第33話 錯雑 ⑶

白い毛を土で汚して、ベルキースが飛び起きた。

低い姿勢からディメタを睨め上げて唸る。

「キサマがなぜ人間界ここにいる!?」


鋭く視線を向けられたディメタは、立ち上がるように頭を高く持ち上げる。

長い身体の半分近くが垂直に持ち上がると、側に立つテオドルと変わらない高さに顔があった。


「なぜ? それは勿論、魔穴まけつを潜ったからだ」

「潜った? 召喚されたということか?」

睨んだままベルキースが問えば、ディメタは今まで表情らしいもののなかったつるりとした顔を、初めて動かした。

大きく裂けた口の端が、ググと持ち上がる。

その顔はまるで、笑っているかのようだった。


「いいや、私は自ら潜った。今の名はディメタ。魔獣使いのさとアルドバンの長の従魔だ」

「従魔だと……」

ベルキースの瞳が驚きに見開かれる。

「お前が戻って来ないからだ、ヴェルハンキーズ。お前がいない魔界あちらはつまらない。だから人間界こちらに来たのだ」

ディメタがチロリと長い舌を出して言った。

土にまみれた石畳を、ベルキースの爪がギギと掻く。

「キサマッ、あの時私をおいて……!」


ククッと喉でこもった音を鳴らしたディメタの側に、テオドルが寄った。

「ちょっと待てよ、話が見えない……っ!」

伸ばしかけた手を、鋭くディメタの尻尾が払った。

咄嗟に引いた右腕の袖が裂ける。

引くのが遅れていたら、前腕に浅くない傷を負っただろう。


「危ねぇだろ、ディメタ!」

「気安く呼ぶな人間」

返したディメタの声は、ヒヤリと冷気をまとう。

半分開いていた縦割れの瞳孔が、僅かに狭まった。



テオドルはゴクリと喉を鳴らして数歩下がり、横目でベルキースに顎をしゃくった。

「おい……どういうことだ、ベルキース。ディメタアイツとは兄弟みたいなもんじゃないのか」

「兄弟?……私達は同じ場で、似たモノとして生まれた。確かに縁はあるが、人間お前達の肉親のようなよしみなどない!」


二匹は魔竜の皮とたてがみから生まれた魔獣。

他の魔獣のように、同種族の魔獣などいない。

互いに、ひとつとひとつ。

それ故に、並び立てるものは互いしかなかった。


「そうだ、我等は限りなく同一に近いが別のモノ。しかし互いに唯一無二だ。お前が魔界からいなくなって、我がどれほど退屈で虚しい時を過ごしたか分かるか」

立てていた身体を石畳に下ろし、ディメタがゾロリと這う。

「我と共に居られる者は、お前しかいなかったというのに、なぜ戻って来なかった?」


「戻って来なかっただと……」

召喚後、すぐに従属契約を課されたベルキースが、自力で魔界に戻れるはずはない。

ベルキースの汚れた白い毛がぞわりと逆立つ。

「そもそもあの時、キサマが私を魔穴に落とさなければ、こんなことにはならなかった!」

「仕方がなかろう。あの魔穴は強い召喚力があった。我かお前のどちらかが飲み込まれなければ、あのは多くを呑み込んで崩れていただろう」

ディメタはベルキースに寄る。

「いつもの競い合い、戯れではないか。お前がもっと強ければ、我を落とせた。しかし、我よりも劣ったから落とされた。それだけのことだ。違うか?」

事も無げに言い放つディメタを、ベルキースは強く睨んでギチと牙を鳴らした。

「……勝手なことをっ!」


グズリと身体の輪郭が崩れて、ベルキースの身体がひと回り膨れ上がり、竜型に変態する。

それに合わせて、ディメタも大きく尾を振り、嬉々として変態した。


長毛をなびかせる四つ足の白い竜と、てらりと渋茶色の鱗を光らせた蛇竜がぶつかり合う。

鈍い衝突音と共に、空気が震えた。




大きく振られたディメタの尻尾を避け、テオドルが後ろに転がった。

