第25話 創世記 ⑵

「融合……」

あまりにも規模が大きい内容が飛び出し、テオドルは頭がついていかない。

「それは……、世界の進化ということですか」

口が開いたままのテオドルの隣で、ヘッセンが尋ねた。



「そうですな。もちろん、あくまでも仮説ではありますが……」

バチェクは再び水を一口飲み、グラスをテーブルに置いた。

「アルドバンの代々の郷長さとおさは、まじないを用いて様々なものをのですが、私から遡って数代前から、予測し得なかった場所や時間に魔獣が現れることが増えました」


初めは、おさの能力の問題であろうと思われた。

しかし、ある時遺跡近くの森に、鹿型の魔獣が十数匹、群れで出現したことで別の見方をすることになった。

その群れは、一晩で現れてそこをねぐらとしていたのだ。

魔術士が確認をしたが、魔穴の発生痕跡はなく、魔獣使いが調査をしても、鹿型の魔獣が別の場所から移動してきた足跡の一つすら見つけられなかった。


この魔獣達はどこから来たのか。


謎として残されていたこの現象は、数年後に再び起こった。

その後、規模や魔獣の種類は違えど、似た事例が別の場所でも確認されるようになり、一つの仮説が浮かび上がる。


バチェクはグラスをテーブルの上でゆっくりと滑らせ、隣に座るキセラの同じグラスの側で止める。

ヘッセンとテオドルから見た二つのグラスは、僅かにずれていながらも、重なって見えた。

「魔穴が発生しなくても、魔獣はこの世界に現れることが出来る。それは、部分的に融合しているとされてきた魔界が、徐々にこの世界に重なり始めているということではないのか。……我等はそう考えているのです」

水面の揺れるグラスから視線を離し、バチェクが言った。



「改めて聞いても、今ひとつピンとこないわよね……」

今まで黙っていたキセラが、グラスの縁を指で弾く。

アルドバンの長に連なる魔獣使いの彼女は、この話は当然知っていたのだろう。

しかし、実感を持って受け入れられるかは別の話のようだ。


テーブルの下にいるディメタが鼻で笑った。

「頭で理解しようなどと思うな、小娘。世界など、人が安穏と日常を送っている間にいくらでも変化しておるわ」

キセラが唇を歪ませてディメタを睨めば、グラスから目が離せないままのテオドルが額に手をやる。

「……頭が混乱してきたぜ……」


チロリと舌を出したディメタは、ゾロとテーブル下から這い出して、バチェクの足元から首を持ち上げた。

「環境が大きく変わって初めて、ゆっくりと変化し続けていたことに気付くのが、世界というもの。所詮、我等はそこに生かされているだけのものだ」

「“我等”……」

「そう、人間も魔獣も、等しく世界の中の生命」

肘掛けの上へ顔を寄せれば、バチェクはつるりと冷やかなディメタの頭を撫でた。



ヘッセンはゴクリと喉を鳴らす。

確かに、世界の変化などと考えたことはなかったが、魔獣の個体数が増えていること、人間に理由なく敵意を向ける大型の魔獣が明らかに少なくなっていることは、幼い頃から魔獣に関わってきて肌で感じていたことでもある。


世界の融合などということは、目に見えて分かることではない。

しかし、この世界においての魔獣の位置付けが変わろうとしている。


それだけは、間違いのないことなのかもしれない。




「……難しいことは俺には分からない。だが、融合ってことは、魔界が“異界”ではなくなってきているってことなんだろう?」

テオドルが言って、テーブルの下で前腕を撫でる。

「ってことは、その内魔獣にも、神聖魔法が有効になるってことにはならないのか?」


その問いが何を意味するのか、ヘッセンには痛いほど分かったが、即答出来るだけの材料が自分の中にはなかった。

口を開けないヘッセンの代わりに答えたのは、バチェクだった。

「いずれは、そのような未来が来るかもしれません。しかし、それが明日であるのか、数百年先のことなのか、それを知るすべを誰も持っていないのです」


それでも何かを言いかけたテオドルは、しかし、強く唇を引き絞って言葉を飲み込んだ。



「……ともあれ、いずれ来るかもしれぬ先を悠長に待ってはおられぬ。今は目先のことだ」

ディメタの一言で、ピリと空気が張った。

「ヴェルハンキーズが来る前に、残り一つの虹霓石こうげいせきを手に入れて遺跡に潜らねばならぬ。足りないことを分かっていて動いたのなら、奴は何かしら代わりの手段を持っていると見て良いだろう」


射抜くようなディメタの視線を、ヘッセンは正面から受け止める。

「どんな手段を考えているのであっても、させるわけにはいきません。明朝出発して、まずは最後の虹霓石を手に入れます」

「場所は幾つか目星をつけている。案内しよう」

ゼナスが言って、強く頷く。


それぞれの想いを胸に、ヘッセン達は夕食を終えた。





休む前に厩舎に来たヘッセンとテオドルは、夕方のトリアンとラッツィーの働きを労った。


トリアンが褒美の肉を平らげたのを確認すると、テオドルは屋敷へ戻らず、裏庭の門へ足を向けた。

「テオドル、どこへ?」

「あー…、ちょっと気になるからな、神殿に行ってくる」

夕食の席の会話が、テオドルの胸を揺らしているのだろう。


「今の時間に行っても、開けてもらえるかは分かりませんよ」

どこの神殿でも、行事日でなければ夜は閉められているものだ。

「分かってる。ちょっと外から様子を見てみるだけだ」

軽く手を上げて、テオドルは歩いて行く。




月光に照らされたその後ろ姿を、ヘッセンは目を細めて見つめた。


『ヘセ、ベルキースのところに行ってくるね』


月が冴え冴えと輝く夜に、そう言って部屋を出ていくヘスティアの後ろ姿を、何度見たことだろう。

今日改めて知ることとなったヘスティア片割れの苦悩と、満ち溢れる寸前だった想いを想像し、ヘッセンは空を仰ぐ。


降り注ぐ青白い月光は、月光神の御力みちからだという。

月を見上げて、多くの者が祈ったであろう願いは、神の下に届いてはいないのだろうか……。




◇ ◇ ◇




〔オレも! オレもムルナに会いたい!〕

ラッツィーがタッと駆けてテオドルを追う。

しかし、後ろになびいたフサフサの尻尾を、タシッとトリアンの前足が押さえた。


ビタンッ


〔トリアン! いたいっ!〕

勢いよく地面に伏せることになったラッツィーが、起き上がって両手で鼻を擦りながら抗議する。

〔野暮なことするんじゃないよ、おチビちゃん〕

〔おチビじゃないやい!〕

ヂヂッと鳴くと、後ろからヘッセンに掬い上げられた。


「ラッツィー、テオドルを一人で行かせてやってくれ」

覗いたヘッセンの瞳が寂し気で、ラッツィーは驚いてその頬に擦り寄った。

あるじ、寂しいの? オレが一緒にいるよ、大丈夫だよ……〕




柔らかな毛が頬を優しく擦る。


ヘッセンは目を閉じて、流れ込む温かな気持ちが、同じようにベルキースに届くことをひたすらに願った。

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