第37話 生きたい

宙へと跳んだヘッセンが、転移陣の光と共に消滅した。


「ヘッセンッ!」

奈落へと落ちながら、ベルキースは人形ひとがたから竜型へと変態する。

そして共に落ちながらも、ベルキースへと尻尾を伸ばそうとしたディメタの腹を渾身の力で蹴った。

蹴り飛ばされたディメタが遺跡の壁にぶつかり、周囲を破壊する。

椀状の巨大な遺跡に轟音が響き渡った。



魔閉扉まへいひへと続く地下遺跡は、フルブレスカ魔法皇国の王宮があった場所にある。


元々王宮は、階下層が一層あっただけで、何層にも地下階があったわけではない。

魔竜出現で抉られた大穴の底に、巨大な魔穴まけつが出現したことを受け、魔閉扉を製造する為に、地上から地下へと足場的な層が作られた。

魔穴から時折湧き出る魔獣を退けながら、下へ下へと徐々に建設されたのだ。

それにより、地下は完全な階層に区切られたものでなく、大穴の側面に階段状の階層が多く存在する、複雑なものとなっていた。




ベルキースは手近な所にある床に降り立った。

そして、急いで床のきわへ立ち、階下穴の底を覗く。

転移する距離を出来るだけ短くする為、転移陣が作られた場所は、魔閉扉のほぼ真上だった。

ここから下を覗き込めば、魔閉扉に近い所が見えるはずだ。


転移陣を起動したものの、ベルキースとディメタは陣に入ることなく落ちてしまった。

しかし、ヘッセンは転移陣の光と共に消えた。

転移陣が正常に起動していたのなら、この下にいるはずなのだ。


「ヘッセンッ!」

ベルキースは声の限りに呼ぶ。


あの場で跳ぶなど、なんと無茶なことをしたのか。

彼は無事なのか。

……なぜ、今も私に手を伸ばそうとするのか。


動揺し、居ても立ってもいられずに床のきわから降りようとした時、壁にめり込んでいたディメタが瓦礫と共に飛び出し、ベルキースを尻尾で叩き付けた。


壁にぶつかり、そのまま階段層を数段転げ落ちたベルキースは、間髪入れずに上から太い胴で伸し掛かられ、呼吸を乱す。

「……っ…、が…」

「まだ勝負はついていないというのに、余裕を見せるではないか、ヴェルハンキーズ」

身体の上で圧を強めたが、それでもベルキースが下層に意識を向けていることに気付いて、ディメタはジャーと不快な音を立てた。


「今さらあるじの心配か? 見限って離れたのであろうに! お前は何がしたいのだ?」

怒りのこもった視線を、ベルキースがようやくこちらに向けたので、ディメタは鼻を鳴らした。



「我は、お前が魔界に帰って来ないのは、よほどこちらの世界が良いものなのかと思ったのだ、ヴェルハンキーズ。だから、魔穴を潜ってこちらに来た。そして、共に生きるのに面白いと思えるバチェク人間を見つけた」

ディメタは側頭を流れる自分の赤黒い血を、長い舌で舐め上げた。

「試しにその者を主人としてみて、ようやく分かった。こちらの世界も、弱い人間という生き物も、見ようによってはとても面白い。だからお前が帰って来ないのだ、と」

ググと首を伸ばし、ベルキースに顔を近付ける。


「しかし、違った。お前は人間に搾取されるまま、腑抜けた犬となっていた!」


ディメタはジャーと再び音を鳴らした。

細く割れていた瞳孔がグワと開き、瞳の中に闇を孕む。

「なぜ憤らぬ! なぜ縛られる! なぜ反抗せぬ! 我等は最強の生き物。我等の上には何者も立てぬ。神がそう創ったのに!」



く、とベルキースが弱く笑った。

「何が可笑しい?」

怪訝そうに見つめたディメタの下で、ベルキースは、はぁと苦し気に息を吐きながら口を開いた。

「……面白いから従魔となったと?」

「そうだ。バチェクあの者は面白い。人でありながら、魔獣を深く理解する」

「キサマは?」

「何?」

「キサマはそのバチェクという人間主人を本当に理解出来ているのか? 今ここで私を抑えつけていることを、彼が望み認めていると?」


ディメタが不快感を滲ませた。

ベルキースの上に乗ったまま、尻尾の先を石床に叩きつける。

しかし、ベルキースは怯むことなく続ける。


「……キサマは、この世界においての魔獣の在り様を知らない」

「知っている。多くは、弱く、人間に従えられるだけのものに成り下がっている。だが我等は違う」

「違わない」


直ぐ側にある瞳を覗き込み、ベルキースは言う。


「魔界という狭い世界に生きていた私達は、融合された世界真実の世界を知らなかった。創世の頃より人間界を統べた大国は滅び去り、それを滅ぼした魔竜も人間に封じられた。……孤高の存在として在り続けられる者などいない」

「……何が言いたい?」

「私達も同じだ。弱い魔獣も、強い魔獣も、関係ない。神の創ったこの世界に生きているからには、他に生きる者たちと交わり、通じ合わねば、本当の意味では生きられない。例え従属を強いられても、そこだけを見て嘆き恨むだけではいけなかったのだ……」


ベルキースとて、従属させられた当初から大人しく従ったわけではない。

我こそは最強の魔獣だと暴れ、可能な限り抗ったが、当時の魔術士達は圧倒的な数と魔術でベルキースを抑えつけた。

こんな扱いがあって良いはずがない。

ただそう恨み続け、己だけを省みて生きた日々が、真に生きていたと言えるだろうか。

そして同じく、ベルキースを物言わぬとして扱ってきた貴族達も又、次々に滅んでいった。


「他者を尊み、受け入れるからこそ、己も受け入れられる。私は、ようやく……分かったのだ……」


共に過去の悲しみを分かち合い、寄り添うラッツィーとトリアン。

互いを労り合って想いを繋ぐムルナとテオドル。

家門に囚われた従魔を自由にしようとしたヘスティア。


そして、我が身を顧みず奈落へと跳んだヘッセン―――。


皆、自分以外の為に心を砕き、力を尽くしている。



苦しそうに数度呼吸をして、ベルキースはディメタの上、抜け落ちた天井を見上げた。

まだ石塊が落ちる裂け目からは、青白い月が輝くのが見えた。

幾筋も差し込む光は、霞のような土埃をも輝かせ、清廉としたベールのように遺跡内へ月光を広げている。


この世界に来てから、幾度も幾度も見上げた月。


『これからは私が一緒に見てあげる』


柔らかなヘスティアの声と笑顔が甦る。




ヘスティア……、ヘスティア、すまない。

お前が最後の主であると誓ったのに。

あの時、手を伸ばしたヘッセンを見て分かったのだ。


許してくれ、私は……。


「……私は、生命尽きるまで……ヘッセンと生きたい……」

ベルキースの深紅の瞳から、知らず涙が流れていた。




ググとベルキースの首元へ、ディメタが体重を掛けた。

「……っ」

「『生命尽きるまで』だと? 人間などすぐに死ぬ。これから先もお前と共に在れるのは我だけだ」

強い執着を見せるディメタに、ベルキースはもう怒りの目を向けない。

「……無理、だ。私は、ヘッセンの隷獣れいじゅう……彼が生命尽きる時、共に滅ぶ」

「何だと!?」

「……それに、もう、……遅い」


抵抗をしないベルキースを不審に思い、ディメタがゾロリとベルキースの身体から降りた。


白い竜の身体はいびつに変形し、所々に血が滲んでいた。



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