第24話 創世記 ⑴

テオドルが郷長さとおさの屋敷へ戻ると、温かな煮炊きの香りが迎えた。


郷の宿に泊まるつもりだったヘッセンを、バチェクはここに泊まるよう引き止め、夕食を用意させていた。

テオドルが戻った時には、居間のテーブルに用意された数々の料理を前に、恐縮した様子のヘッセンが座らされていたのだった。



「ムルナは?」

戻ったテオドルを見て、すぐにヘッセンが尋ねた。

「大丈夫だ。だが、今夜は神殿に預けた」

「マリソーがちょっかい出したって聞いた。ごめん……」

テーブルに着く前に、キセラが近付いて申し訳無さそうに頭を下げた。

裏庭の一件は、周囲にいた人々の口から郷長一族バチェク達にも伝わっているようだった。

「いや、タイミングが悪かっただけだ。逆に、下手をしたらムルナがマリソーを傷つけることになっていただろう。……気付いて止めたトリアンの手柄だぜ。後でちゃんと礼をしなくちゃな」

テオドルが明るく笑うので、キセラはホッと表情を緩め、ヘッセンも頷いた。




まずは食事をと勧められて、テオドルは席に着く。

並べられた料理は、バチェクの妻と屋敷の使用人が用意したもので、どれも気取らない普段の家庭料理だった。

しかし、久しくそういったものを口にすることがなかったヘッセンとテオドルには、その雰囲気ともてなしがしみじみと温かく感じた。



改めて自己紹介をしたキセラの父ゼナスと共に、キセラも席に着き、食事をしながら様々な確認と情報の擦り合せが行われていく。


テオドルは深皿の煮込みの旨さに感嘆しつつ、情報を頭の中で反芻する。

そして疑問を口にした。

「ベルキースを魔界に帰さないことは決定なんだよな? じゃあ最後の虹霓石こうげいせきを揃えないっていう手もあるんじゃないのか? 揃えなきゃ扉は動かせないんだろ?」


そもそもヘスティアの最後の願いであったから必死に集めていたのだ。

それを放棄するのなら、集めなくても良いはずだ。


「確かに、現状で放棄するのならそれが早いでしょう。ですが私はこの際、魔閉扉まへいひ自体を廃棄したいと考えています」

「廃棄!?」

思いもよらなかった言葉が出てきて、驚いたテオドルは思わずカチャンと食器を鳴らした。

しかし、既にこの話を聞いていたのか、他の誰も驚いた様子はなかった。

「ええ。ベルキースは魔閉扉の鍵として縛られています。魔閉扉自体を廃棄して、その縛りを解くつもりです」


トルセイ家の従属契約は既に消滅している。

鍵としての縛りを解けば、残るのはヘッセンとの隷属れいぞく契約のみになる。

実質、ベルキースの負担はなくなるはずだ。


頷きつつも、テオドルは眉間にシワを寄せる。

「魔閉扉ってのは、こっちの世界とあっちの世界魔界を隔てている物なんだろ。廃棄していいもんなのか?」

「それに関しては、我々アルドバンの者達が長年調査しているんだ」

手についたパン屑を落とし、キセラの父ゼナスがテオドルを見た。

「魔獣の出現率や出現場所は、魔獣使いにとって大きな関心事だ。それで昔から、アルドバンの人間は遺跡やその周辺を調査し続けてきた。そこから結論として導き出されていることは、そもそも魔閉扉にということだ」


手を止めてゼナスの話を聞いていたテオドルは、一瞬腰を浮かしかけた。

「隙間がない……、魔閉扉は製造に失敗して、完全に閉じてないんじゃなかったのか?」

「いや、おそらく、魔閉扉の製造は成功していたということだろう」

「そんな……」

驚いて隣に座るヘッセンを見るが、テオドルが戻る前にその話を聞いていた彼は、苦い表情のまま黙っていた。

ゼナスは落ち着いた様子で続ける。

「長年調査を続けているが、実際、魔閉扉とその周辺から魔獣が現れたことはない」


調査によれば、同じ階層の別の場所、もしくは遺跡周辺に小さな魔穴が頻発し、小型の魔獣が多く現れていたという。

それが、魔閉扉が製造された後から起こり始めた為に、魔閉扉が閉じられていないという噂となった。



“魔閉扉の製造は失敗した”



それは、長い長い間、事業に携わってきた過去の貴族家門や魔術士達を追い詰めてきた傷であり、家門の宿願としてこびり付いてきたものの原点だった。

家門など失われても良いと思ってきたヘッセンであったが、宿願の根本を覆された事実は、形容し難い苦さを胸に広げた。




「お二人は神話をご存知でしょう」

今まで聞き役に徹して食事をしていたバチェクが、グラスの水を飲み干して言った。

ヘッセンとテオドルは一度顔を見合わせ、頷いた。

「兄妹神が七つの世界を創り、一つの世界にまとめ上げた…というものですよね?」

「そうです」

バチェクは深く頷く。


太陽と月の兄妹神の創世神話。

神は七つの世界を創り、そのそれぞれに別の生き物を育てた。

それらが進化した頃、七つの世界を融合させて一つの世界を目指したが、一つは融合出来ずに消滅し、一つは部分的に融合し、残りの五つが溶け合い融合した、というもの。

五つが融合した世界が、人間の住むこの世界。

そこに部分的に融合した世界が、魔界だとされる。


誰もが幼い頃に聞く、馴染み深い昔語りでもある。


「神話では『未だ進化は続いており、我々人間は、太陽神と月光神の完全な世界に向かう途中である』と結ばれるのですが、それはご存知ですかな?」

「はい」

昔語りとしてしか馴染みのないテオドルには知らない部分であったが、神殿で司祭によって語られる創世記を聞いたことのあるヘッセンは耳にしたことがあった。

もっとも、知っているだけで、深く考えたことはなかったが。


バチェクは持っていた空のグラスに、水を注いだ。


「魔竜出現以降、魔獣の数は年々増加しています。魔穴の発生量増加だけでなく、こちらの世界に魔獣が根付き、子孫を増やしている。アルドバン我々は、それらの事象は既にこの世界と魔界が融合を始めているからなのだと仮説を立てています」


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