第36話 錯雑 ⑹

「ぐ…がっ……!」

ベルキースと絡まっていた為に、ディメタは落雷を避けることが出来なかった。

浅くではあっても、牙が刺さって傷を負った部分から、身体の内へも電撃が伝う。

遠退きそうになる意識を辛うじて手放さなかったのは、さすが竜型と言えるだろう。

しかし、僅かに麻痺して、巻き付いた身体を瞬時に離すことは出来なかった。


ベルキースは雷の属性を持つ竜だ。

自身の雷に打たれても、ダメージは受けない。

そして今は、虹霓石こうげいせきの効果で力が漲る。


のお返しだ!」

ベルキースの角から再び白い火花が散る。

二度目の落雷と同時に、ベルキースはディメタに喰らいついた顎に力を込め、渾身の力で首を反り返した。

咄嗟に身体を緩めたディメタだったが、落雷の速さには敵わなかった。



鼓膜を揺らす激雷と共に、ディメタの叫びが上がった。



一拍の後、宙に浮かんでいた蛇竜の身体が、ズウゥンと石畳に投げ出された。

ふらつきながらも、ベルキースは側に四肢をついて立ち上がる。

その口には、ディメタの側頭から続く、エラのような皮膜が咥えられていた。

牙を離さなかったベルキースによって、食い千切られたのだ。


ディメタを見下ろし、意識がないことを確かめると、ベルキースは赤黒い血が滴る皮膜それを、口から離した。

同時にグズリと身体の輪郭を崩し、人形ひとがたに変態する。


しかしその姿は、既に異変を生じていた。

白い肌には幾筋もの血管が浮き出ている。

虹霓石を取り込み、魔力の過剰摂取となった影響出始めているのだ。



荒く呼吸を繰り返しながら、ベルキースはディメタの皮膜と、虹霓石の入った小袋を掴み上げると歩き出した。

そして、数本の石柱が立つ間を抜ける。


「……ベル……、行くな……」

柱の側で声が聞こえ、ベルキースは視線を向ける。

落雷の影響で身体が自由にならないのか、土にまみれた石畳の上に倒れたテオドルが、必死に顔を上げて訴えていた。

側に転がるキセラは意識がない。

「……ヘッセンを頼む」

ベルキースはそれだけ呟いて、石柱の向こうへ消える。

「バッ…、カヤロ……ッ!」

麻痺した拳を石畳に打ち付けた時、空から細く高い、ムルナの声が聴こえた。





ベルキースは、身体の感覚が変わり始めていることに気付いた。

この身体を使える時間は、あまり残されていないのだ。


……急がなければ。

この生命が絶える前に、魔界へ帰るのだ。

ここで死ねば、ヘスティアの望みは叶わない……。


柱の向こう、崩れた石壁に見える塊に辿り着くと、ベルキースは指にトルセイ家の家長の指輪をはめ、その上に指を向けた。


ここは、フルブレスカ魔法皇国の貴族達が、魔閉扉まへいひを製造していた期間に設置した転移陣だ。

時間をかけて遺跡の中を通らなくても、魔閉扉の近くに必要な物を運べるよう、魔術士達に作らせたもの。

起動すれば、陣の中にいるものを魔閉扉の近くに転移させることが出来る。

使える者がいなくなった為に、長い間起動しておらず、忘れ去られていた。



ベルキースが起動の紋を描くと、石塊に見えた部分が青く輝き、足元から素早く光の線が走る。

並ぶ石柱の手間まで走った光は二方向に別れ、地面に大きく円を作るように、複雑な紋様を描いていく。


ベルキースは光の線を目で追う。

あと少し……。

二つの光が合わせれば、転移陣が完成する。



「ヴェルハンキーズッ!!」



ビリビリと空気を震わせた怒声と共に、石柱が数本砕け散った。

石礫を追い越す勢いで飛び込んで来たのは、ディメタだ。

右側頭から血を撒き散らしながら、完成する瞬間の陣の上に突進した。

石畳が激しく割れ、地面に大きく亀裂が走る。


「ディメタ!」


起動装置に手をついて、辛うじて体勢を保ったベルキースに、もうもうと上がる土煙の向こうから蛇竜が飛びかかった。


陣が完成するのが早かったのか、それともディメタが降りた方が早かったのか。

どちらか分からないままに転移陣の光が放たれたが、二体の竜の戦いと二度の落雷に耐えかねた石畳の床が、同時に抜けた。


ディメタが覆い被さったベルキースの足元も崩れ、ガクンと下がった。

奈落の底へ落ちるベルキースの視界に、壊れた石柱の間から、躊躇わずに手を伸ばして跳び込んだヘッセンが映った。





息を切らして走るヘッセンの前方で、ムルナが細く高く鳴いた。

あの鳴き方は、仲間に何かを知らせる鳴き方。

テオドルに戻ったことを伝えているのだ。



少し前には、前方の空が一瞬昼間のように明るくなり、大きな落雷の音が響いた。

それも二度だ。

ベルキースの放ったものにしては大き過ぎるが、何故かあれはベルキースが放ったものだという気がした。


その予感が当たっているのなら、悪い方へ事態が進んでいることになる。


奥歯を噛んだヘッセンの前で、ムルナが下降した。

広がる光景は、激しい戦いがあったことを物語っていて、辺りにはまだ薄く土埃が舞う。

そして目を引くのは、砕けた石畳に転がる蛇竜ディメタの姿だった。


困惑して眉をひそめたが、キューと細いムルナの声が聞こえて、振り返った。

「テオドル!」

ムルナが降りた場所には、テオドルとキセラが倒れていた。

駆け寄れば、キセラの意識はないが、テオドルは辛うじて上半身を起こそうとしているところだった。

「テオドル、一体何が!?」

「説明するヒマはねぇ。オレ達はいいから、ベルキースを追え! アイツ、虹霓石を飲んだんだ」

石柱に背を預け、心配して鳴き続けるムルナを片腕で抱えて、テオドルが顎で後ろを指す。

視線を向ければ、破壊された石壁の向こうにベルキースの後ろ姿が見えた。

同時に青い光が広がるのも。


あれは魔術の光。


ヘッセンは力一杯に石畳を蹴って走り出す。

虹霓石を取り込むのは、明らかな過剰摂取だ。

かつての従魔の姿が脳裏をよぎり、ヘッセンは声の限りに叫んだ。


「ベルキース!」「ヴェルハンキーズッ!!」


いつのまに起きたのか、ヘッセンの声を掻き消し、石柱を薙ぎ倒してディメタが飛んだ。

風圧と、飛散した石塊にぶつかり、ヘッセンは壊れた石柱に叩きつけられる。

目の前で転移陣が完成したと同時に、石畳に亀裂が入った。

瓦解の騒音と共に石畳が落ち、地面が大きく抜け落ちた。



蛇竜ディメタと共に落ちる人形ひとがたのベルキースを見て、ヘッセンは反射的に手を伸ばし、穴に向けて跳んだ。

宙には、まだ転移陣の光が残っている。


ヂィィーッ!


ラッツィーの声が響き、風のように駆けて来たトリアンが光に飛び込む。


ヘッセンと二匹の魔獣は、光の消失と共に姿を消した。

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