第21話 繋がる ⑴
「……おいおい、喋ったぜ」
ディメタの姿を凝視したまま、テオドルはじりじりと壁際に後退りした。
ディメタがテーブルの上に身を乗り出したので、距離が近付いて、ムルナは哀れな程に震えている。
テオドルが手を添えて、ようやく耳元で小さく、クル…と聞こえた。
室内の為、逃げたいが逃げる場所がないのか、それとも竦みきって飛ぶことが出来ないのか分からないが、彼女が必死に恐ろしさに耐えていることは分かる。
しかし、「ラッツィーの所に行くか」と言ってみても、イヤと言うように肩に掴まる足に力が入ったので、テオドルは苦笑いしながら掬い上げ、片腕で抱きかかえてやった。
「蛇型も高ランクなのか?」
種類にもよるが、高ランクの魔獣ならば、人間の言葉を自在に扱うものもいる。
と言っても、テオドルが耳にしたことがあるのは、ベルキースと、偽魔石採掘士達が連れていた虎型魔獣だけであるのだが。
「蛇型は大きさでランクが変わります。大蛇は猛獣型と同じ高ランクですが……」
ヘッセンは眼鏡を外し、目を細めた。
「……しかし、
確かにディメタ程の大蛇であるなら、高ランクで人間の言葉を発するものもいる。
だが、いつぞやの虎型のように、言葉を発してもたどたどしいのが当然だ。
ここまで流暢に喋ることができる者は……。
「フン。伊達にヴェルハンキーズと長く過ごしていた訳では無いな」
ディメタの深紅の瞳がキラと光った。
息を吸うように、頭を掬い上げて身体を反らす。
途端に、グズリと身体の輪郭が溶けるように揺れた。
耐えられず、キュゥ…とムルナが震えながら声を発した。
その僅かな間に、ディメタの身体はひと回り大きくなり、頭頂から身体に沿って、皮を割くように長い鬣が流れ出る。
「蛇……竜……」
目を見張って呟いたヘッセンに冷たい鼻息を吐きかけ、
「我はヴェルハンキーズと同じ、
◇ ◇ ◇
〔やっぱりオレ、ムルナがいいんだけどなぁ……〕
前庭の端に植わった木の根元で、仲良く毛繕いをしていたトリアンとラッツィーは、バサバサと羽音を立てて、側に降り立ったマリソーの第一声に呆れた顔を向けた。
〔懲りないねぇ、アンタ。
冷たく言ったトリアンに向け、マリソーは両翼を軽く持ち上げる。
〔そうだけどさ、ムルナより可愛くて気立ての良い子いないんだよね〕
〔でも蹴られたじゃん。相手にされてないよ〕
尻尾の先を整えていたラッツィーが嫌そうに言えば、マリソーは翼をシュピーンと美しく伸ばして見せた。
〔でもほら、オレってなかなかの美鳥だろ? 釣り合うにはムルナみたいな子じゃないと。もっとよく知り合えば、人間の男なんかより……って、ちょっと! 聞いてよ!〕
話が終わる前にトリアンが立ち上がって尻を向けたので、マリソーは慌てて止めた。
〔だって興味ないしー。そもそも、どんな鳥がキレイかブサイクかなんて、アタシには分かんない〕
チラと振り返ったトリアンが、吊り上がった瞳をスウと細めてマリソーを見た。
〔分かるのは、どんな鳥が
マリソーが慌てて翼を畳み、数歩分飛び退った。
〔じょ、じょ、冗談は止めてくれよ。従魔同士の殺傷は禁止だろ〕
〔冗談なんか言ってないさ。どんな鳥が美味そうか、ちゃぁんと分かるよ? アンタは
言ってクククと笑うと、二匹を見比べていたラッツィーがプッと噴いた。
〔失礼だなっ!〕
マリソーが憤慨して足踏みした時、屋敷の入口からテオドルが出てきた。
〔ムルナ!〕
テオドルの腕の中でぐったりしているムルナに気付き、ラッツィーが駆け寄った。
〔どうした!?〕
