第32話 錯雑 ⑵

最後の一打ひとうちを終えた瞬間、虹霓石こうげいせきが岩盤から抉り取られて揺れた。

一瞬、虹色の光が周囲に眩く散ると、次の瞬間には、石の周りに淡い輝きを留める。


「採った…」

膝をついて息を詰め、全神経を集中して採掘を行っていたヘッセンは、ぐらりと身体がかしいで尻もちを付いた。

同時に、彼の太腿に三本の尾を添わせていたラッツィーも、目を回したようにペタンと地面に伏す。


トリアンが慌ててラッツィーの顔を舐めると、チチ…、と小さく鳴いて返事をした。

ホッとしたように僅かに耳を下げたトリアンは、一度鼻先をラッツィーの毛皮に擦り付ける。

そして、大役を無事に務め上げた彼を労うように、再びゆっくりと顔を舐めた。



二匹の様子を見て安堵の息を吐き、ヘッセンは固く握られていた道具を手から離した。

最低限の休憩を挟むだけで、無理な作業工程を強いた腕は、熱と痛みを持っていた。


ヘッセンは震える手で虹霓石を拾い上げる。

これで、魔閉扉まへいひを動かす為の虹霓石が揃った。

魔閉扉を廃棄することも出来る。




「大丈夫か!?」

穴の上から、護衛に付いてくれていたアルドバンの者が声をかけた。

それに応えようと上を向いたヘッセンの目に、月光で明るい空を飛ぶ青い鳥の影が映った。


「ムルナ!」


呼んで腕を上げたヘッセン目掛け、ムルナは急降下した。

その勢いのまま、ぶつかるようにして腕に止まると、ヘッセンを見上げてクルッ、クルッ、と訴えるように鳴いた。

「ベルキースが来たのだな!?」


ムルナの反応に確信を得て、ヘッセンは立ち上がる。

負担の掛かる体勢での長時間採掘で、急に立ち上がった身体はギシギシと軋み、疲労と空腹で目眩がしたが、何が何でも行かなければならない。

テオドルには足止めを頼んである。

ベルキースが遺跡の地下へ入る前に会うのだ。



チチッと足元で声がして、ヘッセンは見下ろした。

ラッツィーが急いで起き上がり、つぶらな瞳で見上げるのを見て、ヘッセンは目元を緩めて手を伸ばした。

ムルナが腕から飛び上がる。

「よくやったラッツィー。よくやったトリアン。ありがとう!」

トリアンが身を捩る隙を与えず、ヘッセンは二匹をギュッと抱きしめた。


そしてすぐに離す。


「お前たちは、!」

ヘッセンは、穴の上から覗き込むアルドバンの魔獣使いを指して言うと、虹霓石を懐に入れ、周りの人々の手を借りて穴の縁を駆け上がった。

「ムルナ! 案内をっ!」



チィィーッ!


身体の痛みの合間にラッツィーの叫びが聞こえたが、ヘッセンは振り向かず、鋭くくうを切ったムルナを追って駆け出した。





ベルキースは言葉を失ったまま、下を向いて力なく後退りした。

胸が、喉が塞がったように感じて、何も言葉にすることが出来なかった。


テオドルは僅かに顔をしかめる。

「ベルキース、お前、今どんな顔をしてるのか分かってるか?」

声をかけられ、改めて上げられた視線は、戸惑いと悲しみに満ちている。


テオドルは一度細く息を吐いた。

「帰ろうベルキース。お前の居場所は、ヘッセンの側だ」

「違う……」

ようやく絞り出した声は掠れていたが、ベルキースはそのまま続ける。

「私の居場所は、ヘスティアの側だった。彼女が亡くなって、私の居場所は失われた。たから、彼女の望み通り、魔界へ帰る……」


テオドルは目を見開いた。

「お前は、ヘスティアの本当の願いを知ってたのか!?」


ヘスティアの真の願いは、ベルキースを自由にすることだった。

魔閉扉まへいひを開き、魔穴まけつを潜って魔界へ返すこと。

しかしそれは、アルドバンに来て手紙を読んで分かったことで、それまではヘッセンさえも知り得なかった事実だったはずだ。



「私はずっとヘスティアの側にいた。側で見ていれば、自ずと知れたことだ……」

ベルキースは掠れ声で呟く。


長年側にいれば、家門の宿願など本気で望んでいないことは簡単に分かった。

ならば、なぜヘスティアは魔閉扉を動かすことにここまで拘るのか。

家長を継いだ日の涙。

次期家長を頑なに定めない理由。

幾つもの欠片を繋ぎ合わせれば、見えてくる真実。



ヘスティアは、私の縛りを全て解くつもりなのだ。



「それが、ヘスティアが私に望んだ全てだ。死ぬまで側にいることでもなく、愛していると囁くことでもない……」

ベルキースは一度言葉を詰まらせた。

「……例えヘスティアの側から消えることになっても、それでも私を家門から解き放とうと望んだのだ。それ程に望んだのなら、その望み通り、魔閉扉を開いて私は消える」

ベルキースはグンと足に力を入れ、乱れた毛を立てた。


「待て、違う!」

咄嗟に飛び出して手を伸ばしたテオドルを躱し、ベルキースは顔を上げる。

「何が違う?……いや、もうどうでも良い」

「よくねぇ! お前の知らない真実が、まだある! だが今重要なのはじゃない!」

テオドルは声を張る。

「重要なのは、だ、ベルキース!」


ベルキースは虚を突かれて動きを止める。

「私の……真実?」


「そうだ。ヘッセンに自由に生きていいと言えなかったのはなぜだ? 黙って消えたのは? ヘッセンの呼びかけを遮断したのは?」

「もういい、やめろテオドル」

テオドルの強い視線から、ベルキースは目を逸らす。


「考えることを止めるな、ベルキース! 本当はヘッセンと生きたかったんだろ!?」


ベルキースの喉が震える。

テオドルの伸ばした手が、ベルキースの鼻先に届きそうだ。

「お前はヘスティアの望みを叶えて魔界へ帰ることよりも、自分がヘッセンとこの先も生きたいと思い始めてた。お前は変わったんだ。だがそれを認められなかったから、逃げたんだろ!?」

「ほお? まさかそんな理由で姿を消したのだとは」


第三者の声が響いて、ベルキースとテオドルは弾かれたように横を向いた。

同時に、テオドルの顔面すれすれを何かが擦り抜け、ベルキースの身体はに打たれて吹っ飛ぶ。


「ディメタ!」

今ベルキースがいた場所に降り立ったのは、渋茶色の大蛇だった。


「再会を楽しみにしておれば、なんだ、つまらぬ。想像以上に弱く女々しいものになったものだな、ヴェルハンキーズ」

辛うじて袋を咥えたままだったベルキースが、地面に転がったままディメタを睨みつけた。


「……キサマッ!」

ギギと爪先が石を掻いた。

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