第35話 錯雑 ⑸

ディメタが転がしたのは、ヘッセンとベルキースが集めてきた虹霓石こうげいせきだ。


「話には聞いていたが、ここまで弱くなっていたとはな……」

ベルキースはディメタの水球によって全身濡れそぼち、泥だらけのみすぼらしい姿だ。

呼吸は荒く、怒気は保っているが覇気はない。


「これでは話にならぬ。それを取り込め」

ベルキースを見下ろしたまま、ディメタが言った。

魔石を取り込めば、回復に繋がるはずだ。



土煙の舞う中でも淡く美しい光を放つ虹霓石それを、テオドルは離れた場所で目を眇めて見た。


ディメタがベルキースにどんな執着を持っているのであれ、このまま魔閉扉まへいひを開いてベルキースを魔界に返すつもりがないことは、間違いないのだろう。

虹霓石が、魔閉扉は動かない。

ベルキースが怒りのまま虹霓石を取り込めば、確かに今夜魔閉扉を開くことは出来なくなるはずだ。

ディメタがベルキースと戦いたい欲求も満たせて、一石二鳥ということか。


しかし、魔石の摂取は注意が必要なはずだ。

過剰な摂取は、ヘタをすれば死に繋がる。

果たして今のベルキースが虹霓石を取り込んでも大丈夫なのか……。

その見極めが出来ないテオドルは、焦る気持ちで拳を握った。



「爺さまの従魔だわ」

側で同じように気を揉んでいたキセラが、ムルナが飛んで行った方角とは別の空を指差した。


月光で明るい空に、梟型の魔獣が飛ぶ。

梟は少し離れた位置で大きく翼を広げ、しばらくホバリングしてから飛び去った。


「これで爺さまと父には状況が知れるはず。父が来れば、きっとディメタも命令を聞かないわけにはいかないはずよ」

キセラが僅かに安堵感を滲ませる。

ディメタは、この場に来れなかったバチェクの代わりに、今回の事が終わるまでという期間限定で、ゼナスに託されている。

ゼナスの命令は、いわば主人バチェクの命令だ。


「……そこまで奴等が大人しくしてくれることを願うぜ……」

テオドルがゴクリと喉を鳴らした。

視線の先には、今は動かず見合った二体の竜がいる。





怒りに我を忘れていたベルキースは、前に転がって揺れる魔石を目で追った。

その石から溢れる魔力は、痛めつけられた心身を否が応でも惹き付ける。


しかし、ディメタの思惑に反し、その美しい虹色の輝きは、かえってベルキースを冷静にさせた。


その光は、八年間ヘッセンと共に追い求めて来たもの。

共に傷を抱えて旅をした日々は、全てこの虹霓石輝きを求めてのものだった。



ベルキースは荒く呼吸を繰り返しながら、怒りに燃える瞳のままで、努めて心は冷静にディメタを見上げた。


身勝手な主張でベルキースを求めているディメタの姿は、かつて自分もそうであった、魔獣本来の姿ものだ。

図らずも人間の中で長い年月を過ごして、人の利害と感情、この世界の成り立ちやことわりを覚えてきたベルキースとは違う。


ディメタは知らない。

いや、知ろうとしてこなかったのだろう。

魔石を取り込むことの危うさを。

おそらくディメタは、人間界こちらの世界に来て、アルドバンの長の従魔となってから、それ程長く年月を重ねていない。

長く過ごしていたとしても、こちらの世界のことや、こちらの世界で生きる魔獣のことに、深く興味を持っていないのだ。


魔界とこちらの世界では、多くのことが全く違う。

魔界に魔石というものは存在しない。

魔界全体を、濃く魔力が覆っているからだ。

仮にあったとしても、掘り出す者もいなければ、掘り出す必要もない。

魔界では、魔獣は魔獣を取り込んで強さを得るからだ。

それを繰り返せばランクさえも上げられる。

こちらの世界でも魔獣のその生態はよく知られていて、魔獣使いによっては、その方法で己の従魔を育てる者もいた。



しかし、魔獣自体を取り込むことと、魔石を取り込むことはまるで別だ。


魔獣を取り込めば魔獣本来の基礎能力を上げられるが、魔石を取り込むことは、その場限りの回復と強化を図ることに過ぎない。

だからこそ、必要以上に取り込めば負担となり、過剰摂取で生命を落とすこともある。

その事実を、ディメタは知らない。


そして、中ランクにまで削られているベルキースが虹霓石を取り込む事が、明らかな過剰摂取であることも……。




ベルキースは這うように数歩分進むと、目の前に転がる虹霓石に向けて口を開ける。

しかし、そこで止まり、鼻先でディメタの側に落ちた小袋を指した。

「それも寄越せ、ディメタ」

初めて名を呼ばれたディメタが、訝し気に問う。

「なぜ?」

「お前が言うように、人間どもに削られ続け、口惜しくも我は弱くなった。この石一つでは到底補えぬ。もっと寄越せ」


まるで魔界にいた頃の様なベルキースの物言いが、ディメタは嬉しいのだろう。

縦割れの瞳孔が一度大きく開いて、再び狭まる。

そして、側に落ちた小袋を尻尾の先で拾い上げると、ベルキースの側に寄った。

 


近寄るディメタを見ながら、ベルキースは転がった虹霓石を咥えて飲み込んだ。

喉を通りながら溢れ出す熱い魔力を、身体が急速に取り込み始める。

もつれ汚れた毛が、ざわりと逆立つ。

疲労困憊であった身体が力を得て、ベルキースは足に力を込めて半分身を起こした。


見るからに力を取り戻し始めたベルキースの姿を前にして、ディメタは満足気に尾を振った。

小袋全てを渡すつもりはない。

この一つの魔石でどれ程に回復出来るのか見極めてからだ。


ベルキースはグルルと唸る。

「まだ足りぬ。もう一つ寄越せ」

言ったベルキースは前足だけを立て、後ろ足は石畳に投げ出したままだ。

その前足も、よく見れば小刻みに震えている。

それは急激に過剰な魔力を取り込んだことによる弊害であったが、ディメタにはまだ回復に必要な魔石が足りてないのだと思えた。


「良いだろう」

ディメタは、小袋から虹霓石をもう一つ取り出そうと僅かに視線を逸らした。



次の瞬間、稲妻のように鋭く飛び掛かったベルキースが、ディメタの首に喰らいついた。

しかし、ベルキースの鋭い牙を持ってしても、硬い鱗で覆われたディメタの首に、致命傷と言える深さの傷をつけることは出来ない。

襲い掛かられることも予想していたディメタは、余裕をなくさないままに、嬉々としてベルキースの濡れそぼった身体に巻き付き、絞め上げる。


しかし、ベルキースの口から、苦悶の声とは別の言葉が吐き出された。

「かかったな!」

ベルキースの二本の角から、白い火花が散る。


周囲に雷雲が立ち込めていたかのように、絡まる二体の竜目掛けて巨大な雷が落ちた。


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