第31話 錯雑 ⑴

短いケープのフードを剥いだのは、紫灰色の長い髪を無造作に垂らした長身の男ベルキースだった。

フードを被ったままでは、これがベルキースだとテオドルには分からなかったが、魔力をムルナにははっきりと分かったのだった。



テオドルにとっては初めて見るベルキースの人形ひとがただったが、フードを剥いでしまえば、それがベルキースであることは様々な特徴や雰囲気からすぐに分かった。

しかし、こともまた、すぐに分かる。


ヘッセンの側では逞しくあったその姿が、枯れて見える。

長く長く生きてきたと信じられるだけの掠れたような生気が、今は彼を覆っているのだった。


それでもベルキースは、テオドルを強く睨みつけると、牙を剥くように言った。

「テオドル、なぜ護衛お前がヘッセンの側を離れている!?」


ベルキースのその尖った一言は、ヘッセンの身を案じたものだ。

テオドルはカッとなって大股で詰め寄り、前で合わせたケープの胸倉を掴んで言い返した。

「ふざけるな! ヘッセンが心配なら、そもそもお前が離れるべきじゃなかったんだろうが! 隷獣れいじゅうのお前がヘッセンを守らないでどうするっ!?」


途端に、ベルキースの輪郭がグズりと崩れる。

テオドルの握りしめた手にケープだけを残し、ズルリと抜け出たように姿を見せたのは、白い犬だった。

咥えているのは、ほとんど荷は入っていないような背負い袋が一つ。

そこに虹霓石こうげいせきが入っているのだろう。


「お前がいるから離れたのだ。ヘッセンには、もうお前という仲間が出来た。危険を冒して魔閉扉まへいひへ向かう必要はない」

紫灰色の尻尾をピシリと地面に打ち付け、強く言った言葉にも、テオドルは少しも引かず、手にしたケープを投げ捨てる。

ムルナがテオドルの肩を蹴って、上空へと飛び上がった。

「それなら直接そう言って消えろ! ヘッセンには俺という友が出来た。ヘスティアの願いに縛られる必要も、家門に繋がる血も、継がれてきた特別な従魔も! 全部捨てていい! 明るい未来に向かって、自分の為に生きていいんだってな!」

「それは……っ」

数歩ジリリと下がったベルキースを、テオドルはギリと奥歯を鳴らして見つめた。

「ベルキース! お前はそういう事実を認めるのが怖くて逃げたんだろうがっ!」


ぐ、とベルキースの喉が詰まる。

薄汚れてしょぼくれた白い犬は、傷ついてボロボロに見えた。





焚き火の薪がぜるのを、キセラは苔だらけの壁にもたれて見つめていた。


今回、なんとか遺跡には同行させてもらったが、各所の採掘現場へも、地下入口付近へも留まらせてもらえなかった。

ヘッセンに協力するアルドバンの者達が配置されている、ちょうど中央辺り、休憩所と称して各所の管理と連絡を担う場所に、父ゼナス、ディメタと共に常駐し、手伝いをさせてもらえただけだ。

それも重要な役目ではあるし、今はゼナスが採掘現場の方に呼ばれていったので、ディメタを従えるという名目があるが、なんとも歯痒い立ち位置だった。



少しの間ではあるが、ヘッセン達とは共に行動して、彼等とその従魔達には好意を持っている。

それに、最古の従魔であるベルキースには、憧れのような気持ちもあった。


焚き火の炎が弱まっても、今夜は少しも暗いとは感じない。

雲一つない空に丸く輝く月を見上げ、キセラは溜め息をつく。


今夜は、明るすぎる。

不自然なほどに。


月の光は、妹神月光神御力みちからだというが、これだけの輝きを見せる神は、この世界に生きるもの達に、今夜何を望んでいるのだろうか。


その清廉とした白い光が胸を突くようで、思わずキセラは低く言葉を漏らした。

「この光を一人で浴び続けるって、一体どんな痛みよ……」


「ふん、要らぬ想像をするな小娘」


もたれている壁の裏側、闇に溶けるようにとぐろを巻いていたのはディメタだ。

シャーと威嚇なのか馬鹿にしているのか分からない音を立て、深紅の瞳に月光を弾く。


「要らぬ想像って何よ」

「自分本意な想像で同情しても意味はない」

「なによそれ」

自分本意と言われて、カチンときたキセラは壁から背中を離した。

途端に素早くディメタの顔が寄り、チロリと鼻先に細い舌が踊る。


「僅かながらによしみを結んだからといって、あの者等を理解したつもりなのか? 我が同胞ヴェルハンキーズのことを、お前が?」

「それは……」

言葉を継げないキセラの鼻を、細い舌が舐めた。

「お前がすべきは同情ではなく、あの者等に必要な手助けをすることだろう。履き違えるな」



腹は立つが、言い返す言葉が見つからないキセラに、マリソーのクルゥという細い鳴き声が届いた。

声の方を見れば、だいぶ距離を空けて高さのある壁の上に止まっていたマリソーが、上空を示している。

ディメタがいる為に、離れて待機していたのだ。


その視線を追ったキセラは、月光で明るい空を、青い鳥が旋回するのを見つけた。

目を眇めてよく見れば、首に黄色の布が巻かれてあるのが分かった。

「ムルナだわ」

ムルナは二度旋回すると、こちらに向かって飛ぶ。

いや、おそらくここを通り過ぎてさらに先にある、ヘッセンの採掘現場へ向うのだ。


「……現れたか」

間近で呟きを残し、ディメタは素早く身を翻した。

スルスルと地面を滑り、ムルナが旋回していた方向へと去って行く。


「ディメタ! ちょっと!」

手を伸ばしながらも僅かに逡巡したキセラだったが、名目上はディメタを従えていなければならない立場だ。

従魔一匹を、特に高ランクを好き勝手に動き回らせるなんて、魔獣使いとしてしてはならないことなのだ。


……うん、多分。


「ディメタと少し離れる! 父さんが帰ったらそう伝えておいて!」

近くにいた魔獣使いに叫び、方角だけ示すとキセラは走り出す。

後ろから呼び止める声が追いかけて来たが、聞こえなかったことにした。

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