その② ぽよの気配

 呆れたことに、わたしは白戸しらとさんの連絡先すら知らなかった。

 胸を散々もまれて、キスもして――それでも話そうと思っても、彼女がどこにいるか探すところから始める。


『一晩だけ、遊びのつもりの関係だったのに忘れられなくて……どこかにいる彼のことを探しているの……』


 ドラマで、そんなことを言うヒロインを思い出した。

 わたしはそういうわけじゃないけれど、白戸さんの気持ちは確かめたい。


 とはいえ、バーで出会った名前も知らない保険営業の男と違って、白戸さんがどこいるかは見当がつく。二つ隣のクラスに行けば、すぐにでも会えるだろう。


 お昼休みにそっとお出かけして、彼女の元を訪ねる。

 ちなみにドラマのヒロインも偶然数日後にパン屋さんで男と再会する――しかし、そのパン屋こそ彼女の初恋相手の職場で……というのが、すべての始まりだったわけだ。


(ちなみに保険営業の男は実はバツイチ子持ちで、その子供――女子高生がパン屋のおじさんに惚れているという歳の差四角関係ものである)


 中々人を選ぶタイプの恋愛ドラマだが、わたしの毎週の楽しみである。

 わたしも修学旅行の前までは、録画したドラマをクッキー片手に観るのが趣味の平凡な女子高生だったのだけれど。


「……えっと」


 白戸さんのクラスまで来て、教室の外から彼女を探す。

 食堂かどこかへ行っていてもおかしくないが、いるだろうか。わたしはたいてい友達と教室で食べていて、今日も「今日は用事があるから!」と一人弁当を片手に抜けると「どうした、千冬ちふゆ……朝のことといい……反抗期なのか!?」とからかわれた。

 別に、独りでお昼ご飯を食べたいわけじゃない。そんな部屋に食事を持って行く思春期の子供みたいに言わないでほしかった。


 白戸さんはすぐに見つかった。


 教室の真ん中らへんで、クラスメイト達に囲まれている。


 ――そりゃ、そうか。


 白戸さん、白戸夕里ゆうりは学校で一番可愛いくて、仮に男女共学だったならさぞモテただろう。女子校でも同性達からとても人気があって、人望も厚いとか。


(声、かけにくいな。……誰かに呼び出してもらうのも……なんていうか……)


 しばらく眺めて、良いタイミングが来ないか待っていたけれど、お腹も空いてきたから諦めた。

 もしかしたら、白戸さんと一緒にお昼を食べるなんてことも――なんて考えていたのが、少しだけバカらしかった。


 また今度にしよう。いや、そんな機会が、またいつ来るのか。


 わたしは、きびすを返して、来た道を戻る。今から自分の教室に戻って、「やっぱりみんなと食べる」と言うとまたからかわれるかもしれない。「短い家でだったな」と未美ちゃんに笑われそうだ。うっ、すごいありそう。


「はぁ」


 適当な言い訳でも考えるか。それらしい嘘――例えば、えっとお腹が痛くて保健室にとか、先生に呼び出されていたとか、でも弁当を持っていった理由はなんだ。みんなそんなに細かく聞いてこないかもしれないが、下手な嘘もむなしいだけだった。


「千冬さんっ!」


 突然、わたしの名前が呼ばれた。

 人通りのある廊下で、わたしよりも先に周囲の人達がその声に反応していた。


 大きな声に驚いたというよりも、声の主を意外に思っているようだった。

 それから呼ばれている相手――つまり、わたしのことをチラリと確認して「誰?」と不思議がっているように感じた。……自意識過剰かもしれないけど。


「えっと……」


 わたしが恐る恐る振り返ると、白戸さんがいた。


「なにかな? 大きい声でびっくりした」

「……千冬さん! すみません、追いつけなくて……でもそれだと千冬さんが……」


 ぱたぱたとかけてきた白戸さんは、少しだけ頬が赤らんでいた。急いで来たのだろう。息も少し荒い。


「大丈夫?」

「は、はいっ! あの……」

「どうかした?」


 わたしは素知らぬ顔で笑ってみた。わたしが彼女の教室に来ていたことは、知られていないはずだ。人だかりから、わたしが見えたはずもない。


「……千冬さんが、いる気がして。気配……音が聞こえたような」

「なにそれ? わたしの足音、そんな大きくないと思うけど」


 仮に足音が聞こえたとして、他にも廊下を歩く生徒は大勢いた。わたしの足音を聞き分けたなどとは思えない。


「ぽよぽよって」

「ぽよっ!? 待って、なんなのその音?」

「えっとその……」

「今、どこ見たの? 白戸さん、なにが言いたいの? ……わたしの胸が音出してたって言いたいの?」


 わたしの胸は、たしかに大きい。

 でも漫画じゃないんだからそんな愉快な音がなるはずもない。


「で、ですからその……気持ちというか、私の千冬さんを求める願いで、近くにいた千冬さんを感じ取ったんですよ」

「……それが、胸の音だって?」


 求めているのは本当にわたしなのか。胸じゃないのか。白戸さんは、胸の大きい女子が歩いていたら誰でも追いかけるんじゃないのか。


「胸じゃ、ないです……千冬さんの気配を……っ! それで私、千冬さんと話したくて、急いで……」

「そ、そっか」

「あのっ、今忙しくないですか? どこか行く途中で急いでいるとか……」

「わたしは別に……白戸さんこそ」


 どんな話をしていて、なにをしていたのかまではわからないけれど、人に囲まれていてわたしに構う暇なんてなさそうに見えた。


「本当ですか!? だったらその……一緒に、お昼ご飯……食べませんか?」

「お昼? ……わたしと?」

「はいっ! その……それ、お弁当ですよね? 千冬さんが既にどなたかと食べる予定がなければですが」

「……いいけど」


 わたしがそう言うと、白戸さんは顔をまぶしいくらいにほころばせた。


(そんなに……喜ばなくても……え、お昼一緒に食べるっていいながら、胸とかもんでこないよね……?)

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