しかしムルナは返事をせず、虚ろな瞳を揺らして、ハ、ハと苦し気な呼吸を繰り返している。
見上げると、心配そうな表情のテオドルと目が合った。
「高ランク魔獣の気に当てられたんだ。神殿に連れて行くが、先に水を飲ませないと。裏に井戸があると聞いたが……」
察したラッツィーは、屋敷裏にある井戸に向けて案内する為に駆けた。
ここに来た時に庭は探検したので、井戸の場所は知っている。
ラッツィーに案内されて、テオドルが井戸の側にムルナを下ろした。
「ムルナ、すぐだからな!」
そう言って、
〔ムルナ、すぐ水くれるってさ。ちょっとのガマンだよ〕
ついて来ていたマリソーが、ムルナの瞳を覗き込んだ。
ムルナの頭が揺れた。
瞬間、ムルナが首を伸ばしてマリソーに喰らいついた。
あまりに突然のことで、マリソーは全く動けず、ムルナの鋭い
しかしその先が届く寸前、ムルナの身体は地面に引き倒された。
トリアンが尾羽根を咥え、力一杯引っ張ったのだ。
「ムルナ!」
テオドルが急いで抱き上げるが、ムルナは暴れた。
ギュウァッ!
ムルナのものとは思えない苦悶の声が響く。
敷地内の木に止まっていた鳥達が一斉に飛び立った。
抱えるテオドルの腕を、ムルナの突き出した爪が幾筋も傷をつけた。
「ラッツィー、トリアン! 水を!」
ラッツィーが釣瓶の綱に飛び付いたが軽すぎて動かず、トリアンが急いで一緒に引いた。
◇ ◇ ◇
「ムルナ、従え!」
暴れるムルナの嘴を、テオドルはヘッセンの見様見真似でなんとか握り、同じように声を張ったが、ムルナは少しも動きを止めなかった。
どうする!?
アルドバンには、魔獣使いも多く、既に裏門の所には、何かあったのかと数人覗き込んでいるのが見えた。
屋敷の中にはヘッセンやキセラもいる。
助けを求めた方が良いかと一瞬頭を
テオドルは息を呑んだ。
深紅の瞳の奥で、黒い靄が揺れる。
しかしそれと共に、ほんの僅か、光が震えている。
それはまるで、ふるりふるりと、儚く揺れる羽毛の様に……。
テオドルは暴れるムルナの頭を、己の胸に押し当てた。
そして、声を張るのを止め、そっとムルナに語りかける。
「大丈夫だ、ムルナ。こっちを見ろ、俺はここにいる」
呪いが進行すれば、ムルナの自我は消える。
キセラからそう聞いて、なぜそんなことになるのかと思っていた。
しかし、今分かった。
呪いの症状が強く表に出てくるにつれ、ムルナ自身が怖がって、小さくなっていくのだ。
あの瞳の奥の光は、ムルナの心だ。
〔怖い、怖い、助けて……〕
強く繋がったテオドルには、ムルナの声が聞こえたような気がした。
他の誰でもない、
ムルナを助けられるのは、俺だけだ。
俺が助ける!
テオドルは胸のムルナだけを感じて、声を掛ける。
「俺が側にいる、ひとりじゃない。繋がっているのが分かるだろう」
ムルナの動きが、少し弱くなった。
それでも藻掻きながら、虚ろに目を動かす。
テオドルは嘴から手を離し、頭を支えて顔を寄せる。
「感じるだろう、いつでも俺が側にいる。だから、怖がるな」
ムルナの動きが、緩慢になってきた。
ドク、ドク、と、テオドルの心臓の音を聞くように、胸に頭を付けて、止まる。
「ムルナ! ここだ!
プルッとムルナの尾羽根が震えた。
虚ろな瞳に光が戻る。
チチッと鳴いて、ラッツィーとトリアンが、水の入った桶を井戸の縁に持ち上げた。
テオドルが急いで近付くと、ムルナは我に返ったように、嘴を水の中に突っ込んだ。
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