遺跡の崩れた石柱に背をつけて止まる。

「予想してた再会と全く違うじゃねぇか!」

前から襲う土煙に、思わず腕で目を庇いならがら顔を背ける。

そこへ、息を切らしたキセラが走り込んで来た。

ディメタを追い掛けて来たのだ。

「ディメタ、早すぎよっ!」

「キセラ!」


キセラは息を整えながら、薄く土煙の広がる向こう、二体の竜が牽制し合うのを見つけて眉根を寄せる。

「どうなってるの、これ!? あれは……ベルキース!?」

「そうだ。とにかく一旦離れさせないと! ディメタを止めてくれ!」

再び二匹がぶつかり合う衝撃に、土煙が舞う。


「なんで戦ってるのよ、ディメタ! やめなさい!」

キセラが叫んだ途端、二人が背を預けていた石柱の上部に水球がぶつかり、石柱が砕け散った。

石礫いしつぶてが降ってきて、瞬時に反応したテオドルがキセラを抱きかかえて転がった。



「黙れ小娘」

土煙の中に、深紅の瞳が二つ浮かび上がった。

ディメタだ。

身体の横に連なる、エラのような皮膜が波打つと、周りに水蒸気が集まり、幾つかの水球となった。


「ここに我を止められる者バチェクはおらぬ。再会を邪魔するな」

ディメタの太い身体によって石畳に押付けられていたベルキースが吠えた。

捻るように半身を起こし、上に乗る蛇竜の身体に噛み付く。

しかし、ディメタは身を捩ってかわした。

「はははっ! そうだヴェルハンキーズ、我等はこうでなくてはな!」

抑えきれない喜びが、ディメタの声に溢れる。

水球が勢いを付けて飛び、ベルキースの背を打った。




「……どういうことなの? ベルキースを止めるんじゃなかったの?」

テオドルの腕から抜け出て、キセラが困惑の声を出す。

テオドルもまた、二体の竜から視線を外さずに身を起こした。


「そのつもりだと思っていたが……」

テオドルは、ディメタがヘッセンと同様に、ベルキースのことを大事に思って、魔閉扉まへいひへ至るのを止めたいのだと思っていた。

いや、それは間違いないのだろう。

ディメタはヘッセンに『手助けしてやる』と約束したし、おさの館で話した時のディメタを見る限り、ベルキースへの執着のようなものを感じた。


しかし、そもそも魔獣と人間の感覚は大きく違うのだ。

ムルナ達と一緒にいて心を通じあわせていた為に、それを失念していた。

ディメタの執着が、人間の情と同等のものとは限らない。


しかも、二匹の話を聞く限り、ただ懐かしい想いでの再会とはいかないようだ。


大昔、トルセイ家の大魔術士が、アルドバンをはじめとする魔術士達と協力して魔獣を召喚しようとした時、魔界ではそれによる魔穴が発生した。

それも、ディメタとベルキースの側で。

消えなかった魔穴を閉じるため、おそらくディメタはベルキースを魔穴に落としたのだ。


この推測が間違いないのであれば、それによって人間に従属を強いられ、削られ続けて生きてきたベルキースが、ディメタに好意を持って再会出来るはずがない。




石畳にベルキースが叩き落された。

衝撃で、古びた石畳が割れて飛び散る。

再び吠えたベルキースの瞳が、怒りに燃え上がる。


「くそっ、ベルキースを見つけたのに、怪獣大戦になっちまったじゃねえか!」

テオドルは歯軋りする。

結果的にベルキースの足止めに成功してはいるが、これで良いはずがない。

しかし、この戦いに下手に手を出せば、間違いなく生命を落とすだろう。


テオドルは、土煙で視界の悪くなった上空を睨んだ。

ムルナが飛んで行った方角には、まだ戻って来る影はない。


「……ヘッセン、急げ!」

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