第3話 ~幼少期~

僕には物心ついたころからの癖がある。

息を止めて何かに意識を集中する癖だ。

興味を惹いた先に、意識を一点に集めると、呼吸が止まり、時間がゆっくりとなって、周囲から音が消え、視界が萎み、暗く透き通った明鏡止水の景色が現われる。

やがて、この無音の中で、何かが直接、僕の頭を刺激する。


小さな生き物に意識を集めると、その刺激はひたすら渇望。

単純で僅かな刺激を感じることができた。

犬や猫などの動物は、欲望や喜怒哀楽、そんな少し複雑な感情が伝わった。


それが、生き物の思念であると分かったのは、その刺激と先生や友達の感情が紐づくようになってきた幼稚園の頃だったと思う。


生き物が伝える思念は、僕の思念に共鳴して、自立神経へ作用し支配する。

やがって、息が止まり、聴覚や視界も失わせる。

その代わりに、僕の中の何かの感覚が研ぎ澄まされて、その思念を刺激として感じることができる。

と、そんな風に理解できるようになったのはだいぶ大人になってからだ。


虫や動物達の無邪気な刺激を感じている分には、自律神経が正常に戻って、気を失うほど集中が続くことはなく、小突いたり、話しかけたりして楽しむことができた。


人の緊張、心配、不安や怒りといった感情の思念はとても複雑で、強い刺激だった。

だから、未熟な僕の頭では処理しきれないせいなのか、集中が途切れるきっかけを失って、失神してしまうことがあった。


最初は、入園式で若い新任の先生がご挨拶していたとき、2度目はいたずらっ子の男の子が先生にひどく叱られているのを見ていた時だった。

怒りの収まらない先生の後ろで、僕が倒れたのを彼がみつけてくれた。

彼は後に僕の親友となる。


そんな厄介な癖も、卒園するころまでには、ある程度コントロールすることができるようになった。

そして、浅い集中でも微細な刺激から、言葉として思念を読み取ることができた。


けれど、人の思念を読み取ることは極力しないことにしていた。

口から発する言葉と、思念が伝えてくる言葉には矛盾があって、僕にとってはただ混乱するだけの不快な行為でしかなかったからだ。

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