後編

 学校で一番可愛い白戸しらとさんの紅潮した顔は、わたしの背に冷たいものを感じさせた。

 白くて細い指が、彼女の小さい手がわたしに伸びる。


「や、優しくね?」


 本能的に、彼女をもう止めることはできないと察したわたしは、せめてとすがる気持ちで言った。荒い息で、白戸さんが頷いたように見えた。まだ人間の心がわずかながら残っているようだ。

 シャツの上から、白戸さんの手がわたしの胸に触れる。


 わたしの言葉を聞いてくれたからか、そっと両手で包むように、もむというよりもなでられるような感じだった。

 ――よかった。なんだこれくらいか。


 白戸さんの言動に警戒しすぎていた。これくらいなら別に、下着もつけているから触られている感覚すらほとんどないようなものだ。


 ――それなのに、何故か無性に体が熱くなる。


「満足してくれた? ……自分で言うとなんか変な感じだよね。わたしの胸で満足とか、おかしいし。ただ、もみたいって願いは叶ったのかなって」

「外してもいいですか?」

「え、外すって」

「だってご友人には直接触らせていたじゃないですか! だったら私も」


 白戸さんの手が、いつの間にかわたしのシャツの中へ潜り込んできている。

 するとお腹の横を這うように進んだ彼女の手がこそばゆく、「ひゃっ、やめて白戸さん、待ってよ!」と抗議した。けれど彼女の手はちっとも止まる気配なんて見せない。

 そのまま背中まで伸びると、白戸さんの腕でたくし上げられてわたしのお腹がすっかり露わになってしまう。

 ホテルの部屋(リネン室)で二人きりだという状況で肌を出すのは、大浴場で裸なのとはわけが違うようだ。無防備なへそが妙に羞恥をかき立ててくる。


「ダメっ! ダメだよぉ、白戸さん」

「大丈夫ですよ。全部私に任せてください」

「大丈夫じゃないって、任せられないよっ」


 ホックが外されて、そのままシャツの中で下着が上へと除けられた。確かに、お風呂場では友達相手に直接触られていた。というか、わたしが冗談で触らせていたというか。

 だから別に、素肌の胸を触られること自体がダメというわけではない。ないんだけど――。


「やっ、やっぱりなんか違うって! 白戸さんっ一旦やめない? まだ間に合うって、止められるよね!?」

千冬ちふゆさん、好きです。好きですから……ね?」

「『ね?』……じゃないよっ!! なにが、『ね?』なの!?」


 勢いに押されるまま、結局わたしはそのままの胸を白戸さんにもまれる。

 下側の輪郭をたどるように、軽く持ち上げるように、重さを確かめるみたいに、彼女の手の平がわたしの胸を優しく触れた。

 それからポヨポヨと何度か同じ動きをしてから、今度は指が動き出す。しかし今度は手のひらは離れ、指先だけがずっと私の胸の外周あたりなぞっていく。触れているのか、いないのか、わからないくらいの微妙な感覚だった。


「んっ、ちょっと……白戸さん?」

「どうしました千冬さん? 痛いですか?」

「痛くはないけど……触り方が優しすぎてこそばゆいと言いますか」

「わかりました。もっと強くもんでいいと」

「ち、違うよっ!?」


 いや、違わないのかもしれない。もむならもむで、遠慮なしにさっさともんで満足してほしい。別にそんなテクニックなことを求めているわけじゃなかった。だから――。


「つ、強くてもいいから、その早く――っ」


 言いかけたタイミングで、白戸さんの手がぎゅっとわたしの胸をつかんだ。痛いほどではなく、けれど胸をわしづかみされている。学校で一番可愛い女の子に、二人きりで胸を――。


「ああっ、千冬さんの胸……やわらかくて温かいです……」

「そ、そうなのっ? あのね、早くその」

「はい、わかりました。千冬さんをすぐ気持ちよくさせますからねっ、そんなおねだりしないでください。私も、なんとかギリギリのところで自制していますから」

「え? あの、おねだりって? 早くってそういう意味じゃなくて……」


 そのまま白戸さんの手が、わたしをしだいていく。しかもことあるごとに「どうですか?」とか「気持ちいいですか?」と耳元でささやいてきた。わたしは必死に首を振ると、


「もっと強くいいんですね。千冬さんったら、顔に似合わず……ふふっ、でも私、そういう千冬さんのことも好きですよ」


 と意味のわからないことを言い出した。マズい、よくわからないけどマズい。

 前言通りではあるけれど、トロンとした目の白戸さんはすっかり理性を失って、自我のままわたしの胸をもんでいる。荒い呼吸音が耳元でうるさいくらいで、何故胸をもんでいるだけでこんなことになるの? ってくらい、正気な様子じゃない。


