」

「葉寺さんっ!!」


 気の良いギャルという存在を体験して、わたしは感動すらしそうだった。

 いや、もう葉寺さんをギャルというカテゴライズで考えるのも失礼だ。クラスメイトの、気の良い子。ちょっと派手で、美人で、姉御肌なところがあるけれど、とっても良い子である。


「まーでもほんっと、ごめんな。あたしがそういう遊んでそーってのは、まあこんな成りだし疑われても仕方ないけどさ」

「え、ううん。全然そんな、偏見だよ。葉寺さん、いい人なのに」

「いい人ってな」


 葉寺さんは少し照れたように鼻をかく。


「それなのに、あたしは千冬がちょっと胸大きくて可愛いってだけで、なんかけっこう簡単に胸とかもませそうなヤツだなーって疑っちゃったわけだし」

「ん?」

「千冬は話した感じ、真っ当な子っぽいもんな。そんな誰それ構わず胸をもませるなんてしないよな。本当、失礼な勘違いだったよ」

「あぇ……う、うん……」


 なんだろう。すごく、胸が痛い。

 誰それ構わずもませるつもりはないけれど、けっこう簡単に(学校一の美少女の土下座)胸をもませてしまった経験があるからだろうか。

 いやいや、あの状況だったら葉寺さんだって胸くらいもませてたよっ!? ――って、こともないか。


 明るくて、はっきりと自己主張して、物怖じしない彼女なら、流されて胸をもませるなんてことしそうになかった。


「……ご、ごめんなさい」

「どうした千冬?」


 こうしてわたしは新しい友達ができて、胸を少しえぐられた。

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