第34話 錯雑 ⑷

採掘場となっていた穴から上がってすぐ、ラッツィーはヘッセンが去った方に向かって駆け出した。

しかし、すぐに小さな石に躓いて転んでしまった。


無様に転げたラッツィーの身体を、近くにいた魔獣使いが拾い上げ「大丈夫か」と声を掛けたが、ラッツィーが威嚇の声を上げたので、首の後ろを掴まれてしまった。

吊るされた状態になって、両手両足を必死にジタバタと動かした。



〔何やってんだい、ラッツィー。アンタもうヘトヘトだろ〕

続けて穴から上がってきたトリアンが呆れたように言ったが、ラッツィーはジタバタと暴れるのをやめない。

〔イヤだイヤだ! オレはあるじのところに行くんだ!〕


ヘッセン主人から『魔獣使い彼等とここにいろ』とはっきり命じられたのだから、それに反しようとするラッツィーの身には負担がかかっているはずだ。

転げてあっさり魔獣使いに捕まったのを見るに、疲れと身体の痛みで思うようには動けていないのだ。


〔命令に背いてまで、行ってどうするつもりなんだい。アタシ達は探索魔獣だ、もう十分役に立った。こっから先はついて行ったって役に立ちゃしないよ〕

〔そんなの関係ない! 役に立たなくても、一緒にいたいんだ!〕

ラッツィーは三本の尻尾を撚り合わせ、首の後ろを掴んだ魔獣使いの手を叩いたが、力が入っていないのか離してもらえない。

それどころか、「採掘の後なのに元気だな」と笑われる始末だ。

そして穴から離れるのか、魔獣使いはラッツィーを持ったまま、トリアンに付いて来るよう合図して歩き出した。


ラッツィーはぎゅうと両手を握って叫ぶ。

〔イヤだ! 二度と家族と離れたくないんだ! 主と一緒にいたい!〕


トリアンは強く鼻先にシワを寄せた。

家族を奪われた事があるトリアンには、ラッツィーの叫びが痛いほどに理解できる。

離れたくなかったのに、離された悲しみや苦しみは、身体の痛みにも勝る。


種族は違っても、今のラッツィーにとってヘッセンは紛れもない家族なのだ。



トリアンが突然、魔獣使いの足に長い尻尾を巻きつけて引いた。

「うわっ!」

魔獣使いがつんのめった拍子に、力の緩んだ手からラッツィーが身をよじると、素早く尻尾を離したトリアンが飛び上がり、その小さな身体を咥えた。

着地と同時にラッツィーは放り投げられて、トリアンの背に落ちる。

〔トリアン!〕

〔全速力で走るよ! 落ちたら拾いに行かないからね、しっかりしがみついてなっ!〕

言うが早いか、トリアンは風のように駆け出した。


後ろから聞こえる制止の声を無視して、ラッツィーはトリアンの首にしがみつく。

〔……トリアン、ありがと……〕

ギュウと毛を握りしめた小さな手は、僅かに震えている。

駆け出した時点から、トリアンにも身体的な苦痛が感じられた。



だがもう、覚悟は決めた。

トリアンは前方を睨み付け、痛みに構わず全力で駆けた。




◇ ◇ ◇




ムルナの誘導に従って走るヘッセンは、その方角が、事前にゼナスから知らされていた遺跡の入口とは全く違うことに気付いた。

やはりベルキースは、人間達が長い年月で見失ってしまった、別の入口を開いて魔閉扉まへいひを目指すつもりだったのだ。


テオドルに頼んで正解だった、そうヘッセンは考えながら、ムルナのなびく尾羽根を追った。




あの時、テオドルにヘッセンは言った。


「……テオドル、貴方に頼みがあります」

「頼み?」

「ええ。おそらくベルキースは、私達が知らない遺跡の入口を知っていて、そこから入ろうとするでしょう。ですから、ムルナにベルキースの魔力を探索させて欲しいのです」

テオドルは肩の上のムルナを見た。

ムルナはクルと鳴いて頷く。


「それで、見つけたら?」

「私が行くまで、引き止めておいて下さい。必ず虹霓石こうげいせきを手に入れて行きますから」

テオドルは片眉を上げて腕を組んだ。

「説得じゃなくていいのかよ」

「説得出来ると思いますか?」

チラリとヘッセンに見上げられて、テオドルは肩を竦める。

「……いや。アンタと向き合わなきゃ、無理だろうな」

ヘッセンが軽く笑うと、テオドルも笑い返した。

「……だが、知っての通り、オレは小細工は出来ない。上手く時間を稼げる保証はないぞ」

なんとも収まりが悪いというように、テオドルは顎を掻いた。

クッとヘッセンが笑って、スープをスプーンで軽く混ぜた。

「そこまで貴方に期待していません」

「ムカつくな!」

テオドルは言葉とは裏腹に大きく笑った。



「テオドル、私とベルキースは、この八年間ずっと変わらなかったと思っていましたが、そうではありませんでした。少しずつ、少しずつ、悲しみや痛みを癒しながら、目の前には未来も可能性もあると多くのものに教えられて来たのです」

ヘッセンはカップに入ったスープを啜る。

少し温度を下げたスープは、喉を通るとゆっくりと身体を温めた。


この温かさを、ベルキースももう知っているはずだ。


「……ベルキースはきっと、生きたいと願ってはいけないと思っているのです」

呟いたヘッセンを見下ろし、テオドルは大きく頷く。

「オレもそう思うぜ。アイツ本当は、アンタと採掘しながら旅する今の生活を心地良く思ってる。だが、それを自分で許せないんだ」


ヘスティアと約束したものとは別の生き方を、望んではいけないと自分に言い聞かせている……。


「……ヘッセン、急げよ」

テオドルが呟き、ヘッセンは頷いた。





ズウゥ……ン……


ヘッセンが向かう先で、何かが破壊された様な音が低く響いた。

走る速度を落として見上げれば、月光で明るい空に、薄く煙のように土埃が舞う。


「ベルキース!」


何が起こっているのかは分からないが、あそこにベルキースがいる。

ヘッセンは確信して、走る足に力を込めた。




何度目か、石畳の上に叩きつけられたベルキースの口から、赤黒い血が散った。

「くっ……」

立ち上がりかけた足が土で滑り再び倒れると、それ以上力が入らないのか、硬い爪が割れた石畳を掻くばかりだった。

しかし、怒りに満ちた瞳だけは、轟々と深紅の炎を燃やしていた。


ユラユラと空中で身を揺らすディメタは、ベルキースのその姿を見下ろす。

そして、その尻尾の先で落ちていた小袋を拾い上げた。

その小袋は、ベルキースが竜型に変態した時に落としたもの。


虹霓石の入った袋だ。


怒りに我を忘れているベルキースに向けて、ディメタは尻尾の先で、器用に魔石をひとつ転がした。


「取り込め」

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