 おまけに、わたしの方も胸をもまれすぎてなんだか頭が回らなくなってきている。もまれている部分の感覚が、こそばゆさから別の刺激に変わってきて、わたしの方まで息が切れてきてしまった。なんだか長風呂しているときみたいだ。熱い。なんで。


「ストップっ! 本当に一回やめて! 白戸さん、お願いっ」


 もちろん白戸さんがそんなことで止まるわけがない。それどころか気づくとちょっとずつ勢いで後ずさりしていたのが、ついには背がついて、これ以上逃げられなくなっていた。リネン室の棚が、山積みのシーツが直ぐ後ろにある。

 どうしよう、白戸さんは衝撃を加えれば止められるって言っていたけど、それでも頭を叩くのは避けたい。試しに脇腹をくすぐって抵抗してみたけど、全然くすぐったくなさそうだ。脇もダメ。その間もどんどん胸がもまれていて、わたしの頭もどんどんおかしくなる。


 ――なにか、なにかないの。暴力以外で、白戸さんを我に返すような衝撃は?


 ぐちゃぐちゃの思考回路で、一つだけ、本当に一つだけ方法を思いついた。わたしだったらこんなこと突然されたらすごくびっくりする。もしかしたら嫌かもしれない。でも、白戸さん、わたしのこと好きって言っていたし……それにこのままだと、マズいからしょうがないよね。他に方法もないし、緊急事態だから。


「白戸さん、お願い止まってっ!!」


 わたしは、白戸さんの乱れた呼吸をそのまま塞ぐようにして、彼女の桃色の唇に、自分の口をあてがった。

 無理矢理、キスをしたのだ。


「むぇっ!?」


 さっきまで一心不乱に胸をもんでいた白戸さんの動きが固まった。目を白黒させて、わたしを見つめている。


「……よかった。ごめんね、白戸さん。急にこんなことして」


 一心不乱にもんでいた手が、静止した。

 争いを止めるのは、いつだって暴力じゃなくて愛だって誰かが言っていた。多分、夫婦喧嘩したあとの母さんだ。新品のバッグを片手に微笑んでいた。愛かな?


「千冬さんの唇が、私に……」


 白戸さんが言葉を口にする。

 胸をもんでいる間も「声我慢しなくていいですからね」とか「素敵な胸をありがとうございます」とか「私ともっと大きくしましょうね」みたいなことは意味のわからない発言は見られたけれど、さっきまでの白戸さんじゃない見たいな怖い目だった。


「ごめんね、女の子同士だからって無理矢理……」

「いえ、そんな! 謝る事なんて一つもありませんっ、千冬さんにキスしていただけるなんて……私嬉しいです」


 胸をもむ前の白戸さんだ。


 ファーストキスを犠牲にしたかいがあって、白戸さんが人間の心を取り戻してくれたみたいだ。白戸さんの方はどうだったんだろう。学校で一番可愛いし、多分キスくらい経験あるよね? さっきの胸のもみ方も、なんか普通じゃなかったし。


「それよりも千冬さんっ!!」

「あのね、あれしか白戸さんを止める方法思いつかなくて……暴力よりは、いいかなって……」

「いいってことですか?」

「え?」

「……胸だけのつもりだったんですけど、お口もいいんですね。ふふっ、どうしましょう、本当に私、途中で止められないかも知れません。でもキスしてくれたってことは――」


 リネン室に、折り目正しく積まれていたシーツが散らばる。

 後で謝らないといけない。ホテルの人にも、お使いを散々待たせている友人達にも。

 あとどれくらいで、みんなの場所へ戻れるのかはわからない。


 だってわたしが何か言う前に、今度は白戸さんに口を塞がれてしまったから。

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